ハイタッチ ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! Part2 023     chizuko さんへ

さとう三千魚

 
 

忘れていた

片隅に
いた

咲いていた

わたしのすみれ
手を触れていた

一瞬の
指先の

忘れない
忘れないわ

 

***memo.

2025年12月13日(土)、
静岡市健康文化交流館「来・て・こ」の「き・て・こ祭」で実施した、
“無一物野郎の詩、乃至 無詩!” 第45回、第2期 23個めの即詩です.

タイトル ” ハイタッチ ”
好きな花 ” すみれ ”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life;

ヘルパーの鈴木さん

 

村岡由梨

 
 

村岡由梨さんへ
私は、あなたの本名です。
結婚して、鈴木姓になりました。
従業員が5人しかいない訪問介護の会社を運営して生計を立てています。
映画を作ったり、詩を書くだけでは生活できません。
かと言って、私に会社を経営する才があるはずもなく、
会社は赤字続きです。
母に言われるがままに介護福祉士の資格を取りました。
「素晴らしい仕事ですね」と言ってくれる人たちもいます。
素晴らしい出会いもありました。
いつも「今日は空が綺麗よ」と教えてくれる方がいて、
二人で並んで座って空を見ることもありました。
職業に貴賤は無いということも、わかっています。
けれど、ごめんなさい。
介護の仕事に誇りを持つことが、できません。

今年の夏は特に辛かった。
大粒の汗を流しながら、利用者の御宅で風呂掃除をしていて、
排水口に便が転がっているのを見た時。
脱衣所にテラテラ光る大きなゴキブリを見た時。
声が出そうになるのを堪えて必死に掃除を続けました。
排泄介助の仕事を終え、
豪雨の中ポンチョを着て自転車で帰宅したら、
娘が丁度出かける所で、おしゃれをしていて、
びしょびしょになった自分を何だか恥ずかしく思いました。

映像作家で詩人の「村岡由梨」と、
ヘルパーの「鈴木由梨」が交差することは
ほとんどありません。
極々稀に両方の私たちを知る人もいますが、
同一人物だと、なかなか信じられないようです。

移動は基本的に自転車です。
削られた自尊心を埋めるように、
スマホで光を撮り集めます。

昼、夕方、夜の空。
太陽、月、金星。
行き帰りに通る陸橋から見える、車のヘッドライト。

カメラを向けていて、涙がこぼれる時もあります。

ある日、昼間のひどい暑さのせいで、
大きな葉っぱがカラカラになって落ちていて、
私は、わざとその上を自転車で通りました。
葉っぱがカサッと破れる音が聞きたくなったのです。
帰りにまた同じ葉っぱがあったので、
もう一度自転車で轢き殺しました。
カサッと良い音がして、葉はボロボロになりました。

辛い仕事から逃れるように、
ありふれた日常の中に転がっているポエジーを
取りこぼさんと毎日必死です。

「フライパンに油を引いて焼いてる茄子が汗をかいてる」
「縊死は意志による自死!」
「懐中時計がクチャクチャと何か食べてる」

 
行き先がわかっているのに、
自転車を違う方向へ走らせようとしている私。

私たちが本当に行きたいところは、どこなのでしょうか。

 

 

 

無限なるもの

 

辻 和人

 
 

まるまるっとした
コミヤミヤのおてて
には今
<無限なるもの>が握られていた
球体からチューブがまるまるっと飛び出した形の
タコみたいな火星人みたいな
知育玩具
触っても触っても
あとからあとから
まるまるっと
触手
飛び出してくる
限りがない
コミヤミヤの目とおてては真剣そのもの
触れば
まるまるっと逃げて
追っかけると
次の触手が
まるまるっと飛び出してくる
触る、追う、触る、追う
そうやって<無限なるもの>
はいつまでもいつまでも
コミヤミヤのおてての中に
まるまるっと
いる
目とおててが
連動することを覚えたんだね
でもって遊ぶってことは
<無限なるもの>を
まるまるっと
追っかける
っていうすばらしいことだったんだなあ

ぼくの腕の中には今
遊び疲れたコミヤミヤが
まるまるっと
いる
どこまで成長するかわからない
<無限なるもの>だ
ふわぁっとあくびして
もうすぐ寝るだろう
お休みなさい

 

 

 

眩暈

 

工藤冬里

 
 

絶唱になり得ぬフォーマットで
縦走する
Google earthの戸渡り
蜂の巣から犬を護るゲームで
転げ落ちる
たおやかな峰
「まっさかさまに落ちて、その身は真ん中から音を立てて張り裂け、その腸はみな注ぎ出されたのである。」
あしびきの
山廻りするぞ苦しき
Google earthの山姥は
ドーパミン中毒の損失を被る
元気になりたい

 

 

 

#poetry #rock musician

今の自分 ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! Part2 022     toshie さんへ

さとう三千魚

 
 

春の
庭に

いた

母も
父も

いた

ならんで
写真を

撮ってもらった
春の庭にいた

水仙の花
黄色い花

咲いていた
笑っていた

 

***memo.

2025年12月13日(土)、
静岡市健康文化交流館「来・て・こ」の「き・て・こ祭」で実施した、
“無一物野郎の詩、乃至 無詩!” 第45回、第2期 22個めの即詩です.

タイトル ” 今の自分 ”
好きな花 ” 水仙 ”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life;

 

村岡由梨

 
 

その日は、あまりにも悲しく辛いことが多過ぎた。
真っ暗な部屋でうずくまり、
細い身体を捩らせて声を上げて泣く花の姿を見て、
かける言葉も見つからずうなだれる、
機能不全の母親。私。
「パパは怒鳴るし、物に当たるし、
猫の首をへし折りそうって言うし、
ママは一緒に死のうって言う」
「何で私を産んだの」
「お願いだから私を殺してよ!!」
暗闇の中、花の大粒の涙が銀色に鈍く光るのを見た。

 

およそひと月前、私たちは幸せだった。
花と私、二人で新宿のジョナサンで
バナナパフェをシェアして食べたのだった。
花は細長いフォークで、私は細長いスプーンで。
一番最初に、さしてあるプリッツを1本ずつ食べた。
「プリッツおいしいね」
「うん」
「コーヒーゼリー、ちょっと苦いけどねぇ」
そう言いながら、笑っていた私たち。

ジョナサンを出て、
駅までブラブラ歩いた。
よく晴れた日だった。たくさんの若い人たちが行き交っていた。
私が「ママこの前、イキって
スタバでマンゴーのフラペチーノ頼んじゃったよ」
と言うと、花は笑って
「ママ抹茶苦手なんだっけ?スタバでは
『抹茶クリームフラペチーノのホワイトモカシロップ変更』
がおすすめだよ」
と言うので、私は笑って言った。
「それ、詩に書きたいから送ってよ」
すぐに花がLINEで送ってくれた。

『抹茶クリームフラペチーノのホワイトモカシロップ変更』

家では、残っている時間を惜しむように寄り添いあって、
何本も映画を観た。
ハッピーエンドの映画を観て、
花は、目を拭っていた。
「ハッピーエンドの映画だけ、観ていたいよね」
そう私が言うと、
花は小さく「うん」と頷いた。

それからおよそひと月ほど経って、
花がひとり、死のうとした。
身に覚えのある痛みだった。苦しみだった。
でも私は、もはや10代の少女ではないのだ。
母親なのだ。
怒ればいいのか。泣けばいいのか。
わからなかった。
わからなかったけれど、
ただ花を失うのがとてつもなく怖かった。

眠、私、野々歩さん
私たちが1階にいれば、花は2階へ行く。
私たちが2階へ行けば、花は1階へ行く。

それなのに花は、
帰宅時、家の鍵がかかっていると
ものすごく怒る。
まるで『家』が自分を拒絶していると感じるのか、
ものすごく怒る。

もうそろそろ『鍵』を渡す時なのか。
互いの不在を確かめ合う鍵を。
互いを『信じる』証として、銀色に鈍く光る鍵を。

 

『また一緒にパフェ食べようね』

そうメッセージを送ろうとして、
送れない私がいる。この期に及んで
傷つけたくないのか
傷つきたくないのか

 

野々歩さん「もうそろそろ自由にしてやれよ」

 

私「誰か私たちを優しく軌道修正して下さい」

 

花「勝手にセックスして、勝手に産んでんじゃねぇよ」

 

 

あの日、暗闇の中、花の大粒の涙が銀色に鈍く光るのを見た。
私、偽善者。

 

 

           (2025年10月 花17歳、私43歳)

 

2025年11月 花18歳、私44歳。

花がインフルエンザにかかって、今日までが外出自粛期間だった。
一昨日は、大きなイワシ団子と豆腐揚げ、生姜入りのさつま揚げと大根のおでんを作ったらおかわりをしてくれた。昨日は、眠と花と私で、アサイーボールをUberした。私は初めてのアサイーボール。花が「はちみつをいっぱいかけるとおいしいよ」と言うのでそうしてみたら、とてもおいしかった。高いから滅多に食べられないけれど、次はナッツ類を多めにしてみようと思う。明けて今日、花は「友達の家でクッキー作るんだ」と言って出かけて行った。帰ってきて、「ママこれ見て」と耳たぶを見せてくれた。先月の誕生日に、野々歩さんと私と眠からプレゼントしたピアスをしていた。ピアスの銀色の鈍い光が涙でぼやけた。

「うれしい」
「ありがとう」
私たちの空白にある厄介なドア
を隔てて交わされる、
ぎこちない言葉たち。
一人一人、鍵を手にして、
外界へ飛び立っていく。いつか
いつでも帰ってきていいんだよ、と
互いを信じて

「ハッピーエンドの映画だけ、観ていたいよね」

そう、自由に。
ただ、自由に。

 

 

 

隣人

 

廿楽順治

 
 

「わたし」はうりふたつになり
はらわたが
みな出てしまいました

空襲の夢です

「その住まいは荒れ果てよ
そこに住むものはいなくなれ」

炎のようなべろが分かれ
ひとりひとりの
逃げていく「わたし」の上にとどまり

どうして「わたし」たちは
めいめいのふるさとのことばを
ゆがんで聞くのでしょう

「あのひとたちは
新しいぶどう酒に酔っている」

隣人たちは
うりふたつで
出生をねじってつなげていくのです

どうして
口論は
こんなにもねむたいのでしょう

 

 

 

ミツイパブリッシング刊・長田典子著『錨氷』を読んで

 

佐々木 眞

 
 

 

題名の「錨氷」という言葉を知らなかったので、ネットの『ブリタニカ事典』で検索すると「びょうひょう」と読み、固着している氷のこと。「底氷」ともいうらしい。

しかし本書の終りの方に、作者自身による丁寧な説明があった。

「極寒に流れる川底の石に、氷の始まりである直経一ミリにも満たない円形の晶水が張り付き、錨氷となる。錨氷は朝日で剥がれて川の流れに乗り、やがて川は一面、厚い氷で覆われる」。(P137)

さて徐に本書をひも解いてみよう。

するといきなり「旅に出ろ。旅に出ろ。旅に。出ろ。」と“耳の奥から届いた声”に動かされ、作者は先住民アイヌの住む北の大地へと向かうのである。

唐突ながら、ここで私は、かの俳人、松尾芭蕉を思い出した。

生涯を旅に明け暮れる中で俳諧の道を究めようとした芭蕉が、道祖神に突き動かされるようにして『奥の細道』の旅に出たように、作者もまた地道に勤め上げた小学校の教師を突然辞め、50代半ばにしてNYで2年間の学校生活を体験し、帰国後暫くしてから、今度は大学の博士課程で新たな学びが始まる、というような生き方をする。*

それゆえ、ここだけの話だが、私は長田典子という詩人は、現代の松尾芭蕉ではないか、とひそかに思っているのである。

それはともかく、今回の旅で、作者は北の大地を目指す。
そしてその先住民であるアイヌと真正面から出会うのだ。

―アイヌは和人の言葉で「にんんげん」という意味で
「にんげん」はアイヌの言葉では「アイヌ」で
アイヌは「アイヌ」だ。(p39)

未知の旅に限りなく高揚する作者は、土の下から聞こえてくるアイヌの女性の語りに耳を傾けているうちに、いつしかアイヌの女性が自分の身体に入ってきたような感覚に襲われ、ヤマブドウ、エゾイチゴ、ハルニレ、オヒョウ、マリモ、ヒメマス、イトウ、カワシンジュ、それらすべての物語とひとつになる。

作者は、「広い大地を自由に移動し自然とともに生きた人々の物語」を口ずさみ(P89)、樺太アイヌの弦楽器トンコリを弾いたりもする。

そうして北海道の網走に生まれ育った『無知の涙』の著者にして元死刑囚の永山則夫、そして日本国籍がないのに日本兵として徴集され、シベリアで10年近く重労働を強いられた樺太生まれの北方少数ウィルタ民族の北川源太郎ことダーヒンニェニ・ゲンダーヌも俄かに呼び出され、作者の熱い、熱い抱擁に包まれる。

―「この血よ騒げ!
もっともっと騒げよ!
忘れるな
おれたちはウィルタだ!」(P126)

やがて熱量に満ちた極寒の地から地元に戻った作者は、故郷にそっくりの佇まいの福島県大沼郡昭和村を経て、ダムの底に深く沈んだ今は亡き懐かしい不津倉(ふづくら)集落へと舞い戻り、ル・クレジオのように「きっとわたしも先祖の顔や仕草を引き継いでいるに違いない」と呟いて、長い長い螺旋状の旅の終わりを静かに告げるのである。**

これは、詩とエッセイが渾然一体となって、新しい旅と、新しい自分、新しい世界との出会いをうながしてくれるような、そんな奇跡的な1冊である。

 

*長田典子著『ニューヨーク・ディグ・ダグ』(2019年、思潮社刊)第53回小熊秀雄賞受賞
**長田典子著『ふづくら幻影』(2021年、思潮社刊)

 

 

 

ミニマ・モラリア

 

工藤冬里

 
 

五時近く、寂れたモールの屋上に車を停め、フードコートに下ってみると、ゴーゴカレーやらナポリタンやらは軒並み終了していて、上りのエスカレーターで駐車場に戻り、層になったバラ色混じりの雲を眺めていると、昨日も同じことをしたのを思い出した。

左の三本指の画像の頃、王は人気のある職業ではなかった。neighbourhoodに仕えなればならなかったからだ。右の画像の時代になると指は五本になっている。

泡に当たっている者が隅に二人いるが歩いているのは自分だけで、無い屋根から夜空が眺められ、主浴の、どこか円空じみた角顔のビーナスから湯が流れ落ちていて、刺青OKらしく人は疎だが、炭酸泉から隣の電気風呂に移る時など失礼しますと互いに挨拶し合ったりして、脱衣場の床も濡れていないのだった。

隆二が他を差し置いて上々一締めを回してくれるというので有り難いが非道く咳き込むので明日取りに行けるか、これが最後の白土になるやもしれん、残りの土物やってその白轢いて人生終わりだ、小山の息子は南蛮とか父親のくすりを使い切ったか?おそらく。

抽象は最高の形態だけれどもストンとしたフラクタルの収まりを得るにはデッサンの修練が矢張り大事で、石膏とかではなく眼だけによるものでも勿論いいんだけれども、二次元に拘泥る場合にはやはり手と紙と鉛筆が必要だ。手帳を用意して島を描いてみなさい。

咳止めを飲んで寝ていると、昔ジュネとエフェドリンという曲を演っていたのを思い出した。

 

 

 

#poetry #rock musician

バイク ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! Part2 021     masazumi さんへ

さとう三千魚

 
 

雪の
とける

ころ
生まれた

雪の下では
水が流れていた

ピンクの
ガーベラを抱いて

ここまできた
バイクに跨り

ここまで
走ってきた

 

***memo.

2025年12月3日(水)、
FM K-MIXさんの依頼を受け書いた、
“無一物野郎の詩、乃至 無詩!” 第44回、第2期 21個めの即詩です.

12月10日、8時30分〜、電話インタビューが放送されます.
よろしければ、お聴きください.

タイトル ” バイク ”
好きな花 ” ガーベラ、ピンクの ”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life;