貨幣について、桑原正彦へ 17

 

日曜日だった


光る海を見てた

モコは寒いので来なかった

岸辺で
みかんを剥いて

食べた

磯ヒヨドリがいた
カモメたちもやってきた

磯ヒヨドリは弾丸のように飛ぶ
カモメは群れて遊ぶように飛んでいる

彼らは貨幣を持たない
彼らは貨幣をもたない

 

 

 

重い思い その四

 
 

鈴木志郎康

 
 

重い
思い。

重い思いが、
俺っちの
心に
覆い被さって来る。

今、この部屋に、
俺っちと麻理とふたり
ベッドを並べて寝てるっちゃ。
共に病気を抱えてね。
「ふたりのどっちが、
先に、
死ぬんだろうね」って、
眠る前に話したっちゃ。
俺っちが残っちまったら、
悲しくて寂しくて、
いやだね。
俺っちが、
先に死んだら、
麻理、どうする。
麻理がこの部屋で
ひとりで、生きてる。
その姿は、
ああ、
ああ、
交流の場の「うえはらんど」から
戻っても、
いるはずの俺っちはいない。
「ああ、疲れた」って、
麻理は
ベッドに潜り込んしまう。
リアル過ぎるよね。

俺っち、口を大きく開けて
息をめいっぱいに吸って
お腹に力を入れて、
オォオォオォー
って、叫んじゃった。

重い
思いっちゃ。
な、
な、
な。

 

 

 

ひとつ

 

長田典子

 
 

この
むねのあつみ
このかたはば
このたいおん
この匂いじゃないとだめなの

この左かたの下あたり
この左むねの上あたり
このばしょじゃないとだめなの

このばしょは
わたしの顔をうずめるためにあるの

せっくす
するとか
せっくす
しないと

じゃなくて

こころです

こころって
きもちです

あいしてる
きもちをかさねあわせます

この
むねのあつみ
このかたはば
このたいおん
この匂いじゃないとだめなの
あなたの左かたの下あたり
あなたの左むねの上あたり
わたしのばしょに
顔をうずめます

あなたは
りょうほうのうでで
わたしのせなかを
だきしめます
だきしめあいます
つよく
つよく
つよく
あいしてる

ひとつです

 

 

 

空の一行

 

萩原健次郎

 
 

DSC00938

 

あかがね、錆びている。湿った扇状地に、伏したあなた
のベルトの金具なのかなあと手ですくったらぼろぼろと
砕けて、粒状になって池塘に溶けた。砂糖のようでもあ
り、発酵させた飲料のようでもあり、白濁して、元の金
属の面影もない。元の身の、あなたの欠片のどの部分も
判別できない。怒った貌、嘆いた口元、諦めた胴、手の
ひらで招く仕草、唄う胸。書記の手。手から面に傷つけ
られた痕跡、文字、単語、何かを訴えている信号。愛玩
していた道具、いつもそばにいた動物。

書棚に並べられた誰かの全集の、途切れている巻が少し
ずつはっきりしてきて、その途切れにこの扇状地を歩き、
ぶつぶつと呟きながら、詩行を硬直させてただ凍らせた
だけだった。朝は零下の、その凍えた空気のまま、氷室
となった山の芯の底深く、蟻の巣状の道をひたすら遭難
しているだけだった。書簡集、小品一、小品二、俳句、
日記。それらは、紙であったことはなく、ただ、服を腰
にとどめるための器具として、ぼろぼろに粒となるあか
がねだった。

肌の思い出という巻があったはずだと、もう他界してか
らあなたはどこかの隠れ場所で回想している。金属の刃
で指先の面を裂いたこととか、知っている人の知ってい
る肌が、他人の指で撫でられたときに幽かに漏れてくる
音だとか。そういう記述であったようだと、像をさがそ
うとするが、像はどの点でも線でも結ばれず、ただの音
楽となって宙に消えていく。他界をしたら蒸発してしま
うのかなあなどと、それは暢気に考えていた。臨終の瞬
間に、あらゆる点も線も消えていく。肌の音も。

生きてもいない人の遭難している様子を眺めている人な
んていないだろうと思っていたら、どうやらいるようだ。
朝の鳥に化けている。群れとなって朝、山の池の巣に帰
る、その中の一羽の、その鳥の眼の中の、水晶玉。正し
くは、映っているだけなのだが、自動的に記録されてい
る。わたしの、かつてあったベルトのあかがねの、水に
溶ける寸前の、感嘆は、見えないだろう。だから無防備
な、鳥の眼の水晶体を攻撃する。朝陽のハレーション、
ぷしゅん。かすかなぷしゅんが、鳥の群れに網をかける。

この一帯の、湿潤した、あきらめの扇状は、かつて肌を
合わせた人の胸のひろがりだった。わたしはね。わたし
は今は、ぼろぼろのあかがねの粒だけど、わたしのね、
肉は、まだ湿潤していないよと、抜けた巻に文字を記し
て棚に戻した。音の羽の川は、水と土の境をあいまいに
して、肌の記憶をぴったりに重ねた。ふたりのひとがた
ではなく、ひとつのひとがたとなって、池塘は滅ばない
でいつも鳥の道標を奏でていた。どこまでが、抜けた巻
の詩行であったかは、もうわからない。

 
空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白連作「音の羽」のうち

 

 

 

重い思い その三

 

鈴木志郎康

 
 

重い
思い。

重い思いが、
俺っちの
心に
覆い被さって来る。

ドラムカン
あれれ、
空のドラムカン。
空のドラムカンが横積みにうず高く積み上げられてる。
空のドラムカンが転がらされてる。
ドラムカンが転がらされてる。
あれれ。

ごとごろん
ごとごろん、ごとごとごろん。

重い思いっちゃ。

 

 

 

重い思い その二

 

鈴木志郎康

 

重い思いが、
俺っちの
心に、
覆い被さって来るちゃ。

ベッドに寝そべって、
テレビのワイドショーで
小池劇場を追っかけて、
三つ目の飴を口に入れると、
麻理から
「太るわよぉ」
って言われて、
口をもぐもぐちゃ。

そこでよ、
重い思いが、
俺っちの
心に
覆い被さって来るちゃ。

もう詩なんか、
書かなくても、
いいんじゃないかいね。
いやいや、
まだまだ書きますちゃ。
詩を書く以外に、
嬉しいことが
ないっちゃ。
まだまだ詩を書きますちゃ。

年金が支給される身で、
腰が痛くて、
ベッドに、
横になって、
テレビの、
ニュースシヨウを、
ずっと、
見てる。
テレビの中に
時間が進んでるちゃ。

豊洲市場の地下空間が発覚した。
盛り土されなかった地下空間、
女知事は、
それを決めた責任者たちを、
処分しちまったょ。

この秋は、
テレビの中の
小池劇場追っかけだったね。
俺っちの
心に
重い思いが
覆い被さって来るちゃ。
ちゃ。
ちゃ。

二◯一六年の
十二月三十一日も
もう数時間で終わるちゃ。
ちゃ。

 

 

 

ヤーヤァー、ヤーヤァー

 

辻 和人

 
 

や、や、や
やや
太い
やや太い
指輪をはめたミヤミヤの薬指の
節のところ
指はほっそりしているのに節だけが
やや太い
図面を押さえるミヤミヤの左手を見て改めて
やや驚いた
頭上を浮遊する光線君も
「ヤーヤァー、ヤーヤァー、ヤーヤァー。」
お目々クリックリッだ

今日は建築設計事務所での2回目の打ち合わせ
建築士さんが作ってきた叩き台の図面に
鉛筆でチェックを入れてきたミヤミヤ
「玄関の位置は西ではなくて東でお願いします。」
え?
「トイレは奥でなくて玄関入ってすぐのところにして、
その近くに収納棚をつけていただけますか?」
は?
「キッチンの奥行きはもう少し取ってください。
ここに冷蔵庫と食器棚を置きますけど、
外から見えないように仕切り戸を作ってください。」
りゃりゃ?
いつのまにそんな細かいところまで考えてたんだ
聞かされてないこともいっぱい出てくる
ぼく、一言も口を挟めないじゃないか
「かずとん、アワレー、アワレナリィー。」
光線君が嬉しそうに叫ぶ
うっるさいな、何でついてきたんだよ

「それでは、この洗面所のミラーはどのタイプにしますか?」
建築士さんが聞く
「これは主人の意見を聞いてみます。どれがいいですか?」
あ、今、「主人」って言ったな
ホントは絶対そんな風には思ってないだろ?
「シュジーン、シュジーン、かずとん、シュジーン。」
目玉を消して口だけをおっきく広げた光線君が天井から床へと駆け抜ける
涼しい顔でお茶をくいっと飲み干すミヤミヤ
どれがいいって言われても似たような奴の三択じゃないか
「えーと、それじゃCタイプを。」
「Cタイプですね。かしこまりました。蛇口のタイプはいかがなされますか?」
「これも主人に決めてもらいましょう。どれがいい?」
「うーん、じゃ、Bかな。」
なーるほどね
こういうどうでもいいのはぼくに決めさせて
「主人の意志」も大事にしてますよー、とサラリとアピール
「男を立てる」のがうまいねえ
「本音と建て前」を使い分けるのがうまいねえ
その後もミヤミヤと建築士さんの間で
やりとりは続くよどこまでも
建築士さんは最早ぼくの方には目をやりもしないで
忙しくメモを取るばかり
「主人」は完全に蚊帳の外だ
おお、窓の位置が決まっていくぜ
おお、2階のフリースペースの間取りが決まっていくぜ
イカ状に変形した光線君
建築士さんの頭を体の先っちょでちょんちょん突きながら
「カヤー、ノ、ソトー、ソトー、カヤァー、ソトー。」
いやあ、早く終わんないかなあ

「あ、大事なこと言い忘れてました。
主人の書斎の位置ですが、
向かいの収納スペースと逆にしてくれませんか?
このままだと西陽が差して主人の読書の邪魔になってしまいますから。」
へ?
そんなところに気がついてくれたのか
こりゃ、ちょっと嬉しいね

「ありがとうございました。お世話様でした。」って打ち合わせはニコニコ終了
図面を畳むミヤミヤの指は
節のところだけ
やや
太い
図太い
都合によって
ぼく、かずとん、を
やや
「主人」
に仕立てては
本音の中に畳み込む
でも、その
やや太い指の導きによって
ぼく、かずとん
きつい西陽に悩ませられずに
本が読めるってわけだね
ありがたや、ありがたや
光線君もそう思うだろ?
「ニーシービィー、キーツーイ-、キーラーイー、
かずとん、ラッキー、アリガーターヤーヤァー。」
干したTシャツみたいなカッコで宙に浮かぶ光線君
クリックリッの2つの目玉をせわしなく上下させながら
ほう、もともと「朝の陽光」である光線君は
「夕の陽光」とはライバル関係にあるようだな
「さ、早く帰りましょ。」
ぼくの先を歩き始めたミヤミヤの踝は
その上に伸びる足に比べて
やや
太い
ミヤミヤ
節のところはみんなガッチリできてる
や、や、や
やや
太い
やや太い
「ヤーヤァー、ヤーヤァー、ヤーヤァー。」
かずとんも
やや
「主人」のフリして
ミヤミヤの後を追いかけますぞ