駅前に立つ

 

さとう三千魚

 
 

昨日
午後に

静岡駅の
北口の

地下広場の
市立美術館のポスターの

前にいた
立っていた

月の最初の日曜日に
いつも

駅前に佇ち

通る人たちの
花の名を聞き

詩を書き捧げる日だった

駅前にいた
立っていた

 “戦争、やめれ!”
 “すぐ、やめれ!”

 “殺すな。”

そう叫んでいた
そう拡声器で叫んだ

一昨日も
東京の水道橋の駅前にいた

立っていた
叫んでいた

高橋朝さんが足元に横たわってくれた

駅前の道路に
横たわってくれた

どうだろうか

声は届くだろうか
その声は届くだろうか

ガザの人びとに届くだろうか
蝶は羽ばたくだろうか

駅前を人びとが通り過ぎていった
夕方には吐く息が眼鏡を白くした

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

 

工藤冬里

 
 

目薬を差した翌朝
失敗した祈りを終えた黄色の人の目を見ている
桜の目は愛していない者にも届く五芒
男性形なのに母
主語が何回も出てくる悪文のように
銀河の私小説は五芒を引き寄せた桜の顔であった
父でも母でもないものに今年も届かなかった
動物の番を救いたいのなら人間も、と大木は察した
終戦のために手放さなければならない3つのものは力、立場、名声であった
父でも母でもないならそれは究極のLGBTQだ
そう察して、、、

 

 

 

#poetry #rock musician

久本くんの庭

 

駿河昌樹

 
 

水を
植木鉢やプランターに撒いていたら
ちょっと
離れたところの
バラの葉や
オリーブの葉のあたりに
羽ばたきのような音をさせながら
なにかが飛んでいた

とっさに
大きめのトンボか
と思ったが
こんな冬のさなかに
トンボが?
と思い返した

晴れた
寒くない午後だったので
どこかで越冬していたトンボが
ふと目覚めて
飛んでみた
ということがあっても
おかしくはない

羽ばたきの音が
機械じみた音にも聞こえたので
ひょっとしたら
ドローンだろうか
とも思った

ともあれ
飛んでいるのに気づいたのは
一瞬のことで
トンボか
ドローンか
確かめようとしても
もう
どこにも姿はなかった

花咲く庭にいるとね
ときどき
飛んでいる妖精が見えたりするんだよ
としゃべっていた
小学校時代の友だちの
久本くんを
ふと思い出した

なんどか
久本くんの家の庭に
花を見に行った

ぼくはこの庭だけが大事で
ほかのことは
ぜんぶ
どうでもいいんだよ
と久本くんは言っていた
花がいっぱい
きれいに咲いても
花が咲かなくて
雑草や枯れ草ばかりの冬でも
この庭だけが
どきどきするほど
好きなんだよ

ただここにいて
座って草花を眺めていたり
突っ立って
からっぽの頭で
空を見たり
草花の上の空気を見ていたり
目をつぶって
きのうの雨の乾いていくにおいや
土のにおいを嗅いでいたり

そんなふうに
してみているのが
ぼく

久本くんは言っていた

トンボか
ドローンか
わからないけれど
久本くんよりもずいぶん遅れて
妖精が
一瞬だけでも
見えた
可能性だって
まったくないわけでは
ない