広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
一
所有的音節
在你名字的季節
我駐足不前
二
回聲,再一次
等奧登詩中的鹿
靜靜地入雲……
三
零碎的殘骸
關於未來的懷念
如指骨一般
四
輕微的痛楚
昏暗的光陰動刀
折斷了寂寥
五
一再地潦草
詩爲你心跡賦格
擦傷了薑花
六
猶豫的樂譜
莫扎特降E大調
麋鹿,我的心
七
餘下的緘默
在深處風暴深處
最暗涌,不期。
八
萋萋失芳草
第二個天空,忽焉!
忽焉萬千劫。
九
堅硬的淚水
……這些日後的硝煙
敲打著金鐘!
.
・翻訳はこちらで
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Morning
The woman went out
today
Almost
In the house
The flower of Nandin by the window have begun to bloom
Lots of white small flowers
Has begun to bloom
It bloomed in the foliage
When i was young
I have read the novel “The Old Man and the Sea”
A cat was walking
in front of the fallen old man
*タイトルは、twitterの「楽しい英単語」さんから引用させていただきました.
#poetry #no poetry,no life
遠く離れた人もいるけど
自分の体の足と目の痛点はそれよりもっと離れている
だから距離は問題ではない
行替えの段差のみが隔たりを形作る
covid-19 sentenceの行替えには二メートル必要だ
行替え療法はアマビエなんかよりも効く
ではやってみよう
刑は一行に対して一センチ、一行に対して一センチとする
ここで本当に赤塚不二夫とか筒井康隆みたいに二百行空けてもいいが
世の中は田植えである
朝五時に池の水門を開いて放流するので今日を逃したら水を確保できない
詩の実験などやっている暇はない
それより
放流によって流された亀が必ず道を歩いているから
彼らを池に戻さねばならない
大家は家賃よりそのことを気にしているのだ
蛍には昨日さよならした
田植えが始まれば居なくなるのだ
すっからかんワインを持ってきてくれたカメラ君と海野君とサキちゃんと橋の上から見た
今はそういう季節なのだ
#poetry #rock musician
西暦1989年6月5日の正午、
君は、天安門広場に通じる大通りの傍にいた。
近所の北京中央病院4階のガン病棟で入院している、ステージ4の妹の見舞いにやってきた君は、天安門広場に通じる大通りを驀進する59式戦車の隊列をみた。
昨夜から今朝まで、天安門広場で虐殺された無数の学友と共にいた君には、
この戦車隊が、いったい何をするためにここまでやってきたのか、よく分かっていた。
その次の瞬間、君は鼻緒のちびた下駄をその場に脱ぎ捨て、歩道のガードレールを跨いで長安大通りの中央に進み出た。
そしてグララアガアと騒音をまき散らしながら走行する戦車の先頭に立ち、両手をパッと広げた。右手には上着、左手にはビニール袋をぶら下げて。
使い古した袋の中には、さっき北京飯店で買った、彼女の好物のシウマイ弁当とお茶が入っている。
戦車を操縦しているのは、君よりかなり若い兵士だった。
兵士の後ろには中年の指揮官がいて、若者に「なぜ止まるのだ。直進せよ」と命じた。
若者はしばらくためらっていたが、黙って戦車を右に曲げたので、君は右に移動して、大きく両手を広げた。
すると戦車はまた止まり、今度は左に曲がったので、君も同じように左に移動して、通せん坊をした。
指揮官は自分の命令を素直に実行しない部下に怒り狂っているが、どうやら若い兵士は君をひき殺すつもりはないらしい。
君は、恐らく田舎から上京してきたばかりの朴訥な若者の両目をしっかり見据えながら、大きな声で「ニイハオ」と言う。
すると若者も、唇だけで「ニイハオ」と言った。
そこで力を得た君は、戦車の上に軽々と攀じ登り、「昨夜のような同胞が血を血で洗う悲劇を繰り返してはいけない。諸君は、このまま元来た道を引き返し給え」
と懸命に説く。
しかし、軍隊がそう簡単に「分かりました」と、引き返すわけがない。
戦車はまた左に移動すると、彼も左に、右に移ると、また右に。
また左に移動すると、彼も左に、右に移ると、また右に。
傍から見ると、お互いにふざけて遊んでいるような不思議な動作が、何回繰り返されたことだろう。
やがて、そんな繰り返しを強引に断ち切るように、指揮官が戦車の直進を命じたが、若い兵士はまたしても命令に逆らい、大胆に戦車をUターンさせると、後続の戦車隊もその動きに従った。
長安街道路の彼方に消えた59式戦車隊を見送った君は、歩道に脱ぎ捨てた下駄を履くと、何事もなかったような顔をして、妹が待つ北京中央病院に向かった。
右手には上着、左手にはシウマイ弁当とお茶が入ったビニール袋をぶら下げて。
枇杷が一つ生れば、一匹のホタルが飛び立つ。
一頭の蝶が羽ばたくと、地球の裏で嵐が起こる。
一匹のウイルスが逃げ出せば、世界の町が中世になる。
全米がジョージ・フロイドを追悼すれば、赤鬼トランプも真っ黒になる。
名犬ムクが Wangと吼えれば、ジョージが泣き止む。
一人が戦車に攀じ登れば、タンクマンが生まれる。
百、千、万のタンクマンが。
today
It was tuesday
Morning
With dog moco
I went to throw away the trash
Hydrangea flowers were
blooming
Hydrangea
There are flowers of various colors
I have a white
hydrangea flower
Moco was sniffing the scent of flowers
Morning
I never saw the stars
I saw a flower on the roadside
*タイトルは、twitterの「楽しい英単語」さんから引用させていただきました.
#poetry #no poetry,no life
移動図書館車のドライバーを続けているのは、ジョン・ケージが生涯スクールバスの運転手のバイトをしていて、有名になってからも全く止める気配なく続けていた、という話を聞いていたからなのだが、直接のきっかけは、アダム・ドライバーがバス運転手をしながら詩を書いているというだけの映画を観た後、市報で欠員募集を見つけたからだった。ニュージャージー州パタソンに住むバス運転手パタソン(アダム・ドライバー)の入れ込んでいるのはエリオットと並び称される同郷の詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズである。広く愛誦されているThis Is Just to Sayは、吉本芸人がネタに使っても通じるくらいには知られている。
This Is Just to Say
I have eaten
the plums
that were in
the icebox
and which
you were probably
saving
for breakfast
Forgive me
they were delicious
so sweet
and so cold
アダム・ドライバーはこういう詩を書きたいと思っている。毎朝バスを発車させる前の数分間に書きつける手帳を詩の場所にしている。けれどもその手帳を飼い犬が噛んで細片にしてしまう。フォースも使えずがっかりするドライバー。犬を連れずに散歩に出るが、そこにウィリアムズを偲んでパタソン観光に来た鮎川ぽい風采の永瀬正敏が現れる。「I breath poetry」と臆面なく言う鮎川ぽい風采の永瀬正敏はアダム・ドライバーに新しい詩のノートをプレゼントする。それだけである。前に三歳年上の平田俊子さんにこの話をしたら、それは若い世代向けのリップ・サービスでしょう、自分はパターソンのようなものには諍っている、と言う。それはたぶん世代的な問題で、フォークの神様がヴェンダースからジャームッシュに移ったジャンボリー会場に居なかったからではないかと思う。恐らくヤング・マーブル・ジャイアンツとかから始まっている自分より少し若い世代に対して持つ感覚と似ているのだ。個人的には、口語自由詩This Is Just to Sayは、森川義信の言う、勾配に根を支えた雑草の陰から広がっているいくつかの道のひとつだったと思っている。詩を書かない詩人が詩を浮き彫りにするのを利用して詩は書かれるのであって、詩は、詩を書く詩人にはそんなに用はないのだ。自宅待機の日々、また映画館で観たいと思うベストワンは、アダム・ドライバーの拗ねて不貞腐れたような頬っぺただった。ミスター・リモートワーク。
#poetry #rock musician