マスクを外した自画像

 

工藤冬里

 
 

 

同心円たちが接するのは常に六ケ所村である
完全な円は六角形を作っていく
完全さと六が結びついているのは興味深いことである

では球は何と結びついているだろうか
それは十二以上十三未満という個数である
十二という数はそういう性格を持つのである

完全であろうとするということは十三個目との闘いなのだ

これからできること
を知って
持ち出し袋とか
準備したい

六は当てにならなかった

三次元に隠されるための限定的な完全さは
会社で半沢に
・倍返ししないことと・正しいことを行うことを同時に要求する(zep2:3)
それは半沢にとって
yesといいながらnoと言いなさい
とか
息を吐きながら息を吸いなさい
などと言われるのと同じことであった
六の温厚が憎まれる理由を理解すれば
十三の陽子(=電子)数を理解することができるだろう

これからできること
を知って
準備したい

六は当てにならなかった

望む事
を全て行う
ような
者が
他にいない

先見し読み取る力

操作する力
が合わさって
能力
となる

理想科学工業にその未来操作能力をお訊きしたい
なぜ逆輸入リソブームになったのだろうか
ここで半沢は頭痛がした
気質についての予告が含まれそうだったからである
胸の石板に彫る痛みを避けたいのだろう
ビールと生政治餃子の画像ばかりアップしているがちゃんと繊維質摂ってるんだろうか
リトグラフの痛みとリソグラフの栄養不足
それではなぜリソになったのだろうか
安全宣言の直後
電波の乱れと咳が混じる
街宣車の音も入る
どうやめるのか
金蚊の羽圧が耳を掠める

李祖のもとに行け
正しくても温厚ではない
温厚​で​も正しくはない
怒りの​日​に十三は​隠さ​れない​だろ​う
六は自分たちのリソ好みをなんとしても通そうとして
機械を畑に入れる
穴から煙が出てきて
地下からバッタが出てきた
どんな植物も傷つけてはいけなかった
人は傷つけてもよかった
死にたいと思っても死が逃げていくような傷つけ方であった

わかりやすい分断は
最後の晩餐にソーシャル・ディスタンスを入れ
タブロー上の全ての顔にマスクをさせることである
徹底的に探され捕らえられる
十三は探し出されて捕らえられる
頭と尾では
前と後ろでは
時間さえ違う蛇

成長に伴う痛みに堪えて
机の裏側を見上げる
努力しないと
痛くないので楽でいい
人に近づく努力をやめてはならない
犬よ鉄の柱銅の城壁を超えてゆけ
decadesのばさばさと
アロンに匹敵する痛み止め
六に無理をさせたくない十三
六を大事にしすぎる十三
痛みに耐えられる地の球体のために
自画像からマスクを外せ

‪‪ 

*三次元空間で接する球の最大数
http://www.eisaijuku.join-us.jp/3d-gaisetu-kyuu-saidai-suu.html

 

 

 

#poetry #rock musician

shade・日陰 ニュアンス

 

Michio Sato

 
 

Yesterday
Sunday

Before sunset

I took a walk with my dog Moco

Walking along the river
Swallows were flying down the river

It was chirping

I went home
I took a bath and drank whiskey

It was a white horse

 

 

*タイトルは、twitterの「楽しい英単語」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

キャサリン

 

駿河昌樹

 
 

要記録と判断した事柄は手帳に細かく記入している。
記入しておかないと後で困ることが多過ぎる。
もう朝。
開いたページの上に、黒いプラスチック軸のペンを斜めに置いてある。
書くのには0.7の太さが快適なので、黒字はこれしか買わない。
MITSUBISHIのJETSTREAM uni 0.7だが、
他にもより書きやすいものがあれば、躊躇なく買うだろう。
キャサリンと呼んでいた娘を急に思い出したが、
農業工場のようなところに就職し、茨城の奥に家族で越した後、
連絡は途絶えてしまっている。もう七年以上になるか。
町田や上野で飲んだことがあった。
日本人だが、猫のような目をした明るい魅力を持った娘だった。
ついこの間まで本名もすぐに思い出せたのに、なぜか、
思い出せなくなっている。
キャサリンという渾名だけがスッと出て来る。
 

 

 

たゞの空間のように

 

駿河昌樹

 
 

おそらく
たゞの空間のようになっていくだろう

空間を満たすひかりのようになっていくだろう

とりたてて
ひかりであろうとする必要もなく
薄闇のようでもいいだろう

漆黒の
まったき闇でもいいだろう

中心はなく

だから
縁も
境もなく
はずれもなければ
外もないだろう

 

 

 

釈迦の手を 落ちて隠れる 蟻地獄

 

一条美由紀

 
 


隠している醜さは気付いてる、
私も同じように隠してるから。
美しい苦しみが一緒なら、
それで許せる。

 


水面の下に
雑音に紛れてる誰かの声を探している
謎解きは疲れ
モニターの中の目は焦点が定まらない
階段の先の鳥居をくぐろうとも
一歩は軽く、浮かんだままで地に着かない

 


天使は、
多すぎる間違いを恥じ、もうここには来ないだろう。

 

 

 

destitute・欠けている

 

Michio Sato

 
 

yesterday
June 4

evening

I was watching the moon on the beach

The moon didn’t look like it was missing

The moonlight was shining on the water surface
Was like a light trail

It is said that the death toll in Tiananmen exceeds 10,000

Always
I’m looking for words near the destitution

 

There are dead people

 

 

*タイトルは、twitterの「楽しい英単語」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

FOREVER ALREADY

 

工藤冬里

 
 

 

街は何故このように白茶けているのだろう
ロッキンオン型の印象批評を書いていた若者たちは過ぎ去って
季節は既に終わりであった(勾配)
オゥェィシス型のリーダーがJ-にも波及した頃をベースにした世界観がテレワークの主力となっているのだろう
僕はADHD型の在宅ワークについて考えていた
音楽雑誌を最後に本屋で立ち読みしたのはいつだっただろう
本屋というものが以前にはあったのだ
瞬間の倫理というものに対しての返答が道場破りのすべてだった
宣伝
模索の前で鍋、という究極の2010ノスタルジー「全ての読書は道場破りである」は今バンキャンでアップロードされています
ところが今労働者(ロドンジャ)は目の前の物を楽しむ方が自分の欲求を追い掛けるよりもよい(ecc6:9)、ということに気付き始めた
自分の欲求とは他者の(他社の)欲求であるので何も考えずにサグラダ・ファミリアを作り始めたほうが幸福なのだ
「端から決めてっちゃってよ」と現場監督に言われながら施工する土方のアルシーヴ
いまだけは忘れてられるときみは言うけれど(different daylight)
後期ルネサンスに始まる所謂音楽と美術は直接的には建築様式の変化によってもたらされたが
間接的には黒死病による荘園制の崩壊や宗教改革を加えなければならない
ということは今ネット環境の変化という直接的要因に加える間接的要素(地震、戦争、疫病)が出揃ったということになる
それによってもたらされるのはルネサンスではなく音楽と美術に於ける「愛が冷えること」である
ヨーヨーマの笑顔が消えるのだ
アートという遠隔無償奉仕は縁石に糸を張り、砂を敷いてインターロックを並べ、煉瓦を積んで白ペンキを擦り付ける作業の揺れそのものとなる

Forever already
FOREVER ALREADY

アナーキーの旗色が悪い
上にあるものと直結した裏返りの完全さはいまはみな旗色が悪い
震えないけど背骨がチーズ
ナイーブなADHDチーズというのを経験のない人ではなく世間知らずと意訳するのは正しい
ナイーブは内的な問題ではなく、社会の中で、社会に於いてしか存在しないからだ
無垢への攻撃の主体は常に社会の奥の詐欺の巣に棲む女王なのだ
その背骨作戦はスートンズのチャーリーワッツが捨てグレーハウンドを飼い始めたといったニュースに滲み出てしまう髄のようだ
ADHD型在宅マドレーヌはそうではない
練り粉に完全性という油を入れないのだ
ミニマ・モラリアというブロックをひたすら積んでいくだけなのだ
もう死んだがひろポンという男がいた
元トルコ嬢のやっている店の、ミヤコワスレを活けたりしているカウンター越しに、サイフォンを挟んでキンキン声で話し込んでいた
白木みのるを大きくしたような造作だった
僕が子供だったので、大きく見えたのかもしれない

スヱーデンより茶碗まだかひよつとしてpertubated? てふ催促メール来たりしかば然り余は摂動されをりすなはち死にたしと応ふなう
It’s not somethin’ you get over but it’s somethin’ you get through (Willie Nelson)
get overできなくてもget throughは出来るかも、という歌でしたね
今日は新聞社のしずくちゃんがノーメイクノーマスクで史料漁りに来るので仕事場を掃除してます
佐島の記事を書いた人で、卒論が梅山モダンクラフトだった
僕の知る限り梅山を卒論にしたのは三人、いずれもムサビだった
そしたら具体にも顔を出す彫刻家が今は線描に凝って壺を見せに来た
18C前半の北川毛の鯛に五段階ありプリミティブに始まりデザイン化を経て更に投げ槍になる辺りが良いらしい
大洲の租税取立家にその頃土を求めて瀬戸から職人が来たと言い伝えがあるらしい
新説だが本当に瀬戸なら左回りだから分かると教えた
新聞社は塵箱ごと持って帰った
今ヒカリエで展示している父のテキストの元の手帳が出てきて、アンナ・リーチという書き込みに謎が残った
知る権限のある事柄なのだろうか?

昔営業中に多摩丘陵方面から立川上空を見てたら飛行機がメネメネとか字を書き始めたのでとうとう終わりが来たかと思って急いで帰社したら中国のスケールの大きな書家であるということだった
ニコが成吉思汗を歌ったI’ve come to die with youという歌詞は武漢ウィルスと結婚した人類をよく表している
わたしたちはたくさんの夫と結婚してきた
ヘロイン、エイズ、トリチウム、etc
自制とADHDは離婚を迫られている
kiss your destination
子羊と結婚できないのでジンギスカンを食べるのか
黒豆煎餅を斜め上から接写したものを編集モードで手書きにしたままズボンのポケットに消しゴムとかと一緒に入れて歩く、というのを何回か繰り返し、拡大してから切り取り、フリーハンドの層も足してタブローに仕立てた

NNCKのキースがバビロンは燃えている!とかクラッシュみたいなことを言ってくるんだけど、気持ちは分かるけどニューヨークはバビロンじゃないよ、、
ニューヨーク大丈夫かな
Hello New York
偽装ハローワーク
全ての価値に命がない
In a Landscape (Cage)がかかった
サティが好きってことはサティじゃないってことだ
ケージはドビュッシー寄りだったんであんななっちゃったんだ
1948の風景の中にドとド#があると思っただけなんだろう
無音の中でさえドビュッシーが鳴るだろう
無音の中でサティ鳴らしてみろ
干からびた退二郎
サティはドビュッシーが好きだ
なぜならサティだからだ
コジコジはコジコジだよというのと同じことだ
ちょっとでも音階使うと分かってしまうものだな
無音刑事
無言刑事
無菌刑事
ジョン(犬)刑事
バレットがレノンを好きでペレットがディランを好きなのも同じだ
外側刑事

橋の上を農夫が後ろ向きに歩いていた
バックミラーからもしばらくそれが見えた
慎みとは限界を知ることだが、音楽には限界がないので実生活では挑戦となる
権限の範囲外だと凍結される
思いつきや考えを教える権限はないのにインスピレーションがそれを食い破る
持っているもので貰ったものではないものがあると思ってしまう
したいことよりしてもらいたいことをするのが基本だが期限付き在宅ADHDワークではゴロゴロしてしまうのでそれが一番難しい
知るべきでない事柄、知る権限のない事項を本にしようとするはみ出した平衡を欠いたアルシーブ化の情念
自分の力に頼ることなど恐ろしくてできないと恐縮するという項目欄にチェックを入れたステージマナー
自分以外の人々が自分よりもっと大きなことを行うと信じなければオケにはなれない
予期しないことが起こることを予期することには慣れ過ぎて、終わりはあまりにも当たり前のことになり下がった
上下逆転はあり得ると覚悟しておくと、政局や天候や人事にそういう驚きがあることを認めなければならないときに便利だ
すべては風を追うようなものだと実感して、目の前の物を楽しむ方が、自分の欲求を追い掛けるよりもよい、という結論がなされているにも係わらずジジェクの言うセッションの第二段階のangerから飛行機雲を貶すが、季節は既に終わりであった
詩も特権というゆがんだ日本語を殺し、自分には不相応な特別なサービスの機会を与えられたと感じるべきだ
愛のない雷が限界を弁えないことと端から決めていくことの差を生きている

図書館車の仕事始まったのでコルタサル借りてみた
死んだ敏子さんが好きだと言ってたのを思い出して

‪‪ 

 

 
#poetry #rock musician