さとう三千魚
今夜はいない
きっと
むこうの
奥の
布団の
上で
眠っている
眼をつむるといる
だまってこちらを見ている
・・・
** この詩は、
2025年3月28日 金曜日に、書肆「猫に縁側」にて開催された「やさしい詩のつどい」第15回で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。
#poetry #no poetry,no life
今夜はいない
きっと
むこうの
奥の
布団の
上で
眠っている
眼をつむるといる
だまってこちらを見ている
・・・
** この詩は、
2025年3月28日 金曜日に、書肆「猫に縁側」にて開催された「やさしい詩のつどい」第15回で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。
#poetry #no poetry,no life
「パパー、降りてきてーっ」
は、休憩時間終わったか
目ごしごし一階へ
丁度お昼寝から醒めたコミヤミヤとこかずとん
手足もにょもにょやる気満々
「ママもちょっと横になったら?」「うん、そうする」
ミヤミヤとバトンタッチのタッチタッチ
さて相手してやらなきゃ
きゃきゃきゃ
いつのまにか「ミヤミヤ」「かずとん」じゃなくなってきてるんだ
ミヤミヤママァー
かずとんパパァー
ママァー
パパァー
どうしたことだ
結婚前は子供が生まれても名前で呼び合おうと思ってたんだ
あなたは私のママではありません
あなたは私のパパではありません
個人と個人
ニックネームであっても固有の名前で呼び合わなきゃ
ところが、だ
「ミヤミヤ」「かずとん」に
「ママ」「パパ」が侵入するようになってきた
「ママ」「パパ」が「ミヤミヤ」「かずとん」を追い払うことも多い
コミヤミヤとこかずとんから見たぼくらの像を勝手に類推して
互いに投影する
これって個人の主体性の否定じゃない?
何で相手呼ぶのにわざわざ他人の視線を借りるんだよ?
寝返りできるようになってから運動量増えてきたな
それ、両足掴んで右、左、上、下、だ
ごっおろごろ、ぐぅりぐり
転がされてきゃきゃきゃ
コミヤミヤが目よじらせてきゃきゃきゃ
こかずとんが口躍らせてきゃきゃきゃ
転がしてるパパもきゃきゃきゃ
あれ、今ぼく、自分のこと
「パパ」って言ったぞ
こりゃ、つまり
きゃきゃきゃから
見てるってことだな
きゃきゃきゃきゃってのは
ぼくでもミヤミヤでも
コミヤミヤでもこかずとんでもない
きゃきゃきゃはきゃきゃきゃで
そのきゃきゃきゃの只中から
「ママ」と「パパ」が飛び出してくるんだ
「ミヤミヤ」と「かずとん」のお尻にくっついて
しまいには「ミヤミヤ」と「かずとん」を追い出したりする
飛び出してきたら
思わず
受け止めてやんなきゃきゃきゃ
それで
ママァー
パパァー
別に「ミヤミヤ」や「かずとん」がいなくなったわけでもなし
個人の主体性さんが否定されたわけでもなし
おっと
足離したら
今度はコミヤミヤが自力で
大きな寝返りごっおろごろ
きゃきゃきゃ、だ
パパァーッ、だ
この正月は
家にいたよ
去年の正月は
きみを見ていた
布団の上で
きみは荒い息をしていた
金色の毛に包まれた
きみは
胸が
上下に
揺れていた
この正月は家にいたよ
用宗の海で
初日の出を見た
浅間さんで祈り
三嶋大社で
きみのお守りを買ったよ
いないきみの
金色のお守りを買ったよ
きみはいまどこにいるの
そこにいて
待っていて
・・・
※ この詩は、
2025年1月10日に書いた詩です。
浜松「私の詩」コンクールの締め切りの日でした。
モコが逝って一年が過ぎて、書けた詩でした。
3月20日に授賞式がありましたがこの詩で賞をいただいたのです。
大人になってから初めての投稿でした。
モコの詩で賞をもらえて嬉しいです。
モコが笑っているように思えます。
女が泣いてくれました。
2025年3月24日.
三千魚
#poetry #no poetry,no life
引き裂かれながら進む色は
霙を降らせ
受粉しないまま墓に落ちた
陽が温暖であるほど芯は寒かった
油よりも滑らかな動きで
コンテンツは這入り込んだ
声は蒸気となって霞に溶けた
始めは何気ない浮標(Buoy Float)
蛸壺の転がる波止場(wharf)で
捕食動物は佇み
飛行機の腹を見上げ
網目から広がる小声の
あゝなんというただしい雪山
礼儀正しい象は蛸壺に入ってヒューマニスティックな動物のショート動画を見続ける
フジツボの富士山は堅く白化して浮世絵のようだ
それから
礼儀正しい象はベッドの脇の灯りを消して
12時間かけて高校に通うのを止す
それから
携帯の電源を入れ
親指を透過するひかりのmauveを記録する
https://www.facebook.com/events/581498471565540/?active_tab=discussion
#poetry #rock musician
そしてひとびとは
おのおのの家に帰っていった
(姿をすてたのだ)
じぶんをはっきりと世にあらわしなさい
文字のように
と男たちは言った
それだのに
あなたは
いつも畑の隅にいて見えない
腹から
どんな架空の水が流れているのですか
わたしの仮庵から来たのは
もうわたしの肉じゃない
この祭りのために
刈りとられてきた
たくさんの隅っこの目玉たち
どれも
でたらめな方向を見ている
どうして
わたしの話すことがわからないのか
「まだわからないのか」
わが国では日本固有種の絶滅危惧が心配されているようだが、その前に日本人が絶滅したそうだ。よう知らんけど
わいらあ後期高齢者は、法令により今年から、冬季は冬眠を強制されることになったようだ。よう知らんけど。
世界中女権が拡張しすぎたので、これからは昔ながらの男根主義者が巻き返すそうだ。よう知らんけど。
片思いだったヨハンネスがとうとう想いを叶えた喜びが、1877年のあの幸福な第2交響曲や翌年のヴァイオリン協奏曲、第2ピアノ協奏曲の長調の調べに繋がったそうだ。よう知らんけど。
1966年5月18日、グレン・グールドは、トロントのテレビスタジオにメニューインを迎えてバッハのハ短調ソナタ、シェーンベルグの作品47のファンタジーとベートーヴェンのト長調のソナタを弾いたが、全部暗譜だった。よう知らんけど。
難病の特効薬ができて、パーキンソン病のキムラ君が劇的に快癒し、「ただごと歌」の奥村さんも、メグロさんとこも、奇跡的に回復したようだ。よう知らんけど。
こないだまで自由に散歩していたタタラが谷の入口に、「私有地につき立ち入り禁止」の柵があった。貴重な文化遺産があるのに、私有地だから禁止できるんだろうか。よう知らんけど。
今日は土曜日。図書館へ行く前に長男は彼の大事な10円玉を呉れたが、毎日新聞におらっちの短歌は載っていなかったので、残念ながらコピーはできなかった。それから東急ストアへ行ったが、いつものように6階の本屋にはいかず、本を買うのを我慢した。偉い!よう知らんけど。
もしかして、長男は父をそれなりに愛しているんだろうか?よう知らんけど。
重ねた
座布団に
飛びのっていた
高いところから
見下ろしていた
そして
消えた
いつか
猫は
納屋の稲わらの中にいた
いまは
縁側で
乾いた掌をひらいてる
・・・
** この詩は、
2025年3月15日 土曜日に、書肆「猫に縁側」にて開催された「猫と詩のつどい」で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。
そして、今朝、
猫さんに、過去からこちらに少し歩いてきてもらいました。
2025年3月18日.
#poetry #no poetry,no life
ポカンと
浮かんでいた
白い雲が
青空に浮かんでいた
あんなふうに
浮かべたら
いいな
いちど
空を飛んだことがあった
飛ぶというより
落ちたのだった
ハワイだった
旋回して上昇する飛行機のドアが開いて
パラシュートを背負った男と
落ちたのだった
だいぶ落ちて
男のパラシュートは開いた
ゆっくりと
旋回して
地上に佇った
今朝も
小川の傍を歩いてきた
雲が
いた
小川に白鷺がいた
黄色い水仙の花の老いて揺れていた
菜の花の群れて咲いていた
小さな
カタバミの花もいた
いまは
工藤冬里の”unify my heart”を聴いている *
工藤冬里が
呻いている
こころをひとつにして
こころをひとつにして
こころを
ひとつにして
あの雲のいるところ
あの白鷺のいるところ
あの水仙と菜の花とカタバミの花のいるところ
* “unity my heart”は工藤冬里のワンマン「2004.5.5 裏窓」 の最初の曲です.
https://torikudo.bandcamp.com/album/200455
#poetry #no poetry,no life