根岸交通公園

 

廿楽順治

 
 

もうだいじょうぶ
(ここにはずっとなにもおこらない)

はねられて
空に埋められた子どもらを

(わたしはみた)

老いた信号機のもと
ひかりの色を思い出そうとしているが

あおも
きいろも

くらしているだけではみることはない

わらいながら
路は急に深くまがり

空は
子どもらの
とまった呼吸でもういっぱいだ

(それを轢いた)

そのことが公園なのだ

 

 

 

2025秋的俳六首

 

Sanmu CHEN / 陳式森

 
 

又,歲月填膺
見證了一種光輝
維多利亞灣

耳廓的寂靜
察覺野豬的喘息
被戮的低吟

秋風秋雨愁
腐敗着果欄內臟
賣春油麻地

安全詞瓦解
天使徘徊本雅明
愴然伴孤星

油麻地探戈
一首詩即將結束
為落日謝幕

2025年10月21日

 
 

 

 

 

水平ということ

 
 

さとう三千魚

 

昨日かな
昨日だな

朝には
近所の人たちと

小川の土手の草刈りをした

昼前に
帰って

朝ごはんを食べた

女に駅までクルマで送ってもらい
東名高速バスに乗った

バスから
由比の海を見た

いつもそうする
いつも

由比の海を見る

遠く雲の下に半島が浮かんでいた
灰色の海の上に青い半島が水平に伸びていた

中野では
ギャラリー街道で

佐藤春菜さんの写真を見た

写真には人びとがいて
街があった

お母さんの皺だらけの手が水平に伸びている写真があった

荻窪の公会堂では
高橋悠治さんの曲 “この歌をきみたちに” を聴いた

この曲は3楽章に別れていた

“きみたちは解放の道をあゆむ”
“ラレスに会いにきて”
“幸福の歌”

ここにも
水平があるように思えた

道があり
生があり
夢がある

“この歌をきみたちに”を聴いていた
なんどか眠りそうになった

そこに懐かしい水平があった
水平な夢があった

 

 

 

#poetry #no poetry,no life