道 ケージ
へきそですね
そう言われても
で、どれくらい
わかりません
何をすれば
鶏頭は鶏頭として
その皺を抱えますね
そこの障子に映りますね
牛が
殺されながら
尻尾を振るでしょう
へきそだからです
その紐をですね
ほとけにむすんで
ぶらぶらさせると
よいと言われています
聖福寺
家庭線を引き延ばして
爪弾くことは
やめだらに
へきそですね
そう言われても
で、どれくらい
わかりません
何をすれば
鶏頭は鶏頭として
その皺を抱えますね
そこの障子に映りますね
牛が
殺されながら
尻尾を振るでしょう
へきそだからです
その紐をですね
ほとけにむすんで
ぶらぶらさせると
よいと言われています
聖福寺
家庭線を引き延ばして
爪弾くことは
やめだらに
僕は病気で、柱に触って流さなくてはいけなかったのですが、それはアーシングというやつだったのかもしれないと今思いました。
Aprovechen el tiempo de la mejor manera
https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1468000396589563910?s=20
真理は個性と同じく包括的なものではなく片寄ったものである
変化は突然に起こるのではない。突然が変化するだけなのだ。
左右は対立でも円環でもない。裏表がいつの間にか入れ替わり続ける線である。
敵は常に外部にはない。
教えられた言葉の枠組みの中では自分を説明することはできない。
19世紀前半に全ては出揃い、早々と擬似的な滅亡があり、そして通俗化した。
1914年が全てではない。それは準備され、それ以降はパッケージされた時間の、呼吸器を外すタイミングに過ぎない。
彎曲面に風が吹き、放電による規則正しい山脈が削り取られると、高さと深さが出現する。
教えられた1+1という数学を力学によって粉砕する小1は何を汚染しているのだろうか?
桑原隲蔵「考史遊記」に、起床のことを離褥、出発のことを発軔と書くのが堅くて良い。武夫はその息である。
日常の、非常に小さな差である
これは豊島の田んぼのケミカルな泥です
https://twitter.com/blackfaurest/status/1468192028978728967?s=20
「まだ生きている人々people who are left alive yet」の展示の中の、「白く塗りたる墓」のシリーズでやろうとしたことは、完全さの上に不完全さを乗せることでした。白い磁土の高台の上にわざと白く塗った弱い土を置いて「へたらせ」たのです。では、アースンウェアの土台の上にポースレインを乗せて焼いたらどうなるでしょうか?不完全さの上に完全さを乗せることになります。2つを並べることで、その視差がオントロジカルなものになります。
ではこの、磁器に施釉された豊島の泥の場合はどうなのでしょうか?ここでは、骨が、コスモスκόσμοςとしての飾り(コスメティックス)を纏うことになります。
名を呼ぶと反応するが、歌いながら呼んでも反応する、ということは音楽を聴いている、ということで、その時は、飼い主にしか分からないだろうが、笑っている。

自分のことであたまが一杯になっている人は夢を見ることになる
Amonesten a los desordenados, tengan gran paciencia para con todos
ゴグマの
星座の位置は徐々にというよりガクンと変わるように感じられる
常に三つの円環がある
農村にとってはフォークブームが諸悪の元凶だった
斑猫を見殺しにした
ポケットのない上着のように
デルモア・シュワルツの本は持っていた
救急車が月を行き来する
肥大化した揺籃
ゆよーんとはこのことだったのかと
コーポ・リーナから引っ越した足首
身体合併症
押忍!闇
おっす 闇 14.3%
押忍 闇 0%
オッス 闇 57.1%
おやすみ 28.6%
7 votes
Final results
肩痛い
三遊亭炎症
負ぶう片付けない許嫁のアルカイック飛行機
までデュシャン風鰓モーターの外を伝ってアーシングオールナイ
https://youtu.be/adu4_yzQjes
負ぶうが標準語だが仙台では負ぶるで活用する
Cada uno llevará su propia carga de responsabilidad
https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1469085936097308672?s=20
貝寄風(かいよせ)に乗りて帰郷す船疾し
明治は遠くなりにけりで有名な草田男の松前漁協前の句碑を発見
高校時分文芸部の原君が草田男は銀河に死せりと書いていたが未だによく分からない

伊予インター近くのみかさはダントツ一位の風格を備えている。パンクのリーダーが普通の格好だったりするのと一緒だ。
砂高台のシリーズ










https://youtu.be/lfZcsfowKgY
回復こそが敵であった、と書いてあります
映画祭は貧困トレンドから分断、そして分断からの居直りに変わっていく。ヌーボーの味も同じように地球の情況を反映して変化する。
ターナー賞も同じ軌道を 動いている
頓挫する絶対
それにしても言語神絶対変だよ
https://twitter.com/Kanginshuu/status/1218988820814692353?s=20
惑星がみっつ並んでいる
いや、金星が縦に3つ並んでいるだけだ
理由は2つ考えられる。空に膜が張られたか、僕の眼が縦に並んだかのどちらかだ。どちらの場合も数式を立てることは可能だ。それが科学というものだ。
それにしてもオリオンがノシイカのようにのさばってきている。
プログレとは全ての作業がオフィシャルだということ、それによってプライベートを救う。見ていてそんな感じがします。
@木に登りたがる?そりゃアーシングしてんだよ
木からなんかもらうんじゃなくて木に学校を流してるんだよ
smogがNFT反対というコメントを付けて音を売っているがひねりがない
そのひねりのなさが未満をドラッグする彼の閾値だ
それはそうと悉無律てかまどうまに似てるね
そして竈馬はいなくなったね
冬に咲く河之内の百日桜
バラ科だから2回咲いてもおかしくはないが目出度い気はする
厚塗りした画布をキャンバスごと切り断面を見せるというようなことは立体ではよく行われている
逆に湾曲面に色を塗ることもよく行われるがそれは骨から想定されなければならないので
ヘイメーン ボーントゥービーボーン
ヘイメーン ボーントゥービーボーン
とおじいさんの柱時計みたいなものになる
あざすと返事してもいいがそれをしないのは一昔前のネットを全くしない世代の矜持の平行移動からだからだろうからだろうか
教えられたトートロジー
ははは ははは ははは ははは はハ
死のう
カラカラ帝の大浴場
ははは ははは ははは ははは はハ
死のう
ヒットエンドラン
ヒットエンドラン
致死量ドリスも弱毒化
ははハ
死なう
元気ハツラツ
オミクロンC
フ
岡村詩乃う
右手を使わず全部左手だけで打ってます
昔の名前で出ています
それがわたしのプライド
左手の🌈
🌈災害
🌈試験
🥕ンスキー
Esfuércense vigorosamente
https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1469820618602610691?s=20/
#poetry #rock musician
眠と二人で訪れた名古屋のビジネスホテルで、
やっと寝息をたて始めた眠を起こさないよう、
備え付けの小さな机のデスクライトを点けて
私は、いつになく気落ちしていた。
昼間上映会場で見た、
自分の映像作品の未熟さを思い出して
気落ちしていた。
野々歩さんが数日前にプレゼントしてくれた
深緑色のセーターを着て
ホテルのメモ用紙に言葉を書き留めながら
東京にいる野々歩さんとMessengerで
他愛もないやり取りをする。
「今、詩を書いてる。これが最後になるかも」
「大丈夫。いつまでも『最後』の作品にならないように、
君の創作ノートやメモの類を片っ端から破っていくから(笑)!」
「……」
「……」
野々歩さんとのやり取りが終わって、
「おやすみ」と送ってスマホを閉じた。
そして、服を脱いで、
居室のバスルームにある
大きな鏡に映った自分の裸を見た。
体重が増えて、やや大きくなった乳房。
眠と花を生んで、色が濃くなった乳首。
ずっとずっと見ていた。
なぜか、ずっと見ていたかった。目が離せなかった。
そこには、紛れもない「今」の私が映っていた。
今年の秋に40歳になって、
20代の時のように、
鏡に映る自分の体に欲情することは少なくなったけれど、
いつまでも風変わりで美しいものに執着していたい。
そんな気持ちだった。
でも、40歳。
「自分は20歳になるまで生きられない」
そう信じていた頃の自分に、
どうしようもない後ろめたさを感じてしまう。
「死んでしまいたい」
そんな熱情のような気持ちを初めて自覚したのは、
多分14,15歳の頃。
それから25年が経って、
かつての熱情は、冷たくて硬質な覚悟に変わった。
シャワーを浴び終わって、部屋着に着替えて、
ベッドに潜り込んだ。
眠はよく眠っているようだ。
目を閉じて、東京にいる花のことを考える。
期末試験があり、一緒に名古屋へ来られなかったのだ。
ちょっと前にあった幸せなことを思い出す。
その時、私は三軒茶屋へ用事があって
自転車を走らせていた。
すると、数十メートル先から
学校帰りの花が歩いてくるのに気が付いた。
「おーい」と言葉には出さないけれど、
私は大きく手を振った。
すると、気付いた花も大きく手を振って駆け出した。
家の外で抱きしめ合うのは恥ずかしいから、
ハイタッチをして、他愛のない会話をした。
この日、私たちが幸せだったことを、
私はずっと忘れない。
先日、野々歩さんと、
高校に残されている眠の荷物を引き取りに行った。
ロッカーに教科書が数冊、
化学の授業に使う白衣とゴーグル
教室には緑の上履き入れ。
あっけないほど少なかった。
放課後の教室には、眠のクラスメート(だった)子達が
まばらに居残っていた。
私の知らない場所で、
ロッカーから教科書を出し入れしていた眠。
教室で一生懸命に授業を受けていた眠。
文化祭の催しに使う看板をひたむきに作っていた眠。
眠は、確かにここにいたのだ。
そう思うと、涙がこみ上げた。
眠も花も野々歩さんも私も、
今、確かに、ここにいる。
鏡に映るのは、紛れもない「今」の私たちだ。
未完成で不完全な私たちだ。
かつて「滅んでしまえばいい」とさえ思い、
憎んでいた世界の地面に、私たちは
二本の足を踏みしめて立っている。
悩んだり、憎んだり、苦しんだりしても
きっと最後は幸せな詩が書けると信じている。
「いってきます」の代わりに「さよなら」と言う
その日が、いつか訪れても。
安靜的刻度。
落花 落光羽。
青銅,山脊線。
肩胛骨 ,眼淚青銅!
我打開典籍;
信念 領略 耳朵 痕跡
翼,不翼。
帆失去帆,
黑暗的漏洞在星光深處
銅鲸的槳葉自昏水中破冰而來。
而今我立於銅墙之下,
傾城在即。朗誦
波濤。這不朽的青銅
沉睡如風的殘骸。
・
安靜的刻度。
しずかに刻まれる目盛り。
落花 落光羽。
散る花 落陽の羽衣。
青銅,山脊線。
青銅、峰々の稜線。
肩胛骨 ,眼淚青銅!
肩甲骨、涙の青銅!
我打開典籍;
私は古い書物をひらく;
信念 領略 耳朵 痕跡
信念 了解 耳たぶ 痕跡
翼,不翼。
翼は、羽ばたかない。
帆失去帆,
帆は帆を失い、
黑暗的漏洞在星光深處
真っ暗な抜け穴は、星の光の深みにあって
銅鲸的槳葉自昏水中破冰而來。
銅の鯨のオールが、暗い水中から氷を破って現れる。
而今我立於銅墙之下,
いま私は堅固な壁のもとに佇み、
傾城在即。朗誦
都市は破滅に瀕している。声高らかに読み上げるとき
波濤。這不朽的青銅
大波が。 この不滅の青銅は
沉睡如風的殘骸。
風の残骸のように眠り込んでいる。
日本語訳:ぐるーぷ・とりつ
咀嚼する速度がべらぼうに速いのか
あるいは
胃の腑におちたものを溶かす胃酸の酸度が
きわめて高いのか
よく食べよく代謝して妬ましいほど太らない
つれあいと暮らしていると
美味しいおいしいと言われるより早く
そう
またたく間に消えてゆく
食べ物の量におどろく
あっ あれっ
あると思っていたものが
あったところから消えている
いや
あると思っていたのが錯覚で
なかったのだろうか
と
おのれを疑ってしまうほど
きれいに
朝はひとより早くから身体をよく動かす仕事をし
空っぽの弁当箱と水筒提げて帰宅
おおお疲れさま はいっと晩ごはんをだせればいいのだが
どっこい私のスイッチが入るのが遅い
ゴールはまだだいぶ先
おおお腹すいてるよね
待たせてしまうというわけ
それでね
いわゆるつなぎ
格好よく言ってみるならおしのぎ
それがバナナだったり
ナッツだの黒豆だのカレールゥだの入っているパンだの
だったりするのだけれどね
いつだったか
その日も菓子鉢に盛ってあったバナナを見るなり
「僕はお猿さんじゃないよ」と
鼻白んでいるものだから
「飽きちゃう?」
と聞けば
「続くと飽きるよ」
と言うので
さようですかとしばらく
買わずにいたりもしたのだが
ある日なぜだか出くわしたレシピ
どうして行き着いたのだか
まったくもってわからない
ふだんなら晩ごはんメニューになりそうなものしか見ないのに
料理歴きわめて浅く胸張ってビギナーと手を挙げるこの私が
大それたものに挑戦しようなんて思うはずもない
けれどもしや
ただバナナ
いっぽんのバナナ
バナナを増やせないかと
検索してみたのだったか
(思考のみちすじは過ぎたしゅんかん
砂にしみて消え失せる)
なになに
フライパンでできる(レンジもオーブンもいらない)
オイルをひかない(そのぶんカロリー控えめヘルシーうれしい)
ブレンダーもミキサーもいらない(そうでなくては)
おおそうすると
うちにないのはなんと
ベーキングパウダー
だけではないか
ヨーグルトは豆乳のそれで代用しよう
発酵とか寝かせるなんて文字はどこにもない
イーストだのサワークリームだの並んでいない
いいなあこれ
しかも簡単
でも
本当かな
材料だけじゃない
流し込んで焼くための型だとかクッキングペーパーとか
クリームを絞る先っぽだとか
百均にも並んでいてけれど私がまだ手にしたことのない類いのものは
ひとつもいらない
おおなんてシンプル
なんて潔いレシピなのだ
かじった知識や生半可なあれこれの
裏をとって確かめてみる手間なんていらない
OKおーけー だいじょうぶ、と
特大の太鼓判がまんまんなかに押してある
安心というのはこういう匂いなのか
そうだやってみよう
ひとふさの葡萄ならぬ
ひとふさのバナナの最後のいっぽんを
剝いてしまえばいっしゅんに姿を消す
はかないこれを
ほんの少しえいっと
ちからをくわえ
増やしてみよう
本当に
本当に増えるかな
ビスケットを入れて叩くと増える
そんなポケットがあれば
と
まどみちおさんは書いたが
バナナバナナ
剝いてつぶしてまぜて焼いて
もちろん小麦粉もきな粉もね
ベーキングパウダーだって
入れるわけなのだけれど
バナナの皮剝いて
ごそっ
大きいほうのボウルに落とし込み
レシピ指定のフォークでつぶす
ああフォークって
突き刺すとかからめ取るばかりの
道具じゃなかったんだね
すべらず完膚なきまでにつぶせるよ
ぐっちゃりべっとべとのバナナがひろがる
そこへ豆乳ヨーグルトをしとっぼとっ
てんさい糖ざっざらっ
小さいほうのボウルをはかりにのせ
まずはきな粉
せっかくだから地元産の黒豆きな粉をね
次は小麦粉
っていう時は薄力粉なんだよね
つづいてベーキングパウダー生まれて初めての開封小袋の角を
うわっ
ほわっ微細な白がたちこめたちこめ
ボウルのふちを逃れるまいったな
そして塩少々ってぱらりかな
ふたつのボウルをそれぞれ
このくらいかなと納得するまで混ぜきったら
バナナの入った大きいほうへ傾け
すすっささあっ
なだれこませ
左手にフォーク右手に使い捨て手袋をば装着
粉をねねっとりバナナやら豆乳ヨーグルトやら
まっぜっごそごそっ
まっざったっのかなこれ
水分たりなめかな いやまあ
はじめてですからね
なんだか閃いて豆乳すこししととっ
もう一度ごそっぎゅぎゅっ
出しておいた
小ぶりのフライパンの中ほどへ
どさっ
うす茶色い粘質のそれを
どっちゃ ぺとっ
置く
こんなかんじかな
手袋のてのひらで平らにひろげ
厚さ三センチ
このくらいか
ふたをしてごくごく小さなそう
とろ火で十五分
タイマーに呼ばれてあければ
ふたの下にわあ茶色が濃くなってる
ふちがかたまったらって書いてあるな
かえして八分
あけるやジュッ
湯気をはじいて
おおなんだか おおいよいよ茶色い
ちょっとふくらみましたかいい匂い
バナナだぁきな粉だぁ
バナナバナナ
バナナ増えたかな
いっぽんの
バナナがにほんには
なっていないけれど
バナナ
剝かれたしゅんかん
さっと消える宿命のバナナの
いっぽんが
ひとさらの六切れの
パンになったよ
ごそっねとっとした
粘土工作みたいなそれは
焼けてずしっと茶色くしっかとした
噛み応え
むぐっんぐっと
噛みしめる口のなかいっぱいに
たちこめるのは紛れもない
バナナの匂い
すこし遅れて黒豆きな粉もほのか
表に
テールランプ
きしむ鍵の音
おかえりぃ おやつあるよぉ
「ただいまぁ なに? どうしたのこれ」
お疲れさま、できたて食べてみて
うごく口もと咀嚼の速度はちょっぴりゆっくりかな
「ん? なんだろ、あ、いいねこれ」
バナナだよ、あと、きな粉に豆乳ヨーグルト
いっぽんのバナナがね
「んー美味しい
たしかにバナナだね」
にっこりああよかった
待っててね晩ごはん
そしてこののち
バナナ大きめだから粉多めきな粉も多めでちょっとおおきくしよう
ゆであずき入れてみよう
バナナないけど畑のいちぢく
いやいや今度は地元の米粉
クルミ入れてみよう今度はアーモンドもと
おしのぎおやつの恐るおそるが
どうやってもだいじょうぶという確信に変わり
三度の食事ではないものの欠かせないそれとなって
くり返しくり返し混ぜては焼き刻んでは焼き
むっちり湿った焼き上がりを六つに切って
皿に盛り
ああこの匂い
けれどふりかえるとやっぱり
あっという間に
ふた切れ消え
つづいてまた
ひと切れ消えているのである
子どものころ
雲の上には死んだ人たちがいて
のんびり寝転んだりして
空を流れて行ったり
山にひっかかったり
大海原の上に出て行ったり
街の上では雨を降らしたり
そんなふうに
してるんだろうと
ほんとに
思っていた
信じていた
事故で死んだ人など
雲の上でも
血だらけでいるんだろうか?
そしたら
雲の上も血で汚れたり
してんじゃ
ない
のかな?
などと
ほんとに
思っていた
心配した
そんなふうに
思わなくなったころ
終わったのだ
ぼくの子ども時代は
11月29日
4日から始まるナベサンの展示ですが、全て注文を受けて春秋窯解釈による白の磁器の仕事として作っています。
コーヒーカップ5
湯呑5
飯茶碗5
スープカップ5
取皿5
うどん用丼11
刺し身などの醤油皿5
豆皿20
カレー皿10
四寸皿12
https://gallerynabesan.wordpress.com/exhibition/upd69-jiki/
コーヒーカップの見処は、型物の取手の餃子のパリパリみたいなのを残す石黒方式
湯呑みは李朝モクレン形
飯茶碗は夫婦喧嘩で投げても割れない伝統の厚み
スープカップはペルシャ系
皿は口縁を耳朶の手触りにしたヘモグロビン型
カレー皿は松屋の写し
うどん鉢は呉須巻を転用した単味の天目
奮ってご来場ください
日本沈没のリメイクには親米か親中の二者択一に持ち込ませるという明確な目標があるように思える
オリオンが東の空に沈没している
11月30日
タウン草津は高層居住過多人の星過多で落ちるちじょうは西部劇の商業区のようさ
長崎の夜はあまがさき 登戸の夜はホワイト
回復こそが敵であった
君付けで呼ばれて藤井風
あ、楠本君新聞配ってるもう60だけど
ホックニー・レベルやね
https://twitter.com/amks916/status/1465380921184423940?s=20
NFTやったれ
火事の実家野鹿カジノ火事の実家野鹿カジノ
Todo el ramen está inspirado por Jiro
Hay un tiempo para quedarse callado
僕も最初の勉強机はこれでした
https://twitter.com/ShinogiFruits/status/1465557015099428866?s=20
ミアハンセンラブ未来よこんにちはを一言で言うならリベラルと共に死ね

https://youtu.be/uA_xb05Ei14
https://youtu.be/dHWr1rCCgH0
12月2日
https://youtu.be/1ZHdUxFlNOA
JPOPが屋根に当たる
K-popが屋根に当たる
オミクロンpopが屋根に当たる
太郎次郎が屋根に当たる
Positivamente no morirán
https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1466173896789348356?s=20
音の半分はアルヴィン

https://youtu.be/o5IEMwC3ylM
今咲いているツワブキはたいへん薬効があります

きみどりの区画が
ペンツールによって引かれ
杭は顳顬に
ガラスは浜に
空は汚れ
2つの虹のサークルの干渉
どんぐりは無差別に
石蕗は
コロナ下の情況は似たようなものでウズベキスタンでもまだ人と直接会うことは出来ません。

https://youtu.be/MiacxHf_tHc
12月3日
ミアハンセンラブ「未来よさようなら」は哲学の一文によって作り変えられた世界(夢の中でしか生きられないような現実)を提示したいと思っている。我々はマトリックスの中にいるのではない。ネットフリックスの中に揺蕩っているだけなのだ。
良心の働きによって猶予が生じ、生命力による度を越えた恢復がある。その回復こそが敵であり、それは増長を呼び込み、死ぬ元気さえ湧いて来るというわけだ。
Cuando yo era pequeñuelo, hablaba como pequeñuelo, pensaba como pequeñuelo, razonaba como pequeñuelo
チェーン店の街道を何回も行き来して
焼け出されたので泊めてあげている無宿のさくらちゃんをにゃんトークで翻訳し続けたら愛されたいとしか言ってなかった。ご主人はアル中でどこかへ連れて行かれてしまった。
偽ものは論旨よりも光で分かる
寒い青か油揚げの黄色
12月5日
西村が濁りに清酒を混ぜるのを「半ふりで」とheart&soul&mindの節に乗せて頼んでいたので起きてググったが勿論そんな用語は無かった
Asegurémonos de las cosas más importantes
https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1467267044207108098?s=20
茶碗とは割るためにあるのだ、ということを薄田泣菫は故事を引いて説明する
執着を捨てるためにそれは必要だった、と
https://www.satokazzz.com/airzoshi/reader.php?action=aozora&id=3309
朝のBBC▶︎東アフリカ一帯で水がなくて家畜の7割が死んでいる▶︎キリンとかラクダとかの死骸が累々と続き▶︎完全にもう終わりだ▶︎という演出がなされていて▶︎本当にそうなので▶︎もう完全に終わりだなと思う
12月6日
刑務所の食事が売りの食堂で蕎麦粉を使ったという焼き菓子に内部のイラストと「そーだよ〜」と言う顔が付いていたが嫉妬や病気で今日も崩れた朝の顔差別を
マルッキズム 50%
まルッキズム 50%
はなまるッキズム
炭水化物夢
をボイコット
https://twitter.com/9ui113rm0/status/1448715387059716097?s=20
次回展示タイトルは
割る器
次次回展示タイトルは
土にエナメル
邦題土よさようなら
というのも考えましたが却下
最期は火砕流で自分焼かな
Cesen de amoldarse a este sistema de cosas más bien, transfórmense rehaciendo su mente
コスモス[κόσμος]
博多からどぎつい牡丹色のドラッグストアを全国展開するコスモスだが、コスモスκόσμοςの基本的な意味が「秩序」もしくは「配列」であることを知ってのことであろうか。秩序や均衡には美の概念が伴う。コスモスもそのような意味で美という考えを伝えているため,ギリシャ人はこの語を,特に婦人たちに関して「飾り」という意味でよく用いたのであった。化粧品を意味する英語のcosmeticもここから来ているのである。関連のある動詞コスメオーは、「整える」、「飾りつける」という意味があり、形容詞のコスミオスは「よく整えられた」もしくは「秩序正しい」ものを描写している。アテネに向かうチェーン店の街道を何回も行き来して、パウロはそうしたことを考えていた。
宇宙が秩序を表わしているためと思われるが、ギリシャの哲学者たちは時に、目に見える創造物全体を指すのにコスモスを用いた。しかし、彼らの間に考えの真の一致はなく、その語を天体だけに限定した者もいれば、宇宙全体を指して用いた者たちもいる。物質界の創造物全体を描写するコスモスの用法は一部の外典に出て来るが、それらはギリシャ哲学がユダヤ人の多くの分野に侵入しつつあった時期に書かれたものである。しかし、我々の中にはコスモス=宇宙などというプログレのジャケットのような趣味は見られない。
それでも、アレオパゴスのチェーン店だらけのモールに立ったパウロは、内なる苛立ちを覚えながらも、フィロストラトスが記録しているように、鬼滅以外にも知られていないガチャポンが数多く並んでいることに気付いていた。アテネが疫病に見舞われた時の話だが、エピメニデスは何頭もの羊を連れてアレオパゴスに行き、そこで羊たちを放し、僕たちにその跡を付けさせて、各羊が横たわった場所でその土地の知らない神に犠牲をささげるよう命じた。そのようにして災厄はとどめられたと言われている。街道沿いに、まだ知らないチェーン店があるのは、そのためであろう。そこらあたりから掴みの部分を作り、アラトスとクレアンテスの「そはわれらはまたその子孫なり」を引用して同じ土俵に立つようにしよう。そして、宇宙を意味する語としてコスモスを用いる思潮がギリシャ人の間で広まっているのであれば、そこからコスモスを戦略的に宇宙という意味で用いることにして、こう述べたのである。
“The God the (one) Ὁ θεὸς ὁ
having made the ποιήσας τὸν
world κόσμον(コスモン)
and all the (things) καὶ πάντα τὰ
in it, ἐν αὐτῷ,
this (One) of heaven οὗτος οὐρανοῦ
and of earth καὶ γῆς
existing Lord ὑ πάρχων κύριος
not in οὐκ ἐν
handmade χειροποιήτοις
divine habitations ναοῖς
is inhabiting κατοικεῖ”
「コスモスとその中の全ての物を造った神は、天と地の主ですから、人が造った神殿などには住まず、」
#poetry #rock musician
伊勢から
帰った
モコは
犬猫ホテルで待ってた
神は留守だった
きみは
鳥居のある
土産物屋のならびに佇ってた
貨幣を渡し
山嶽**を手にした
風呂を出て
鳥羽の朝の海を
見ていた
きみは言葉を持たない
きみと
言葉にならない声で
話した
話していた
そしてこの港町に
帰った
帰ってきた
モコを連れて浜辺を歩いた
モコと西の山を見上げてた
きみは吠えることがなかった
きみははにかんで笑っていた
* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”犬のためのだらだらとした前奏曲” より
** 山口誓子の句集「山嶽」(ふらんす堂刊)のこと
#poetry #no poetry,no life
経済活動がだんだんと緩やかになってきた。
基本的な対策を取りつつも外に出たい気分になった。
根本はインドア派のわたしだが、むくむくと雑踏に足を踏み入れたくなった。
できることはできる時にと早速実行に移すことにした。
その日はやや薄手のコートが必要な肌寒い気候だった。
クローゼットからベージュのコートを引っ張り出し、ニットのワンピースの上から羽織った。
茶色の斜め掛けのバッグと藤色のパンプスを履いて外に出た。
バス停までの数分の道のりは、新鮮な冷たい空気に頬を刺激されたけれど悪くなかった。
冬は確実にやってきていた。
バス停の中には小さな売店がある。
お昼ご飯を済ませていなかったので、おにぎりやらスナック菓子やら甘い物やらをせっせとかごに入れた。
こういう場所に来ると、ディスプレイがいいのかなぜか必要以上に買い込んでしまうのはきっとわたしだけではないだろう。
レジで合計金額を見るといつも予想以上で驚くのだけれど、いっこうになおらない。
まぁ、旅のお供だからとかなんとか理由をつけて自分を納得させている。
バスの発車時刻まではまだ少し余裕があった。
待合の椅子に座りキョロキョロ辺りを見回した。
大きな荷物を抱えた人、学生らしき人、とってもお洒落をしたマダムたち。
みんな色んな理由でここにいる。
そんな人たちの集まりを見るのが好きで、いつもバスの発車時刻よりも大分前に来てしまう。
そうこうしているうちにバスが来た。
わりと空いていて真ん中位の窓際の席に腰を下ろした。
イヤホンを取り出し、好きな動画を見ながらさっき買った食べ物たちを食べる。
こんな単純なことがものすごくドキドキして幸せな気持ちになる。
やや長いバス旅は始まったばかりだ。
滞りなく、時間通り目的のバス停に到着した。
しまった、見たい映画の時間まであと15分しかない。
そのシネマが入ったショッピングモールまでバスを乗り換えて5分はかかる。
ナイスタイミングでそこ行きのバスがやってきた。
急いで乗り込んで、時計とにらめっこしながらソワソワした気持ちを必死に落ち着かせる。
バスを降りて一目散にショッピングモールに入るのだけれど、どうしてもシネマが見つからない。
スタッフの人に慌てて聞くと、どうもここは本館でシネマは分館にあると言う。
着ていたコートを脱いで、またダッシュで目的地へ走った。
ギリギリ滑り込みセーフでなんとか上映時間に間に合った。
ふぅーと息を整えながら、映画館特有の空気の中に身を委ねた。
長らく映画を見ていなかったので、初めは色んな映画の番宣があることをすっかり忘れていた。
そうだ、こんなに急ぐこともなかったのだ。
その証拠にわたしの後から何人かゆっくりと談笑しながら席に着く人がいた。
優雅に飲み物やらポップコーンやら両手に抱えて。
あぁ、わたしも本当は買いたかった、残念無念とはこのこと。
でも映画はとってもよかった。
大画面のスクリーンは気持ちを高揚させてくれる。
あぁ、ありがとう映画!
余韻に浸りながら、プラプラとショッピングをした。
前から欲しかった底がやわらかい好みのスニーカーを買えた。
インテリアショップの自動ソファには感動した(値段を見たときには0の数を何度も数えてしまったけれど)。
お洒落なフレグランスの香りにいい気分になりずっとそこにいたかった。
自分専用で作ってもらっている枕(肩こりが昔からひどい)のメンテナンスをしてもらいとても満たされた。
そんなこんなで、足も疲れたし帰ることにした。
こんな1日がわたしにとっては色んなことを忘れさせてくれてHAPPYな気持ちになる。
毎日こんなのは疲れるけれど、たまにお気に入りの服や靴で出かけたくなる。
今年はこれが最後かな。
また来年もこんな日を定期的に作れたらいいな。
帰りのバスでは爆睡してしまい、そのお陰か車酔いもすることなく無事に終点最寄りバス停に着いた。
夕暮れ空は冷たい空気を凝縮させていて、わたしはコートをぎゅっと掴んだ。
2021年もお世話になりました。
どのような方が読んでくださっているのかわたしには分かりませんが、共感したり楽しみにしてもらえていたらこの上ない幸せです。
よいお年をお迎えください。
黒い卵から双子が生まれた
黒い兄と黒い弟
黒い肌と黒い髪
黒い唇 黒い瞳
真っ黒で 目鼻があるかもわからない二人はいつも一緒だった
同じ背丈で同じ声で同じ服装
どっちがどっちかは誰にもわからず
どっちがどっちかわかられないままよく怒られ よくいじめられた
二人とも勉強ができなかったし 黒かったからだ
走るのが遅かったし 話しかけられるとマゴマゴした
同じようにどんくさく 実際ちょっと変なニオイがする黒い双子
けとばしても唾をかけても黒いので表情がわからない
血が出ても黒いので傷の深さがわからない
傷の在り処もわからない
二人でいた 寄り添っていた
ように見えた
タバコを吸っていた
黒い固まりが二つ 肩を並べて黒い煙を吐き出していた
橋の下 黒い川がゆっくりと流れていた
金管楽器の音がどこかから聞こえた
黒い双子はこの河原で 何本も何本もタバコを吸った
そしてある日双子の兄は弟を
この黒い川の中へ突き落とした
泳げない弟は 水の中でバシャバシャし
流され、沈み、そしてぷくぷくとあぶくが出て
浮き上がってきたときは死んでいた
兄はそれを全部見ていた でも見分けはつかないから
兄でなく弟の方だったかもしれない
死んだ方も生きてる方も
黒いので表情はわからない
それを包み込んで流れる川の表情も
水が黒いのでわからなかった
空は晴れて 大きな鳥のような雲が浮かんでいた
向こう岸には高い塔やビルがあった
背後の高速は渋滞し
トラックが数珠なりに連なっていた
水は静かに流れ 黒い少年を運んで行った
水と同じ色の少年のりんかくはすでにない
海まで10キロ 兄は川に向かって佇み タバコをふかす
黒いので表情はわからない
どこを見ているかもわからない
足元にコケみたいな細かい雑草がはえ
ところどころで小さい黄色い花が開いていた
金管楽器の音が聞こえてきた
本当は全然 違う顔だったのかもしれない
違う心だったのかもしれない
いつも寄り添っていた 一緒だった
金管楽器の音が聞こえていた
今も寄り添っているのかもしれない
(11月某日、堀切橋下で)