人間の澱

 

佐々木 眞

 
 

毎晩風呂に入るので、毎朝風呂を洗っている。

たいていの汚れは落ちるが、擦っても擦っても落ちないのが、いつの間にか風呂の内側の壁面についた茶色い滲みだ。

それは、長年にわたって俺と妻と息子が、代わる代わるこの狭いプラスティックの箱の中に入って、擦りつけた薄茶色の澱だ。

それは、人間の澱。動物の澱。動物の体内からにじみ出る分泌物。
どういう成分だか分からないが、ともかく有機物の澱だ。

この薄茶色の澱をじっと見つめていると、なぜだか昔のいろいろを思う。

なぜ青山で一人暮らしをしていたトップモデルは、ぐらぐら煮えたぎる熱湯の中でまっ白な骨になってしまったのか?

なぜサカイくんは、深夜の浴槽で不慮の死を遂げたのか?

なぜユダヤ人たちは、アウシュビッツで殺され、なぜ私は、ぬくぬくと生き延びてあたたかなこの湯の中でひと時のしあわせを享受しているのか?

いつか私も、父母のように突然心臓まひや脳卒中に襲われ、それがこの薄茶色の澱のついた浴槽で、声なき助けを呼びながら、ひとり真夜中に息絶えるのかもしれない。

 

 

 

傘がない

 

佐々木 眞

 
 

さっきから「傘がない、傘がない」と、陽水が歌ってる。
線状降水帯の集中豪雨を眺めながら、やけくそのように歌ってる。

いよいよ台湾有事の大戦争がはじまったが、
徴兵前に、好きな女を、も一度抱きたい。

だけど「傘がない、傘がない、傘がない」と
まるで拓郎みたく歌ってる。

傘がなければ、なくてもいいじゃんか。
雨に濡れ濡れ走っていけば、好きな女と、も一度デキルじゃんか。

そう思うけど、このニッポン一の優男は、小名木のリバーサイドに佇んで
「傘がない、傘がない」と、いつまでもカッコつけている。

なるへそあんたは、日本全土をすっぽり包む外国製の巨大な傘じゃなくて、
エゴマ油がぷんぷん匂う、小さな、小さな番傘が欲しいんだ。

相も変わらず「傘がない、傘がない」と陽水が歌ってる。
線状降水帯の集中豪雨を眺めながら、やけくそのように歌ってる。

 

 

 

北陸から帰った

 

さとう三千魚

 
 

2000kmほど
クルマを運転した

静岡から山梨
長野

新潟に抜け

出雲崎の丘から海を見た

向こうに
佐渡が浮かび

西域かと思えた

柏崎の宿に泊まり
柏崎から

富山
金沢へと向かった

金沢は観光客で賑わっていた
かほく市で海を見た

金沢では
四角い池の

平らな水面を見つめるヒトを後ろから見る
駅前のホテルに泊まる

富山に戻り
岐阜を通り

名古屋に抜けて帰ってきた

2000kmほど
運転した

女は運転が怖くて眠れなかったと言う

帰って
毎朝

小川沿いを歩いている

西馬音内の盆踊りも終わったろう
今年は踊ろうかな

電話で
姉は言っていた

風鈴の音を聴いている

風が吹いて
風鈴が鳴っている

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

西成

 

工藤冬里

 
 

滑り易いツルツルの木目の星のイメージはそこから来ているし、
その縞模様は靴下や竜に見られるものだ、と
世代の替わった遊技場のコンセントから充電し、
部品置き場の機具類を床に曝けだす、と
埃を被ったマンブルビーのマイケルたちが飛び立つし、
西成に秋が来る、と
助かるためには記帳されている必要があったし、
ここは間違った地球の中心地であった、と
山頂も野獣の首も七つあったし、
永住させ増やす、と
約束し、
死んでもテントの中では寝ている、と
4キロ離れていても聴こえるし、
なしでやれている外で俄雨野宿し
屋根天幕、と
俄雨野宿屋根天幕しとしと

 

 

#poetry #rock musician

夜について

 

松井陽大

 
 

甘いうつの織りなす絹の十字路で
ぼくは夜の墨に呑まれ彷徨う。
とても深い墨の夜
ぼやけた夏の空を浮遊する鈍い影。
その「墨」を放つ
軟体動物をしめ殺して
昼が再び訪れるとしたら?
また君に会えるとしたら?
あたりはしんとして蜘蛛の糸が
天から降りてきそうなほど
アスファルトに汗を垂らすエアコンと
室外機の虫声
ハイブリッドカーの低音が
僕の腹をかすかに揺らす。
あいも変わらずの夜の街。
ぼくらはこの空っぽのおもちゃ箱の
広大な黒い色面にくっついた
小さな二つの目にすぎない。
偉大な夜の子宮のなかでは…
「ドレイ」は夏を、「靄」と「ユメ」
を曖昧にさせ、2本目の煙草に火をつける。