無一物野郎の詩、乃至 無詩! 56 toshimi さんへ
さとう三千魚
咲いてた
たくさん
咲いてた
ひまわり
咲いてた
たくさん
たくさん
咲いてた
余生を
花で埋める
***memo.
2024年1月8日(日)、
浜松「八月の鯨」にて、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」として作った56個めの詩です。
タイトル ”余生”
好きな花 ”ひまわり”
#poetry #no poetry,no life
咲いてた
たくさん
咲いてた
ひまわり
咲いてた
たくさん
たくさん
咲いてた
余生を
花で埋める
***memo.
2024年1月8日(日)、
浜松「八月の鯨」にて、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」として作った56個めの詩です。
タイトル ”余生”
好きな花 ”ひまわり”
#poetry #no poetry,no life
たとえば、声。
目のすみ具合、
肌のいろ、
起きたての体のうごき。
まいにち
そのときのいのちのあるを
くらやみの中で目をこらす、
おう、
とき。
どちらかが
きげんのわるい日は
目がさめたらぶつかる。
どちらがご飯をつくるかでけんかする。
くりかえす日々の
さいごのさいご
だれがいつなにする決まりを
ほおりなげた。
からだは
その日、そのときを生きるようになって
よく、みて
よく、きいて
よく、しるように。
初夏
だったか
夏
だった
白い
きみに会った
白蝶草だった
ぼくは
今年
還暦になったよ
また
きみに会いたい
***memo.
2024年1月8日(日)、
浜松「八月の鯨」にて、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」として作った55個めの詩です。
タイトル ”還暦”
好きな花 ”白蝶草”
#poetry #no poetry,no life
きみは
どこにいるの
さがして
いる
無い
花を
さがしてる
そこに
いた
塔は立っていた
***memo.
2024年1月8日(日)、
浜松「八月の鯨」にて、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」として作った54個めの詩です。
タイトル ”塔”
好きな花 無花
#poetry #no poetry,no life
https://youtu.be/exGprMKGZ1I?si=EFHloriBSAPfnsNu
1月2日
ナマコ荒れ 今年ももう終わりだな
1月4日
ポアの発想が完全に乗り越えられたいま、生きているだけで幸せと思えという使い古された言い草も俄然真実味を帯びてきた。そして自分が神だというような流行りの足掻きも遠い過去のものとなった。
1月7日
万能感に浸りながらの復讐は集合的無意識をいびつなかたちで現実化していくが、その(復讐の)あれこれを万能者に明け渡すことによってのみヒト科の一般意志は乗り越えられる
https://www.instagram.com/reel/C1RL8XDrc2z/?utm_source=ig_web_button_share_sheet
#poetry #rock musician
Il dit : « Rappelle-toi tes amours,
Rappelle-toi puisque c’est ton tour.
Y a pas de raison pour que tu ne pleures pas
Avec tes souvenirs sur les bras. »
Edith PIAF : Padam padam
Lyricist: CONTET HENRI ALEXANDRE
Composer: GLANZBERG NORBERT
世間のことはみな無常だ
どんどん変わっていってしまう
という
諸行無常
なにひとつ自分の思うようにはならないし
なにもかもイヤで苦しい
という
一切皆苦
じぶんのものなどどこにもないし
どこにもじぶんなんていない
という
諸法無我
これら
仏陀の説いた基本の三つを
三法印というが
これを集中的に学ばされているのが
いまのガザのひとたちだろう
いまだけでなく
何十年にもわたっている
しかし
あのさまを見て
とりあえず
こちらは関係ない
などと思っていれば
すぐにも
これらの基本法則についての確認は
抜き打ちテストのかたちで
どこの
だれにでも
襲いかかってくる
諸行無常
一切皆苦
諸法無我
まるで
エディット・ピアフの歌った
『パダン、パダン』のように
おまえがどんな恋愛をしてきたか
さあ
思い出しておけ
いよいよ年貢の納めどき
おまえの番が来たんだからな
泣かないで済ませられるはずはないぞ
思い出ぜんぶ
抱きしめたままでな
と