michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

How shall we deal with this matter?
この問題をどのように処理しましょうか。 *

 

さとう三千魚

 
 

in the evening
I went home

on the sofa
slept

I woke up at midnight

the woman was watching a sumo broadcast recording on TV

Daieishō
he won

I put moco in a cage

moco
was quiet

I went to bed alone
lying down

I stretch my legs parallel and straight
I stretch my arms straight in parallel

head position
back position

adjust

then

all
disappear

today
poetry

I didn’t write

How shall we deal with this matter *

 
 

夕方に
帰った

帰って
ソファーで

眠った

深夜に目覚めた

女はTVで相撲中継の録画を見ていた

大栄翔
勝ったんだね

モコをケージに入れた

モコ
静かにしていた

一人
ベッドに行き

横になった

両足を平行にまっすぐに伸ばす
両腕も脇に平行に伸ばす

頭の位置
背中の位置

整える

そうするとなくなる
全て

なくなる

今日
詩を

書かなかった

この問題をどのように処理しましょうか *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

末日記

 

工藤冬里

 
 

何かのことを考える時に
実際はそれ以外のことを気にしていることが多い
例えば「女は存在しない」と言う時
実際は男のことを考えているのだ
情報が平たい画面の上だけに現れるようになって以来
Aは非Aとなった
月はホログラムに
地球は平らに
人はディープフェイクにより不死となったのだ
耳鳴りのことを考えないようにするために
呼吸のことだけ考えよというのを思い出して
耳鳴りのことだけを考えていた
子供の狸が轢かれて死んでいた
なれはそも なみにいくつき
諳んじている文語詩のように
赤白ピンクの馬の佇ち
紫と白のドレスは散って
春はファッションショーだった
春はファッションショーだった

 

 

 

#poetry #rock musician

This is the picture of his own painting.
これは彼が自分で描いた絵だ。 *

 

さとう三千魚

 
 

it was a stormy night

moco
at midnight

I put it in the cage of the living room

at first
she was crying in the dark living room

like crying
barking

then she got tired and fell asleep

and
the stormy night is over

when I open the window
the west mountains are under the light blue sky

yet
wind

blowing

the branches of the trees are swaying

next to the bookshelf in my study
a picture of a woman named “Hypertrophy” by Masahiko Kuwahara is hung.

the woman’s pink lips are shining
white teeth peeking through the gaps in the woman’s pink lips

on the upper left of the lips
there is a mole

lips
distorted

laughing
the eyes are looking at me

“Hypertrophy”
it ’s the desire of this world.

our desires continue to grow in this world

This is the picture of his own painting *

 
 

嵐の夜だった

モコは
深夜に

居間のケージに入れた

初めは
暗い居間で泣いていた

泣くように
吠えてた

それから疲れて眠ってしまった

そして
嵐の夜は終わった

窓を開けると
西の山がうすい青空の下にいる

まだ
風が

吹いてる

木々の枝が揺れている

本の部屋の書棚の横に
桑原正彦の”肥大”という女の絵を掛けてある

女のピンク色の唇が光って
女の唇の隙間から白い歯がのぞいている

唇の左上に
ほくろがあり

唇が
歪んで

笑っている
眼はこちらを見据えている

“肥大”は
この世の欲望のことだろう

この世でわたしたちの欲望は肥大しつづけている

これは彼が自分で描いた絵だ *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

trailer

 

工藤冬里

 
 

予告編があれば本編がある
全ての映画が予告編だったら
本編とは畢竟予告編のことであった、ということになる
予告編だと思っていたものが突如断ち切られそれが本番だったと知れる
時間は映画であり映画とは予告編であり
予告編とは本編であり
本編とは切り刻まれたわたしのホラーである
詩を経験しないで命を得る
予告編でわたしを亡くしたわたしにはそこにしか希望はない

 

 

 

#poetry #rock musician

あきれて物も言えない 22

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

モコという犬と、女と、暮らしている

 

朝になった。
机の前の窓の障子を開けると雨が降っていた。

ガラスには雨粒があり西の山は雨雲に覆われて灰白色の雲の中にいるのだろう。
時々、強く雨は降ったりしている。

朝の散歩には行けないだろう。
モコと女は、まだ眠っている。

モコというのは飼っているわたしの犬のことです。

ペットショップから連れて帰ってきたんです。
モコは、ミニュチュア・ダックスフンドの赤ちゃんでした。
ペットショップの低い柵の中で他の兄妹たちが元気に遊んでいる柵の奥の隅で、
ちいさく震えていたのです。

その震えているちいさな子が可愛くて連れて帰ってきたのでした。

顔がクリーム色のハート形で、その中に大きな黒い瞳ふたつと黒い鼻がありました。
ハート顔の外側は暗い茶色で頭と耳がついていました。
その暗い茶色が背中まで続いてお腹がクリーム色の熊の赤ちゃんでした。
熊の赤ちゃんの丸い顔は一年も経たないで鼻がすらりと伸びて大きな瞳の少女になってしまいました。

モコは小さいので夏の暑い日や冬の寒い日には散歩が苦手です。
体が小さくて足が短いので夏の地面やアスファルトの熱さや冬の寒さに弱いのです。
でも車の助手席に乗ってドライブするのは大好きです。

ペットショップからモコを連れ帰ってもう12年が過ぎました。
モコの仕草や吠え方でモコの言うことはほとんど理解できるようになりました。
モコもわたしが外出することを日本語で伝えると理解して仏壇の前の座布団に行って眠るようになりました。
仏壇は女の母の仏壇です。
義母が亡くなった時、義母の枕元にいてモコは義母の顔を舐めていました。
犬が舐めるというのは愛の行為なのです。

小さくてか弱いモコも少女になり、もう12年が過ぎて、おばさんになってしまいました。
でもわたしには、いまも、可愛い”少女”のように思えてしまうのです。

少女のように可愛い”おばさん”というのも、この世にいると思います。
できれば、そのような”おばさん”に会いたいですね。

 
昨日の夜は、深夜まで女が録画した相撲中継をソファーで見ていました。
モコは女の横で添い寝していました。
女がベッドに眠るときモコも連れていくのですがモコは寝てくれないのです。

わたしのたてる微かな物音を聞いてモコはベッドに来てと吠えるのです。
わたしは本の部屋で本を読んでいましたが、読書は中断してベッドのモコに添い寝しました。
そしてそのまま朝まで眠ってしまいました。

モコの体はふあふあで、あたたかいのです。
ふあふあのモコといると幸せになるのです。

 
あの地震が起こって、あの光景を見て、10年が経ちました。

まだまだ、大切な人や大切なものを失い避難されている方たちや、心や体に傷を抱えた方たちがいるでしょう。
福島の原発の処理はまだ終わらないでしょう。
オリンピック・パラリンピックは海外からの観戦者の入国を断念したそうです。
しかし震災からの復興を世界に示すという茶番は終わらないでしょう。
疫病の蔓延もまだ終わっていないです。
世界で紛争はまだ続いています。

流浪する人びとがいます。

たくさんの流浪する人びとがいます。
私たちもその一人です。
モコのふあふあのあたたかい体を抱いて、眠って、朝になりました。
流浪する私たちは私たち自身の底を破って、流浪する人びとと底の底で繋がるほかありません。

そこに小さな光が見えています。

 

呆れてものが言えません。
ほとんど言葉がありません。

 
 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

millennium,
beddellium

 

工藤冬里

 
 

不満を口にする人々を焼き尽くしていった
焼かれる時は熱かった
トンコツ味のマナを所望すれば良かったのに
今年の春は花を見る余裕がない
去年もそう思った
ゼカリヤのスオウが咲き始めた
去年もそう思った
千年生きるとかメドベッドとか言ってるけど
千年はとても短い
この春が十倍伸びたくらいじゃ何も成し遂げられないだろう
焼かれる時は千年後も熱いだろう

 

 

 

#poetry #rock musician