暗譜の谷

 

萩原健次郎

 
 

暗譜P3

 

空0私の位置などどうでもいいが、この一角に迷い込ん
だ哀れを描いてほしい。殴り書きでもいいので、誰か
の記憶にとどめていてほしい。

空0まくなぎの阿鼻叫喚をふりかぶる  三鬼 *

空0文章は、なにかの哀れと刺し違える。悲哀もまた惨
めな鼻歌となって唄われる。
空0そういうことね
空0そういうことだ。

空0私は、諭される浮標であって、白昼の海の中で、も
がいている魚に似た心持ちで、ただ、この濃暗い谷を
彷徨っている。そこに、羽虫、しかもまだ生まれたば
かりの夥しい数の虫が、眼前に直立するなんて。
空0眼で殺めたいと、あははは はは。鼻の孔を塞ぎた
いと、木屑を詰めて、手削ぎ、足削ぎ、あははは は。

空0一月十日の午後には、そういえばいつまでも午後だ
ねえ。川の水はいつまでも一定量で、気持ち悪いぐら
いに、緩い傾きで、ただ急登の道と並行して街の方向
に流れている。

空0レント、レント、アダージオ、遅いと哀しいのは、
なぜか。

空0鍋の中では、いままさに味噌が混ぜいれられて、獣
の脂と甘い液が溶けだして、そこに野菜やら、揚げや
ら、茸らの具が入り、煮立っている。

空0具が入り 不具の鼻孔も眼球も、喜び始めているの
に、午後は、いつまでも午後で。旋律は、川沿いに、
どちらの方向にも流れることはなく、澱んでいる。

空0わたしの位置は、どこか。

空0感じている、その瞬間から頭を刈られる、この切な
い位置を、少しずつずらしていく、まあるくて重たい
世界は、生か。

空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空(連作のうち)

 

 

 

ねえ、どうして

 

長尾高弘

 

 

散歩してたらさ、
親子連れとすれ違ったんだけどさ、
子どもがお父さんにきいてるんだ。
ねえ、パパはどうしてパパなのう?
お父さん答えないからさ、
すれちがったあともずっと
後ろの方から子どもの声がきこえるんだ。
ねえ、パパはどうしてパパなのう?
ねえ、パパはどうしてパパなのう?
そのうちきこえなくなっちゃったけどさ、
これは困っちゃうよね。
自分だったらどう答えるんだろうって考えちゃったよ。
お母さんにはきかないと思うんだよね。
ねえ、ママはどうしてママなのう?
なんてさ。
○○(名前)はあたしのおなかから出てきたのよ、
って言われてるからさ、
自分で見てきたわけじゃなくても、
ママがママなのは不思議じゃないじゃん。
でも、パパがなんでパパなのかってーと、
わかんないじゃん。
細かく説明できないしさ、
大雑把にも説明するの難しいよ。
ときどき、
お父さん自身がわからないことだってあるじゃん。
うちの子はそんなこときかないで
大人になっちゃったけどね。
あのお父さんどう答えたかなあ。

 

 

 

大人

 

爽生ハム

 
 

これで千円か
栄養のない食材が並んだな
肌の荒れた無意味な生活
ここでしか暇をつぶせない
分母が少ないだけで幸せのふりをするし
幸せは下げれる
これで満足
勝算があるとは傲慢だわ
傲慢すぎて犯罪者になりそ
フランス人は美しい
いつ見ても
フランス人は知的に見える
わたしは日本人だった
日本の猿だった
勉強が足りないな
勉強をして
いいところに就職したい
そしていつか家族を作りたい
親を看取って
それから死のう

 

 

 

正月の歌

 

佐々木 眞

 
 

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西暦二〇一六年一月二日
鎌倉の在に親戚十七名が勢ぞろい
そのうち五人が小さな子供

うららかな光のどけきお庭の中で
臼と杵とでぺったんぺったんお餅付き
大人も子供もお餅付き

つきたてお餅をちょんぎって
あんころ餅ときな粉が出来る
黒胡麻、胡桃、大根おろしもどんどん出来る

みんなで作ったいろんなお餅を
みんなで食べる どんどん食べる
おしいいなあ 美味いなあ

あっという間に、お腹がいっぱい
今度は近所の明王院にお参りだあ
それからみんなで、独楽を回そう

大きな独楽を、ひもで回そう
でも、なかなかうまく回らない
出来ない人には若い住職さんが親切に教えてくれます

そのうちに独楽回しに飽きてしまったユウちゃんが
昔ながらの井戸とポンプに目をつけて
レンちゃんと一緒にピストンを押しはじめた。

ガッタン、ガッタン、ジャア、ジャア、ジャア
ガッタン、ガッタン、ジャア、ジャア、ジャア
たちまち流れる水、水、水 水、水、水

それ気付いたカナちゃんも
それに気付いたノンちゃん、アルちゃんも
子供全員ポンプに群がり

ガッタン、ガッタン、ジャア、ジャア、ジャア
ガッタン、ガッタン、ジャア、ジャア、ジャア
たちまち流れる水、水、水 水、水、水

しばらくするとユウちゃんが
「水、水、水屋でーす。水、水、水はいらんかねえ」
即席水売りになりました。

またしばらくするとレンちゃんが、
「水屋さん、もっとこっちに流してよ
もうちょっとで地面に象さんができるぞう」

ガッタン、ガッタン、ジャア、ジャア、ジャア
ガッタン、ガッタン、ジャア、ジャア、ジャア
たちまち出来たよ、お水の象さん

いつの間にやらほかの子供たちも加わって
ワアワアキャアキャア正月早々出初め式
お気の毒に住職さんも逃げ出しちゃった

これではいかん、いかん、まずい、まずい
このままでは、名跡明王院が水浸し
ここらで水入りレフリーストップ

悪童五名と現場を離脱
峠をめざして出発だあ!
太刀洗方面へ転進だあ!

意気揚々と進軍してると
あれに見ゆるは次郎じゃないか
愛犬太郎を亡くしたおばさんが、四年前から飼っている

次郎は震災地からやってきた可愛い柴犬
名付け親の私を見つけて
声にはならない声でWangWang吠えてる

私が撫でると、子供も撫でる
次郎はうっとり目を閉じる
「次郎、あったかいなあ」とユウちゃんがいう

両手をペロペロ舐められたレンちゃんは
「マコトさん、次郎がぼくの手を舐めてくれたよ」
と、うれしそう あ、うれしそう

一月二日の午後三時
お正月の陽が、ようやく傾く
どんどん どんどん 陽が落ちる。

エイ エイ オオ! 
エイ エイ オオ!
それゆけガキんちょ太刀洗

エイ エイ オオ! 
エイ エイ オオ! 
朝夷奈峠の頂上へ

 

 

 

fool 愚か者

 

この

正月には
海を

見てた
カモメたちが

並んで
佇っていた

それから
ヴァントの

ブルックナーの7番の

第2楽章を
なんども聴いた

ぽかぽかの海を見て
なぜ

引き裂かれるのか
わからない

ヴァントは
カモメや愚か者たちを包む泉だった

 

 

 

here ここ

 

きのう
海を

見た

空も
見たのさ

夕方には散歩もした

帰って
ヴァントの

ブルックナーの7番を聴いた
第2楽章を

繰り返し
聴いた

刹那に

波は揺れていた
そこに

わたしは居なかった

どうなんだろう
言うべきことがあまりない

ここに帰ってきた