michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

桜譜の風に

 

藤生すゆ葉

 
 

氷と氷が触れ合うと
木枝が波をうつ
空と地面が触れ合うとき
人はそれを雨と呼んだ
ただひたすらに降り注ぐ透明は
一つの線となり
一枚の五線譜のように

丸みを帯びた淡いピンクは
音符になって流れていく

交わり離れて この一瞬をよろこぶように

遠くの傘は風に形をうつして
いつか羽化するのだろうか

青にピンクが重なる昨日は
今日を知っているのだろうか

 

いつもの景色は記憶を好んだ

雨音が記憶の ため息 にかわるとき
その透明は 寂しさを纏わせる
誰にも気づかれない色
そっとそばに寄り添う色

手に触れる散りゆく花びら

 

記憶の片鱗を呼び起こし
やさしい もの を 
あたらしい旋律を

繋がれた色玉の反射は
今も続いている
今も

知らぬ間にできた歪みの記憶すら
愛せるように

そう口ずさみながら
かろやかに風は吹いていた

 

 

 

雨の夜、
子鹿のいるところ ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 69     utano さんへ

さとう三千魚

 
 

子鹿がいる

子鹿のいる
ところに

ハルジオンも
いる

咲いてる

雨のよるに
咲いて

いる

会いに
いく

 
 

***memo.

2024年5月25日(土)、
静岡一箱古本市の日に水曜文庫での即興詩イベント、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」第二十五回で作った69個めの詩です。

タイトル ”雨の夜、子鹿のいるところ”
好きな花 ”ハルジオン”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

季節がよくわからぬ日々

 

ヒヨコブタ

 
 

体調よくないターンに陥る
とにかく寝すぎていて起きていない
ここまでは久しぶりかな
外の風があたたかいのかもわからぬ日々
時折少しだけ歩く
問題の根っこを知っている
と思いこんでいたのだけれど
だとしたら生きるしかないんだ
ここでこの世よさらば! 
なんてまったくの論外
わたしはこの生にしがみついて生きるのだと決めたのだ
けれども年齢的に若過ぎもせず、熟成もされていないちゅうぶらりんのわたしは
何を見、何を書けば生きていけるのだろう
何もかもを見て、何もかもを書き出したいのに
今はその時ではないということか

私のあとに何が残るのだろうな
誰の記憶にもあまり深く刺さらぬ存在でいたいような
けれどもことばだけは誰かのこころに
ずんとくるいっしゅんくらい、あったらいいのに
高望み高望みと、通院帰りをとぼとぼ歩く

 

 

 

よくあること

 

工藤冬里

 
 

泥色の河岸の風景に崩し字の火災が興っている
繋がれた先の犬の色にズボンが当たっている
若布の海水浴場で遠泳を追う
独りで暮らす
巻く料理のように遅くまで碧い残照
電磁波が立っている
流しのステンのひんやり
蛍への虞に崩し字の若布が川を流れている
赤に染めてみる液晶
軸のように野菜
赤い御影石が光って
ジオラマの目線で
会話を始める
高いバンドエイドを買う
透けた角部屋の壁面に赤い崩し字が流れて
苗字がコロコロ変わるミイラ
折り込み広告に児童画

父親が悪魔だというのはよくあることだ

 

 

#poetry #rock musician

早起き ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 68     yuuki さんへ

さとう三千魚

 
 

目覚めた

朝に

雀に
餌をやる

庭の
カサブランカに

水を
やる

まだ

つぼみは
小さい

きみは
きみになる

白く
かおる

花を咲かせる

きみは
花になる

 
 

***memo.

2024年5月25日(土)、
静岡一箱古本市の日に水曜文庫での即興詩イベント、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」第二十五回で作った68個めの詩です。

タイトル ”早起き”
好きな花 ”百合”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life