michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

壮途

 

みわ はるか

 
 

4月、土の中から一生懸命に顔を出す花々は可愛らしい。

この文章が公開される頃には新しい土地にいるわたし。

生まれてこのかた、4ヶ所目となる新天地。

どんな未来が待っているのだろう。

 

少しさかのぼった話。

4ヶ所目の新天地に移るほんの少し前の話。

 

色んなことが終わっていった、というよりは終わらせていった3月。

 

最後の美容院。

いつも担当してくれる兄のような存在の優しい美容師さん。

この土地のことをいつも丁寧に教えてくれた。

シャンプーの力加減が絶妙でいつも眠ってしまっていた。

店を出る時、両手を大きく振って見送ってくれた。

 

最後の定食屋。

俳優の橋爪さんに似ているから、いつも勝手に「橋爪マスター」と呼んでいた。

ここだけは味噌カツがメニューにある。

山のようなキャベツの千切り、ちょうどいい煮物の味、ほっとする緑茶の味。

難しいからカードは使えません、現金だけとニカニカしながら言ってたな。

最後はいつもと同じ人懐っこい笑顔で見送ってくれた。

 

最後の友人との対面。

同じアパートに1人で住んでいるベトナム人。

素敵なホテルで働いている。

一番難しい日本語検定に合格した。

わたしが悲しんでいる時には鼓舞してくれて、楽しい時には一緒に笑った。

初詣、温泉、フレンチレストラン、ベトナム料理のおもてなし、街歩き散歩、同じ空間を共有できたことが嬉しかった。

一番落ち着いたのは、彼女の部屋のこたつ。

二人で足をぶつけ合いながら、寒い寒いとこたつにもぐりこんだ。

突然訪れてみた彼女の仕事現場、エントランスでてきぱきと仕事をこなす彼女はとてもかっこよかった。

 

最後の街の風景。

レトロな喫茶店、赤い大きな橋、呉服屋、茶屋、公園、神社、和食店、ステーショナリーショップ、みたらし団子屋、自転車屋。

全てが目にやきついている。

わたしは、写真はあまり撮らない。

頭に記憶したい派だ。

季節によって見え方が変わったし、街の装いも異なっていた。

共通していたのは、どこか小京都のような趣があって美しい造りだった。

こんなところに住むことはもうないだろう。

自分のメモリの中に深く刻むことにする。

 

別れと出会いが1年の中で最も激しい4月。

その波に逆らうことなく身をささげよう。

3月末日、大家さんに返却しなければならないスペアもいれた2本の部屋の鍵を確認して眠りにつくことにする。

 

 

 

れいきゅう車

 

塔島ひろみ

 
 

海へ向って颯爽と走る
スピードをあげたい が それはできない
静かに すべるように 厳かに走るのが私の 決まりだから
あっ桜だ ほらもう桜が咲いている
語りかけるが その長い、箱に入った物体にはもう
耳はあっても聴覚がない 口はあっても声はない
もう桜だってわからない だから燃やしてしまうんだ 
死体を畏れ、敬い みんな手を合せる 頭を下げる
それだけど 焼いてしまうんだ
900度の高熱で45分
こなごなの 灰にするんだ 人間は
だから私が運んでいるのは 人間の形をしたゴミなんだ

白い壁に沿って 桜が咲いている
壁には窓があって 花柄のカーテンが中途半端に閉まっている
ほんの1メートルぐらいの小さな桜は
ちょうどその窓の高さで花をつけている
窓からクマが覗いている
目があるが ボタンでできているから何も見えない
クマには なにも見えていない
だから
こうやって置いてきぼりになったのだ
もう誰も迎えにはこないのだ
そこは空家だ

空家のとなりは◯◯自動車の営業所で
屋上で男がタバコを吸っている
男はこれかられいきゅう車に乗って出発する
生きているけど 毎日れいきゅう車に乗っている
れいきゅう車を掃除し みがくのも男の仕事である
出るまえに 
屋上で一息ついて 空を見ていた
男の口から煙が空にのぼっていく
男は運転の前 いつも 
こうして 空と友だちになるのだ

月曜日のゴミ運搬車
子どもが叫びながら追っかけていく
捨てないで 捨てないで 捨てないで
捨てないで 捨てないで 捨てないでって 追っかけていく

車は夢の島を目指し
泣きながら走った

 
 

(3月某日、奥戸2丁目◯◯自動車前で)

 

 

 

どんと

 

薦田愛

 
 

どんと らっか
とんだ からだ
じゅうたん ならぬ
じゅうだんの はちだんめ
あたり だった
ふんだ はずを
ふっみ はずした
ふみ きった のか
いえのなか
こみんか
あっ 火花
はっか したか
なにか
すとっ
ぬけでた
あたまから
なのか
のこった
なにか
ちゅうの
あたまのあったところ
なのか
とんだ からだ
らっか まえに
ばんと たたく
ガラス戸の枠
木のわくが
ばんと鳴って
降りくちに
どさっ
尻餅
だのに
いたいのはひざ
こぞう 小僧
泣いてる
なぜ

「どうしたっ」
とユウキ
ダイニングからまっしぐら
ごめんころんだ
ふみはずしたみたい階段
ひざぶつけたみたいだけど
ガラス戸
割れなくてよかったあ

はじめての二階家
うまれてこのかた
平屋もしくは集合住宅
だったから
階段といえば 玄関のそと
だった
たったいちど
三和土で靴をぬぎ階段にしまい
のぼって鍵の
アパートにいた
あけぼの荘
でも階段は
おもてに出る時だけ
スリッパ履きで
一階と二階の行き来って
からだにははじめて
しかもかなりの傾斜
なにせ
はね上げられるあれ
厚さ三センチ幅十三センチの踏み板の
十段をぐいいっと上げ
ずずっと天井板一枚すべらせれば
隠れてしまうという造り
二階って異界
きりはなせてしまう空間
だったのか
けれどつなげなくちゃ

ふたつの部屋で
ねむったり音楽きいたりね
夏物しまったり着物たたんだり
日になんども
のぼっておりてのぼっておりる
ために
ユウキどうかなこれ
といって
みつけたロフト階段用の手すり
「よさそうだねこれなら」
と取り寄せて
つけてもらった
引っ越しまえ
ああ
すっとのぼれるよ
って
だのに

「ごめんじゃなくてさ
だいじょうぶか 立てるか」
と後ろから抱えられてみると
ちからがはいらない
だいじょうぶ だいじょうぶだよ
びっくりしちゃっただけで
立ち上がると
あたまのあたり
ちゅうに取り残されたなにかは
きえていた
スリッパ履いて知らずしらず
すり足になってさ
足がちゃんと上がってないみたい
脱げないように掬い上げるみたいに
あるくのってあぶないよね
って話したのはついこのあいだ
Don’t mind どんまいって
じぶんに言いきかす
「お湯がはいったよ」
ありがとう
お湯はりはいつもユウキ
ちょっと待ってひざこぞうをたしかめる
あかくなってるな
うすかわめくれたみたい

着替えを手に寝間を出て
下りる途中
だった
およいだからだから
着替え一式ははぐれなかった
のではなく
おとすまいとおよいだのか
からだがしっている
たぶん
なんて
はなしながら
お湯のなか
お、ゆ、あ
老ゆ、というのか
いえ
老いのさなか
老いつつあるこの道のりの
いちにちいちにちに
からだはかわいたわらいごえあげている
のだった
みればしだいしだいしわばむ手やくびや腹
けれど脳はいっこう賢いしわをきざまない
ああ
ユウキ
お湯はすぐに冷めていくのに
老ゆはひたひた引くどころじゃないよ
なんて口にせず
たぷっとお湯
ゆらすうわあ
しみるよ
どんと らっか 
とんだ からだ
Don’t mind どんまい まい えいじんぐ ぼでぃ

ひざの小僧うすかわのめくれに絆創膏
貼って二日め
はじめての町
ユウキの出先へいっしょに
せっかくだから、さ
山が霧をはく町から
海へひらく町へと
たまには、ね
はやばやと用を終え
煉瓦のトンネルだの建物にスマホをむける
波打ちぎわを灰色の船が埋め尽くす
その海のふちをぐぐるぐるんとめぐり
よる
はじめての町の夜へ
ユウキとふみいれた
やみくもにではなく
スマホを手に
食べたり歩いたり
ああ
それがね
どんといったろうか からだ
いいや爪先もしくは小僧ひざの
ふりかえるユウキの視界から
きえたというからだ まい えいじんぐ ぼでぃ
「またかっ」
ごめんころんだ
花壇みたい
これ
歩道のなかにあったんだ植え込み
ふちにひっかかっておちた からだ
コンビニへのナビを手に
そこかららっかしたのだった
およぐスマホの光
そこばかりあかるくて
あない案内なのに
あぶないったらない
ナビなんて要らないやもう
はやめに消そうと
くらがりで
お留守になった足さき
光るそれ
いちめん蜘蛛の巣の
おおいつくすひび うっとなって
空いていた右手もぶじ
「膝はどう? 顔は打ってない?」
ひざはついてちょっと痛いかな
でも立てるあるけるし
かおもあたまもだいじょうぶ
たいしたことなくてよかったなんて
まい えいじんぐ ぼでぃ

けれどね

よくころぶ子どもだった
いちどきりの塾がよい
ころぶはずみ前歯が欠けた
二十代駅の階段あさの横断歩道
三十代会社の階段四十代病院の駐車場
それがあるひ踊るようになってあしのうらが育ったのか
ころばなくなっていたのだった
何年かまえまでは
ああ
老ゆが 老いが
ひたひたと来て
育ちかけたあしのうらを
濡らしているのか
それとも
移り住んださむい町
いえのなかでも五枚
外へはダウンにダウンの重ね着の着ぶくれで
からだまるごとむっくむっく
にぶくなっているのか
どんと まいんど まい えいじんぐ ぼでぃ
なんてうたっているうちに
どっとよせるお湯いえ老ゆの波ぎわ
すっとあしもとを
さらわれてしまうのでは
ねえユウキこれは
体幹をきたえればいいのかな
体操とかピラティスとか
クラスひらいてるかきいてみようかな
「きいてみて行ったらいいよ
転ばないようにね」
と めくばせ
あざにもならなかったひざの小僧
めくれたうすかわは治ったけれど
ぴりぴりとうすくまだ痛いまま
春に なる
重ねにかさねていたいちまいを
ぬいでみる

どんと らっか とんだ からだ
とんだてんまつ
どっとはらい

 

 

 

浅い眠り

 

たいい りょう

 
 

そこは
かつての
私の記憶

生命の持続が
記憶に刻み込まれた

脳を超越し
身体を離脱し
記憶は浅い眠りに
浸り続けた

モノクロの記憶は
過去から現在を経て
未来へと続く架橋

浅い眠り
身体のこわばりは
私の記憶を抑制した

 

 

 

 

村岡由梨

 
 

桜ほど悲しい花はない。
青く空が澄み切っているほど、余計に悲しい。
空が白い涙を、はらはらと流しているみたいだ。

自宅近くの緑道沿いの満開の桜並木を歩いていたら、
新しいランドセルを背負った小さな女の子が笑って
お母さんらしい人が写真を撮っていた。
小さなシートを敷いて、お弁当を食べている家族もいた。
私たちが私たちだった頃のことを思い出す。
生クリームがたっぷりのったプリンと、
少し焦げてしまったチュロスが入ったレジ袋を下げて、
文字通り、若さ故の根拠のない自信だけが一人歩きしていた。
もしかしたら、今からでも真っ当な人生を歩めるかもしれない、
なんて分不相応な希望も、一瞬だけ持ってしまった。
でも、もう私たちは若くない。
顔を合わせればまた深く傷つき合うだろうから、
もう二度と会わない、絶対に会わない。
そう心に決めている。

さよなら。
さよなら。
けれど私は、
幸せになっていいのかな。

 

春ほど悲しい季節はない。
そう思っていた。
多くの人たちが去っていった
そんな季節に、娘のねむは生まれた。
夜中陣痛が始まって、その明け方、ねむは
私の中にある産道を一生懸命前進して、くぐり抜けて
命がけで光の中へ産まれて来てくれた。
このドロドロで汚くて欺瞞に満ちた最悪な世界に、
どこまでも無垢で穢れのないものを
産み落としてしまったのかもしれない。
けれど、十月十日一心同体だったねむを抱いて、
自分もかつて母の子宮の中で包まれていた
羊水の匂いの記憶がよみがえり、初めて、
幸せになっても良いと許された様な気がした。

ありがとう。
ありがとう。
私が母親で、あなたは幸せですか?

 

ある薄曇りの日に、窓を開けたら
春の生ぬるい風が吹き込んできて、
窓辺にあった原稿用紙がパラパラとめくれた。
一端の詩人気取りで
自由に書きたい。
自由に書きたい。
お前にその言葉を書く覚悟はあるか。
自由に生きたい。
自由に生きたい。
お前に自由を生きぬく覚悟はあるか。

 

今日はねむの17歳の誕生日。
逆立ちして精液をひとしずく滴らして
スプーンでかき混ぜた様な青空だった。
この雲の名前はなんて言うんだろう。
おいで、外に行こう。
空を見たら、気分がスッと楽になるから。

おめでとう。
おめでとう。
希望と少しの不安を孕んだ、あなたは美しい。
4月から新しいスタートを切る、ねむ。
バースデーケーキのろうそくを、
笑いながら、フッとふき消した。

 

 

 

わたし西の山を見ている

 

さとう三千魚

 
 

西の山を見ている

今朝も
見ている

窓を開けて
小鳥に餌をやった

灰色にひろがる空の下の西の山を見ている

蝉が鳴いている
耳の中で

鳴いている

耳鳴りは
治らない

東欧の戦闘をTVニュースで見ている

第一次世界大戦と
第二次世界大戦を

生きた国の人たちが戦争をしている

シリアや
イエメンや
アフガニスタンや
ミャンマーや
香港や

ウクライナで

国の命令で
人は

人を殺している
たくさんの動物たちも殺されたろう

わたし西の山を見ている

小鳥に
餌をやった

わたしモコを抱いてソファーで眠った

モコは言った
モコは眼で言った

殺さないで

あなた
殺さないで

あなた国家から逃げて
あなたたくさんの国家から逃げて

あなた逃げて

あなた逃げて
あなた生きて

 

 

 

#poetry #no poetry,no life