在世界的昏暗裏,
我們面目全非。

 

Sanmu CHEN / 陳式森

 
 

九月,聲勢浩蕩,
沉舟,這不是永別。
秋日在此截斷長風,
神的舞曲永恆輪迴。
對於恐懼,那些尖利的
黑雨過後的悔意,昇與降
裂開創傷………將暗之火。
沒有什麼是需要對抗的,
熄滅了眼睛,沉默就漂流。
風暴之後我的港灣不設防
飲一杯就人間山河!
你的淚水我已收起,
你的旗幟我已收起,
闇默之中我還能聽到你的低語。

在世界的昏暗裏,
我們面目全非。

 
2023年9月12日
九龍城

 

 
 

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Colonia Dignidad

 

工藤冬里

 
 

撫で肩の法制度を用いてレンズを通す鼻先の史実が髪型の正史としてカットされていく
陽の当たる建設現場の感染症差別がシュシャン城の全てを特例にする
城へ行きたいというヒッチハイク二人組を乗せてギクシャ君は何と仲直りするのか
原則ではなく特例を勉強するのだ
公正の感覚だけはある人物像が描かれていく
美しいとは見過ごすこと
或いは茶を飲んで考えるプロジェクトで飼われていた王は日溜まりにエステルを見ず木乃伊化している

私たちは特例に賭け特例は私たちを青い釉薬の施された煉瓦の城に閉じ込めようとする
それは詩による迫害の音響である
音楽はユバルによって創始されたが詩の始まりはそれよりも古いのだから
音楽は音楽ではない
音楽は恋愛沙汰ではない
音楽はJAZZではない。
全ての音は詩として変化し得る
カザヴェテスの「too late blues 」のラストシーンで、自分だけが音楽だと思っていたゴーストは他者の演奏によってやっと自分を聴く
それはスポットライトではない
この詩は一呼吸で演奏される
この詩は普通のものであろうと努める
ヘビなどの色は象徴的に付けられた
ロックはルーパーは使わない
エステルはエステの語源である
改装フェスはワークショップであって、ステージではない

 

 

 

#poetry #rock musician

ほんの散歩

 

野上麻衣

 
 

この蝶はなんてなまえ?

歩く速さに
蝶がついてくる

たちどまる

たちどまって
また
歩き出す

アオアゲハ
だよ。

きみのとなりを
ふわりふわり
かるく旋回

めずらしいのか
南の海みたいな、
あお
きみは最近
海をみただろうか

手をふって
蝶とわかれる

ほんの散歩
三人であそんだら
ひとりに立ち返った

 

 

 

コリコリコリック

 

辻 和人

 
 

コリコリだ
このところ夜はまとめて寝てくれる
このところ笑顔も増えてきた
なのにコリコリ、コリコリ
コリコリコリック
和名「黄昏泣き」
夕方、激しく泣く
4時にむっくとお昼寝から覚めて
ちっちゃなウェンウェンから始まり
やがてギュエエーンギュエエーン
泣き止まない、3時間泣き止まない
縦長に開いた口から呪いの声吐き出すコミヤミヤ
目腫れ切って真っ赤な手足震わすこかずとん
コリコリだ
コリコリコリック
必ず泣くこの時間帯
コミヤミヤを縦抱きしてゆっさゆっさ
涙がひと筋、ふた筋、流れ落ちて
落ち着いたかな
マットに下すと途端にギュエエーン
ああ、どうしたらいいんだろう
ミヤミヤと相談して代わりばんこに夕食をとる
ミヤミヤが抱っこ、ぼくがごはん
モグモグササッと食べ終わって交代
こかずとんを抱っこ、コミヤミヤにガラガラ
それでも泣き止まない

ミルク飲ませたしお昼寝もしたし
オムツも変えた
じゃあ、どうして泣いてるの?
ふと頭に浮かんだ
昔読んだ吉本隆明の難しくてよくわかんないところもあった本
『言語にとって美とはなにか』
「言語は、動物的な段階では現実的な反射であり、
その反射がしだいに意識のさわりをふくむようになり、
それが発達して自己表出として指示機能をもつようになったとき、
はじめて言語とよばれる条件をもった」
おお、コリコリ、コリだよ
生後すぐの大泣きは
まあ動物的な段階だ
でも生後3ヵ月を過ぎた今は目を見て笑顔、社会的微笑を連発
「意識のさわりをふくむ」ようになった段階ってことだね
言語まではまだ遠いけど
<自己>が生まれて<表出>する
コミヤミヤはコミヤミヤでコミヤミヤだ
表出! ギュエエーン
こかずとんはこかずとんでこかずとんだ
表出! ギュエエーン
理由なく泣いてる、わけじゃない
さわりがコリコリを呼んでいる
コミヤミヤがコミヤミヤでこかずとんがこかずとんだから
コリコリだ
コリコリコリック

2人を交互に抱っこして
だんだん顔つきがとろっとしてきた
そろそろ7時か
抱っこしてると疲れるけど
その重さが快い
横抱き抱っこを縦抱き抱っこに変えて
お尻の感触がもちっと腕に伝わってくる
コリコリ?
意識のさわり
うん、こりゃさわりだ
コミヤミヤのお尻の感触、こかずとんのお尻の感触が
2人をただ目で見た時とは違う感情を連れてくる
ギュエエーン、とはならないけれど
何かコリコリしたもの
お尻を、腕で、食べちゃいたい
ぼくの中から<自己>が飛び出して
勝手にさわりを作ってやがる
こういうのも
<自己>が<表出>してるって言うのかな?
『言語にとって美とはなにか』、ちょっとわかった気になってきた
なったところで
コミヤミヤとこかずとん、とろんとろんと落ち着いてきた
親指をお口に入れてくっちゃくっちゃ
もう少ししたらお風呂入ろうね
それで明日の夕方またコリコリしようね
コリコリだ
さわりが<自己>で<表出>だ
コリコリコリック
コリコリコリック

 

 

 

アリガトウ、サヨウナラ、ゲンキデネ

 

佐々木 眞

 
 

正午。
誰一人通らないカンカン照りの田舎道を歩いていると、どこかでポトっと音がする。
振りかえってみると、道の真ん中に、栗がひとつ落ちていた。

栗を拾って、なおもカンカン照りの道を進んで行くと、
道の真ん中に、小さなコジュケイが、ひとり佇んでいた。

コジュケイは、ゆっくりと歩きながら、しばらく物思いに耽っているようだったが、
いつものようにチョットコイと騒いだりせず、また一度も僕の顔を見ることもなく、
黙って電柱の脇に消えた。

どこからともなく、一陣のそよ風が吹いてきたとき、
僕は突然、分った、と思った。
彼女は僕に、「アリガトウ、サヨウナラ、ゲンキデネ」と言いたかったのだ。

なぜか僕は、一瞬その電話を、とることを躊躇ってしまった。
去年の今頃亡くなった妹が、ホスピスから掛けてきた電話を、
コロナで仰臥していた僕は、なぜか素早くとれなかった。

巨大な白入道が立ち上がる群青の空の彼方から、
ふと思いついたように吹きつけたそよ風は、歌うようにこう囁いたのだった。
「アリガトウ、サヨウナラ、ゲンキデネ」