復讐

 

松田朋春

 
 

大切なものを奪われた
夏の終わりころ
立つこともできず
水を飲むことすらできなかった
たばこだけは吸えた
床にころがって瑠璃の煙を見ていた

そんな人がいたとして
復讐をしなければならない
奪う人は男で
あらゆるものを持っているだろう
人が生み出す本当につまらない魅力の
品々はもちろんのこと
大きなさざ波がヤスリのように空をけずる湖や
わたぼこりにさえ宿る祖先の思いやりや
まばたきすらしない女の微笑みや
ヒスイ色の鸚鵡さえも持っていて
それは300年生きるのだろう
だれひとり思いつけもしないような出来事も
結局はその男のものだろう

それでも復讐をしなければならない
それがわたしだとして
わたしはその男の
大切なものを奪わねばならない
だが奪われることすら
その男のものなのか
空は奪われたことのないものの目には
決して見えない青色をしているのに

わたしは鸚鵡の前でそう話していた
鸚鵡はわたしと同じ顔になり
時に男の顔に戻りながら
言葉を繰り返した

わたしはそれほど長くは話さず
ただとても人に言えないような
恥ずかしい言葉の限りを
鸚鵡に教え
その目の色を確かめて
引き上げた

ほどなく鸚鵡は男の窓から放たれた
鸚鵡はわたしの教えた言葉に
夢中だったのだ
男の目を見て話し続けたことだろう
恥ずかしく
恥ずかしい言葉の限りを
とても人前に出せないような
うれしそうな素振りで

湖のほとりの森で
鸚鵡は今日も
恥ずかしく
恥ずかしい言葉の限りを
くりかえす
男が手放さざるを得なかった
世界の最初のほころびとして
その死後100年経っても
鸚鵡は復讐に夢中なのだ

 

 

 

乱視の世界

 

村岡由梨

 
 

眼鏡を外してクリスマスのイルミネーションを見た君は、
何層にもダブる光を見て、「きれい」と言って笑っていた。
視力の良い私と、乱視の君。
同じ世界に生きているのに、
まるで違う景色を見ているんだね。
私は私で、君は君。
もっと知りたい、わかりたいんだ。
君が生きる乱視の世界の美しさを。

もうすぐ新しい年が始まるというのに、
世界が終わる夢を見た。
ヒトは全員殺されて、
ネコは丸ごと皮を剥がされた。
剥がれた皮に顔を近付けたら
あたたかいお日さまの匂いがした。

巨大な津波のように大きくうねる世界から、
「人殺し」と罵られ
追われた私は、
薄暗い台所の、流しの下の、戸棚の中に隠れていた。
「世界」と「私」は安作りの薄いトビラ1枚で分断されて、
自分の心臓の音だけが聞こえていた。
放っておいても、遅かれ早かれ
私は死んで焼かれて灰になってしまうのに。
涙をいっぱい溜めて、憎しみと怒りに満ち満ちた君の両眼。
いつになったら許されるのだろうか。
いつになったら逃れられるのだろうか。

歯を磨いていて、少し開いた前歯の暗闇から
「サンタクロースなんか、いない」なんて言葉、聞きたくない。
希望を捨てて絶望に生きるなんて、つまらない。
どうせ生きるのなら、
借りものの言葉なんかじゃなく、
自分自身の歌声で精一杯抵抗して。

私は私で、君じゃない。
君は君で、私じゃない。
けれど、私たちはひとつの世界で生きている。
時には眼鏡を外して、私に貸して。
もっと知りたい、わかりたいんだ。
君が生きる乱視の世界の美しさを。

 

 

 

 

小関千恵

 

前説

嫌いな人が居ないことを
人に信じてもらえない
それでわたしは不審者だ

諸々のことが
地球のようにまぁるくなっているだけの
真っ白な朝

わたしたちは目覚めるたびに
その闇に驚き 踞って泣いた

偽物と幻想
鏡に映った陽だまりの墓場

まぁるさの中で
まぁるい空は浮かんでいた
だけど空にまで領域が有るだなんて おかしかった
棲み分けられた日々に
支配のナイフのような 誰かの月は
光っていた

エイリアンは濡れていた
生きている摩擦で
運動場の線も見えないままひるがえり
そのナイフを 身体に刺していた

あぁ
強く
絶対的な
わたしたちのそら

一度は背負った羽を降ろす
飛ぶとは 地球上を飛ぶことのようで
眠っているときの居場所は
このまぁるさの外のように思う


地球の外で泣いている

空白

沈黙の宇宙に 鳴り響いているだろうか
意味に降伏しない
音楽のように

いつか
地球へ降り注ぐことがあるならば
凡ゆる
凡ゆる エイリアンの
朝焼けの時刻へ

 

 

 

 

きみの夫は下層であった *

 

若かったころ

四谷の

三栄町の
公園の

鳩の

地面のパン屑をついばむのを
みてた

夏の初めの
空の

水いろの

松の葉がさわさわと揺れ
てた

さわさわと
さわさわと

揺れて

いたな
みていたな

若かったころ
きみの夫は下層であった *

鳩たちは

公園の
パン屑を拾って

生きてた

若かったころ
きみの唇は赤く睫毛は長く黒く

きみの夫は
四谷の

教会の鐘の音を聴いてた

若かったころ
若かったころ

知らなかった

ラルゴも
エレジーも

知らなかった

きみの夫は
松の葉がさわさわと揺れてた

きみの夫は下層であった *
きみの夫は下層であった *

いまは
1886年のエレジー **を聴いています

 
 

* 工藤冬里の詩「酢waters」からの引用
** エリック・サティ「1886年の3つの歌」の「エレジー」のこと

 

 

 

人生の門出

 

駿河昌樹

 
 

最近はお風呂に蜜柑の皮を入れてみたりするんだけど
きのうは蜜柑の皮がまだ足りなかったので
どこから入手したものだったか
お風呂のわきに置いてあった入浴剤の
「空想バスルーム 柚子が実るボクの村」っていうのを入れてみたら
柚子の香りがちょうどいい感じで
色もあかるい黄色に染まって
けっこう楽しかった
だいたい「 柚子が実るボクの村」っていう商品名が楽しい
包装に描かれてある絵も子どもっぽくて楽しい
一包しかないのでどっかで貰ったものだろうけれど
なんか買い足したいような入浴剤だ
なんについてであれこだわりというもののないぼくだが
こんなものにちっちゃなこだわりを持ってみるのも
人生の門出をするのには悪くないかもしれない

そう、人生の門出
まだ一度もちゃんと生きたことがない気がしているし
生きるってどういうことかぜんぜんわからないし
どうやって生きはじめたらいいのかもわからないので
そろそろ生きるということを
してみたいと思ったりしている

 

 

 

酢waters

 

工藤冬里

 
 

きみの夫は
だめだったのだ
そのまま押し上げられた高みには
きみの夫が単独でとどまることができるほどのデポジットがなかった
きみの夫は下層であった

死にたいなあ
どうしたら死にたいだろうか【文字起こしママ】

悪の中に階層をもとめ
しんみりと浸っているきみの夫は
太陽もアレゴリーにすぎなかったことを知り
桟敷の筵に坐る
活字になりたがる宮殿は
大気圏外から見える平屋で
門に錠前はない
浩宮はタメどころではなく年下で
立ち直るのは難しい
刷り間違えたラベルの
SP盤は回り
きみの夫は山を穿って住みたい
定期券の薄さで
巨大な壺が燃えている
酢watersでは
Aの台形の中を
字たちが這い登ってゆく
睫毛たちは縦横の線を作り出しながら屡叩かせる
きみの夫はもうすぐいなくなる
門の外から覗く参賀の
百合のラッパの技術が
捌く群青
暗い廊下を渡り
最初に露天にやって来たのは
ゲイのカップルだった
二番目に入って来たのは
三人の孫と祖父だった
暗いホテルの
しょうたいに応じる
時間給でしかない正体
暗い切り通しを超え
町に還れば
植えた植えないで
恥は巡り
ぎしぎしとした暗さの中で
酢watersは飲まれ
それでもあたふたしないきみの夫は
最初の合意に拠るねたみさえ理解する
死も墓も投げ込まれる池は何も出さない
粟色したjedismはとうに褪せ
きみの夫にはフォースがない

 

 

 

書斎にて

 

みわ はるか

 
 

畳1畳分のスペースに長方形の机、座椅子を置いている。
机の上にはペン立て、時計、電子辞書、障子で円柱にかたどったスタンド電気。
これがいつものスタイルで、ここをわたしは密かに書斎と呼んでいる。
どうしてこんなにも狭いのかというと、部屋自体は8畳分くらいあるのだが他にも置くべきものがあるからだ。
本棚、ベッド、クローゼット、ファンヒーター、プリンター。
物を最小限にしか持ちたくない、シンプルな生活を理想としているけれど、これらは必需品である。
というわけで隅のたった1畳分のスペースがわたしの憩いの場なのである。
温かいお茶を急須から湯飲みに移し、最近寒くなってきたので赤い半纏を着込み座っている。
ふっと前を向けば白い壁と目が合う。
朝がものすごく弱いわたしは夜にこの机でパソコンを開く。
色んなことを考えながら文章を書いたり、公募で応募したエッセイ作品が落選したことを伝えるメールを受け取ったり、
ここ最近島に魅了されている(できるだけ人口が少ないとこ)島への旅行をもくろんだり、
好きな作家の新刊をチェックしたり、又吉のトークライブ行きたいなぁと考えたり、
老いていく両親が元気であることに感謝しつつ妹弟がきちんと自立したことに安堵している。
お茶が大好きなのだけれど貧血がひどいので緑茶は諦めてほうじ茶を選ぶようにしている。
有名な全国のお茶っ葉を時々友人にもらうのだけれどとても嬉しい。
物欲のない若者が最近は多いとニュースでやっていた。わたしも例外ではないなぁとふと思う。
それでも必要なものは事前に色々調べて購入するのだがそれが届いたときに満足いくものだとやっぱり嬉しい。
シンプルでミニマムな暮らしに憧れていてこれからもそうであるような気がする。
友人関係も狭く深くとなった。
それが居心地がよくてしっくりくるようになった。
情報格差がいまやほとんどなくなった。
どこにいてもあらゆる情報をネットや動画で得ることができる。
でもやっぱり羨ましいと思うのは文化や芸術の中心地はまだまだ都心でありそれに憧れて上京する若者はたくさんいる。
わたしは田舎が好きなので今の場所に満足しているけれど、たまに物足りなさを感じることがないわけではない。
隣の芝は青いなのかな。

年の暮れに色んな角度への思いを思いつくままに書いてしまった。
最近、「いつもエッセイ読んでるよ」と友人からメールをもらった。
こんな嬉しいことはないなとその文面を何度も何度も繰り返し読んだ。
彼女は絵がものすごく上手で今でも彼女からもらった秋の隠れた紅葉の絵を大事に持っている。
これからも好きなだけ書いてほしいなと思ってるよ。

新しい年を迎えました。
昨年は日記のようなエッセイのようなわたしの文章を読んでいただきありがとうございました。
また今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

駒形橋下

 

塔島ひろみ

 
 

隅田川を見ながらカップの白鹿を飲んでいた
食べ終わったサバ缶の空缶を袋にしまうと、植込みの縁に寝そべり、ウトウトする
目の前に古ぼけた屋形船が停まっていた
水上バスが高速で行き来するたび、ザブンザブンと高波が立ち、屋形船は大きく揺れる
それを見ていた
巨大なスーツケースを転がして、大勢の人がこの川べりの道を通り
前方にそびえるスカイツリーを指さして、写真を撮った
そのスカイツリーの背後に、圧倒的な空が広がる
それを見ていた
いつか足の立たない痩せた、死にかけた男が横にいて
私と一緒に川を見ていた
飲みかけのカップを渡すと一口飲み、顔を皺くちゃにして私に笑った

日が落ちると人の数がめっきり減った
屋形船が通りすぎる 赤々と灯がともり燃えているようだ
私たちの前に停まる船はまだそこにあり、今日の出番はないらしい
船が行ってしまうと星が見えた
凝り固まって横たわるものに時間は川のように柔らかにたおやかに流れ
明け方には冷たいむくろになっていたけれど
汚ない大きな荷物のような動かないそれが
かつて名を持って人間社会に生きたものであっては具合が悪く
私たちは触られることなくしばらくそこに在って、隅田川を眺めていた
美しい朝日がこの川を黄金色に染めあげた夜明けを
だから私は知っている
私たちだけが知っている
翌日この小さい船の提灯に明りがともり、寒風の中を元気に出帆していったのも、そこに実は橋下に住む黄な粉色の野良猫がこっそり乗り込んでいることも知っている

今も、隅田川を眺めている
この川が好きなのだ

 
 

(12月29日 駒形橋橋脚付近で)