無一物野郎の詩、乃至 無詩! 66 mito さんへ
さとう三千魚
どこに
いるの
どこに
いったの
きみは
人称をなくした
時計まわりに
まわっていた
白い花
まわっていた
過ぎていった
まわっていた
***memo.
2024年2月4日(日)、
静岡「水曜文庫」にて、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」として作った66個めの詩です。
タイトル ”10人称”
好きな花 ”時計草”
#poetry #no poetry,no life
どこに
いるの
どこに
いったの
きみは
人称をなくした
時計まわりに
まわっていた
白い花
まわっていた
過ぎていった
まわっていた
***memo.
2024年2月4日(日)、
静岡「水曜文庫」にて、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」として作った66個めの詩です。
タイトル ”10人称”
好きな花 ”時計草”
#poetry #no poetry,no life
音が
なかった
たいらな
雪原の
うえには
青い空がいた
青いね
青いね
春になったら
梅の花が
咲くよ
青空のしたに
梅の花は咲くよ
***memo.
2024年2月4日(日)、
静岡「水曜文庫」にて、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」として作った65個めの詩です。
タイトル ”冬の青い空”
好きな花 ”梅の花”
#poetry #no poetry,no life
すべての願望は聞き入れられない
それは良いことだ
何一つ聞き入れられない
それは良いことだ
だから聞き入れられてはいけない
そう思うのは良いことだ
すべては聞かれてしまうから
そう思うのは良いことだ
聞かれないほうがいい
そう思うのは良いことだ
国を覆うバリヤーについて
地中の金本位制について
中国やイスラエルの武器の無力化について
偶像とデブリの分子化とU字塔について
淡水化について
シリカから生成する直方体の建造物について
記憶と奴隷化について
更地の果樹について
鍛冶屋と左官の移設について
石油由来の破棄について
麻糸製品について
銃口の内向きについて
告発と可視化される歴史サイトについて
学童の種取りとジャノヒゲの根の採取について
そしてすべての介入について
聞き入れられないのは
なんと善いことなのだろう
#poetry #rock musician
はじめて
会えた
きみと
会えた
ぐらり
回転したわ
あなたが
わたしで
わたしがあなた
清々しい匂いを嗅ぐ
血が騒ぐ
血を繋ぐ
忘れない
あなたの歌
忘れないよ
***memo.
2024年2月4日(日)、
静岡「水曜文庫」にて、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」として作った64個めの詩です。
タイトル ”出会い”
好きな花 ”金木犀”
#poetry #no poetry,no life
太陽がある
バス通りに沿って 5階建ての2号棟のベランダがある
数十個の 狭いベランダと 窓がある
竿があり 洗濯ばさみがあり ハンガーがある
洗濯物があり 布団がある
風に踊る
北風が強くベランダは北東に向いている
それでも 洗濯物があり 布団がある
ベランダごと
マットとか シャツとか 布巾とか パンツとか 靴下とか 何だかわからないものとかがある
たった1本の 油じみのついたズボンだけが干されている ベランダもある
太陽があるから
太陽があるから 干されている
太陽があるから 干さなくてはいけない
洗ったものを 湿ったものを 陽に当てないといけない
太陽に誘われて披瀝された いろんなサイズ いろんな形 いろんな用途の
吊るし方もさまざまの 布製品
みんなその家の 暮らしのもの 使われたもの また使おうとされてるもの
私は 陽に干された洗濯物を見るのが好き
太陽に向かう 干された布団を見るのが好き
団地の駐輪場には自転車がぎっしり並んでいる
駅から歩いて20分 近くに自慢できる何もなく 大きな会社もなく 店もほぼなく
町工場と しょぼい畑と ありきたりの一軒家と木造アパートと 汚い空家と
年季が入った2号棟が建つそんな場所を わざわざ訪れる人はない
このバス通りを 駅前のマンションに住む人が歩くことはない
世界中のほとんどの人が だから知らない
これら太陽に向かって光る 2号棟の洗濯物たちの眩しさを
敷地内に夏みかんの木があり 実っている
もがれないまま 鳥につつかれないまま 実っている
ベランダと塀の間のわずかなすき間に
鮮やかな黄色に たわわに 実っている
太陽があるから みかんもあった
1階の角部屋の窓が開いた
女の人が狭い狭いベランダに出 そこに干された自分より大きな布団に乗りかかるようにして 叩いている
大きな布団を 叩いている 大事だから 叩いている
太陽があるから 叩いている
(1月某日、奥戸2丁目、2号棟前で)
西暦2023年を総括する「現代詩手帖」の12月号を、ざっくり読んではみたけれど、どの作品のどの1行にもさしたる感銘を受けず、
それならむしろ谷川俊太郎翁が、今年の1月24日付朝日新聞の「どこからか言葉が」で書いている
意見は言わずに 詩を書きたい私です
書き続けるうちに意味に頼らない言葉が雪のように舞い降りてくる
の、「意味に頼らない言葉」の一語のほうが、よっぽどインパクトがあるんじゃないかなあ、と思った。
が、待てよ。
これまでおらっちの腹にガツンと来た、「意見や意味に頼る言葉」だってたくさんあったはず。
急遽そいつらを呼び出して、今宵の座興にしてみようじゃんか、と思いついた次第。
あえて出典は示さないので、お暇なときに探してみてくださいな。
*西暦2024年如月に贈る言葉10選
「われ、山に向かいて目を挙ぐ」
「舗道の下は浜辺」
「すべての武器が楽器になればいい」
「あヽ中央線よ 空を飛んで あの娘の胸に 突き刺され!」
「砦の上に我らが世界 築き固めよ勇ましく」
「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」
「中国に兵なりし日の五ケ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ」
「人世に意味を! 詩に無意味を!」
「かれは、人を喜ばせることが、なによりも好きであった」
「いかのぼりきのふの空のあり処」
削っても 削っても
皮の下から 流れ出るのは
赤い血でしかない
蛆虫どもの蔓延る
この闇夜で
わたしは 目を閉じて
魔性の声に 耳を澄ましていた
赤い血は とめどなく 流れ続けた
まるで マグマが吹き出すように
わたしの意識は 朦朧とし 混濁し始めた
浮かんでは沈む 言葉の海のなかに
溺れていた
そして 痛みとともに すべての記憶が
覚醒した
詩を
読みたいのか
詩を書きたいのか
詩に
会いたいのか
どう
なんだろう
猫のいる
本屋で
ひとと会っている
** この詩は、
2024年1月31日 水曜日に、書肆「猫に縁側」にて開催された「やさしい詩のつどい」第1回で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。
#poetry #no poetry,no life
能登半島地震では、家が潰れ、230人もの死者が出て、遭難者は寒さに凍え、
水や食物もなくて泣いているというのに、おらっちときたら、朝から晩まで、
コーヒーメーカーがコーヒーを抽出しない、と大騒ぎしていた。
ガザでは、悪辣非道なイスラエル軍が、おんなこどもを含むパレスチナ人を、
見境なしに殺しまくっているというのに、
おらっちは、昼ご飯をラーメンにするか、讃岐うどんにするかで、ごっつう悩んでいた。
ウクライナでは、怪僧プーチンが、おんなこどもを含むキーウ市民を、
ミサイルや無人機で、見境なしに殺しまくっているというのに、
おらっちは、川柳がうまくできないので、終日いらだっていた。
でも、
あっちは戦争、こっちは平和
あっちは地獄、こっちは天国
と、簡単には決められなくて、
戦火のさなかにいるひとが、かえって生き甲斐をかんじていたり
いっけん平和のなかにいるひとが、半分死んでいることだって、ありえるのよ。
でも、でも、
おらっちが悪いのか、そっちが悪いか、知らんけど
にんげんが悪いのか、神さんが悪いのか、知らんけど
いくさ、やめないか?
いくさ、もう、もう、やめないか?
いくさ、はよ、はよ、やめてけれ。
ああ、世界中の人々が願っているように、
すべての武器が楽器になればいい。
そうすればおらっち、もっと大きな声で、生きてる喜びなんかを、歌えるのに。
昨日
詩を
読んでいた
朝から
詩を
読んでいた
尾形亀之助を読んだ
鈴木志郎康さんと
清水哲男さん
松下育男さんを読んだ
亀之助は
“ガラスのよごれ” *
“二人は淋しい” *
と書いていた
“生きのびることが、” **
“生きのびることが、” **
と志郎康さんは
二度くりかえしていた
“暑いなあ” ***
と哲男さんは言っていた
“「助けてくれ」” ****
と育男さんは夢の中で二度叫んだ
どうなんだろう
わたしは夢の中で二度叫ぶだろうか
彼らは低い土地に佇っていた
詩を書いていた
きのうまで
“以無所得故” が *****
わからなかった
風が
吹いてきた
手紙をポストに入れる
* 尾形亀之助 詩集「美しい街」より引用しました
** 鈴木志郎康 詩「赤ちゃん」(浜風文庫掲載)より引用しました
・赤ちゃん
https://beachwind-lib.net/?p=21235
*** 清水哲男 詩集「換気扇の下の小さな椅子」より引用しました
**** 松下育男 詩集「コーヒーに砂糖は入れない」より引用しました
***** “以無所得故”は、般若心経の一節
#poetry #no poetry,no life