広瀬 勉
東京・杉並高円寺南。
歩いてた
細い坂道を
歩いてた
街は
海を抱くように
包んでた
埠頭で
年寄りたちは釣りをしてた
この花は
なんですか
このねむの木の花のような
鐘の音を
いくつも聴いた
西坂の空に
二十六聖人が浮かんでいた
そこにいる
そこにいた
総務課の川口課長から電話があって「ちょっと話がある。今すぐ行くから」というので、部下の酒井君と待機していると、来期の経費計画をすぐに出せという。
「おらっちはよう、安倍蚤糞は失敗すると読んでいるけどよお、株式の投資が莫迦当たりしたんでよう、売り上げも利益も全然駄目だけど、経費だけは削らなくてもいけそうだと、社長が言うんだよ」
「だからあんたの課も、大至急予算計画を出してほしいんだ」という不景気な中にも景気の良い話なので、私が「そんなら念願の新規ブランドの立ち上げが織り込めそうだ。酒井君と相談して一発どでかい計画をぶち上げてみましょうか」
といいながら、目の前の川口さんの顔を見ると、顔と目鼻の輪郭がどんどん霞んできている。
「おうそうよ、どうせ会社の金なんだからバンバン使いまくってくれよ」という声だけが聞こえてきたので、私はハタと気づいて、
「でも川口さん、あなたはもう10年、いや20年近く前に亡くなっていますよね。そんな人がどうして来年の予算を担当しているんですか?」と尋ねると、
「いやあそういう小難しい話はよお、おらっちもよく分かんないんだけどさ、まあいいじゃん。あんまり堅く考えないで、柔軟に対応してよ、柔軟にさ」
と相変わらず昔風の横浜訛りの元気な声だけが聞こえてくる。
「そんなこと言われてもなあ、酒井君」と後輩の顔を見ると、彼もまたなぜだか目鼻立ちが急激にぼうっとしてきているので驚いたが、じっと見つめているうちに、彼はおととしの今頃、入浴中に急死していたことを思い出した。
生き急いでいる人間だから、真夜中に死者と仕事をすることだってあるさ。
ことばを
捨てる
おとこを
捨てる
おんなを
捨ててみる
なぜ
ことばを捨てるのか
なぜ
ない羽で羽搏くのか
朝には
多摩川を電車で渡り仕事にでかけた
夜には
多摩川を渡り
帰ってきた
ことがらの意味をわすれた
痛い足を引き摺る
あごを引いて視線を床に落とし
まず ため息をついてみる
肺の輪郭をけずるように息をゆっくりと吐き出す
それからため息に釣り合うものはないか
探してみる
便器を前にチャックを開けて
おもむろにペニスを引き出してみる
それから小便が湧いてこないものか
体内の様子をうかがってみる
ポケットの中の小銭をつかんで
てのひらに並べてみる
一枚残らず
それから小銭の額に見合う商品はないものか
コンビニの陳列棚を探してみる
切符売り場で
脳裏に浮かんだ
サガエまでオトナヒトリ
とつぶやいてみる
それから財布を取り出そうとポケットに手を差し入れる
行ったこともないサガエがどういうところなのか
そこに行ってどういう暮らしをしてみようか
考えてみる
道端のアジサイが咲きそうだ