遥かなる影

 

今井義行

 
 

詩には、消費期限がある──・・・・
と わたしが 考えたのは

日本の名詩アンソロジーで
飯島耕一作品「他人の空」(1953 年)を読んだとき。

空0鳥たちが帰って来た。
空0地の黒い割れ目をついばんだ。
空0見慣れない屋根の上を
空0上ったり下ったりした。
空0それは途方に暮れているように見えた。

という一連目 わたしは、
自然界の鳥たちを写生した
陰影のある風景の詩歌と 考えたのだ
しかし、解説文があって

戦後詩を代表する心象詩であるとのことだった。

帰って来た「鳥たち」というのは「喪失者」のことらしい
「途方に暮れている」のは
「喪失者」たちのこころであるらしい

第二連をよく読んだのか、と
お叱りのことばを受けてしまうのだろう、か?

空0空は石を食ったように頭をかかえている。
空0物思いにふけっている。
空0もう流れ出すこともなかったので、
空0血は空に
空0他人のようにめぐっている。

ほら、「頭をかかえている」ではないかと
「物思いにふけっている」 ではないかと
それらは いずれも
人々の所作であるでしょう、と。

「血は」「めぐっている」でしょう、と。

そう言われたところで
わたしは 解説文に「はい」とは言えない

昨日の昼間 駅前広場で見た限り
餌を求めて無数の鳩が
ベンチに座ってシナモンロールを食べていた
わたしのまわりで
ぐるぐると
脳の入った頭を振りながら

それらの いきものは、
「頭をかかえている」
状態でもあったし
「物思いにふけっている」
状態でもあった──・・・・
腹を減らしていたんでしょう

詩に解説文なんていらないんじゃないか
文字面どおりに読んでいいんじゃないか
額面どおりさらっとでいいんじゃないか

「他人の空」は、消費期限切れだ。
2018 年 9 月 16 日現在
そうとしか 言いようがない。

もう、隠喩の場合ではない、
詩のそのような影は、遥かなる影だ──・・・・

 

 

 

また旅だより 01

 

尾仲浩二

 
 

息を切らしながら考えていた。どうして山に登っているのだろうと。
頂上までたったの45分と言われ、軽い気持ちで歩きはじめすぐに後悔した。
なんとか引き返す言い訳を考えていたが、だんだん頭が回らなくなって、景色を眺める余裕もなくなった。
石でガラガラの足下ばかりを見ながら、なぜ山に登っているのか、いまさら考えても仕方のないことをぐるぐる考えているだけだった。
モンテローザの雪を眺めながらのビールの味は忘れない。
そうして、どうして山を下るのかは考えるまでもなかった。

2018年9月7日 Italy Gressoney にて

 

 

 

 

「夢は第2の人生である」改め「夢は五臓の疲れである」 第65回

西暦2018年卯月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

オペラ歌手の「大声コンテスト」に応募した私が、天井からぶら下がった、道成寺の鐘の下で、大音声を発すると、さしもの大鐘も、めりめりとひび割れてしまった。4/1

小学館のシマモト選手の案内で、珍しい古本屋や趣味の店を巡り歩いてから、杉並区に入ると、区民会館で杉並映画会のおばはんが、長々しい宣伝を続けているので、老舗の杉並シネクラブのスタッフが、とてもしらけていた。4/1

「せっかくだから、ゆっくりしていきなさい」と、言われるがままに、親戚の家で寛いでいたら、いつのまにか大広間で大伯母の18番の皮田踊りが始まった。能のように悠々と舞っているので、身動きもならず。ましてや逃げ出すこともかなわない。4/2

記者会見で「これから銀行は、銀行以外の機能が必要になる」と見得を切ったアソウは、「例えば」と言うたなり、後が続かず、永遠の長考に沈んだ。4/3

「おえめのようないかさま渡世人は、ここからとっとと出てゆけ。おれの目の黒いうちは、おめえのような極悪もんの勝手はさせねえから、そう思え」と、カタオカ・チエゾウは、凄んだ。4/4

うっかり座席に荷物を置いたまま、バスから降りたが、そこは私が降りるべき駅ではなかった。急いでバスを追いかけて、2駅目でようやく追いついたのだが、どこへ消えたか荷物はどこにもなかった。4/5

眠れないので、脳味噌の中に潜り込んだら、脳天に真っ白なサソリどもが蠢いているので、恐ろしくなった。これは、本当に私の脳なのだろうか?4/6

「田を耕し、己を耕し、世を耕す人となれ」と念じて、私は息子を耕と命名した。4/7

本邦初の南極探検に応募して、晴れて合格した私たちだったが、宿舎で待てど暮らせど、探検船は現れず、私らは、朝な夕なに水平線を見つめて日を送っていた。4/8

バナナボートに乗り込むと、バナナ娘が「デーオ、イデデエオ、イデデイデデイデデーオ、アンミソタリマンタリババナあ」と唄ったので、「そんなバナナ」と驚きつつも、船の中の美味しいバナナを食べ続けた。4/9

巴里滞在中に私が作った切り絵の鳥は、アルジェの展示会で、生きた青い鳥となって会場内をはばたき、やがて玉のように美しい娘となった。4/10

我が家に遊びに来たヒーちゃんは、「ちょっとごめんなさいね」というて、床の下に潜り込み、深い穴を掘って、妙な石を見つけたが、「はい、この悪い石を取り除いたので、もう大丈夫。これからは幸せが舞い込んできますよ」と予言して去っていった。4/11

お偉いサンの接待を仰せつかったのだが、なにをどうやっても気に入ってもらえないので、意気消沈する。いかに多くの人々が、嫌で嫌で仕方のない仕事をしながら生計を立てていることか。それを思うと暗然とする。4/12

いつもの退屈なNHKの定時ニュースの声が突如搔き消えて、「臨時ニュースを申し上げます。私らは、唯今本局を乗っ取った叛旗グループです。これからは公共放送にふさわしい正義の情報だけをお伝えしたいと思います」というアナウンスがあった。4/13

去年の夏、南の無人島に遊びに行ったタカヤマさんは、あれからずっと海水浴を楽しんでいる、という噂を聞いた。うらやましいなあ。4/14

人里離れた深山幽谷の岩窟に居を構えていた老師は、ますます歳をとって力衰え、いまや急速に迫りくる死に瀕していたが、唯一の友人である蝮が棲息する平らな岩の上に横たわって、安らかに眠り続けていた。4/15

モスクワ空港の免税店で、しこたまアルメニア特産のコニャクを買い込んだマッサンは、そいつをガブ飲みしながら、エコノミーの狭い座席で朗々とチェロを奏でるので、乗客は煩くて煩くて一睡もできなかった。4/16

打ち合わせのためにホテルに戻ると、アカシヤサンマがぶるぶる震えている。「このホテルにはかけ流しの温泉があるから、ちょっと体を温めたらどうだ」、と勧めたが、「どうにも気分が悪いからこのまま寝たいんや」といって、眠りこんでしまった。4/17

放射能にまだ汚染されていない人たちは、まだ地下壕に潜んでいたのだが、ある朝、彼らの顔の上を、何千何万というカマキリの子供が、ワッセワッセと歩いていった。4/18

今年のパリコレの話題を独占したのは、ベルギーの新ブランド「ランボオ&ヴェルレーヌ」による「パリ・コンミューンを遠く離れて」をテーマにした、疑似革命的なふぁっちょんであった。4/19

ランボオとヴェルレーヌを主人公にした「パリ・コンミューンを遠く離れて」という小説を書いたフマモトヒコ氏は、ついに念願の芥川賞を受賞したのだが、それを祝うはずの同窓生の多くが幽明境を異にしていた。4/19

「らっしゃあーい、美味しい水だよ。これをスピーカーに注ぐと、抜群にいい音が出るよ!」と、その香具師はペットボトルに入れた怪しい水を売りつけようとするのだが、誰も立ち止まらなかった。4/20

シルヴィー・バルタンのコンサートにやってきたお客さんは、バルタンならぬバルタン星人のような八代亜紀が、いきなり「新宿の女」を歌いだしたので、怒り狂って舞台に殺到した。4/21

コータロー氏を誘って教会まで来たのだが、いつのまにかいなくなってしまった。厳かなバッハの音楽が聞こえてきたので、もしかすると礼拝に参加しているのかもしれない。ナカノ一家もいたが、さてどうしたものか。4/22

ドケチな私は、ケータイの使用料を、なんとか自分のスポンサーに払わせようと、いぢましい苦労を、積み重ねていた。4/23

カマクラの町内会に、お隣のズシの市民が乱入してきて、勝手なことを言い始めたので、町内会長は、どうやってこの場を収集したらいいのか、途方に暮れています。4/25

丑三つ時になると、ほんとうに草木が眠っているのかを確かめるために、私は、時々森の中に入っていった。4/26

「キリノという男について、なにか知っていることはないか?」と駐在から問い合わせがあったので、「蕎麦を手打ちするのが趣味で、バハマの桃色の砂浜でジープを運転する男」と答えると、フーンというて引き上げていった。4/27

地下鉄東西線に乗ったら、2人の男が押しくら饅頭をしていたが、次の駅で乗ってきた男も加わって、3人で楽しそうに押しくら饅頭をしている。4/27

大人になってから、また寺子屋で学びはじめたのだが、読み書き算盤のうち、算盤だけは大の苦手で、昔と同じ12級のままだった。4/28

「○○」の役割は、ほんとうに難しい。半世紀の時間の経過に磨かれて、私はようやくなんとでもできるようになったのだが。4/29

私の長年の病気は、某病院の最新式の治療と手厚い看護のおかげで、ついに完治したのであった。4/30

 

 

 

虫の家

 

道 ケージ

 
 

近頃、虫が通って困るわ
妻が言う
見ると廊下の縁に
極小の虫が這っている

前から言ってたじゃない
初めて聞いた
第一
言葉なんて交わしていない

この子たち
床下に入っていくのよ
はい、と
ムシコロリ

なんちゅう殺虫
頭痛になるから
手でつぶすよ
それじゃ意味ない

厳重なマスクで
虫の行き先を追う
子ども部屋だ
そこには見慣れぬ
大きな黒いカバン

入っちゃダメ!
そんな子の絶叫
腕に食い込む爪が痛い
ファスナーを開ける

強烈な異臭とともに
中から黒い虫が
しゃりしゃりと
這い出す

何だこれは!
床下じゃないじゃないか
あざ笑うように
わかんないの?

あんたが作ったもんよ
這い出し
何を奏でる?

こんなもん作って
笑いもんということ
わかんないかな

なんば作っとうとや
お互い
笑いもんたい

 

 

 

愛のゆくえ

 

今井義行

 
 

I have lost interest in you already.
(わたしは、すでにあなたに対する関心を
失ってしまって いるのですが)

海に連れていってあげられたらよかった

日本の海の 江ノ島の
クリームソーダのように泡立つ波が

あなたの ブラックの肌に
どのように 降りかかるのかを
感じる ために・・・・・・・・・・

I want to live with you in Japan!

あなたは ワタシを もとめていたの?
それとも 二ホンを もとめていたの?

そこのところが 掴めず
わたしは 見逃がしてしまった

シングルマザーのフィリピーナ
あなたの 声音も誓いも 全部

残ったのはブラックの肌の 香りだけ
肌は 月経血の 香りがした

彼女は もう産まないと言った

 

 

 

涙の乗車券

 

今井義行

 
 

I want to stay with you in Japan!

あなたは ワタシを もとめていたの?
それとも 二ホンを もとめていたの?

14歳年下の フィリピーナ
シングルマザーのフィリピーナ

マニラで一緒に申請したけれど

彼女は 短期滞在ビザを得られず
成田へのフライトチケットをキャンセルした

He’s got a ticket to ride
He’s got a ticket to ride
He’s got a ticket to ride
and he don’t care.

あの人、もう乗車券も買ってあるわ
乗車券も買ってあるわ
乗車券も買ってあるわ
私の気持ちなんて気にもしてない

He said that living with me
was bringing him down
Yeh
He would never be free
when I was around.

私と一緒にいると
落ち込んじゃうって言うの
そうよ
私がそばにいると
自由になれないんだって *ネットより引用

あなたは まだ既婚者だった 前婚未解消のまま
11 年経っていた

フィリピンには
結婚の制度はあるけれど
離婚の制度は ないのだ

健やかなるときも病めるときも
添い遂げる国なので

わたしは ひとり
マニラ空港から帰ることになった

彼女は弁護士を立てて
離婚を成立させると言った

けれど わたしは
I want to be free in Japan.
と 言ったのだ

彼女は「私は約束する」と
言ったのだけど

わたしは 「なにを?」と
聞き返したのだった
彼女のブラックの手を握って

 

 

 

新・冒険論 15

 

帰ってきた

奥羽線と
山形新幹線で

西馬音内から帰ってきた

もう
ひと月になる

車窓から平らな海を見た
林の向こうに山々を見た

そこから
帰ってきた

歌だった

そこに
歌の形があるのだった

平らな海を見た
こんもりとした緑の山々を見た

流れていった

林の向こうに
霧は

流れていった

 

 

 

銀座の夜のトランペット

音楽の慰め 第30回

 

佐々木 眞

 
 

 
あれは確か1980年代の半ばを過ぎた頃だったでしょうか。
私は久保田宣伝研究所が運営する「宣伝会議」主催するコピーライター講座の講師として、毎月何回か、当時銀座の松屋の裏手にあった教室に通って、コピーライター志望の若者相手に、自分流のカリキュラムを作って、まあなんというか、いちおう教えていました。

80年代になると、昔は「広告宣伝文案作成業」などと称されていたコピーライターが、突然時代の寵児のような人気職種になり、第2の仲畑、糸井を目指す人たちが「宣伝会議」の養成講座に群がるようになっていたのです。

「1行100万円!」のコピーライターを目指す気持ちはわかりますが、そう簡単に1流のコピーライターなんかなれるものではない。あらゆる芸事と同じで、生まれながらの才能がない人がいくら努力しても、ダメなものはダメなのです。

じっさい私がそうでした。いくら努力しても2流どまりだなと、早い時期に分かってしまったのです。もちろん若き学友諸君だって、そんなことは、3カ月もコピー修行を続けていれば、自分自身で分かって来ます。

そうなると話が早いので、第1級のプロになることを諦めた若者たちと、2流のコピーラーターに甘んじている臨時雇われ講師の私は、2時間の授業が終わると、そのまま安い居酒屋に直行し、その日の僅かばかりのギャラで、らあらあと気勢を上げて飲んだくれていたのでした。

確かある夏の夜のこと、いつものように学友諸君と一緒に、夜風に吹かれて銀座3丁目から4丁目の交差点にさしかかったところで、誰かが吹いているトランペットの音色が街の騒音を縫うようにして聞こえてきました。

日産のショールームの前あたりに、いかにも人世にくたびれ果てた顔つき、そしてくたびれた背広を着た一人の年齢不明の白人男性が、過ぎゆく人や車にはまったく無関心に、夜空に向かってペットを吹いています。超スローペースのメロディを、ゆったりゆったりと吹き流しています。

唇に当てているのは相当古びたトランペット、吹いているのはジャズのようですが、果たしてそれをジャズと決めつけていいのかどうか。その男は、じつに単純なメロディのようなものを、きわめて自由な、そして超遅いテンポで、なにか大切なことを、どうしてもこの際言うておかねばらなぬことを、自分自身に向かって言い聞かせるように、あるいはどこか遠くへ行ってしまい、行方不明になってしまったもう一人の自分に切々と訴えかけるように、朗朗と歌っているのです。
腹の底からジンジン歌っているのです。

それは例えてみれば、白人の虚無僧が吹く西洋尺八のリバティ音楽のようでした。

何人かの勤め帰りのリーマンたちに混じって、しばらくその西洋虚無僧の尺八の音に耳を傾けているうちに、私はこの10年間というもの、なんだか手ひどく抑圧された心が、ゆっくりと解き放たれるような気がしてきました。

ジャズのようだけどジャズじゃない。要するに、これはただの音楽なんだ。しかしただの音楽にしては、物凄すぎる。いったい何なんだ、これは? そうかこれが音楽なんだ。

とりとめのない想念がなおも渦巻く、こんがらがった頭の中を断ち切ろと、私が目を閉じて嫋々と鳴り響くソロに酔い痴れていると、突然隣で一緒に聴いていたホンダ君が叫ぶように口走りました。

「先生、もしかしてこれ、本物のチェット・ベーカーじゃないすかねえ」

 

 

 

*天才的ジャズ・ミュージシャンChet Baker(1929-1988)は、1988年にオランダ・アムステルダムのホテルから転落し、58歳で亡くなったが、その少し前の1986年と翌87年に来日している。

 

 

 

あの縁側にすわり続けている

 

駿河昌樹

 
 

空白空白あゝ おまえはなにをして来たのだと…
空白空白吹き来る風が私に云う
空白空白空白空白空白空白空白空白中原中也「帰郷」

 
 

国というものへの落胆や
さらには
絶望も
今年のお盆に
魂迎えの灯をいくつか添えるだろうか

なんといったかな、
あの小さな古いお寺は

木の乾き切った
あの祠にも
顔のすっかり崩れた
古いお地蔵様の
並びにも
まだ
だれか
花を添えているだろうか

蚊取線香を焚いて
大きな団扇を動かしているだけで
あやまちなく
人生の大道にある気がする
あの縁側に
こころだけは
いまも戻る

だれもいなくても
みんながいるような
夏のひろい庭に向かった
あの縁側に
すわり続けている

 

 

 

サウンド・オブ・サイレンス

 

今井義行

 
 

アメリカにはポールサイモンがいた
いまだって いきてるって?
いまだって 在るのは〈 The Sound of Silence 〉です
〈 沈黙の音 〉ですか そんな現代詩の題みたいな曲が
よく全米No 1になったな
1966年の 出来事だった──・・・・・・

わたしは、まだ小学校に入っていなかった

In restless dreams I walked alone
そわそわした夢の中、僕は独りで
歩いていた

Narrow streets of cobblestone
石畳の狭い通りをね

Neath the halo of a street lamp
街灯の明かりの下

I turned my collar to the cold and
damp
僕は街の寒さに襟を立てた

When my eyes were stabbed by
the flash of a neon light
僕の目にネオンの光が飛び込んだ

That split the night And touched
the sound of silence
それは夜を切り裂き、「静寂」に
触れたんだ *ネットより、引用

わたしも「静寂」に触れたその時々に
ガラス細工の鳴るような音を聴いたものだった
〈 The Sound of Silence 〉
来し方を顧みれば
わたしは 3度 結婚を考えたことがあった
そのひとつひとつの出逢いが終わるまぎわに
ガラス細工の鳴るような音を聴いたのだった

月曜日のデイケアは
フリーテーマの ミーティングの日で
その日のわたしは こんな発言をした

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●私事でひと月ほどデイケアを休んでいましたが、今日から
週3回のペースで復帰いたします。また、よろしくお願いいたします。
●このひと月の間、何をしていたかと言いますと、
フィリピンに滞在していました。2016年にFacebookで知り合って、
事実婚状態にあったフィリピン人女性を日本に招くためのビザの申請の為です。
結果は、これで3度目の「不許可」となりました。
●今回、日本語で交渉したいと思い、日本人が経営するエージェンシーに
ビザ申請代行を依頼しました。
彼女がシングルマザーであることは承知していましたが、
提出書類から、彼女が今現在もまだ結婚していることが判りました。
11年間、元夫との結婚の解消手続きが為されていませんでした。
●わたしが無職で生活力がないとうことが「不許可」の原因かもしれません。
本当の所はわかりません。
彼女は大変良い人で、わたしに対して常に優しく接してくれました。
しかし、これでは、将来的に、日本で一緒に暮らすのは無理である、と
判断して、帰国後、関係を清算しました。
これまで、スマホに蓄積されてきた写真など、大量のデータの削除などを
行いました。そんな時、むなしいこと、この上ありませんでした。
わたしは、身寄りも友人も、殆どありませんので、
スマホを携帯していること自体、意味が無くなってしまいました。
●お酒に関する話題に移ります。
フィリピン滞在中から、いま現在に至るまで、
HALT(Hungry,Angry,Lonely,Tired)の4つの条件がすべて揃ってしまう
瞬間に襲われることが、しばしばでした。
しかし、それでも、飲酒欲求は全く湧いてきませんでした。
何故なのかと考えをめぐらせてみますと、「自分は、もうこれ以上、
最低の人間にはなりたくない」という気持ちが強いからだと思い当たります。
●正直なところ、「人間を、もう辞めてしまいたい」という、
烈しい希死念慮にも、しばしば憑りつかれています。
けれど、それを実行してしまって、周りの人達にまた多くの迷惑をかけ、
本当に、最低最悪の人間になるわけにはいきません。
苦しくても、これからのデイケア参加を通じて、
生活の立て直しを図ろうと考えています。
●わたしは55歳になりました。まだまだ、人生は続いていきます。
しかし、何のために生きていくのか、と考えると、何も思い浮かばず、
ただただ、途方に暮れてしまいます。
断酒生活は継続できるかもしれませんが、ただそれだけで、
やがて高齢の障害者となっていき、ひっそりとこの世から消えていくのかと
思うと、本当にさびしい限りです。

何のために生きていくのか
3度目に結婚を考えたその彼女はルソン島ブラカン州のPasayoという
住宅街の持ち家で
朝から褐色の腕に刷毛を持って壁に白いペンキを塗っていた

彼女は自分の褐色の肌を「醜い肌」だと言い
わたしの肌を「白くて綺麗」といつでも言った
そして 家の中も 執拗に白く染め上げていた

何のために生きていくのか
暮らしを白く染め上げていくためではない──・・・・・・
と わたしは思った
さまざまな色の日々を味わいたいとわたしは思った

「扉が真っ白になったわ」と
彼女はソファーに横たわっているわたしを見て微笑った
彼女の褐色の鼻に白いペンキが付いていた
「ミルク色の生活だわ」
彼女は完璧主義のカソリック教徒 そして
日本へ行ってわたしと暮らすことを強く願っていた
そんな彼女がなぜ前婚未解消なのか
わたしには不思議でならなかった
その一方で 健やかなる時も病める時も
手と手とを繋ぎあっていくような 一夫一婦制が
わたしには 足枷にも感じられた
そして 彼女のビザの申請が「不許可」となった時
わたしは、ガラス細工の鳴るような音を聴いたのだった

I want to be free in Japan

帰りの飛行機の中から
遠ざかるフィリピンの島々を眺めながら
わたしは、わたし
つがいには成れないと 思ったのだった
途方に暮れる と しても、ね。

アメリカにはポールサイモンがいた
いまだって いきてるって?
いまだって 在るのは〈 The Sound of Silence 〉です
〈 沈黙の音 〉ですか そんな現代詩の題みたいな曲が
よく全米No 1になったな
1966年の 出来事だった──・・・・・・

わたしは、まだ小学校に入っていなかった

わたしは 3度 結婚を考えたことがあった
そのひとつひとつの出逢いが終わるまぎわに
ガラス細工の鳴るような音を聴いたのだった
と わたしは、記した。