Les Petits Riens ~40年もひと昔

 

佐々木 眞

 
 

1981年6月30日 火曜 
記事欠落。

1982年6月30日 水曜 
巴里Rue de Carneの Hotel Stellaに宿す。

1983年6月30日 火曜 
AddendaのCM。CⅩのアナウンサーのフィッティング。

1984年6月30日 土曜 曇り時々晴れ
AddendaのCM。ベルギー大使館のシャンタル・コルネイユ美人にて好まし。モデルが地球儀を投げるアイデアは余の演出案なり。
久野去り、永原入社。

1985年6月30日 日曜 晴れ
巴里にて朝から夕方まで愛機ベータムービーにてセーヌ、エッフェル、凱旋門、ノートルダム寺院、メトロの中などをライブ撮影。
夜Hotel Concorde St.Lazareのバーにて偶然J=L・ゴダールに会う。昨日はスイスのロールの自宅兼スタジオで一緒だった。

1986年6月30日 月曜 曇り
午後電通にてソフィージョルジュTVCM試写。原君の演出なり。

1987年6月30日 火曜 
アルフィオにて池田ノブオvs今井広報室長MTG。

1988年6月30日 木曜 曇り
今年の梅雨はうっとおしいが空梅雨ではない。雨も降る。
橋本次長、宣伝部長としてダーバンに転籍。

1989年6月30日 金曜 晴れ
ナベプロS課長来社。チョー・ユン・ファの「男たちの挽歌Ⅱ」をみる。日本のやくざ映画からの引用があって笑わせる。

1990年6月30日 土曜 曇り
会社休みて「福翁自伝」を読む。
プロパン屋のおじさんが、プロパンの運搬で傷ついた玄関の石段を丁寧に直してくれた。
次男のテスト結果悪し。前途を憂う。

1991年6月30日 日曜 くもり
妹が黙想会を終えてわが家にやって来た。新宗教家となりて大悟せしか。
ユーゴ・クロアチア共和国と連邦軍の戦い、再燃の気配あり。

1992年6月30日 火曜 雨
課長会。気合いを入れて報告してやった。マリークレール、GQ、オッジの編集の人たちと会う。

1993年6月30日 水曜 雨
ボーナスでる。去年より多いのか少ないのか分からず。
田中さんが庭に植えてくれた桃が2個なりました。

1994年6月30日 木曜 くもり
午前中かなり大きな地震あり。
午後3時より会社の前の大蔵省住宅で不発弾処理あり。村山内閣組閣終わる。副総理兼外相に河野、大蔵武村など。主要部は自民が抑える。
スタイリストの鈴木さんから、パーカー万年筆を頂く。余に「啓発された」と仰るが身に覚えなし。

1995年6月30日 金曜 くもり 蒸し暑い
真夏のような暑さの中を表参道、原宿、渋谷とマーケットリサーチ。
HMVにてマクベス,死の都、薔薇の騎士のLD買う。1万4千円也。

1996年6月30日 日曜 くもり
昨夜次男がパリに行きたいというので、地図を出して説明してやった。
長男と一緒にいると、私を嫌って叩くので困る。

1997年6月30日 月曜 晴れ
香港、本日をもって英国より中国に返還さる。じつに155年ぶりのことなり。
チャールズ英皇太子、マウントバッッテン総督、中国李鵬首相参加の祝典開かれたるが、香港は生憎の雨なりき。

1998年6月30日 火曜 晴れ 暑し
失業率1%。午後伊藤忠ファッションシステム、米国マテル社との三者会談。
交渉不調ならタカラのジェニー人形と組むという案もある。

1999年6月30日 水曜 雨
昼、豪雨あり。余は長年務めた会社を辞するのほか道なきか。

2000年6月30日 金曜 晴れ
午後同文社の前田、斎藤両氏と池袋に無印良品を訪ね、婦人画報メンクラ企画を売り込む。
午後五反田ダーバンにてメンズ打ち合わせ。同窓の直木賞作家、高橋義夫氏起用案でOKとなる。

2001年6月30日 土曜 小雨
終日文化服装学院講義の準備をする。

2002年6月30日 日曜 くもり
W杯決勝戦カーンの健闘空しくドイツ0-2でブラジルに敗れる。
北朝鮮が韓国船を銃撃し、4名死す。
太刀洗にてニイニイ蝉鳴く。

2003年6月30日 月曜 はれ
昨夜突然次男帰宅し、寿司を喰らいて夜また戻る。3月以来の椿事なり。丸坊主となりてなかなか男前なり。余を前にしていろいろ批判する。頼もしきかな。

2004年6月30日 水曜 雨
台風襲来の余波で、新幹線止まる。
義母縁側から転落すれど、さいわい無事なりき。

2005年年6月30日 木曜 雨のち曇り
工芸大の三浦さんは綺麗だ。次男に30万振りこんだので、次男よろこぶ。ビデオを買ったそうだ。

2006年6月30日 金曜 曇り暑し*
とうとうたまりかねて文芸社に催促のメール入れる。
文化の試験の採点をする。
小泉がブッシュを訪ねて、プレスリー大好き等々、莫迦なことを喋っている。

2007年6月30日 土曜 晴れのち雨
カーペットを干した。
耕と熊野神社に行ったが、例の怪しいメガネ男はいなかった。
先日宮沢元首相が死んだ。

2008年6月30日 月曜 小雨のち曇り
文化服装学院授業。建築課題で都庁タワーに登る。文化女子大講義はネット広告。

2009年6月30日 火曜 曇り
東京工芸大学へ行く。就職相談相手の学生は1名のみ。就職課のS課長は本日より厚木へ転勤となり、厚木から新任女性課長がやってくるそうだ。

2010年6月30日 水曜 雨のち曇りのち晴れ
猛烈な暑さなり。
昨夜W杯日本PK戦でパラグアイに敗れる。岡ちゃんも選手もよくやった。

2011年6月30日 木曜 晴れのち一時にわか雨
耕を迎えにいったが、雨が上がる。十二所で義姉たちとランチ。従弟の子の障がいありやなしやを案ず。

2012年6月30日 土曜
この日の記録欠落して無し。

2013年6月30日 日曜 晴れたり曇ったり
日経歌壇投稿全滅。
市内の商工会議所で行われた高橋源一郎氏の講演を聞く。はなはだ面白し。彼はまた鎌倉に戻り、比企ガ谷辺に住んでいるようだ。

2014年6月30日 月曜 曇り
妻、湘南鎌倉病院にてパニック障害の判定。すべて余のなせる業と深く反省するも、時既に遅し。

2015年6月30日 火曜 曇り 蒸し暑し
新幹線車内で焼身自殺。2名死亡、負傷者多数。
ギリシアは借金を返せず、債務不履行寸前。財政破綻の責はチプラス首相と国民自身にある。もって他山の石とすべし。
歯痛に耐えながら、藤沢で息子の小田急回数券、大船で乾電池を買う。
次男は可愛い子猫を拾ったが、アパートで飼えずに困っている。

2016年6月30日 木曜日 くもり
無くした十二所の鍵が出てきた。

2017年6月30日 金曜日 くもり
半蔵門の国立劇場にて文楽若手会の「菅原伝授手習鑑」、都美術館にてブリューゲル「バベルの塔」展をみる。

2018年6月30日 土曜日 はれ 暑し
吉祥寺に行き「二葉FA」を訪ね、吉野学長と久し振りに再会。お元気そうでなにより。
11時から吉祥寺シアターで平田おりざ作・演出の「日本文学盛衰史」をもる。面白し。

2019年6月30日 日曜日 ふったりやんだり
「大阪G20」閉幕。アベは誰からも相手にしてもらえなかった。
トランプがキムと板門店で会談。驚きだ。

2020年6月30日 火曜日 雨
横浜で、大勢のコロナ感染者出る。

2021年6月30日 水曜日 曇のち小雨
東京714人感染。第5波到来せり。

2022年6月30日 木曜日 快晴 猛暑
鶯と燕鳴く早焼けの空、赤と青の美しさ類なし。1週間連続の真夏日なり。
明日、新しい植木屋が入ることになる。

 

 

 

家族の肖像~親子の対話 その62

 

佐々木 眞

 
 

 

お父さん、神社、テンプルでしょ?
そ、そうだよ。よく知ってたね。

ミエコさーん、ハスはジュンサイによく似てるよねえ?
似てますねえ。

シンキンコウソクって、なに?
心臓から酸素が無くなってしまうのよ。

ボク、ハス好きですお。
好きだよね、コウ君は。

お母さん、平和って、なに?
みんながしあわせに暮せることよ。

お母さん、むかし「ふきのとう舎」だけだったよね?
そうね。あとから「向生舎」なんかが出来たのよね。

お母さん、どこ行ったの?
さてどこへ行ったでしょう?当ててごらん。
セイユー?
ブ、ブー。
なにがつくもの?
キだよ。
キシモト歯科!
あったりーー!

「ボク、サトイモ好きですお」
そうなんだ。
サ、ト、イ、モ、サ、ト、イ、モ

海水は海みたいですね。
そうですね。

オサナナジミって、なに?
小さい頃からのおともだちよ。

車体構造って、なに?
車の中の様子よ。

お父さん、「ドクターヘリ」、録画してね。
分かりましたあ!

お父さん、「ドクターヘリ」見ますお。
分かりましたあ!

ぼく、アオさん好きですよ。
そう、良かったね。

お母さんね、ここで躓いて倒れてね、血がいっぱい出ちゃったの。
そうお。良くなってくださいね。
お母さん、すぐにお父さんと病院行ってね、ここんとこ、縫ってもらったの。
早く良くなってくださいね。

お母さん、良くなってください。
分かりました。
早く良くなってください。
だんだん良くなります。

お母さん、良くなってね。良くなれ、良くなれ。
分かったよ、
明日お医者さんにみてもらう?
見てもらうよ。

ぼく、ひとりでトウキュウいきましたお。
え、東急。いつ行ったの?
今日、行きましたお。
そう、偉かったね。

お母さん、こんど、ユカリさんに会いたいですお。
そう、会おうね。

 ―コバヤシ散髪店にて
おじさん、エモトアキラ好き?
好きだよ。
おばさん、エモトアキラ好き?
好きだよ。
おねえさん、エモトアキラ好き?
好きですよ。
コウ君、エオトアキラ好き?
好きですお。

ミワさん、いなくなったね。
亡くなっちゃったね。

「千の風に乗って」、亡くなったときでしょう?
そうだね。

お父さん、お母さんは?
当てててごらん。
おばあちゃんチ。
ピンポーン。

お母さん、きょう、サケご飯とピーマンの肉詰にしてね。
分かりましたあ。

今日はコウ君、ごはん何にしますか?
コーンスープですお。コーンスープにしてね。
分かりました。

お父さん、お母さんには、朝6時に電話しますお。
お、うれしいね。よく覚えていたね。5時台は早すぎるからね。
分かりましたあ!

お父さん、あさってビデオ撮ってね。
分かりましたあ。

みんな、いなくなっちゃったねえ。
そうねえ、いなくなっちゃったねえ。
お母さん、そんなこといわないでください。
はい、分かりました。

お父さん、あしたビデオ撮ってね。
分かりましたあ。

お父さん、今日ビデオ撮ってね。
分かりましたあ。

お父さん、きのうビデオ撮ってくれた?
撮ったよ。コウ君がおうちに帰ったら、一緒に見ようね。
分かりましたあ。

ぼく、映画村好きですお。
そうなんだ。

いつ買いに行きますか?
来週のどこかで。
分かりました。

あした、図書館と西友へ行きます。
分かりました。

ままならない、って、なに?
いろいろうまくいかないことよ。
ままならない、ままならない、ままならない

ぼく、今日休みますお。
なんで?
台風だから。

コウくん、今日は何の日?
きょうろうの日ですお。
敬老の日でしょう。敬老の日はどういう日?
ええと、ボク、お父さんとお母さんを助けますお。
助けてくれるの?
そう。

イメージって、なに?
こんな感じ、っていうことよ。

お母さん、今日の夜ごはんは?
お彼岸だから、お赤飯とマーボナスよ。いいですか?
いいですおー、いいですおー、イイデスオー。

さまようって、なに?
ふらふらしてることよ。

てごわい、ってなに?
つよいなあ、ってことよ。

お母さん、今晩のおかずはなに?
今日はお赤飯と、クリームシチューと、肉詰めピーマンです。いいですか?
いいですお。

こらえる、って、なに?
我慢することだよ。
コウ君、こらえてるの?
いませんお。

お母さん、ドクダミ、おうちにある?
あるよ。
ぼく、ドクダミ好きですよ。
そう。お母さんもよ。

お母さん、ぼく、あしたセイユウいきますお。
いきましょうね。

ぼくレンブツさんとフクモトリコ、両方好きだよ。
そう。

 

 

 

真夏のサンタクロース

 

佐々木 眞

 
 

仏に会うたびに、仏を殺し
詩に会うたびに、詩を殺してきたおらっちだったが
寄る年波ゆえに、疲労が困憊してきたよ

でも、今日は朝からいい天気
コロナに感染して、長の自宅療養を強いられていたから
偶には息子のコウ君と一緒に、近所を散歩してみようじゃないか

「ほら、この道の先に、赤いポストが見えるだろう
そしてそのポストの先に、小さな橋が見えるだろう
それを左に曲がって、ちょいと進んだところに
車椅子に乗ったおじいさんが、いるはずなんだ」

コウ君は、大阪道頓堀のグリコの看板のように
両手を高く掲げ、まっしぐらに進んでいきましたが
満面の笑みを湛えて佇む、車椅子の老人を見て
「お父さん、お父さん、おばあちゃんちの前に、サンタクロースがいるよ!」
と叫びました。

すると、あの有名な詩人のシロウヤスさんは *
いきなり車椅子を乗り捨てて立ち上がり
「おらあサンタだ! サンタシロウヤスだあ!」と声高く宣言して
おらっちのコウ君と、ガッツリ抱きあったのでした。

 

* 鈴木志郎康(1935年5月19日 – 2022年9月8日)

 

 

 

真夏の夢のような

 

佐々木 眞

 
 

其の一 むらぎも

ある日、この国ではじめての国民投票が行われ、
その結果、日本国憲法第9条が、全面的に改定された。

もうその頃には、護憲派とかリベラル派の市民は、ただのひとりもいなくなっていたので、改定案は、思いがけない大差で承認されたのである。

ところが、そのビッグニュースを聞いたこの国の民草は、なぜか、彼ら自身にも意外なほどの大きな衝撃を受け、心臓にポカリと穴が開いたような喪失感から、長く立ち直ることができなかった。

あの日彼らは、みずからの手で、みずからの「村肝」を殺してしまったのである。

 

其の二 長夜

毎年夏のおわりには、本邦最大級の当地の花火大会に行くことにしている

打ち上げ花火、仕掛け花火、水中花火
上から見るか、下から見るか、真ん中から見るか?
時々休んでカキ氷を食べるか?

ストーン、ストーン、ストトントン
ズドーン、ズドーン、ズドドンドン

花火を打つのは、誰のため
かあちゃんのためなら、エンヤコーラ
とうちゃんのためなら、エンヤコーラ

ストーン、ストーン、ストトントン
ズドーン、ズドーン、ズドドンドン

いろいろ手の込んだいろんな花火が打ち上げられるが
けっきょく「4尺煙火玉」1発ドンが一番いい
そう再確認するために、ここに来ているようなものだ

ところが、ことしは勝手が違った
花火師の花火の代わりに、自衛隊員が、ミサイルを撃ち上げているのだ
それも「敵基地を叩く」と鳴り物入りの、最新型の極超高速ミサイルだ

ズドン、ズダーン、ウンポコペン

まず1発目は、日本海を越えて北朝鮮沖に!

ズドン、ズダーン、ウンポコペン
ズドン、ズダーン、ウンポコペン

2発目は、津軽海峡を越えてロシアが占有する北方領土へ!

ズドン、ズダーン、ウンポコペン
ズドン、ズダーン、ウンポコペン
ズドン、ズダーン、ウンポコペン

そして3発目は、なんと台湾海峡を越えて、中国軍基地の傍らに!

ミサイル撃つのは、誰のため
御国のためなら、エンヤコーラ
陛下のためなら、エンヤコーラ

くわばら、くわばら、花火大会も変わったものだ
日本の夏も、物凄いキンチョウの夏に変わったものだ
おらっち、ひどく疲れて、帰りの列車に乗ったのよ

 

其の三 ヤになっちまう

第1次世界大戦は、4年余り続いた
第2次世界大戦は、6年間続いた
ベトナム戦争は、20年近くも続いた

そこへいくと、ウクライナ戦争はまだ半年だが、いっこうに、終わりそうにもない
もしかすると、まだ休戦中の朝鮮戦争みたいに、半永久的に戦い続けるのではなかろうか?

でも、幸か不幸か、人間という動物は、ある日突然、すべてがヤになっちまう
ヤなことを、無理して続けていると
お勉強だって、お仕事だって、はじめはメラメラ燃え盛っていたあんたの恋だって
傍から誰がなんといおうと、すべてがヤになっちまう

戦さだって、同じこと
狂った専制君主から、「出て来る敵はみなみな殺せ!」と命じられ
武装した兵士のみならず、無辜の女子供まで虐殺していたら
いくら戦意旺盛な軍人でも、ある日突然、なあんもかんも、ヤになっちまうだろう

ウラジーミルも、ワロージャも
のぶいっちゃんも、ひとはるちゃんも
イデノトシコも、おらっちも
戦争がヤで、ヤで、死ぬよりヤになれば
戦争は、やっとこさっとこ、世界中から、消えて無くなる

かな?

 

 

 

さようなら ありがとう 志郎康さん!

 

佐々木 眞

 
 

この夏も、多くの死がありました。

8月には妹が昇天し、9月に入るとゴダールが自死したというので嘆いていると、15日には思いもかけぬ詩人の訃報に接したので、大きな衝撃を受けたのでした。

鈴木志郎康という人は、私が心から敬愛し、師と仰いだ、たった一人の詩人でした。

でも、志郎康さんには、たった一度しか会ったことは無い。
その後も会おうと思えば機会はあったのですが、余りにも鮮烈だったその記憶を大事にするために、あえて会おうとはしなかったのです。

太いパイプをくわえ、度の強そうな眼鏡をかけ、仏陀のように温厚な顔立ちをしたその人は、私の顔をじっと見つめると、開口一番、「私が思った通りの人だった。」と仰ったので、私は驚きながらも、ちょっと嬉しかったのです。

私の詩を読んで、私という人間について興味を抱き、いちど実物を見てやろうと思いたった詩人は、その目の前の現物が想像通りの人間だったので、まるで千里眼の手相見のように喜んでいるのでした。

それまで私は、有名な大詩人の、有名な詩を読んでも、ちっとも心が動かされず、ほんのちょっとでも面白いと思ったことがなかった。だから詩なんてつまらないと思い込んでいたのです。

ところが私は、プアプアなどのスズキ詩に初めて出会った時、「ああこれが詩だ。これこそが本物の詩なんだ」と、生まれて初めて思ったのです。
頭で思ったのではない。腹の底から、いわば臓腑の認識として、分かったのでした。

それで、詩とは自分の思いを、自分が思った通り自由に書いてもいいのだと、初めて得心した私が、その通りに書き殴ってみると、不思議なことに、詩だか、詩のようなものだか分からない代物が、どんどん書けてしまえたので、私は、思わず「ヤッホー!」と叫んだものでした。

喜んだ私は、それから無我夢中になって、来る日も来る日も、その詩のようなものを書き続けていると、驚いたことには、そんな私のシロウト詩に、志郎康さんはイイネを押してくれたので、私は一日中言い知れぬ喜びに浸ったのでした。

「帰玄」という短い詩を書いたときには、いつものイイネだけではなく、「これはなかなかの抒情詩ですね」というコメントまで下さったので、私は文字通り狂気乱舞したことを、生涯忘れることはないでしょう。

それは氏一流の詩の初心者への励ましであり、先輩としての人世の応援歌だったのでしょう。

その励ましと応援歌を手渡しで受け取った私は、イイネのついた作品を集めて生まれて初めての詩集を編み、恩師の志郎康さんに読んでもらえる日が来るのを指折り数えて待ち望んでいた、その矢先の訃報でありました。

志郎康さんの殆ど最後の詩に、「赤ちゃん」という小品があります。

上の2人のお兄さんは両親の寝室に窓がなく、2年続きで暗闇の中で死んでしまったが、窓が作られた後で生まれた志郎康さんは、「光の中で生きのびることができた」というのです。

志郎康さんの悲報が届いた日、夜空に瞬く星の光を探しながら、私も志郎康さんにあやかって、光の中で生きのび、できるだけ長く詩を書くことができますように、と、しばし祈ったことでした。

さようなら ありがとう 志郎康さん!

 
 

※鈴木志郎康「赤ちゃん』
 https://beachwind-lib.net/?p=21235

 

 

 

宮柊二「定本宮柊二全歌集」を読んで

 

佐々木 眞

 
 

昭和31年12月に東京創元社から刊行されたこの本は、それまでに発表された「群鶏」、「山西省」、「蒟駅の歌」「小紺珠」「晩夏」「「日本挽歌」の諸歌集に「群鶏」以前」の作品を加えたほぼ二千首からなり、昭和4年から28年に到る24年間に詠まれた作者自選集である。

宮柊二の師匠が北原白秋であることは知っていたが、白秋死後の師が釋迢空氏であることは山本健吉氏の解説ではじめて知った。しかし「美童天草四郎はいくさ敗れ死ぬきはもなほ美しかりしか」(「群鶏」)という殉教の歌に白秋調の抒情を看取することはできても、なぜ釋迢空なのかという疑いと不審の念は本編を読了してからも胸から消えなかった。

ところが改めて本書の巻頭を捲っていると、「謹呈大佛次郎先生 宮柊二」と達筆の草書で記された、時代がかった和紙が目に飛び込んできた。

私が借り出した本書は、なんと宮柊二が大佛次郎に恵贈したもので、それを遺族が図書課に寄贈したのだろう。色紙等でみる釋迢空そっくりの草書体をこの目でみた私は、「宮=釋を結ぶ絆ここにあり」と、はたと膝を打ったことであった。

それはともかく、本書の白眉はいうまでもなく「山西省」で、1939年以来5年間に亘って、大陸で中国兵と戦った作者は、その戦闘体験をいかにも生々しく歌っている。

 
 

 磧より夜をまぎれ来し敵兵の三人迄を迎へて刺せり
 ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば聲も立てなくくづをれて伏す
 息つめて闇に伏すとき雨あとの土踏む敵の跫音を傳ふ

 
 

作者の「後書」に、「私は少年のころ、畫家を志望した」と書かれていたが、自他の刹那の行動を、さながら「神の視点」より一撃のもとに把握し、再現する表現力に圧倒されないものはいないだろう。

「目はまなこである」とは言い古された格言であるが、さながら「現代只事歌の元祖」のような、この非凡なる動体視力が冴えわたる異様なまでの眼力は、もしかすると「天性の絵描きのまなこ」の所産なのかもしれない。

いずれにせよ宮柊二の激烈な戦争体験は、後続の「蒟駅の歌」「小紺珠」「晩夏」「「日本挽歌」などの歌集においても、時折地下の仕掛け花火のごとく炸裂するのであるが、1986年に「歌集 純黄」の代表歌「中国に兵なりし日の五ヶ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ」において、その総括的達成を迎える。

さりながら、他の歌人あるいは大多数の日本人兵士と同様、「他国への侵略者としてのみずから」を詠う機会がついに訪れなかったことは、無い物ねだりとはいえ、この偉大な歌人のために甚だ惜しまれるのである。

 
 

 

 

 

鈴木志郎康著「続・鈴木志郎康詩集」を読みて、歌える

 

佐々木 眞

 
 

生きる意欲が、急に減退してきたとき、
詩が、まるで書けなくなってしまったとき、
おらっちが思わず手に取る1冊。
それが、この詩集だ。

とりあえず、パラパラと頁をめくろう。
思潮社の現代詩文庫の121号だ。
パラ パラ パラ パラ パラ パラ
すると、こんな一節にぶつかる。

 言葉を探せ!
 ムッグゥーッ 声帯から血
 舌からも血
 血は口腔内に氾濫する*1

よりによって、この<スズキ詩>が転がり出てくるとは、驚いた。

じつは西暦2022年7月29日、
つまり今日のお昼前のこと、
電気コードに躓いた妻が、
床に倒れて、顔を強打したんだ。

彼女の顔の下から、とろーり、とろーりと流れ出て、
たちまち床に小さな人造湖をつくった、真っ赤あ赤な鮮血が
あまりにも、あまりにも、美しすぎて、
おらっち、正直彼女を助け起こすのも忘れて、じいーっと見入ってたのよ。

言葉の前に、美を探せ!
ムッグゥーッ 顔から血
とろーり、とろーりと流れ出て、床に真っ赤な人造湖
美は、リビングルームに氾濫する。

ここで突然、おらっち、志郎康さんの助言を思い出す。
「書けない時は、なんでもいいから、とりあえず書いてみること」
「短くてもいいから、なにかを書くこと」
そう、詩は、簡潔さこそ命なのだ。

 爆裂する路上性交!
 温順おまわり、私の絶頂する身体にさわるな
 これは、温順詩人の悲愴なのだ。*1

そうなんだ。
悲愴でも、思想でも、歯槽でも、
まずは最初の言葉を探すことだ。
なんでもいいから、ひとつ言葉を書いてみよ。

「萬犬、虚に吠ゆ」

そうそう、いいぞ、ワンワン、なかなかいいぞ。

そして、次へ行く。
何がなんでも、次へ行くんだ。

おや、傍から誰かが、おらっちにアドバイスしてくれているようだ。
おらっちの好きな詩人、ブコウスキー選手みたいだ。

 次の1行は常に待ち受けていて、
 その1行こそ遂に何かを見つけだし、
 遂に言いたいことを言っている1行となるかもしれないのだ。*2

そうだ。次の1行を探せ!

おらっちの、次の1行。
おらっちの、次の1歩。
おらっちの、真っ白白な未来。

 
 

 *1 鈴木志郎康「爆裂するタイガー処女キイ子ちゃん」より
 *2 チャールズ・ブコウスキー著・中川五郎訳「死をポケットに入れて」より

 

 

 

家族の肖像~親子の対話 その61

 

佐々木 眞

 
 

 

ボクは、平均台好きですお。
そうなんだ。

わたしはユーちゃんです。
こんにちは、ユーちゃん。
ユーちゃん、中学3年生ですお。
4月からね。

「おべんとうをたべよう。みんなでたべよう。ぼくとケンちゃんとおかあさんとおべんとうをたべよう」
それ、なに?
「おべんとうの歌」だお。

自己責任って、なに?
自分で自分に責任を持つことよ。

分断って、なに?
お互いに切り離されることよ。
ブンダン、ブンダン、ブンダン

お父さん、元気ってなに?
ガッツです。
ガッツ、ガッツ、ぼく元気になりました。

コウといろんなとこへ行ったね。あのときコウ君と会えたね。あれどこだっけ。
相模原で。
そうだったねえ。

コウ君といろんなことあったね。コウくんのお陰で楽しい人生だった。ありがとお!

お母さん、タイムアウトは?
時間切れよ。

それっきりって、なに?
♪それっきり、それっきり、よ。

お父さん、攻めちゃ駄目?
駄目だよ。攻めちゃ。

さよなら、バイバイのことでしょ?
そうだね。

お母さん、大町通ってください。
トトトトの信号の方から行ってみようか?
い、嫌ですお。

どうしようもない、って、なに?
どうしようもないこことよ。

ぼく「ダイアリー」好きだお。
そうなんだ。

さきほど、って、なに?
さっきよ。

-―ラジオを聴きながら
ぼく、ライディーン、好きですお。
え、YМOの「ライディーン」?
ぼく、ライディーン、好きですお。
そうなんだ。

トシヒコちゃん、おにいちゃん?
そうだよ、ヒロユキ君のおにいちゃんだよ。

お父さん、「コノヤロウ」って言ってもいい?
言っちゃ駄目だよ。

スピード出すと、危ないよね。
そうだね、危ないね。

お母さん、東急、変わったでしょ?
変わったね。

ユウチャン、生徒会長でしょ?
そうだよ。
中学で?
そうよ。

横須賀、チエ先生、住んでるとこでしょう?
そうだね。

鎌養の生徒会長は誰だった?
そ、そんなこと言わないで。

相模線の八王子行き、なくなったのよ。
え、そうなの?
橋本行になったのよ。
そうなんだ。じゃあ八王子まで行くにはどうすればいいの?
橋本で乗り換えですお。
そうなんだあ。

「ヨムヨム」無くなりましたよ。
「ヨムヨム」って、なに?
桜が丘の本屋さんだお。
そうだねえ、なくなっちゃったね。

第2小学校、好きだったんですお。
そうなんだ。

走れ、コータロー!

スイカズラ、好きですお。
スイカズラ、いま花が咲いてるよ。

コウ君、この葉っぱは、なんですか?
オオバギボウシですお。
あったりィ。

ぼくは、スズキエミコとフクモトリコ、両方好きですお。
分かったよ。

ツッツッツ、去年から鳴っちゃたんですお。
そうなんですか。
ツッツッツ、好きなんですお。
ほんとかな?

あした、セイユウ行きますお。
行こうね。

ままならない、って、なに?
思い通りにならないことよ。

どうにもこうにも、って、なに?
どうしようもない、よ。

販売会、どういうお仕事?
むかし、ふきのとう舎で陶器なんかを売ってたのよ。

ロマンて、なに?
夢と希望だよ。
コウ君、ロマンある?
ないよ。

ぼく、クレソン好きですお。
お母さんも。クレソン食べようか?
いやですお。

コウ君、今日は3人でどこ行くの?
図書館行ってえ、それからセイユー行きますお。
分かりましたあ。

ぼく、スズキさん好きですお。
そう。スズキさん、なんておっしゃったの?
分かりませんお。

ぼくはザルソバ好きですよ。
そう、じゃあ今夜食べましょう。

お父さん、わたしはエモトアキラです。
こんにちは、エモトアキラさん。

今日は父の日ですよ。コウ君、どうしますか?
お父さん、ありがとう!
コウ君、どうもありがとう。

いきなり、って、なに?
突然、だよ。

最後を飾った、って、なに?
かっこよく終ることだよ。

転院先、他の病院に移ること?
そうだね。

下らない、って、なに?
面白くない、さ。

ぼく「生きてふたたび」見ますお。
みてね。

手術、麻酔でしょ?
そうだね。

ぼく、セイユー行ってえ、ハス買いますお。
買おうね。

 

 

 

家族の肖像~親子の対話 その60

 

佐々木 眞

 
 

 

「あけましておめでとうございます!」言いましたよ。
おめでとうコウ君。

車体構造って、なに?
社会構造?
車体構造だお。
なんか難しいことを聞くねえ。

目黒駅構内って、なに?
目黒駅の中、のことよ。

いとしいって、なに?
かわいくて心に響くことよ。

なんで泣いてるの?
結婚しようと思ってたら、騙されちゃったんだって。

ぼく、連佛さんの声、好きですお。
お母さんもよ。

お母さん、おみそれって、なに?
おみそれして申し訳ありませんでしたあ。

お母さん、ぼく「新参者」好きですお。
そう、お母さんもよ。

受け止めるって、なに?
それはね、受け止めることよ。

局地的って、なに?
その地方だけ、ってことだよ。

ぼく、ファミリーマートで雨宿りしましたよ。
そうなんだ。良かったね。

マコトさん、のぞみ幼稚園、金曜日までなんですよ。
のぞみ幼稚園って、浦和の?
そうですお。

お母さん、ごはん食べよ。
はい、食べましょうね。

お母さん、エイエイオーは?
頑張ろう、よ。
エイエイオー! エイエイオー! エイエイオー!

お母さん、お茶と緑茶入れてくださいね。
分かりましたあ。

お母さん、大工さんいつ来るの?
金曜日の午前中だって。
分かりましたあ。

ぼく、逗子のau行きますお。
大丈夫? 我慢できる?
できますお!

コウ君、これからどうするの?
ぼく、お昼寝します。

鬼は外おおおお! 福は内いいいい! ぼく、言いましたよ。

速度おとすって、ゆっくり走ることでしょう?
そうだよ。

速度おとそうね。
そうね。
ゆっくり走ろうね。
そうだね。

オオヤさん、辞めるんだって。
ぼく、寂しいけど、頑張りますよ。
頑張ってね。

「お世話になりました」って書いてあったよ。
そう、良かったね。

ぼく、オオヤさんに、お手紙書きますお。
そう、書いてね。

実は、って、なに?
本当は、よ。

非常に、って、なに?
とっても、よ。

お父さん、爆発の英語は?
エクスプロージョンだよ。
なに?
バーン!、だよ。
バーン!!!

お父さん、気をつかう、って、なに?
それはね、つまり、気をつかう、ってことよ。

もしもし、お父さんだよ。
お母さんに代わって。
はいはい。

オオヤさん、新天地に行くんだってよ。新天地って、なに?
そうねえ、きっといいとこよ。

オオヤさん、ぼくは、握手しますお。
そうしてね。

オオヤさん、広末涼子に似てますお。
そうねえ、ちょっと似てるね。

ぼく、オウチ帰ったら、セイユー行きますお。
行こうね。

「お願いします」って、頼むこと?
そうだよ。

無くなるの、廃車?
そだね。

私はブロッケンジュニアなんです。ブロッケンジュニア好きだよ。
そうなんだ。

障害物って、なに?
邪魔なものよ。

ケンちゃん、「エール」みた?
みたと思うよ。

さつまいも、食べるものでしょう?
そうだよ。

極める、って、なに?
最後までいくことよ。

ヒライ先生、死んじゃったね。
そうね。

七面鳥、トリでしょう?
そうだよ。

年格好って、なに?
何歳くらいで、どんな体格をしてるか、だよ。

お母さん、おばあちゃんちで個展作ったでしょう?
そうねえ。

ところがって、なに?
そうだったけれど、よ。

たしなめるって、なに?
そんなことしないのよ、よ。

ミエコさんて、お母さん、ミエコさんでしょ?
そうよ。

ウクライナって、なに?
そういう国の名前よ。いまロシアから戦争を仕掛けられて困ってるのよ。
ぼく、戦争嫌ですお。
お母さんも。

シカゴは外国?
そう、アメリカよ。

お母さん、受け止めるって、なに?
ああそうだねって、認めてあげることよ。

ミーティングって、なに?
話し合いよ。

お母さん、おみそれって、なに?
「あらまあ、びっくり」、よ。

イグサ、「たたみ」でしょ?
そうだね。イグサで出来てるね。

ぼく「みんなの歌」好きですお。
お母さんも。
お父さんもだよ。

めった刺しって、なに?
めちゃくちゃに刺すことだよ。
めった刺し、嫌ですねえ。
嫌だねえ。

ぼく、名越のプール、好きでしたお。
お父さんも。あのプール、良かったね。

またオオヤさんに会える?
きっといつかどこかで会えるよ。

お買い得って、なに?
買って得することよ。

更生のこう、更にの更でしょう?
そうだね。

停電したためって、なに?
停電したから、よ。

ぼく2段ベッド好きですお。
そうなんだ。
上が好き?それとも下?
両方ですお。

とりあえず、「一応」のこと?
そうだね。

果てしなくって、なに?
どこまでもずーっと、よ。

お母さん、特別扱いしちゃだめでしょう?
そうねえ。

あした定期買いに行きますお。
行こうね。

私は壇ふみです。
こんにちは壇ふみさん・

金曜日、お赤飯と豚汁にしてくださいね!
分かりましたあ!

今日コンスープとシャケご飯にしてね、お母さん。
分かりましたあ。

人間同士って、なに?
人間、みんなお友達よ。

 

 

 

「夢は第二の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」第98回

 

佐々木 眞

 
 

 
 

西暦2022年蝶人酔生夢死幾百夜

西暦2022年弥生蝶人酔生夢死幾百夜

 

ローマの山奥から切り出した大理石に身を包み、長期休暇を取っていた鉄人28号は、飛び立ち、遠路はるばる激戦続くウクライナの先にあるモスククワのクレムリン宮殿でふんぞりかえる怪人プーチンを目指した。3/1

コバヤシ散髪屋の鏡に映っているその顔は、おらっちに非常によく似ていたが、コバヤシさんは、もうとっくの昔にあの世に行ってしまっているおらっちの髪を、懸命に刈りこんでいるのだった。3/2

新幹線の中で、自閉症を持つ母親がいたが、自閉症を持つ母親が育てた子供だから、きっといい子にちがいないと、おらっちは思ったずら。3/3

そのお見合い会社には、元スッチーとか美人の気象予報士などがいっぱいいたけれど、なんせ高嶺の花なので、誰もおいそれとは近づけず、実のところ一番人気は、総務のお茶出しの女の子だった。3/4

地球環境の悪化で、我々が火星に大移動してから数世紀経ったが、そこも居住に堪えられなくなってきたので、今度は、金星に移住する計画が進められているよーだ。3/5

ともかく、これまで死ぬほど長い旅をしてきたので、もはや、いつどこで死んでも構わない、という、悟りのような、諦めの心境に、おらっち到達していたのだった。3/6

最新ナガタ式パターンに拠る秋冬物婦人服のシルエットは、案に相違して非常に評判が悪く、東西営業部からの受注がまったく入らなかったのよ。3/7

1年に3回だけ打ち出の小槌を使って、自分が思う通りの情況に造り直すことが出来るので、本来なら家族の安寧と福祉のために揮うべきものを、3回まとめてプーチンの頭上に振り下ろしたのだが、奴さん、微動だにしなかったずら。3/8

専制君主の圧制に堪りかねて、山奥の地下の洞穴に逃げこんでいる最低人からも税金を取り立てるのが、おらっちの仕事だったが、内心の苦悩を、誰も知ってはくれなかったよ。3/9

息子が「アプリって知ってる?」と聞くので、「サプリの親戚だろう」と答えたら、呆れたボーイズの顔になったので、もしかしておらっちは、間違え小路でさ迷っている老人なのではないか、という気がしてきたずら。3/10

パイロットのおらっちは、羽田発関空行きのヒコーキを、途中の富士山上空でクルリと一回転させたために、地上勤務に降格されたが、その後乗客たちから、大勢の支援者が現れたので、また元の勤務に返り咲いて、毎日クルリ、クルリをやっているのさ。3/11

NYの一流商社には、エリート組と非エリート組があって、前者が退社するのを待って、後者が退けるんだが、おらっちは、いつも後者の先頭を切って退社して、我が家で楽しく団欒していた。3/12

ウクライナの国旗は、青黄の補色の2色からなっていて、青が青空、黄色が麦を象徴していると聞いていたんだがあ、青ではなくて紫がかった蒼でないと正しい補色にならないので、その間隙をプーチンに衝かれたのだろう。3/13

「怪人プーチンのような人物は、悪魔があっという間に悪しき心を植え付けてしまった所産だから、人間にはどうしようもない。ある日ある時、気まぐれな神様が、その悪心を取り除いて呉れる瞬間が訪れるまではね」と、か弱い天使が言うた。3/14

独逸からやって来たある女性と、何回か話しているうちに、そのモリジアニ風の、ちょっと歪な青白い目に、だんだん魅入られてきて、いつしか、忘れがたい人になってしまって、いるのだった。3/15

殆ど暗闇に近いその試写室の入口の廊下に置かれた長いソファーには、かなり大勢の人々が身じろぎひとつしないで座っていたが、その横顔をちらちら盗み見しているうちに、彼らは物故した著名な映画関係者であることが分かってきた。3/16

いくら勘定しても、採算なんか絶対に取れないと決まっているのに、なぜかおらっちは、その乾物屋を出店してしまったのよ。3/17

チーム最高経営会議の議長を務めていたおらっちは、連敗に意気消沈する選手たちを激励しようと、みずからバットを振るって三塁打を放ったが、後続の誰も、おらっちを本塁に迎え入れることは出来なかった。3/18

沢山の馬が馬小屋に繋がれているが、みな立ったままなので、「君たち、立ったままだと疲れるだろう。誰も見ていないから、座りなさい。その方が楽だろう」と言うたのだが、どいつも座ろうとはしなかった。3/19

戦争が終わって、また平和が蘇って来たが、世界観光業で首位を争う2社の競争は、ますます激しくなるばかりだった。3/20

心臓発作でベッドに寝ているタダさんを見舞ったら、「僕は昔から右翼と左翼の両方から付け狙われていたから、いまここで心臓麻痺で死んでも、全然苦にならないよ」と明るく語るのだった。3/21

おらっち、鎌倉時代の鎌倉にいるのだが、零落した御家人の家来たちが、由比ヶ浜の海岸で蓆を敷いて、下人たちが主宰する博打に参加して、たちまちすってんてんになっていく哀れなさまを見物しているところ。3/22

おらっち、「この巨大な鋼鉄マスクをしていれば、コロナどころか、ミサイルだって怖くない」と、思うようになっていたのよ。3/23

私はバーンスタインだが、カーネギーホールでブラームスの第1ピアノ協奏曲をやった時、生意気なグールドが、「うんと遅いテンポでお願いします」というたので、仕方なく聴衆への注釈つきで劇伴したんだが、演奏しているうちに、「なんだ、このテンポでいいじゃないか」と思えてきたのよ。3/24

わいらあ、ウクライナのキエフを脱出して、ポーランドを目指して歩いていたら、耳に繋いだラジオから「本日の鎌倉のコロナ感染者は20名です」という放送が聞こえてきたずら。3/25

イマナカさんが、長らく会社に勤めて地味なリーマン生活を続けながら、出版社を経営し、いろんな趣味の本を世に送って来たとは、夢にも思わなかったので、今夜の夢に、それが出てきたことは、ちょっとした驚きでした。3/26

内戦が激化して、都心部であんのんと暮せなくなった民草らは、爆撃を受けて半ば廃墟と化したこの工業地帯にやってきて、警察の手入れに警戒しながら、思い思いの個室にぐったりと身を委ね、暗欝な気分になると、真ん中の寄り合い所に集まって、平時の折りの四方山話に耽るのだった。3/26

何事も中途半端にしかやってこなかったおらっちなので、いざ戦になると、構えはしたものの、敵兵が突撃してくると、手に持った刀などは明後日の方角に放り投げて、すたこらささと逃げ出したずら。3/27

ヘリから降りたったマリウポリは美しく清潔な街だった。30度の二股に別れた無人の大通りは、白い舗道に紅殻色で統一されたまるで泰西名画のような調和と静謐な美で飾られ、さながら地上の楽園のように思われた。3/28

3人でマリウポリに1泊して翌朝、外に出ようとしたおらっちは、先に大通りに出た同僚の2人が、ロシア人の銃撃で斃れたのをみて、慌てて地下室へ逆戻りした。3/29

おらっちのゼミの最優等生のA子がおらっちの最終授業の後でやって来て、「せんせい、あたしようやく卒業できたから、今度は就職しようと思うんだけど、どこかいい会社をご存知ですか?」と言うので、びっくらこいたよ。

黒鍵を苦手とするそのピアニストは、その苦手を克服するために、あえて演奏会プログラムの冒頭を、ショパンの「黒鍵のエチュード」、アンコールを、「黒猫のタンゴ」にしていた。3/31

 
 

西暦2022年卯月蝶人酔生夢死幾百夜

 

巨大なシンクタンクでは、独創的なクリエーターが自由奔放なアイデアをあたりに撒き散らしていたが、それらをちゃんとビジネスに結びつける仕事は、おらっちにしかできなかったのよ。4/1

「社長繁盛記」の撮影現場に行ったら、予期に反して、役者も、監督も、端倪すべからざる人物ばかりだったので、驚いたずら。4/2

さる有力人物の葬儀に赴いたら、いきなり親族席に案内され、司会者がお城の二の丸とかレナウンの女子寮がとか、気になる挨拶をしているので、「これはどなたの葬式ですか?」と訊ねたら、変な顔をされた。4/3

ヨコタカで3枚の黒のジーンズを買うたのだが、社員寮には白のジーンズしか残っていないので、もしかするとヨコタカでは、黒を2枚、白を1枚買うておったのかもしれないずら。4/4

美学校の隣にある詩学校を窓から覗いてみたら、おらっちの幼年時代の詩「てらこの下駄」を生真面目に朗読していたので、「おいおい、そんな下らない詩を取り上げたら、頭がおかしくなるぞ」と、警告したのよ。4/5

戦場を激しく飛び交う広報部長のヘリに、必死で追いつこうとする広報次長ノエリだったが、地上の兵士が発射した、最新型のミサイルで、両機ともあっさり撃墜されてしまった。4/6

おらっちが社員寮でパンツを紛失したことが、寮長の掲示で全員に知れ渡ったのだが、パンツには、大いなる沁みが付着しているので、おらっちは、そいつが永久に出てこないことを必死で祈った。4/7

社の編集局長の平出が、「シニア向け新文化雑誌の編集長に、ベテランの山田を起用するつもりだが、どうだね?」とおらっちに訊ねたので、「あんな男に何か出来る。他にも人材がいるでしょう」と返答したのだが、案に相違して山田がベストセラーを連発したので、おらっち恥ずかしくなって退社したずら。4/8

身ひとつで悪人どもの巣窟に飛び込んで、海千山千の彼奴等の間を巧みに泳ぎ回る彼を見ていると、おらっちもぐあんばらなくッちゃ、という気持ちになっていくのだった。4/9

久し振りに、郷里の実家に帰って寛いでいると、離れで、きょうだい2人が、ひそひそ話をしているので、耳を澄ませて聞いていると、どうやら、おらっちの噂話をしているようだ。4/10

電通のヨシタケさん似のリーダーが、世間には、「モノを売るビジネス」と、「コトを売るビジネス」に加えて「シアワセを売るという第3のビジネス」があるのです。と言うたので、思わずおらっちは、「おいらは街のシアワセ売りよ」てふ唄を歌ったのよ。4/11

おらっちはずっと家にいて仕事をしていたのだが、いつの間にかケータイが無くなっているので、家じゅう捜索したのだが、やっぱり出てこないので、「きっとあいつは、我が家が嫌になって家出をしたんだろう」と、思ったのだった。4/12

「全日本富士山登山会」が、今年も全国から登山者を募集したのだが、コロナの大流行が仇となって、結局企画自体がポシャッてしまった、と、これはサイトウ会長のお話でした。4/13

当地でも内戦が勃発し、13番線が大混雑なので、急遽14番線からの発着に切り替えることになったので、我々駅員はその準備に大童だった。4/14

おらっちは、ミラノ行きのヒコーキのドアが閉まるのを、片足を入れて引きとめていた。というのも、これに乗り遅れると、今日中にベルギーに入れなくなるからだった。4/15

いよいよ戦争も酣になって来たせいか、タワマン毎に、外装を、自分たちが応援する国の国旗の色に塗り替えて、おのおの政治的なメッセージを発信するようになったみたい。4/16

聖徳太子が7人と話をしていたので、傍で聞いていたが、7人と一度に話をするのではなく、1人ずつの話を、極超高速ミサイルのような猛烈な勢いで片づけていくのだった。4/17

北方領土出身アーチストの彼女の今回の個展のテーマは「色丹島」で、真夏の草原に咲く橙色の、名も知れぬ花々の絵の、105通りのヴァリエーションが展示されていた。4/18

全米1のスケールを誇るニッポン村には、もはや本国では見られなくなった古式豊かな神社仏閣や木造住宅が、整然と立ち並んでいるので、世界中、とりわけ日本からの観光客が、群れをなして押しかけるのだった。4/19

NY帰りのチンケなねえちゃんが、こましゃくれた発言をするので、ぶっとばしてやったずら。4/20

余は、一介の観光客として訪れたその町で、日一日と、単なる路傍の生活者、へと変身していった。これすなわち、乞食になったのであーる。4/21

元のキャンパスがあった交差点に、30年ぶりに同級生が自転車に乗って集まり、再会をともに喜びあったのだが、なんと10人のうち2組の4人が、カップルになっていたので、いささか驚いたずら。4/22

ある学生が企画した「売春買春ツアー」がヒットしているようだ。これはやりたい人、やられたい人、そのどちらでもない人、の3つのグループに属しつつ、いいろいろ楽しんだり、楽しまなかったりする、2泊3日のパックらしい。4/23

見わたす限り地平線の彼方まで広がる草原に、たった一人煙草を吸うているオッサンがおるので、その顔をよーく眺めたら、なんと、カモカのおっちゃんだった。4/24

いよいよ町に敵の武装赤色電車が乗り込んできたのだが、たった2両編成で、誰も乗っていないので、どうしたらよいか、みんな戸惑っている。4/25

六本木の日本フォノグラムで開かれているバザール会場に入ると、ジェームズ・レヴァインのミュンヘン、ボストン時代の録音も含めた膨大な全演奏記録のCDとDVD全集が2万円で販売されていたのだが、1万円しか持ち合せが無く、泣く泣く諦めた。4/26

始発駅から1万5千円を使って特等席に乗ると、隣の座席に、見事な栗が鈴なりの栗の木の枝が置いてあったので、その実を食べながら、おらっちは家に帰ったのよ。4/27

まだ<キャシャレル>というブランドは存続しているんだが、「これまでに企画製造した製品は、ぜんぶ販売し終っているのだ」と、イデっちが言うんだが、それってホントだろうか?4/28

案の定、辞世の句を詠むことになってしまったが、余りにも急すぎるので「どの道も ローマヘ通じる この道を行く」しか頭に浮かばない。季語がないのが気になって仕方が無いが、どうやら時間切れのようだ。4/29

1の兵が最強の兵かと思っていたら、案に相違して鎧袖一触で敵に惨敗してしまった。2の兵、3の兵と次々に敗れ去ってしまったのだが、最後に登場した10の兵が意外にしぶとく、大逆転で敵の侵攻を止めて押し返した。4/30

雨が降ると、おらっちは、いつも大学病院の精神科の地下壕に、自転車を隠しておくように、なっていたのよ。4/30

 
 

西暦2022年皐月蝶人酔生夢死幾百夜

 

いつの間にか我が国も、ロシア並みの専制国家に成り下がっていたので、全国民がどんな書類にでも、「プーチン」とサインするようになってしまった。5/1

「瀕死の詩人たちには、半地下の4畳半に入ってもらうことにする」と、政府が決めたそうだ。5/1

朝から晩まで別の噺をしようと思っていたのだが、ストックがすぐに尽きてしまったので、おなじ噺をちょっとだけ変えて、延々と語る羽目に陥ったが、考えてみれば、これは落語とおんなじだな、と気づいたので、一安心したずら。5/2

モンゴル語学校で最優秀のA君は、確かに語学の天才だったが、余り人望はなく、人々は、成績はナンバー2だが、人間味のあるのB君になついたのよ。5/3

千の天使がバスケットボールをしているので、さっきから呆然と見惚れているのだが、これってもしかすると、中原中也の詩の中の世界ではなかろうか?5/4

暫く前から英国オックスフォード大学に留学していたA君だったが、試験の時にカンニングしたのがばれて、退学処分を受けたのだが、それが本国に伝わらないよう、なんとか内緒にしてくれと頼んで、ようやっと認められたようだ。5/5

朝会社に行くため、かみさんと並んでバスで座っていたら、元パリコレモデルの長身の女が2人の間に割りこんできたので、仕方なく席を立って座らせてやったのだが、朝飯を喰っていなかったので、バス停の前にある一膳飯屋に入って朝定食を頼んだら肉じゃがだったので、それを喰い終わったが、飯もみそ汁も出てこないので、文句を言うたりしている間に、バスは出ていったずら。5/6

「ほなら、これはどうですか?」と言いながら、フルカワが持ち出した不動産は、たった5万円の日比谷公園位の広さの象の親子付きの庭付き10LDK平屋住宅だったが、あいにくケニアの物件だったので、涙を呑んで見送ったのよ。5/7

「諸君、テッテ的に語り合おうじゃないか!」と松田世紀夫クンが言うたが、またか、という顔をしただけで、誰も返事をしなかった。5//8

「月見町で恒例の詩吟会をやるから、一度顔を出しなさい」と言われたのだが、断った。それは第1に、おらっちは詩人ではなく、ただの人だから。第2に、そのテーマが「見渡す限りの春の夜」という奇妙な題名だったからだ。5/9

散歩していたら、俄か雨が降ってきたので、雨宿りしようと思って、急いで分厚い本の中に飛び込んだら、やたら余白が多くて文字数が少ない詩集だったので、だいぶ雨に濡れてしまったのよ。5/10

もののはずみで、人を殺めてしまったおらっちだったが、なんとか無罪放免してもらおうと、家族は町内の人々に嘆願の奉加帳を回覧したそうだが、なんとなんと末の妹が署名していないことが判明したので、おらっちは衝撃を受けた。5/11

パターソンの町をぶらついていたおらっちだったが、「そうだ、今宵のライブに出演する会場の下見をしておこう」と向かったがまだ準備ができていなかったので、さらにあちこちほっつき歩いているうちに小便をしたくなったが、トイレが無いのでさらにさ迷っているうちに迷子になってしまった。5/12

ひともうらやむほどの功なり名を遂げたセイさんが、糟糠の細君と莫大な資産を弊履のように投げ捨てて、無名の乙女と山谷の木賃宿に潜入したとの報に接した時、余は、干天の慈雨を浴びた如き一服の清涼感を覚えたのであった。5/13

「夕方になったら帰ってきてね」と彼女は言うたのだが、いくら街で暇つぶしをしてもカンカン照りで夕暮れにならないので、仕方なくおらっちが家に戻ると、1羽の鶴が機を織っていた。5/14

2022年5月15日、一介のリーマンのおらっちは、往来で1匹のウスバカゲロウを呑みこんでしまったのよ。5/15

おらっちは高嶺の花の彼女を攻略するために、彼女の親友のスタイリストのイヌバシリ嬢を籠絡して、彼女の愛犬のブルドッグが♀なので、それとつがわせる♂を持ちこんで、お見合いさせる機会に、彼女とお近づきになろうと計画したのよ。5/16

おらっち超満員のバスに飛び乗ったんだが、外に押し出されてしまい、かろうじて手すりに捉まったままバスに引きずられるようにして、次のバス停まで走っていったのだが、死ぬかと思ったずら。5/16

本日は午前中に2本の発表を聞かされるのだが、それが嫌で日本橋方面をぶらついているうちに昼になったのでウナギのまむしを喰うたら少し元気になった。午後からはおらっちの発表だから急いで戻ると、おまんた学会は案の定大騒ぎになっていた。5/17

明治時代に来日した御雇外国人の建築家のなかでも、その男はユニークで、建造物の周りを、白い鳥で装飾するという、不思議な白鳥様式を、得意にしていた。5/18

この国に留学生としてやって来て、この牧師館の厄介になっていたおらっちだが、もうひとりの同胞が時々台所から食料を盗んでいることを知って、激しく憎んだ。5/19

「東京大阪名古屋福岡のマンションを比べると、名古屋のそれがいちばん隣の部屋との壁が薄い」という人物がいたが、おらっちは生まれてこのかた、マンションなんかに住んだこともないので、嘘かほんとかてんで分からんずら。5/20

奈翁の末裔だというので、いくたびも彼の容貌やら身体的特徴を精査してみたのだが、結局、その片鱗さえも確認することが出来なかったずら。5/21

その草っぱらで野球をやる時にどうするかと言うと、おもむろに地下からベースが浮上してきて塁を構成し、試合が終わると、元のように沈んでいくのだった。5/22

リーマン時代の会社の仲間から誘われて、場末の居酒屋にやってきたおらっちだったが、大嫌いな煙草の煙がモウモウと漂う汚らわしさに辟易して、すたこらさっさと逃げ出したのよ。5/23

ふと眼を上げるとそこにはヒラツカ氏がいて、「君に初めて会ったのは、確か2008年の4月だったな」と言うたので、ああそうだったのか、でも良く覚えている人だな、とその時思ったのだった。5/24

私の部下たちは、私が指導者としては無能で失格であることを知っていたので、毎朝会社の始業時間の前に運動場を全力で走って気合いを入れていることを知って、もうしわけない思いでいっぱいだった。5/25

米中露朝などの先制攻撃ロボ開発競争にあって、今年の世界ロボット大会の話題をさらったのは、専守防衛機能に特化された我が国の最新型のヒューマンロボコップだった。5/26

久し振りに夜の繁華街に出たら、ホテルでなんたら記念の祝賀会をやっていたので、なんなく紛れ込んで、たらふく飲んだり、ごちそうを頂戴したりしてしまった。5/27

突如ロシアとの戦争が始まったので、環境問題NPOから指名された私は、戦艦に乗って北方領土の自然環境についての、命知らずのリサーチをすることになった。5/28

悪魔島のまわりの海の中には、数多くの潮流が川のように流れているので、その水流の動向を熟知していないと、一人前の漁師にはなれなかった。5/29

あれほど清潔だった工場なのに、稼働して半年も経たないうちに、トイレから流れ出た小便やウンコが、フロア全体に垂れ流しになって、二目と見られぬ醜く臭い光景と化していた。5/30

生まれて初めて仲人を頼まれた私は、山の上ホテルに双方の家族を招いて、会食することにした。定時に全員が集まったので、私は立ち上がって、彼らを紹介しようとしたのだが、なんということか、いくら頭をひねっても、彼らの名前が出てこないので、弁慶のように立ち往生してしまった。5/31