広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
独り佇む
背中に寂寥を纏う
男と女が寄り添う
不在の会話
緑と黄色の光が
溶け合う
光は狂気
闇は正気
人びとの孤独
都会を巣食う寂寞
闇夜は人びとを彼岸にいざなう
そして
戦争の靴音が
静かに忍び寄る
sweetinspirationsは木股さん〔どこでどうしているのか〕ドラムと吉原潤〔どこでどうしているのか〕ベースで主に青山発狂の夜でやっていたバンドですがこの夢音のライブには清水由紀alt〔どこでどうしているのか〕とか参加しています。ベースは小沢?石渡?今井?分からない。
https://anarchives.com/2021/11/
El corazón es más traicionero que cualquier otra cosa
https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1462918740182327298?s=20
@clavinotes
モアの店長が聴かせてくれたんですがこれは音楽への復讐であり、このリアルは今年最大の問題作と言って過言ではないでしょう。
https://www.youtube.com/playlist?app=desktop&list=PLSoNQKSOvCoKvtg8Wi9mZEBDpGllnRTcx
まだ生きて今日のわたし
もみみきられ
宇宙人もとろける「いちばん愛してる」
オーダー!ピザ屋で働く香取君
オイデュプス チーズとワインとヤギの肉
携帯の耳鳴り芳一5G
Humildemente piensen que los demás son superiores a ustedes
自販機のコーヒーを買おうとしたら全部呪術缶などというものに変わっていてバッカヤローと思った
旧松下の工場から出てくる車が勾配で前を擦りそうで積丹ブギーという駄洒落を思い付いた
萎縮海馬桶
ishuk kaiba orchestra
生協病院で疲れたらしくyotube見て寛ごうとしているのでbtsかと思ったらback street boysを未だに聴いているのだった
La ansiedad aplasta el corazón del hombre, pero una buena palabra lo reanima
キリンは雲を食べないよと自閉 https://twitter.com/tomizawakakio_b/status/1463651176432697344?s=20
https://www.bbc.co.uk/programmes/p0b51565
ゾウムシ食べた人いる?
ヒッピーは法の言葉の扱い方に於いて右翼であると思い知らされるパンクスたちの行き場は高円寺にはなかった。ではどこへ行けばよいのか。古本屋も押さえられていた。残るは大ガード下しかなかった。そこに立ってろ。いや座ってろ。いや寝てろ。動かぬ芋虫となれ。孵化の前に腐れ。
No imites lo malo
一種類の花の蜜を作らせるのは良くないことが分かる。症状に合わせたストックがあり、薬剤師と製剤薬局があるのだ。
https://t.co/d2LaMXHEu4?amp=1
それにしても農薬やめないので死に絶えますからよろしくお願いします
ヒマワリのものがとくに抗生物質の役割をします。処方しますとまた元気に飛んで行きます。看護蜂壇蜜さん談
石油代浮くクライナら沈むEU
送油管背脂煮干最後尾
麺は細くて三歩歩めず
津波かなリア諸島を引き揚げる
冬越すアイヌ共和国
包囲網と言うより愈愈追い詰められた小動物のように立川で手配され孫を負ぶり目を掛けてくれたガラガラ声への割り当てを果たそうと靴を借り
買収された第一ホテルへ
Tiene que morir
前に宇和の池田屋でやった
https://twitter.com/igamiki0319/status/1464242031069253633?s=20
ストーンズの前座で出ることになったがギターが壊れていた
キースがネックを直そうとしてくれて直るかなと聞くとこういうのは絶対に直ると言う物語を持ってないと直らないんだと言う
祖父は藤田を大変批判しておりました。自分が社交界で営業下手だったからでしょう。
サニーマートに無添加のベーコンがあるのでall day breakfastも夢ではない
オミクロンておみくじでクローンにされるみたいでいやだ
モデル・ルームとしての山に
親と逆光の兄弟姉妹達と棲む
地中の壁の厚さは1m
ホッカイロを入れて
不在の間も世話する
首
柿を吊る軒下から
「手仕事の日本」で、砥部は完全に無視されている。柳は伊予ボールを嫌ったのだろう。代わりに段ボールを丸めた塵取りなど出ていて、内子の棕櫚箒は無かった気がする。
no oculté mi error
咳をしたらテレビジョンのヴィーナスの出だしのリズムだった
終わりの日若い女の懐古趣味
#poetry #rock musician
21で旅立ったその人は
あまりに優しく聡明だった
じぶんが他の人と異なることに悩み
家族の中の立場や周囲に愛されることを
過度なほどに望んでいた
私は知っていた
それらが総て叶うことはないことも
じゅうぶんに魅力的なものをその人が持っていることも
会えば文学について議論し
私の話に注意深く耳を傾けた
他者への理解も深く
ただあまりに優しかった
旅立ってしまうことに薄々気がついた頃
その人の目の焦点が、どこか遠くにあることにも気がついていた
私はそれが怖くて
伝えられることをあらゆることばで伝え続けた
同志だ、君は
そう彼がポツリと呟いた
同志ということばに
私は舞い上がり、一生の友だと信じた
秋の日曇り空だった
ふだんなら時間通りに、いやそれ以上前に現れる彼が来ないことに周囲がざわめいた
夜になって悲しい報せが届いた
受け止めきれず、わたしはふわふわと歩き回った。
喪服も持っていなかった足でそれらを揃える時すらうわの空だった
仲間だという人たちと共有出来ない気持ちは
どこまでもいつまでも昇華することもなく
長い長い時間が過ぎた
彼はどこへ行ったのだろう
不在は存在を色濃くする
秋が薄ら寒く感じるようになった
最後の晩に彼が父親にぶつけた真の気持ちは
私が覚えている
秋は寒く、彼のいない秋は寒すぎる
何年という時間も悲しみを癒せないとしたならそれは少し嘘だとも思う。
彼の不在は私に現実を認識させ、怒りと悲しみが天秤のように振れ続けた日々の積み重ねだ。
彼がいない世界には彼の不在という
認識による存在の時間が確かにあるのだ。
いつか彼に再会するときに話したいことは
山となってちり積もった。
愉快なことが増えていくようにじぶんを
奮い立たせて今日を明日を私は生きていく
それがどれだけ悲しくとも、どれだけ淋しくとも
生きている私の責任がある。
そうすることで、雪の日のような温もりを
私は感じられる気がするのだ。
感じることによって生きていけると信じているのだ。
まだまだ、と思い寒風に向かう。
自分の体
って感じしない
目ン玉
ゴリッ
鼻から額
ボッツンツン
触ってみると
ゴーワゴワ
10日前に発した顔の帯状疱疹
一時は
瞼腫れて目開かなくなり
鼻に大きな大きな沼でき
髪の毛の中にまで赤くポツポツでき
見事に左半身のみ、
ウィルス君は
左の神経に律儀に沿って走りに走った
痛みに頭が割れに割れた
特効薬飲んで1週間会社休んだ
ふぅーっ、症状軽くなってきたけど
いつものように目薬さして軟膏塗って
寝る前に鏡の前に立つ
まだ潜んでるかな
まだ隙窺ってるかな
こわごーわ触ると
ムズムズウズウズ
痛いと痒いが
半々
クッソー
ココんトコだけぼくじゃない
占拠されてんだ
えぃあー
いっそ、ウィルス君と合体してやるかっ
玉っにょ
目ンっにょ
赤い筋が幾つもん走るんにょにょ
矢いっぱい降ってきて
黒目からは追い出されにょっけど
くるっくるーり
彷徨い彷徨い
ふんふん、茶目に抜ければ大安心丈夫
にょにょっ
まあるいぬくいくるっりーん
ぷかぷか浮かんでるんにょ
鼻に湧いたんにゃにゃ
ぬめっと沼
鼻の左半分を占拠したんだったにゃが
槍に追い立てられ追い立てられん
枯れたん枯れたんけど
にゃにゃっ
楕円形にまだぬめってん
濁り水潜って
ぷかーと息を吐きだせばん
ぬめぬめっと気持ちいいん
気持ちいいんにゃ
隠れてんにゅ
頭の毛っけの草深いトコ
駆けて駆けて足跡つけてん
ポツポツポツポツ
足跡つければ赤黒く盛り上がるにゅ
足跡つければ剣が押し寄せてくるんけど
にゅにゅっ
もっと奥地へもっと奥地へ
茂みポツポツ掻き分け隠れてん
赤黒く盛り上がるん
盛り上がるんにゅ
してきたぞ
自分の体って感じ、してきたぞ
痛いと痒い
ゴリッ、ボッツンツン、ゴーワゴワ
怖くない
合体してしまえばこっちのもの
仲良くしてしまえばこっちのもの
何たって
このムズムズウズウズ
このぼくが発信してるんだからね
ウィルス君を追い詰めるぼくもいれば
ウィルス君と一緒に
ぼくから逃げるぼくもいる
追いかけて、ぼく
逃げて、ぼく
鏡覗けば覗く程
どっちも
一緒にね、顔にね
棲んでる
図書館車に来たこの本voidにもあった。香川の島に住んでる人を何人か思い浮かべた。炭水化物の暗黒面なんじゃないかと思う。

¡Miren!, una gran muchedumbre
川登の坪内さんとこの庭でやってるvegrecaの出店、近所だから行ってみたけどもう帰って居なかった。苗売ってる人とか占いやってる人とかがちらほら残っているだけだった。山間なので日が陰って寒くなってきた。
Vendrá sobre ellos destrucción repentina, y de ninguna manera escaparán
ビルの新作は動機がよくわからないが夢の話である。大変短く、大変普通である。夢ではビルも普通なのだ。ということは夢では皆普通なのだということが言いたいのだろうか。最後のI have been dead hereのリフレインがこびりつく。
2年前の夏にスイスから研修に来ていたリャンさんがお母さんが湖で溺死したこと、voice crackと繋がったこと、建築のポートフォリオに春秋窯で修行と書いたこと、など書いてきたので、酒游館ではまだ君の盃を使っているよと教えた。
工芸性への恐怖はあの柘榴の彫り物から派生している。ベザレルへの力を持たない者が物を作れるわけがない。元代の空間恐怖とは絵付師ではなく私達の裡にある恐怖なのだ。それはシルクロードを介したユーラシアの陶芸史にある断絶、つまり細密とpeasant陶の純然たる階級差となって裂開している。
ではストークオントレントの一群の、染み出すゴム球による転写はどうなのだろう?それらも付け立てに対してお嬢様の見下し的な陰謀論を維持している。その19世紀の洪水的からくりを解くことが工芸性をさらに平たく千年単位のピザ生地に引き延ばす鍵だ。全くもって、第一神殿の音楽と同じことだった。
民藝のような汚いものを、とアレクセイ・ゲルマンの神々のたそがれの、ルネサンス期を迎えようとしている星に降り立つお嬢様は唾を吐く。ところがルネサンス自体が嘘なのだとしたら、その星のリアルはどこにある?というのが系1となる。つまりクラフトは二重の意味でマトリックスのゲームの中にある。
つまり技術には、技術の終わりを照射するまなざしが必要なのだ。それを象徴界と言う。言う、と言うより言わば言え、という感じか。ウェッジウッドにもスポードにも砥部にも景徳鎮にも未来がない、というより過去がない。白の書き換えが興る。それがミレニアムだ。
”ガール”不在のまま、メジャーを異化しようとするマーティン・ハネット・プロデュースの”自分と結婚aha路線”は捨てられさらに、作った当初のワンコード・ワンダーに回帰している始末
すべての音楽はデモテープに戻っていく
https://youtu.be/wnuNABpjShg
他の多くのパンクのレコードと違って、それはいつの間にか家にあった。それはすぐに僕の芯のようなものになった。70年代の半ばのことで、僕はまだ日本の地方都市の高校生だった。”spontaneous”が集団即興演奏のキーワードだった時代だ。レスター・ボウイとレオ・スミスが同じ旋律を「ずらしながら」吹いていた。その女性歌手の声は時間軸に対して垂直に立っていた。すべての参加者たちは、それぞれ自立しながら同じ平面に立っていた。そういうわけで、東京に出てきた時、僕は”Comme a la Radio”で武装していたのだ。
東京の吉祥寺にあった「マイナー」には、フリージャズというソクラテスが去った後に登場したキニク学派が全国から集まってきていた。即興演奏のセッションの場では、僕は、「僕だけが音楽になってしまっている」と批判された。
パンクの好景気の余勢をかって、それまで陽の当たらなかったフリー・ミュージックの自主製作盤の制作が、シェフィールドやアクロンなど世界の各所で同時多発的に発生していた。
歌が発生することをゆるされているのは集団即興の場における事件としてだけだった。
その頃のこと、下北沢の「五番街」という古レコード屋で、僕が「worstnoise」というバンドでインストアライブをしていた時、女の子が店に入ってくるのを見た。それで僕はすかさず店のカウンターに”Comme a la Radio”を持って行って、かけてもらった。案の定彼女は「これ、ブリジットね。私も好きよ」と言った。僕の作戦は見事に成功し、次に福生の「東京ロッカーズ」のギグの会場で会った時は、バンドをやる話になっていた。
私たちはともかくも、ブリジットの”L’ETE L’ETE”とジャニスの”summer time”を持っていた。それで、自分たちの”夏”を持つ必要があったのだ。
78年に”Comme a la Radio”のライナーノートを書いていた間章という男が死に、僕は彼の遺族が棺の中にそのレコードを入れた、という話を聞いた。「西遊記」に出てくる「釈迦のてのひら」の逸話のように、間章も”Comme a la Radio”の手のひらから出ることはなかったのだ。すべての男は彼のロック史によって突き進むが「ラジオのように」は男のエートルをドミネースィョンする。包摂する。man is subsumed under 棺の中に「ラジオのように」を入れるのではない。「ラジオのように」という棺の中に男の死体を入れるのだ。
Unlike many other punk records, it was in my house before I knew it. It was in the mid 70’s, and I was still a high school student in a provincial city in Japan, when “spontenious” was the key word for collective improvisation. Lester Bowie and Leo Smith were playing the same melody in a shifting fashion. The female singer’s voice stood perpendicular to the time axis. All the participants were standing on the same plane, independent of each other. So, when I came to Tokyo, I was armed with “Comme a la Radio”.
At “Minor” in Kichijoji, Tokyo, the Kinnick School, which emerged after Socrates in the Free Jazz was gone, gathered from all over Japan. At the improvisation sessions there, I was often criticized that only my performance had become “music” in a negative sense.
In the aftermath of the punk boom, independent productions of free music, which had never seen the light of day before, were occurring simultaneously in Sheffield, Akron, and other parts of the world.
Songs were allowed to occur only as incidents in the field of collective improvisation.
In such those days, I saw a girl walk into the store when I was doing an in-store live performance with a band called “Worst Noise” at an import record store called Gobangai, which means “5th Ave”, in Shimokitazawa. I immediately took “Comme a la Radio” to the store counter and asked a store clerk to play it. Sure enough, she said, “This is Brigitte. I like it, too,”. My plan worked, and the next time I met her at the Tokyo Rockers gig in Fussa, we were talking about starting a band. We had Brigitte’s “L’ete L’ete” and Janis’ “summer time” anyway. And we needed to have our own “summer”.
In 1978, a man named Aquirax Aida, who wrote the liner notes for the Japanese edition of “Comme a la Radio,” died, and I heard that his family put that LP in his coffin. Like the anecdote of “Buddha’s Palm” in “Journey to the West”, Aida was unable to get out of the palm of “Comme a la Radio” after all. Every man rushes through his “rock history”, but his “être” subsumed under “Comme a la radio”. It is not about putting “Comme a la Radio” in his coffin. It is about putting the corpse of the man in the coffin of “Comme a la Radio”.(T)
The blurred image of a thin faced woman. A blue purplish haze of nowhere. It was a cold winter and I was pregnant. I took a long train ride to where Tori was playing a guitar. It’s the area called “Sanya” in northern Tokyo, the home to lots of homeless people, then. It’s not a home, but cheap hotels where they can stay if they have a day’s wage. In winter they were out of jobs and they slept in a park and that’s where Tori and his friends were. As I walked to the park some guys greeted me kindly, a sense of loose bond among us. I could hear a guitar sound, and Tori and his allies were also burning fire inside the park to cook for them. I could not go inside as the park was surrounded by armed police, they were there, many of them, two folds around the park.
‘ Il fait froid dans le mond’
It was a phrase lingering in my mind these days. I was roaming alone at night In Shinjuku aware of lots of homeless people sleeping inside tube passages. ‘ I can’t be happy if there’s one starving child in the world’ I thought it was Simone Weil’s word, but can’t find it anywhere, but I felt a bit the same, my obsession was to destroy myself, away from home, betraying my mom and dad. I did’t think about my future, but I wanted future for my baby, it was at that moment when I saw armed people in that tense atmosphere, I realized that power is useless. Those who take up the sword will perish with the sword. My mum was betrayed, too, lost her mum and a dear sister at the moment atomic bomb exploded. No repeating, no. I had to survive. I had to find a home, I had to find someone to deliver my baby. I felt powerless, I will live. I’m still here, I have a will to love, that’s what my Father taught me, my mother taught me to sing, I can witness, I live for it. Recibí una espina en la carne.(R)
index finger, earlobe natural light

老人と海、ですな。 デレク・ベイリーみたいな顔してたんでしょう
https://twitter.com/tomizawakakio_b/status/1460948379631243265?s=20
在留自国人の保護という大義名分↓
一般市民と政権を峻別↓
傀儡↓
解放された非抑圧層の抑圧者への変化↓
転落した旧支配層の叛乱↓
一般市民という座の奪い合い↓
利権で説明する視点の登場↓
背後の巨悪に責任転嫁↓
その観点からの自国の分断↓
非抑圧者層の国際的連帯の失敗↓
独裁待望とその輸出↓
陰謀説の乱立↓
弱体化↓
98年か クレーメル、マイスキー、アルゲリッチでタンゴ・パセティークとか反則じゃんねー
紙を剥がすように捲ると夜になっている
揺れる地層から錠剤のカプセルが飛び出し、武蔵美系の実のすっぽ抜けたハチスのようだ
道から消えうせる
右手か額の奴隷の印は拒否しないが自分の手に所有者名を刺青する
乾いていく洗濯物の乾いていく色
柴又のbiscuitのクッキーはとても美味しいので皆様行かれてみては
カフェもあります
El verdadero amigo ama en todo momento y es un hermano en tiempos de angustia
https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1461468885761224706?s=20

https://youtube.com/shorts/MXKo-qp14Go?feature=share
ブントが共産党を見限ったのは暴力革命路線を否定したからだったということを団塊は覚えている筈ですから、閣議決定のアナクロにはただただ萎えるでしょうね
久万のミシュランラーメン屋で背脂鯖威張る
ラスクリや白い粉吹く首都連合
かめやが久米に復活してる。事件だ。でも何をやっても潰れる場所なので不安しかない。
分かった。落ち目であることを知らないふりをしてるんだ。これは現代アートだ。それでトレンドに引き上げる。浅海君ならやりそうなことだ。
うどんの話だよ。
雨や
オデュッセイアは韓流みたいに続くし
米軍女士官という触れ込みのline誘導に策を巡らし
ネフィリム崩れの神々のような現世の
流石のあやつらも寝静まった頃
一番ひとりになれないとは
さらばナウシカア
きみは水族館のように手を振る
雲の道行、
と発語することで吉祥寺に俺の歌碑を建ててくれた
オデュッセイア
悲劇も喜劇も無い
韓流ドラマのの分かり易さで
介護の日常が続くだけだ
それにしても雨や
刹那はグリーンウェアのまゝ乾かないだろう
オデュッセイア
膠着した湿度の
依存症としての
雲の道行
尻切れトンボって何?
尻の切れたトンボ?
焼鮎の腹食ひちぎるて耕衣の句にあったけど
#poetry #rock musician
突然右の耳が痛くなってきたので、どうしようかと迷ったが、「そうだ、おらっちはいまさっきイモカワ耳鼻科から出てきたばっかりだった」と思い出したので、急遽引き返そうとしたが、「まてよ、この痛みは夢の中の痛みで、本物ではないのではないか」と疑って立ち止まっている。7/1
ビデオ屋の訳知り爺さんは、ポルノビデオを買ったお客にすかさず、「お客さんは、次はO嬢の最新作が「ええですぜ」などと、余計なおせっかいメールを入れるので、悪評嘖々だ。7/2
8代目スカスカ男は、メキシカン名ではハント君だったが、そのハント君から、「新メキシコ語でハイビスカスの名前を新たにつけてくれ」と頼まれたので、張り切っているところだ。7/2
そいろく60歳また会いに正男かお金の小色2の中へ入っていった。7/3
久しぶりに職場を訪ねた私だったが、そこはもはや、昔日の面影は微塵もなく、見知らぬ若者たちが、無言で出入りする、荒涼たる空間と化していた。7/4
目の前に両端が少しけぶった空気の塊がある。いつも気になっていたので、ある日思い切って、それをクリちゃんに電送したら、なんと妙なる音楽が鳴り響いたので驚いた。7/5
それは「電気オルゴール」だったのだ。私が音楽家ならそのメロディを音符に書きつけて、マリアカラスか、美空ひばりに歌ってもらって再現だできるのだが、残念なことだ。7/6
その寺の住職には、有力者の後ろ盾があったので、自分がどうにも気に入らない、ホシナ的、或いはトヨヒラ的な檀家を、次第に排除することに成功した。7/7
夜中に布団の中を見ると、白いパジャマを着た黒目が輝く、娘がいた。いつの間に潜り込んでいたのだろう。でもこんな可愛いらしい娘がいたら、きっとウレピーだろうと思ったが、私には息子はいても、娘なんかいない。この子は誰?7/8
牧場には、たくさんのヒツジがいたが、その中に、ひときわ巨大な黒いヒツジがいたので、牧場主に「あれはなんだい?」と尋ねると「あれが噂の悪魔ヒツジでさ」と答えたのよ。7/9
おらっちは、久方ぶりに古里の村に帰省したんやが、まっすぐに我が家の露台に上ると、そこから天空の道を目指して飛び出した。7/10
さる将棋の名人が、指名手配の犯人を、将棋盤から叩き出したのよ。7/11
「GAFAの時代が終わったら、群雄割拠の戦国時代になり、わが社の天下もあるのではないか」と、マウスコンピューターという会社の社長が独語した。7/12
私ら同郷の者は、はじめのうちは味方同士だったが、途中から敵味方に別れても、けっしてお互いに殺し合うほどには追い詰めず、同じ釜の飯を食った生温かい紐帯で結ばれていた。7/13
大谷翔平選手の、風船玉のようにささやかな野望が、巨大なアメリカン・ドリームの胎内に呑み込まれてゆく姿が、見えた。7/14
離反した子分たちが、次々に立ち上がって、親分の横暴を批判していく。次はおらっちの番だが、おらっちたちの団結は、きわめて脆いことが分かっているので、ここで下手なことを云うと、親分の大反撃があった折に、半殺しの目に遭うかもしれないと、小心者のおらっちの心は揺れ動いた。7/15
「大谷選手が出てくると、世界中の耳目がそっちに行ってしまうから、おらっっちがいくら活躍しても、誰も褒めてくんない」と、ウチの小谷がこぼした。7/16
青白赤の三色旗を作って、全学共闘会議が結成された夜のキャンパスに登場したおらっちは、たちまちマスコミのフラッシュを浴び、学生叛乱の時代の寵児となった。7/17
ショー開幕30分前に、主任デザイナーが、スタイリストと駆け落ちしたので、楽屋は大混乱に陥ったが、臨時プロデューサーの私の奮闘よろしきを得て、なんとかかんとか無事に終わったのよ。7/18
これぞ大阪人ゆう奴を、大阪じゅう駆けずりまわって探したんやが、もおそんな奴は誰一人おらんかった。大阪は、そおゆう奴を、育ててこんかったんやね。7/19
せっかく開戦早々に敵艦を撃沈したというのに、本隊の捜索機も飛ばさず、ひたすら現場から離脱しようと焦るだけなので、「我が国の海軍は、この程度なのか」と、吾輩は絶望したことであった。7/20
最終テストは、2つの額をガンと打ちつけて、どちらかが倒れたら負けになるという古風なやり方なので、「これが2021年現在の最終面接試験なのか?」と、おらっちは、すこぶる驚いた。7/21
大病院の受付で、「おらっちはどこかが狂ってるような気がするのだが、どこかで調べて呉れまへんか?」と頼んだが、「最近はあなたと同じようなことを言って来る患者さんが多いので、とても困ってます。どこか他を当たってみてください」と、追い返されてしまったずら。7/22
有名無名作家の文章を、鋏で切り刻んで、雪のように、机の上に舞い散らせたものを、原稿用紙の上に、丁寧に並べると、前代未聞の名文章が、出来上がっていた。7/23
医者から禁じられているのに、ほんの気まぐれでコロナワクチンを接種してもらったのだが、やはりというか、案の定、それがおらっちのアナフィラショックとなってしまい、急いで手持ちのエピペンを腿に差したものの、間一髪間に合わず、おらっちは御臨終となったのよ。7/24
最初に住所と氏名を書き、次にコロナワクチン接種の希望の有無を書き、最後にこの世に望むものの有無、前者の場合は、その内容を書くと、人々は三々五々帰っていった。7/25
ワーテルローの戦場で、歴史的時間を刻んでいた大時計が、いつのまにか姿を消して、「てらこ履物屋」の女中部屋にあった、独逸製のオルゴール時計に掛け替えられていた。7/26
「いざカマクラの折りには、必ずおいらのとこへ来てくれ、ぜひ頼みたいことがある」とかねてショーグンがいうておったの、偶々そんときにおっとり刀で駆け付けると、「あのなあ、おいらの軍隊を全員武装解除してくれ」というので驚いた。7/27
「よし、明日からおめえさんの支店に出てやるよ」と、その名物バイヤー氏は気安く請けあったが、本当にやって来るのだろうか?7/28
敵地に敵前上陸したおらっちだったが、敵兵の銃剣で、右手の肩、腕、指を刺され、その余りの痛さに呻いたのよ。7/29
新築の家なのに、よく見ると、いたるところに瑕疵があるのは、何故なのだろう?7/30
わいらあ、フィリピンで、おじさんに育てられ、さんざん、人殺しなど、やってきました。7/30
50年代か60年代にかけて、コロンビア・レーベルで活躍したワルターやセルなどが、それぞれのオケを率いて、リクエストに応えて、どんな曲でもいくらでも演奏してくれる。しかも、レコードとは違って360度のステレオなので大迫力だ。7/31
深夜に
モコを抱いて外に出た
夜空を
見上げた
丸い月がいた
それから
モコと布団に入った
モコはすぐに布団の上に這いでて
わたしは赤塚不二夫のシェーのスタイルで眠りに落ちていった
きみの上にも
月は
いるかい
欠けるまえの丸い
月は
いるのかい
朝早く
モコに起こされた
暗い庭の玉石の上でモコにおしっこさせた
それから
部屋を暖めた
モコをおいて
ひとりの部屋に入った
サティの”犬のためのだらだらとした前奏曲”を聴いた
窓を開けると
西の山はいた
近くで
イソヒヨドリが鳴いていた
犬儒派の歌は
きみに
聴こえたろうか
光っていた
ひかりだった
* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”犬のためのだらだらとした前奏曲” より
#poetry #no poetry,no life
7番目の野獣の日に、地球上ほぼどこででも手に入るものはコカコーラと英語だ。On the Seventh Beast Day, Coca-Cola and English are available almost everywhere on earth. good luck your lack of goodluck
もう試合は終わっている
和製英語で言うロスタイム、今はadditional timeと言うらしいがそれでも無謀なシュートは打たない
演奏前の介入には健気に耐えたが、演奏後の演奏を室野井は毛嫌いしていた
空気感が変わって場の仕舞いがつかなくなるからだと彼女は言った
音は返ってこないが漂っているという考え方は周波に限ってはきっと正しいのだろう
この虹を渡ってはなかなか良かったですよ。先導する美紀子さんのジャズマスターがいい音を出しています。途中の528Hzへの切り替えの決断と再開のタイミングもいいです。
https://torikudo.bandcamp.com/track/over-the-rainbow
こういった場合、上手い下手は全く関係なくなっていると思います。コンサートという形式も意味がありません。誰が作ったかも関係ありません。松明のようなリアルだけが文化の終わりを照らします。
94年に導入されたネオニコ系農薬でミツバチが激減し、浜名湖からはウナギがいなくなった
温暖化への脅迫は祈りの周波の束にまで及ぶ。悲しみが雨を降らせた、と。
野獣にはそのようにして動機を入れる。頭蓋の蓋を開けて流し込むレッドブルのように。
ヒットエンドラン
ヒットエンドラン
龍も野獣も多頭症

サーファーとしてのお前も百点だろう
そして今回も何かが足りないままだ
今度会う時は一万点のお前でいてくれ
朝霧の症例が明らかになるにつれ、我々はこれはADHD治療を主題にしたマンガなんだと気付く。そして身近な多動症成人の顔が脳裏を過ぎる。

Cease to exist
高台に逃れたが
あれは
なんだったのだろうか
下の方に見えたきみに会えなくなったあれは
枝豆がバラけたビニール袋から
タッパーに入れたタブレットをまた出して連絡しようとして手間取っていると
映画を右にスライドさせろと何回も言われた
後ろを叩けとも
さっきまで行くところもないし話すこともない、と喋っていた
あれはなんだったのだろうか
きみに会えなくなったあれは
実現しているのを見ているから
山は
切り倒された統治
顔と名前を覚えないまま
伝えたいと思うようになる
救いに行く
スーパーマンと夜空
昏くないということですね
流行病と食糧不足がある
ジェネレーションZ的な受け答え、
どんなに能力があっても自分の力で得られるものではない
水だけではなく光が必要
光の働きとは
言葉を自分の家にする働き
自分をずらして照準を合わせる働き
全体像を見せて教える働きと
思い起こさせる働き
ほとんどのことは思い出すことで解決する
自分をずらして照準を合わせる綱引きによって目を閉じれば窓は菱形
光を悲しませてはならない
チェックリスト Έφεσος4
登り直す必要はない


認知で死に洩れると余計な思い出がクッションみたいに挟まって生とエレメンツの汽水域の無惨が悲しみを減らそうとする
それでも物質に戻る直前の意識について人々は論(アゲツラ)う。マッチを擦る度に臨終を思い出し、街の灯りが消える毎に淋しさが募るのはそのためだ。
気後れすることなく活用してほしい
話しかける能力は贈り物
片割れの死
その場に合った励ましの言葉
エリフは聞き流すことはしないで自分を与え相手のためになることを話した
ヨブが答えなかったのは同意して泣いていたからかもしれない
#poetry #rock musician