スケルツォ第3番~「南無阿弥陀仏」

 

佐々木 眞

 

 

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春一番が吹いた朝、
主がいないお向かいの家では、梅が満開だった。
紅白の梅は、これで1113年の間、主人が帰るのを待って毎年律儀に咲いている。

あるコピーライターは、今は亡き吉本隆明選手から、
「10年続けば何事かではある」などと尤もらしい御託宣を頂戴したので、
自分のブログを10年以上続けているそうだが、自慢話はまだ早い。

詩人の鈴木志郎康さんは、毎朝4時に起きて詩作に励み、
指揮者の小澤征爾選手は、毎朝5時に起きて暗譜に精進、
隣の梅は、未来永劫死ぬまで主人を待っている。

おらっちもこれで70年以上も人間をやってるが、まだ何者でもない。
こいつをあと10年や20年続けたとしても、
何事のおわしますかは知らねども、何者かになれるとは、到底思えないな。

アッハ、お前さん、
要するに、修業が足らない。
アッハ、まだまだ、修行が足りんのさ。

そこで詩人のさとう三千魚さんは、毎日詩を書きたい、という。
詩作は、毎日カンナで木を削るようなものだ、という。
が、お客さん、ぺらぺらのカンナ屑を侮ってはいけないぜ。

カンナ屑こそ、日々の尊い修業のあかし。
真善美の彼岸を目指して、一心不乱にカンナを削る行為は、
一遍が南無阿弥陀仏と唱えながら、1年365日踊り狂うようなものだろう。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
Dance Dance Dance
詩作は、苦しくも楽しい日々のつとめ、日々の祈りのようなものだな。

アッハ、お前さん、
要するに、修業が足らない。
アッハ、まだまだ、修行が足りんのさ。

 

 

 

弥生三月の歌

 

佐々木 眞

 

 

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ある日、東映から健さんがやって来た。

なんちゃら組の親分役として、わが社の営業を手伝ってくれるというので、
感激した私は一本の包丁を買って来て、「♪包丁いっぽおん、さらしにまいてえ」とア・カペラで歌いながら、
東映映画で観たとおりに晒しに巻いて、背広の奥に忍ばせた。

その翌日、社員全員で地方へ出張に行ったら、健さんが誰かと喧嘩になったので、
すっ飛んで行って、そいつの猪八戒腹を正宗の包丁でブスリとやったら、
社長が「よくやった。これで邪魔者は消えたから、この地区の売り上げは倍増だあ」と大喜び。

その翌々日、私が奥菜恵似の女と仲良くしているの知った吉高由里子似の女が、「デートしよ」
と私を誘ったので動物園に行ったら、猿どもが白昼公然自瀆しまくっていたので
「こんなお下劣な所はやめて、もっと静かな場所へ行こう」と二人でラブホへ行った。

その日の夕方、外で涼んでいると、誰かが庭から勝手に家の中に入ってくるので、
「なんだ、なんだ、おめえは誰だ?」と誰何すると、
「僕ちゃんは、あなたと同姓同名なので、ここへやってきました」という。

そいつは、よれよれのまっ黒けの服を着た、全身濡れネズミ男だった。
濡れネズミ男こと佐々木眞は、平壌放送のような予告なしにいきなり歌い始めた。
「♪ア、ちょっと待ってね、ア、ちょっと待ってね、ソウリのノウリはまっ黒け」

すると、その後から大勢の子どもたちが、
「♪ア、ちょっと待ってね、ア、ちょっと待ってね、ソウリのゾウリはまっ黒け」
と楽しそうに歌いながら練り歩いていく。

「♪ア、ちょっと待ってね、ア、ちょっと待ってね、ソウリのノウリはまっ黒け」
「♪ア、ちょっと待ってね、ア、ちょっと待ってね、ソウリのゾウリはまっ黒け」
共に歌い踊りつつ、私は世界全体の底が抜けたようで、なにもかもが楽しくなってきた。

急に全身雲南桜草になった私は、春風に吹かれながら、全身ネズミ男たちのあとを追った。
目黒区上目黒にあるギャラリーを出て、夜の盛り場を彷徨っていると、
ベネチアのカーニヴァルで見た顔を白く塗った女たちが、長い列を作って私を待ち構えている。

その真ん中を通って、大名時計博物館の竹林に入ると真っ暗な部屋があった。
中では二人の若者が、「さあいよいよ戦争だ。これで思う存分南京で人殺しができるぞお!」
と期待に胸を膨らませながら、陛下恩賜の三八銃をピカピカに磨いていた。

三時になったので、いったい誰がお茶を入れるのだろうとハラハラしながら見守っていたら、
竹取の翁がかぐや姫に命じてしずしずと茶碗を運ばせたので,胸をなでおろした途端、
突然、地面が大きく揺れて亀裂が生じ、二人はそのまま地底深く呑みこまれてしまった。

「おおい、誰かいないか?」と尋ねたが、ついに返事はなかった。

 

 

 

Les Petits Riens ~三十六年もひと昔

蝶人五風十雨録第10回「二月二十八日」の巻

 
 

佐々木 眞

 

 

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1981年2月28日 土曜
土曜日なのに会社がある。アパレル産業協議会のカリキュラムを作る。急死したボンド氏のピンチヒッターなり。

1982年2月28日 日曜
藤沢の神奈川県青少年会館にて自閉症児者親の会「やまびこ会」の臨時総会を開催。出席者15名。藤沢の大貫氏、両高橋氏が積極的なり。

1983年2月28日 月曜
なんとなく書類の整理などして、嵐の前の静けさか。

1984年2月28日 火曜 はれ
徐々に暖かくなる。次男が「キン肉マン」の漫画を図書券で買う。この頃絵を描くのが好きになってきたようだ。長男は学校へ行くのが厭だという。青木さんアデンダの雑誌広告でTCC新人賞を受賞。

1985年2月28日 木曜 雨 寒
長男は風邪でずっと学校を休む。今日は耳が痛くなって芋川耳鼻科へ行く。感心に耳と口は診せたが、鼻は駄目。東洋現像所にて0号試写。2種のうちAタイプに決める。夕方講談社HOTDOGの原田氏と会う。

1986年2月28日 金曜 ハレ
AD会議。下らぬ。夕方シオンのライヴ・イベント。渋谷のカプセルホテル泊。

1987年2月28日 土曜 はれ
会社休みて芋川耳鼻科へ。ウオークマン難聴で依然聴こえず。昼銀座三越にてシネマウイークのプレゼン。スターロンの「オーバー・ザ・トップ」みる。次男の奇跡の生還を祝して、家族4人デニーズにて会食す。

1988年2月28日 日曜 晴
成田12時20分着のはずがロンドン・ヒースロー空港の電気故障でまたもや延着。機体全とっ換えで成田には4時着。ともあれ無事帰国できて良かった。

1989年2月28日 火曜
浅野、小森氏を迎え東コレ打ち合わせ。テーマはスーパーザウルスなり。予算750万で大丈夫なりや。シャネルの現売ショー、1回1億円の売り上げなると。

1990年2月28日 水曜 はれ
久しぶりに晴れる。西部百貨店の新社長に水野氏。43歳なり。今井氏は当社の副社長になれず、定めしショックならむ。夜、真鍋太郎氏の個展に顔を出す。

1991年2月28日 木曜 寒
開戦から6週間、地上戦開始から100時間、湾岸戦争終結、ブッシュ大統領が勝利宣言。イラクは国連決議を受諾す。INショップが宇都宮東武にオープン。

1992年2月28日 金曜 はれ
IN店長会を休んでJクルーのパンフの見本作り。本当は「ボヴァリー夫人」をみたかったのだが。すべてが遅れているので焦る。

1993年2月28日 日曜 雨のち晴
午前11時、初めて覚園寺を訪ねる。なかなか風情のある寺なり。僧ありておよそ1時間いろいろ解説す。今から800年前に北条時宗が創建、700年前に足利尊氏が再建したそうで、天井に尊氏の文字があった。その後首塚、永福寺に回る。

1994年2月28日 月曜 はれ
だいぶあたたかくなてきた。少し体調が元に戻ったように感じる。

1995年2月28日 火曜 くもり
おととい貴之花が元フジTVアナウンサーの河野景子と婚約した。彼女には会ったことがある。永代に行き、井出と話す。見事な現状分析による鋭い企画書を書いていた。キムラヤにてさらに7枚のCDを買う。

1996年2月28日 水曜 はれ
DM、カタログ打ち合わせ。西銀座スタジオにて日隈、中野両君と7DaySビデオのダビング。次男ムサビに落ちるがめげず、逆に予を励ましてくれる。

1997年2月28日 金曜 晴
今日は完全に怠けるつもりで会社へ行った。昨日の鴨下さんの発言の波紋が職場に流れている。藤沢周平の「白き瓶」読了。長塚節の哀れな生涯。しかし余もまた然り。ルービンシュタインのブラームス協奏曲第1番のCDを買う。

1998年2月28日 土曜 はれのち雨
妻とムクと果樹園に行く。梅8分咲きか。されど匂わず。午後卓ちゃん来訪。5人でカレーを食べる。卓ちゃんワードをインストールしてくれる。

1999年2月28日 日曜 はれ
熱、夕方7度近くになる。風邪か、それともプレッシャーか。高知で脳死の人、心、肝、腎の三臓を差し出す。来週土曜のためのテキストを打つ。来週部長にならむとす。

2000年2月28日 月曜 晴
11時小学館梅沢氏。矢沢、小野氏を紹介してもらう。午後4時半、電通古川氏。東北、九州の仕事を紹介してくれるという。夜マガジンハウスの倉田氏に御馳走になる。宝島のレップにならないかと。余は知らずして瀬戸口氏に傲慢なりき。次男が藝大大学院合格。

2001年2月28日 水曜 くもり 風強し
「プレイボーイ」鈴木氏への企画書を作るが、プリンターにトラブルありて苦労す。妻は「やまびこ会」のOB会に出席。若手と別れようとして、かえって苦労している。可哀想なり。

2002年2月28日 木曜 くもり 暖
終日ワードをやるがなかなか終わらない。夜佐藤から℡ありて工藤さん宅にいるという。石原、有馬などの同級生と一緒だというので驚く。文芸社高橋氏に請求書送り、山口氏から「主婦の友」の分入金。

2003年2月28日 金曜 晴
お茶の水SPビル8階にメデイアレップの森社長を訪ねる。「テレビサライ」の編集長を紹介され、余の新提案をぶつけよと示唆される。青柳君の神保町の事務所を訪ね、夜、銀座資生堂のワードにて玄侑氏が美女に催眠術をかけるを目撃す。あやしの業なり。

2004年2月28日 土曜 くもり
昨夜次男帰宅し、申告書類を作る。私は長男と喧嘩したので、「もうお父さんと暮したくない」といわれる。今朝、長男次男と3人で熊野神社まで散歩。午後次男が帰ると寂しくなる。

2005年2月28日 月曜 はれ
のどをやられて熱あり。耳鼻科のカクさんで診てもらう。文芸社リライト第1次終了。明日追加原稿が来る。

2006年2月28日 火曜 陰 寒
中野の工芸大にてコピーライター志望の優秀な学生に会う。今日で2月終了につき、長男ふきのとう舎より帰宅す。民主党の阿呆莫迦永田議員が謝罪す。前原は代表選に出ず。

2007年2月28日 水曜 晴 暖
文芸社アップす。風呂沸かし器みてもらう。2100円也。熊野神社頂上でカトリックの尼さんに会う。中国バブルで全世界で株価が下落す。

2008年2月28日 木曜 晴 ○
工事順調、コンクリ打ちが終る。妻は渡辺さんたちと外出。長男の来週のホームステイがなんとかOKになる。ついに文芸社来る。30万円也。

2009年2月28日 土曜 陰
経済危機ますます深刻。太刀洗いにカエルの卵あり。

2010年2月28日 日曜 雨のち曇
冷たい雨の中、3人で生協へ行く。午後から晴れてきたり。チリでM8.8の大地震ありて津波予報出たり。

2011年2月28日 月曜 氷雨
物凄い寒さのなか、中目黒の「青山目黒ギャラリー」で開催中の次男の個展「still live」をみる。作品もよく、オーナーもとても良い人。青池夫妻と同道の先生にも会う。

2012年2月28日 火曜 くもり
昨日母もホームステイへ。余は文化で講義。

2013年2月28日 木曜 晴 暖
都美術館の「エル・グレコ展」と東博の「円空展」、さらに埼玉美術館まで足を伸ばして「ポール・デルボー展」をはしごする。

2014年2月28日 金曜 晴 ○
あたたかし。太刀洗い第一現場にてアカガエル産卵す。親カエルが良い声で鳴いていた。

2015年2月28日 土曜 曇
本日にていちおう十二所リニューアル終了。台所とバス等を直して530万強なりき。

2016年2月28日 日曜 はれ
太刀洗から朝夷奈峠へ行ったが、産卵しているのはやはり第一現場だけ。しかし大小2種類の卵があり、大きいのはヒキガエル、小さいのはアカガエルであろう。
今年は今月13日にアカガエルが産卵し、その後しばらくしてヒキガエルが続いたが、いずれも例年より数が少ない。毎年こうやってカエル君の繁殖に手を貸しているのだが、徐々に絶滅の道を辿りつつあるような予感がある。
アメリカ大統領の予備選が始まり、共和党のトランプが跳梁跋扈しているが、鬼面人を驚かせるこの男が、歯に衣着せぬ本当の本音をぶちまけているからだろう。
普通の人ならいくら移民嫌いでも「メキシコ国境に壁を作れ」などと言いたくても我慢して言えないし、言わないが、良識と廉恥心をかなぐり捨てたこの排外主義者は、民衆の俗心の代理人のつもりで平気で口にするから、拍手喝采を浴びるのである。
「文化のない本音人」は「文化のある建前人」によって敗北するのが文化文明の世の常識というものだが、このアメリカのイトレルは、本邦の猪八戒イトレルと同様、もしかすると、もしかするかもしれない。
共和党と民主党でトランプとサンダースという左右の極端派が進出し、クリントンのような中庸派を震撼させていることは、ある意味でEUや中東イスラム教徒国の内部分裂・抗争、この国の右翼独裁体制と軌を一にするもので、大統領選の結果次第では、万人が万人の敵となる恐怖の世界大動乱の幕が切って落とされるかもしれない。

 

 

友愛てふ言葉床しき藪椿 蝶人

 

 

 

夢は第2の人生である 第35回

西暦2015年神無月蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

佐々木 眞

 

 

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極寒の僻地にあって九死に一生を得た私らは、ようやく郷里に帰還しようと寒村の小さな駅に辿りついたのだが、プラットフォームに立つと、アテルイという名の記された深紅の長い長い貨物列車が、轟音をあげて通り過ぎて行った。10/1

久しぶりに以前訪れたことのある野原の果ての廃墟にやって来た。今回はなぜだかイラストレーターの川村さんや画家の橋本さんなんかと一緒だったが、入口には「隠喩とアナスタシア」と書いてある。いったいどういう意味なんだろう。展覧会でもやってるのか?10/2

戦争が近付いてきたからか、急に井戸掘りを頼まれるようになり、その数なんと1万件に達した。焦った私は、知り合いの伝手やコネを総動員して、全国各地の職人をはじめ学生のアルバイトまでかき集め、朝から晩まで井戸を掘り続けている。10/2

山中でその子の死体を見つけたのは、数日前のことであった。どうしてこのようなものがこんなところにと思ったのだが、私は、そのことを誰にも言わなかった。10/3

しばらく経ってから、私はその場所を目指して山を登って行ったが、山道でイノシシや野兎や猿や熊たちと出会うたびに、私の顔も体も彼らの顔かたちが乗り移って、異様な風体へと変身していくのが分かった。10/3

妻が運転する車に乗って学校へ行ったら、「今日は私も授業があるのよ」というので、驚いて彼女の教室をのぞいてみたら、聴講する学生が鈴なりだったので、また驚いた。私の授業の聴講生ときたら、毎年10名すれすれなのに。10/4

こないだ通販で買ったCDを、同じ業者がさらに安く売っているのを発見して、「こんちくしょう、どうしてそんな酷いことをするンンだ。おいらがなけなしの金をはたいて、清水の舞台から飛び降りるつもりで買ったというのに」と、朝までいきまいていた。10/5

新製品のネーミングにうるさい社長だったので、「では英語やフランス語やイタリア語はやめて、古い日本語でいきましょう。「国定忠治は男でござる」というのはどうですか?」と冗談半分で提案してみると、「おお、いいね、いいね。どうしてもっと早くそれをいわないんだ。それ、それ、それでいこう!」と大喜びするのであった。10/7

「信望愛」のうちでもっとも大いなるものは愛である、とたしか新訳聖書に書いてあったような気がするのだが、信仰も愛もてんで持ち合わせのない私は、一筋の希望さえあれば、なんとか今日も生きていくことができそうに思えた。10/7

ふとしたことで知り合った2人の女性は、いずれも小説家だったが、てんで本が売れないというので、「千円引きでなら、私が買ってあげますよ」と口走ったら、その翌日、段ボールを満載したクロネコヤマトのトラックが玄関に停まった。10/8

広大な原っぱには巨大なテントが張られており、中ではフェリーニのサーカスを思わせる極彩色のファッションと、音楽と演劇を一体化した夢のようなライブイベントが繰り広げられていたので、私は歓声を上げながら、写真を撮りまくっていた。10/10

電話ボックスの中に入ると、なぜだかその中にも薄緑色の植物が生えていた。電話しながらそのやわらかな葉っぱを食べていると、大きなムク犬がボックスに入って来たので、こいつにも葉っぱを食べさせてやった。10/11

新聞社の「市場」についての調査にご協力ください、といって訪れた若い女性が、あまりにも魅力的なので、家に迎え入れて耳を傾けていると、結局は物販の売り込みの話なのであった。10/11

この節は度量衡の規格が次々に変わる。こないだは判子を作り直したばかりだというのに、今度は「持ち船の形式と容量を見直せ」というお達しが出たので、結局造り直さざるを得ないだろうな。10/12

埋立地に出来た見本市会場の件で、若い女性の部下と一緒に現地の担当者を訪ねた。1ヶ月後にその商談が纏まった頃、担当者と部下の連名で、結婚式の招待状が届いた。つまり彼らは、ひと月で2つの商談をまとめたわけだ。10/13

一念発起、酒も女も絶ってひたすら店頭で販売の音頭を取ってみたものの、声を張り上げれば張り上げるだけお客は逃げ出していき、売り上げはさっぱりだった。10/14

3人で町を歩いていたら、チンピラ2人にからまれたので、うちのA子がさっと金的を蹴り上げると、その時は素早く退散したが、今度は私がいない間に、A子ともう一人の若者を誘拐したので、私は正宗のドスを腹に呑んで、敵の本拠地に奪回に向かった。10/15

中国の田舎の空港で降りたら、昔会社で常務だったナベショーという男が、免税店でどんくさいアメカジを売っていたので、懐かしくなってポロシャツを買おうとしたら、大きな鍋で炒め物を調理しながら、「お客さん、ここらへんは、商売さっぱりあきまへんわ」と、情けない声を出した。10/15

眠っている間に地震が襲ってきて、私が乗った地球というメリーゴーランドを揺り動かす。それはヒトコマごとに前進するのだが、ときおり揺り戻しがあって、また元に戻ったりするので、非常に恐ろしかった。10/16

やがて官憲がわが家を違法建築であると決めつけて、取り壊しにやって来たので、私は毒矢で武装し、今度こそ死ぬまで徹底抗戦しようと決意した。10/17

「遊動円木」とか「不労所得」とか「交響楽」という名前の鳥たちが、ひらひらふらふら飛びまわっていた。10/18

次期ノーベル文学賞の受賞が内定した谷崎潤一郎選手の命を狙う悪党がいるというので、私は、警視庁から派遣されて、彼の警護に当たっていた。10/19

「綺麗な呼吸大会」という不思議な大会に出場した私は、あらゆる瞬間において見事な呼吸をしている、という理由でグランプリをもらったが、受賞の意味がてんで分からなかったので、もらったトロフィーをその場に置いて退場した。10/20

今日もいつもと同じ散歩道を歩いた。歩きながらビシバシ写真を撮っていたが、「まてよ、これでは毎日同じ写真ばかりになってしまう。少しはフィルム代を節約しなきゃ」と思って、撮るのを止めてしまった。10/21

コンセプトは「我らの右手」だ。午後9時には子供たちを階下で寝かせ、大人たちだけの製品づくりが始まった。10/23

星まつりの夜に窓の外で2002年の2月に身罷った愛犬ムクが「WANGWANG!」と鳴いているので、外に出ると、衝突した車から飛び出した若い衆が、川の中で白眼を剥いて斃れていた。恐らく、もう死んでいるのだろう。

すると、すぐ近くで悲鳴が聞こえたので飛んで行くと、やはり同じ年頃の、祭りの法被を着た若い衆が、道の真ん中で白い泡を吹いて斃れていたので、驚いた。すぐに救急車を呼ぼうとしたのだが、生憎その番号を思い出せないので、携帯を握りしめて棒立ちしているわたくし。10/24

私らは、大木の枝の上に鳥の巣のような小さな小屋を作って、その中で生活していたが、なにしろ狭くて、ちょっと風が吹いてくると大きく揺れ動くので、不安で仕方なかった。10/26

今夜は豪華な肉料理をフルコースで食べるのだから、お昼は蕎麦にしておこう、と思うのだが、天ざるにしたらエビ天がお腹に残ってさしさわりがありそうなので、店の前でメニューを眺めながらいつまでも迷っていた。10/26

一緒に歌舞伎を見にいったデザイナーが、「あたしはもう仕事が嫌になった。こんな仕事を八十までやるのかしら」と呟いていたが、私は知らん顔していた。10/28

昔からお世話になっていたSURELADYというブランドを担当する佐々木さんを訪ねたら、大病を患っていて、もう長くなさそうだったが、相変わらず優しく頬笑んでいた。10/28

ボスの命令で会社に従業員家族を招くことになり、会場のあちこちに美しい花々を飾り付けたのだが、当日入場した人たちは、誰一人目を留めることもなかった。10/29

 

 

 

オフィーリア

 

佐々木 眞

 

 

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今朝、死体を見た。
滑川の橋の下の魚たちが大好きな窪みの上で
それは、冷たい水に浸かっていた。

昨日白鷺の夫婦が、長い首をつんつん動かしながら
ぎくしゃく歩いていた小さな川に
蒼ざめたマネキンのように、ぽっかり浮かんでいた。

かろうじて水面からのぞかせた顔は、蝋のように白く
半ば閉じられた両の眼は
昇り始めた朝日をじっと見つめている。

祈ろうとして胸を目指していた両の手は
その願いを果たせなかったらしく
水の面に掲げられて行き場を失っている。

それは英国の画家ミレイが描いた
水藻の間を流れゆくオフィーリアに似ている。
叶わぬ恋に身を投げた高貴な少女の最期の姿に。

あくまでも恋人の抱擁を求めようとして、微かに開いた口からは
いつかどこかで聴いた尼寺の歌が聞こえてくるようだ。
寿限無寿限無海砂利水魚と泡立つ音に合わせて。

しっ、静かに!
水底で黙って耳を傾けているのは、
午後の太陽をじっと待っているハヤの七人家族。

せっかちな翡翠は、青の残像を残して慌ただしく飛び去り
白鷺の夫婦は、小魚探しに余念なく
寝坊助の亀次郎は、長い冬眠からまだ醒めない。

 

 

 

如月の歌~シェークスピア風ソネットの試み

 

佐々木 眞

 

 

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現代の詩人が作る現代詩のほとんどが、いわゆる「自由詩」というやつだ。
しかしおいらには、その自由詩の詩形がいかにも無秩序かつ胡乱なものに思われるので、
今更ながら天女の羽衣に軽く縛られてみたいと思い、
昔ながらの「ソネット」を作ろうと思い立った。

「ソネット」とは、ルネサンス期のイタリアで誕生した十四行からなる西洋の定型詩で
ペトラルカ風、イギリス風、スペンサー風の三つがあるそうだが、
おいらはシェークスピアの「ソネット」しか知らないので、
とりあえず、そいつの“うわべ”だけでも真似しよう、ってわけさ。

そこでおらっちは、たちまち寛永の馬術名人、曲垣平九郎盛澄になり切って、
天下の名馬“松風”に跨り、長駈愛宕山に赴いた、と思いねえ。
あの有名な“出世の階段”を一気に駆け上がると、
頂上からは江戸八百八町のおよそ半分を、一望することができたのよ。

けれども男坂の急勾配を、三度笠の詩句共が、押すな押すなと登ってくるので、
四行/四行/四行/二行の割れ目をば、ザックリ作ってやったのさ。

 

 

 

朝の歌

音楽の慰め 第1回

 
 

佐々木 眞

 

 

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空0これから時折、音楽にまつわる超個人的な思い出話、私の敬愛する詩人鈴木志郎康さんの素敵な用語を勝手に拝借しますと、「極私的」な話柄、を書き残してまいりたいと思います。

空0ひとくちに音楽と申しましても、おのずから私の下手の横好きのクラシックについてのあれやこれやになってしまいますが、その点はどうかご容赦願いたいと存じます。

空0まあ云うたらなんやけど、唐人の寝言、国内亡命者の口三味線、のようなもの、ですな。

空空空空空空空空空空空空0*

空0第一回のお題はとりあえず「朝の歌」にしてみました。
「朝の歌」といえば、まずはいまNHKの朝ドラでやっている「あさが来た」の主題歌でしょうか。

空0AKB48が歌う「365日の紙飛行機」は、副田高行さんのお洒落でシックなタイトルデザインとあいまって、「あたしなんざあ、もうとりたてて夢も希望もないけれど、今日もまた朝が来てしまった。でもとにかく全国的にアサー!なんやから、谷岡ヤスジみたいになんとか元気にぐあんばっていこうかなあ」という気持ちにさせてくれるようです。

空0AKB48は、皆さまがよくご存知のように、けっして歌が上手とはいえないやさぐれおねえちゃん集団なのですが、そのやさぐれ風の素人っぽさが、かえって日常の中の朝という時間の到来に、びっくらぽん、自然に寄り添っているような効果をもたらしているのかも知れませんね。

空0ところで「朝の歌」ということで思い出すのは、私の大好きな詩人、中原中也の大好きな詩「朝の歌」です。注1)

空空0天井に 朱きいろいで
空空空空空空戸の隙を 洩れ入る光、
空空0鄙びたる 軍樂の憶ひ
空空空空空空手にてなす なにごともなし。

空0という4行で始まるこのソネットは、

空空0ひろごりて たひらかの空、
空空空空空空土手づたひ きえてゆくかな
空空0うつくしき さまざまの夢。

空0という具合に嫋々たる余韻を残しつつ消えていくのですが、この最後の第4連の3行には、冒頭の代々木練兵場の軍樂の物憂い響きではなく、詩人の心の奥底でいつも鳴り響いていたうらがなしい滅びの歌が聞こえてくるようです。注2)

空0さて私事ながら、私の生家は丹波の下駄屋でしたので、町内の他の家の子供たちと比べて音楽的な環境に恵まれていたとはお世辞にもいえませんでしたが、なぜか祖父が熱心なプロテスタントであったために、小学生の時から強制的に教会に通わせられました。

空0私はそれが厭で厭でたまらず、その所為で却ってキリスト教に反発を覚えるようになり、現在に至るも無信仰無宗教の哀れな人間ですが、それでも教会で歌わせられる讃美歌の歌詞やオルガンの伴奏が、当時の田舎の少年の音楽心をまったく刺激しなかったと書けば嘘になるでしょう。

空0例えば讃美歌23番の「来る朝毎に朝日と共に」の出だしを聴くと、さきほどの中原中也の詩の冒頭にも似た、おごそかにして心温まる気持ちに包まれたものでした。注3)

空0後に成人した私が、LPレコードでモーツアルトのピアノ協奏曲第24番の第2楽章をはじめて聴いたとき、(それは確かクララ・ハスキルというルーマニア生まれの臈長けた女流ピアニストが、65歳で急死する直前に録音した曰くつきの演奏でしたが)、はしなくも思い出したのが、この讃美歌23番の奏楽でした。注4)

空0楽器もメロディも調性も異なってはいるものの、暗闇から突如一筋の光が地上に現われて、私のようにどうしようもなく愚かな人間にもかすかな希望を与えてくれる、無理に言葉にすると、天使が私を私を見つめながらゆるやかに翼をはばたかせているような、そんな有難い気持ちにしてくれた楽の音でありました。

 

空空空空空空空空空空空空0*

 

注1)中原中也の詩「朝の歌」は講談社文芸文庫吉田 煕生編「中原中也全詩歌集上巻」より引用。

注2)中原中也の芸術の記念碑的な出発点となったこのハイドンのピアノ曲を思わせる素晴らしい詩は、前掲書吉田 煕生の解説によれば、1926年(昭和元年)に初稿、1928年に定稿が完成し、諸井三郎の作曲で同年5月4日の音楽団体「スルヤ」第2回発表会で長井維理によって歌われた。なお本作が構想された当時、詩人の友人の下宿から陸軍練兵場(現在の代々木公園)の演習の「軍樂」が聞こえたことについては大岡昇平の証言がある。

注3)讃美歌23番(あるいは27番、あるいは210番)の「来る朝毎に朝日と共に」の第1番の歌詞は「来る朝毎に朝日と共に 神の光を心に受けて 愛の御旨を新たに悟る」。作詞は英国国教会司祭のジョン・キンブル、作詞は独教会音楽家のコンラート・コッヒャーと伝えられる。

注4)クララ・ハスキル独奏、イーゴリ・マルケヴィッチ指揮コンセール・ラムルー管弦楽団(2011年まで佐渡裕が首席指揮者を務めた)のモーツアルトのピアノ協奏曲24番は、録音は1960年と古いが、昔からフィリップス(最近デッカに買収された)の名曲の名演奏盤として夙に知られている。(20番も併録)