ねむる人

 

野上麻衣

 
 

起きればとなりに人がいるようになった。
それでもときどき、目がさめた瞬間
となりに人のかたちがみえて
おどろくことがある。

わたし、どこにいる

10年以上つづけたひとりぐらしの、からだ。

大体はさきに
おやすみなさい、をいう番。

くらしはじめた頃は
ねるよー
ねるよー
とひとりでひろい家のなかをまわり
1日のおわりをつげた。

ぐーすか
すーぴー
寝息をたてるころ
となりの人はようやく布団にはいる。

となりの人はあまりにしずかにねむるので
わたしはわたしのまま
ぐーぐー
ごろごろ
起きるまですこやかなねむりをつづける。

それから、おはよう、をいう番。

 

 

 

Reasonable

 

工藤冬里

 
 

柳で作った神輿をハマスの人々が担いでいたま
柳の木で作っ
柳を自分に似たものとして作った
どんなことがあっても良い決定をする事が出来る
雨は蕭々と降り人々は濡れ乍ら公民館に集まっていた
乳香を置いたりしてはならない
小麦2リットルに油や乳香を置いたりしてはならない
劣等感を感じたかもしれないが
捧げるといえばと山ばとは渡りをしない
いえばとでいいから
麦粉
血を流さない麦粉で
電線を通ってゾアルヘ
電線には蜘蛛も
貼り付いた白い空
癒して欲しいと
赦し
白い空に貼り付いた樹々の緑
シルバーの車体の奥に白その奥はピンク
雨滴
白い空に泰山木が中生代の図絵のように貼り付いている
ピンと跳ねた屋根瓦の端が
神輿を担いでいる
雨滴は透明に透明を重ねた汚れ
現実を担いでいた
一日一日の現実を担いでいた
山は白に白を重ねて汚していた
くよくよ
ルーマニアから来た
緑はた易く歪んだ
焼杉君は縦に貼られ
浪板は留められていた
雲は僅かに渦巻を帯びてきた
靴下が一番大事で
夫を殺す
夫デスノートのように緑
車たち
相手を尊重する言い方
過ちを侵させる
過ちを侵す相手を尊重する
分別は英語で
髪型といえばルール
ルールなし
ルールを作ることなく髪を切る

お、ルール、髪切ったの?
寒い
胃が空
服かあ
心の房べり
病院には行けないからなあ
或る日と或る日の違いを確信
或る日は別の日に優っていると
各自が得心していなさい
完全な実現は健康だけです
イリョー行為
高齢になってくると遺された発達は
いつまで生きる雨粒
中に桐は居ない
柳と桐か
しなやかさは昔から
分別は英語で

 

 

 

#poetry #rock musician

汚 ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 53     tori さんへ

さとう三千魚

 
 

おととい
かな

朝の庭で
涼しくなったな

そう
思った

モコのウンチをティッシュでひろって
ポリバケツのゴミ箱に

捨てた

モコはこのところ
温かい
サーモンと
キャベツと人参スープと
薬と
サプリしか

食べていないけど

ウンチは
ウンチだった

涼しかった
風が通っていた

ポリバケツの蓋に
茶色のナメクジがひとり角を伸ばしていた

蓋の上に
白い道が光っていた

 
 

***memo.

2023年10月9日(月)、自宅で、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」として作った53個めの詩です。

工藤冬里ライブ「産む男」の日の朝に.

タイトル ”汚”
好きな花 ”サンカヨウ”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

愉快、愉快

 

駿河昌樹

 
 

―自由詩形式を使うのは
ある意味
もっとも原初的な文字の書き付けに
遡るっていうことだろうね

―そう
韻律さえ採用しない
最初期の
書きつけにね

―文章形式を採らない
というのは
すでに文章やさまざまな詩形式や
くわえて
短歌や俳句どころか
メール形式やショートメール形式や
LINE形式まで
出現してしまった後の
現代という時代においては
ひじょうに
大きな選択だと思う

―というか
自由詩形式の地点から見れば
それらすべてが
自由詩形式の枠内に
収まってしまうんだよね

―文章さえもがね
ちょっと
適切な改行の配慮やセンスのない
羅列記号伝達線として
見えるね
そういうのも
自由詩形式は包含してしまう

―ほら
欧米の定型詩を
日本語で翻訳する場合に
ほとんどの翻訳は
ちゃんと定型詩にしてないでしょ?
それ自体が
どうしようもない茶番で
許されざる蛮行なんだけれど
意味だけ伝えればいい
みたいな
ヘンな居直りが許されてちゃってる

―それでいて
形式は原詩のかたちを踏襲する
みたいなね
主語や動詞や形容詞や副詞などの配置は
まったく違っちゃってるのに
笑っちゃうよね
詩にとっては
じつは各品詞や各単語の配置そのものが
最重要で
それが動かされてしまえば
もう
まったく別のものになってしまうのに

―詩の翻訳なのに
文章の翻訳と同じでいいと
勝手に決められてしまっていて
それに従って
文章ならざる改行を施されたかたちが
提示され
詩でございます
と言われちゃうのね

―まるで
犯罪を犯した中年女性のことを報道する写真に
中学生時代の
お下げ髪の写真を使うような……

―しかも
全国放送のテレビニュースで
大々的に映しちゃう
みたいな……

―そんな粗い手つきが
共通してるよね
みたいな……

―ま
外国の詩を読む際の
いちばん正しい手順というか
所作というか
それは
やっぱり
ABCからその外国語を学んでいく
っていうことで
誰かが意味だけを伝える翻訳を
ヘンな詩のふりのかたちに並べたものを読むのとは
まったく違うと思うね
この言葉では
「花」を
こんなふうな綴りで書いて
こんなふうな音で発音するのか
なんて
そんなことに感心することのほうが
ひとつの特定の詩には
よっぽど近づいていける

―そうだろうね
文章と詩では
もう
まったくアプローチが違う

―ところで
こんな話をするつもりじゃ
なかったんだがね
つい
うっかり
つまらない話に入っちゃったね

―ま
つまらなくもなかったけれど……
それじゃ
きみの思う
「おもしろい」話に
なんとか
転じさせようじゃないか
どんなのが「おもしろい」のか
わからないけれど

―転じさせよう
って
なると
あれかな?
小津安二郎の『東京物語』みたいに
登場人物のおやじたち
三人で
「愉快、愉快」
とかいって
居酒屋で
むりに盛り上げ直そうとするみたいな
あれ?

―居酒屋で
夜も遅くなって
ずいぶん酔ってきたのに
三人で飲んでいる
あの場面ね
話が子どもの話になってさ
子どもをふたりとも戦争で亡くした
十朱久雄演じる代書屋は
笠智衆演じる平山と
東野英治郎演じる沼田の議論には参加せず
もう飲めない…と
ひとりで
ふらふらしてしまっている

―そうね
三人でいっしょに並んで飲んでいながらも
生き伸びている子どもの話には
彼は入り込みようがない
三人でいっしょに飲んでいても
彼ひとり孤独
話を合わせようとしても
ひとり孤独
座って
酔って
ひとりでゆらゆら揺れているしかない理由が
あまりに明瞭すぎて
とてもわびしい場面だよね

―十朱久雄は
むかし
テレビの子ども番組の『丸出だめ夫』で
お父さん役をやっていたよね
どうでもいいことだけど

―いや
そういうことがさ
どうでもよくないんだよ
森田拳次のマンガが原作のやつだよね
丸出だめ夫のお父さんは「丸出はげ照」といって
頭のてっぺんが禿げているが
すごい科学者なんだ
ロボットならぬ「ボロット」などを発明し
ノーベル賞を取れそうで取れないほどの天才科学者で
ちょっとおじいさんっぽく見えるが
実年齢は30代後半らしい
それでね
なぜ
十朱久雄が丸出だめ夫のお父さんを演じていたのが
どうでもよくないことか
というと
1966年から1967年にテレビ放映されていた『丸出だめ夫』を
見た子どもたちは
もちろん子ども時代に1953年制作の
大人向きの超渋い『東京物語』なんて同時代には見やしないから
『東京物語』を見るのは
だいぶ成長して大人か青年になってからに決まっている
そうして
ある時
小津のこの名作映画を見てみて
おや
この代書屋を演じているオジサンは
『丸出だめ夫』のあのお父さんじゃないか!
とrecognizeするわけよ
そうするとさ
いくら『東京物語』のこの場面が
多義的な意味性に富む「深い」場面だとしても
同時に『丸出だめ夫』のお父さんとしての十朱久雄の姿が浮かんでくるし
しかもどっちの映画の場合も
ハゲおやじだものだから
『東京物語』の中の息子ふたりを戦争で失った代書屋の
さびしい泥酔ぶりを見つつも
『丸出だめ夫』の天才科学者「丸出はげ照」が
そこにぴったり二重写しになって
こころの中ではやっぱり笑ってしまう
という内的事件が起こる
しかも
テレビ隆盛期をしっかり多量にテレビ漬けで育ってきた子なんかは
彼の娘が
映画にもテレビドラマにもCMにもいっぱい出ていた
なかなか美人の十朱幸代なのも知っていて
よくこんなオジサンから
あんな娘が生まれてくるもんだなあ
などと子ども時代に不思議に思ったりもしていたものだから
そんな疑問も
『東京物語』鑑賞中にこころに蘇ったりすると
『東京物語』の代書屋の「内なる悲劇」になんて
没入するどころではなくなる
わけだよね

―そういうのも
あれだね
間テクスト性ってやつかね

―インター・テクスチュアリティーね

―で
『東京物語』では
子どもに期待しすぎるのは親の欲だ
というところで
三人の居酒屋談義は一応の結論に達し
みんな酔いに酔って
疲れて
代書屋以外のふたりもふらふらしてきたところで
「愉快、愉快」
という言葉がくり返されるわけね

―愉快でもなさそうなのに
「愉快」
とわざわざ言うことで
無理にもこころを
「愉快」
のほうに持って行こうとしているかのようで
逆に
さびしさが出てくる……

まあ
映画紹介とかなら
ニッポンお得意のお涙頂戴路線へ
傾けていこう

する
ところ

―あの「愉快」という言葉は
映画の最初のほうでも
中学生の子どもが
「ああ愉快だね、ああ楽ちんだ」
と言うところで出てきていたけれども
もともと
学校の応援歌などで使われていたようだよね
今でも
早稲田大学や
群馬県立太田高校や
神奈川県立厚木高校の応援歌で
「愉快だね節」
というのがあって
これらは小津の映画よりも後に作られているのだけど
昔の高校などで
けっこう歌われていた元歌があったらしい

―よく知ってるじゃない?
太田高校の「愉快だね節」なんかは
こんな歌詞になってるんだよね
 

   ああ 愉快だね 愉快だね
   ああ 愉快だね 愉快だね
   ああ 愉快だね 愉快だね
   ああ 愉快だね 愉快だね
   もしも 太高が 負けたなら
   電信柱に 花が咲く
   絵にかいた ダルマさんが 踊りだす
   焼いた魚が 泳ぎだす

 
https://www.youtube.com/watch?v=3ufryMSK5Rw

 

 

 

口の形

 

辻 和人

 
 

一心不乱だ
クチュクチュクチュクチュ
形が動いてる
口の形だ
コミヤミヤの口、こかずとんの口
一心不乱に動いている
ミルク飲ませて40分
コミヤミヤとこかずとんは同時に目覚めた
夜中に目覚めて赤ちゃんがやることといったら泣くことだ
泣くがいい、泣くがいい
けど、3時間おきのミルク&オムツ
次回まで1時間半は寝ておきたいんだよ
しょーがない、いつもの手使うか
取り出したるはゴム製おしゃぶり
コミヤミヤとこかずとんのギャン泣いてる口にくいっと押し込む
一瞬で顔が変わった
ギャン泣きの涙、一瞬で消えた
クチュクチュクチュクチュ
動く、動く
口だけだ
目は閉じている
手足のもぞもぞも止まった
顔の上半分は微動だにいない
口だけが動いている
一心不乱
目では見られないし手では触われないものが
口なら見える
口なら掴める
乳首に似てるけど幾らしゃぶってもミルクなんか一滴も出ないから
ミルクの代用品を求めてるわけでもない
ミルクのはるか向こう側にあるもの
そりゃいったい何だ?
ぼくもずーっと以前にはわかっていたはずなんだ
ぼくだって赤ちゃんの時には
口で見えた、口で掴めた
それが今、まるでわかんなくなっちゃってんだよね
成長するってことは退化でもあるのかあ
悔しいなあ
内側に凹んだゴムの突起を
一心不乱にしゃぶりながら
コミヤミヤとこかずとんにはわかっている
よーし、ぼくにはわからないけど2人がわかってやってることを
とにかく応援するぞ
口で見る
口で掴む
クチュクチュクチュクチュ
形が動いて
一心不乱だ

 

 

 

家族の肖像~親子の対話 その67

 

佐々木 眞

 
 

 

2023年7月

お父さん、いまどこ?
病院だよ。
お母さんは?
トウキューで買い物だよ。

ウエハラミツキ、髪短くしたね?
そうね。短いね。

あしたあ、ハス見にいってえ、セイユー行きます。
そうか、お父さんも、一緒にハス見に行っていい?
いいですお。

女たらしって、なに?
だらしないひとのことよ。

ぼく、これからお昼寝しますお。
してくださいな。

お父さん、録画した?
コウ君、バッチリしましたよ。

お父さん、いま録画みますよ。
そうですか。じゃあ見ましょうね。
はい、分りましたあ。

お父さん、「寂しい」の英語は?
ロンリーだよ。コウ君、寂しいの?
寂しくないですお。

「菱」はタを突き出してるよね。
なぬ、おや、確かに突き出してるね。

お父さん、大好きですお。
お父さんも。

お母さん、リハビリって、なに?
傷ついた手とか足とかを元に戻すことよ

テラオさん入院したの?
そうよ。
治りますよ。ぼく祈りますよ。ほら、治りましたお!
あら、あら。

おじさん、ウエハラミツキ好き?
好きですよ。
おばさん、ウエハラミツキ好き?
好きですよ。といっときゃいいのね。
おねえさあん、ウエハラミツキ好き?
好きですよ。―小林理髪店にて

お父さん、金曜日にフクモト・リコ、録画してくださいね。
分りましたあ。

ウエハラミツキ、髪の毛短くしたお。
そうだね。コウ君よく見てるね。

お父さん、起きてください!起きてください!
いま何時?
7時ですお。
分りましたあ。

 
2023年8月

お父さん、きょう石原さとみ、録画してください!
はい、分りましたあ。

お父さん、ぼく、イシハラサトミのビデオ見ますお。
いま見たいの?
いま見たいですお、
分りましたあ。

お母さん、ぼく図書館行ってえ、ハス見てえ、セイユウ行きますお。
分りましたあ。

お父さん、洗濯もの外で干してる?
外で干してるよ?

ぼく、カーブミラー好きですお。
お父さんも。

ぼく、布袋草、好きですお。
お母さんも。

ぼく、遅くなってもいいですお。

ぼく、ウチダアサヒです。
こんにちは、ウチダアサヒさん。

お母さん、ぜいたくって、なに?
いらないものまで、どんどん買ってしまうことよ。

ぼく、前、オシン見ましたよ。
そうなの。
ぼく、オシン好きですお。
そうなんだ。
ぼく、責任持ちます。
そうなの。

 
2023年9月

お父さん、明後日ビデオ撮って。
なんのビデオ?
トリリオンゲーム。
誰が出るやつ?
フクモトリコがでるやつ。
分りましたあ。

お母さん、リハビリって、なに?
手や足を、元に戻すのよ。

タカオさん、入院したの?
そうよ。
ぼく、祈りますよ。治りますよ。治りましたよ。

お父さん、雨ですお。今日おうちに帰りたいですよお!
そしたら、まず職員さんと相談しなさい。
分りましたあ!

お母さん、お菓子食べたいですよ。
食べなさいな。
はい。

「トリリオンゲーム」、こんど最終回?
そうみたいだよ。
残念ですか?
残念ですお。

ぼく「さくら」みましたお。
そう、良かったね。

大雨で幼稚園お休みになったんだって。
そうなんだ。

接続って、つながることでしょ?
そうだね。
セツゾク、セツゾク。

ぜいたくって、なに?
いらない無駄なものをいっぱい買い込むことよ。
ぼく、ゼイタクしませんお。
そしてね。

マリちゃん、元気になりましたか?
元気になりましたよ。

ぜいたくって、なに?
いらない無駄なものをいっぱい買い込むことよ。
ぼく、ゼイタクしませんお。
そうしてね。

マリちゃん、元気になりましたか?
元気になりましたよ。

コウ君さあ、イトウサンちが無くなっていて、びっくりしなかった?
びっくりしましたおお。

ウエハラミツキ、お腹に赤ちゃん入ってるってよ。
そうなのよ。来年はじめに、生まれるんですって。

ぼく、ウエハラミツキ、好きになりましたお。
なんでウエハラミツキ、好きなの?
優しいから。
へえー、そうなんだ。前は可愛いからだったのにね。

 

 

 

 

塔島ひろみ

 
 

サミットで肉を持っていた
ぐしゃぐしゃの肉を持っていた
誰の肉かわからない肉を持って
歩きまわる
左手で子どもの手を引き
右手で肉を持つ女
そして肉を買う女
外に出る
サミットの外にはどうしようもない空地が広がる
立ち入り禁止の 雑草が生え乱れるゴミだらけの空地は暗くて
左手に子ども 右手に肉を持った私は仕返しが怖い
走って通り過ぎ 倉庫に出る
月額11000円の 断熱材入り倉庫がいくつもいくつも
同じ色 同じ形をして静かに じっとりと 連なっている
空を見上げる
空は倉庫と同じ色をして 倉庫のように四角くて
両手に袋を抱えていた

娘はわからないと言った
帰れるかわからないと言った
帰る場所がわからないと言った
私の顔がわからないと言った

自転車が斜めに置かれて そこに蔦が絡まっている
サルスベリの枝が伸びすぎて 窓を突き破りそうだ
白い壁の家の中にはなんでもある
冷蔵庫も パン焼き器も ピアノも 船も 町も 海も
足りないものはサミットで買う
ライフもできた
倉庫までできた
それでも彼は帰らない
肉を買う女 肉を食う女はガンになる
そして死んだ
わからないと言った
誰の肉だかわからないと言った
タレをつけた
びしゃびしゃだ
何もわからない
自分が誰かもわからない
お祭があると老人が言った
祭の幟をガードレールに結わえていた
太鼓の音が響いていた
知らないと言った
お祭がどこであるかは知らないと老人は言った
半被を着ていた
連なっていた
半被を着た老人が ずっと先まで連なっていた
彼は帰らない
お祭りでも帰らない
女が死んでも帰らない

肉を焼いた
おいしいと言った
この肉はすごくおいしいと娘が言った
わかると言った
私の顔はわからないのに
だから
サミットで私を見つけられると言った
サミットで会おうねと言った

 
 

(9月某日、鎌倉1丁目の空家前で)

 

 

 

ヤブタビラコ ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 52     michio へ

さとう三千魚

 
 

点滴が
嫌だという

モコを

犬猫病院に
連れてゆく

先生は
点滴を

もいちど
教えてくれた

震えて
モコ

がまんしていた

帰って
海を見にいく

海浜公園の
駐車場の

ヤブタビラコの
黄色の

花の
揺れていた

遠い海で

客船が
白く光っていた

 

 

***memo.

2023年10月1日(日)、自宅で、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」として作った52個めの詩です。

犬のモコの体調が悪く、静岡駅北口地下広場での即興詩パフォーマンスができませんでした。

タイトル ”ヤブタビラコ”
好きな花 ”ヤブタビラコ”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

日が暮れるまであと少し

 

工藤冬里

 
 

荒誕祭

やば豚でトン活
普通の道を歩いていても蜘蛛の糸を突破しているらしく顔や手に貼り付くのを
あれはアレチヌスビトハギ
廃船にいつも居る三羽の鵜が小鷺に挨拶されていくのを受け流して 童話のような親密 でも風が吹いて来た
それはアカクキミズキ
秋風や逆さに振りし頭陀袋
これはカキオドシ

モールで働らくおねえさん

脳味噌やられたおにいさん

日が暮れるまであと少し

充分寒いと思うけれども
地球に払う時給がない
生きをするように息ていてと言い切ってみると夜明けの三つの音がして刺身しかもまかない軍艦
走馬灯死ぬのかなを三回言って体の電源全部切る
衝上断層に今年もようけ落ちとるけどわしとこ以外誰も拾いやせんけんの

モールで働らくおねえさん

脳味噌やられたおにいさん

日が暮れるまであと少し

恋ヶ窪で必死にネトウヨを構ってあげようとしている男がプツン
ほら映画でよくある握った手を離してしまう落下寸前の

糸魚川で左右に割れて離れて行くよアクリル板もなしに
互いに見下ろす断層面・断層面
連絡船のテープみたいに

モールで働らくおねえさん

脳味噌やられたおにいさん

日が暮れるまであと少し

会場で打ち上げってなんだ 唐揚げとか出るのか唐揚げとか
ハッピーターンとか出るのかハッピーターンとか
ハッピーサッドとか知ってるのかティム・バックレーの
煮凍りみたいなやつじゃないのはたしかだ
前もってきっとそこの格差だ
離れていたかった鱧の死体だ
サードウェーブなんてとうに終わり何周目かの深煎り
バスケットボールを腹に入れて寝そべってオペラを歌っている

肋の如き刷毛の白

モールで働らくおねえさん

脳味噌やられたおにいさん

日が暮れるまであと少し

敗戦 僕とは敗戦に帰した全能感 全脳が泣けた マジ泣けるッス 善のうたうたうわたしに それは歌だヒカルだ ゼレン味のあるスキーム夏のゲレンデ アジェンデにチャボがフルクサス草津花柳病 加硫の巷膀胱癌いかんがな彼岸花脳死の牛脳死の牛No豚の囀り
ゲーテは精神だけは進んでいくと言うけれど5G端末がアタマの近くでonになっててもそうなのだろうかとてもそうはおもえない材木デスじゃろアルジャーノン

モールで働らくおねえさん

脳味噌やられたおにいさん

日が暮れるまであと少し

再訪問への暗礁
曲解セルフポア*
ロールオーバー亀之助
2p 3:16の逆向加速主義
隙間産業的更地としてのナイーブの道連れ
アカアシドゥクラングールの肖像

モールで働らくおねえさん

脳味噌やられたおにいさん

日が暮れるまであと少し

肉に沈んだ爪の
細すぎるフォントの
海に消えかかる
外延の明晰な十六夜なのか
反転した海と陸が左右の思い出を交換しているのを
眺めるだろうか
眺めるのだろうか

モーニングが目玉焼なのはとてもめずらしい

 
https://courrier.jp/news/archives/328823/

 

 

 

#poetry #rock musician

蚯蚓(みみず)

 

道 ケージ

 
 

アスファルトの空に
横切る
列なす彗星

多摩川土手の自転車道
月曜の炎暑の道に
身をジッと擦り付け
ひと刷毛の
尾を伸ばす

雨後の朝
蚯蚓たちは息継ぎに出て
白昼に干からび
踏まれ踏みつけられ
証しを地に残す

赤茶の沁みが
箒のような尾を引き
いくつもいくつも
点在している

垂れ糞とも螢火とも
脳漿と内臓が沁み入る
地の神の目ん玉として

夜空の彗星も
擦り付けているのだろうか
地の星の尾っぽは
執念、邪念とも呼ばれ
みっともないわけだが

あらゆる染みは死体である
あらゆる死体は作品である
どうすり込もうか
頭からおろす
足先から入れ込んで
脊髄を伸ばす

土を食(は)み沃土を放(ひ)る
蚯蚓
潜ることで残せたら
足先に垂線の涙を伸ばし
核を溶かし尾へ導く
茶色の体液の箒星よ

家族で関門トンネルを歩いた
隧道で蚯蚓になる
何を残したのか
空洞を走る空音(からおと)

また小田急と田都が蚯蚓であるのなら
不愉快な乗客はすべて土塊(つちくれ)の糞であり 
沃土である
 
新宿駅を下痢のように降りる
私たちは沃土である
擦り付けなくとも
すでに干からびつつ
潰されつつ
アスファルトを
擦過している