広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
ふわふわ ゆらふら
春めいて 暖かい日は
サバトラ雌猫ミュウちゃんのお散歩日和
ミュウちゃんはもうすぐ十八歳
ふわふわ ふらふら のっそり のっそり
まずは大好きなカレックスの葉をめざす
首を傾げながら葉を噛み 引きちぎっては食べている
ミュウちゃんの尻尾の先には
ホワイト・マジック、白い薔薇の枝が伸びて
新芽が やわらかい刃物のように
わたしの胸をすーっと切り開く
ズキズキ鈍い痛みが胸をかけ降りる
ふるふる ふわふわ ゆらゆらりん
まだ冬の気配を孕む冷たい風が胸の奥まで沁みて
あのとき仔猫だったきみの前足がふみふみするから
痛みをこらえ そうっと息を吐き出し春の名前を呼ぶ
ユキワリソウ、スノウドロップ、シュンラン、スイセン、マルメロ、
ミュウちゃん、ミュウちゃんの白くて温かいお腹、ホワイト・マジック、
春
この庭できみは生まれた
ホワイト・マジックの枝の下を
ととととっと駆け回ったきみはその足の速度で
わたしより早く季節をまたいで行ってしまう
もう遠い晩秋の庭にからだを濃く染めて
どんどん先を歩いて行ってしまうミュウちゃん
このごろ背骨が突き出て痩せてきたミュウちゃんを腕に抱きあげ
土臭くて 毛繕いする唾液の混じった白いお腹に
唇をあてながら
唱える
マジック、ホワイト・マジック、
ユキワリソウ、スノウドロップ、シュンラン、スイセン、マルメロ、
ホワイト・マジック、白い薔薇、ミュウちゃん、わたしの春、
マジック、ホワイト・マジック、
ふっくら大きい白い薔薇、
また咲かせてよ
ミュウちゃん、
呼ぶと
どこからともなく
跳び出してきたあのころ
きみの季節を ひっくりかえしたい
マジック、ホワイト・マジック、
白い薔薇、
ふるふる ふわふわ ゆらゆらりん
ホワイト・マジックの新芽が仔猫の前足になって
胸の奥底をふみふみするたびに
たくさんの時間がよみがえる
スリッパよりも小さいのに回虫でお腹をぱんぱんに膨らませて庭に蹲っていたきみ
アイビーが手におえないくらい繁茂していた
いつも遅く帰宅して食事をしながら新聞を読み足の裏できみの背中を撫ぜていた
モッコウバラが枝を絡ませ華やかに花びらを飛ばすのも
きみが喉を振り絞ってわたしを呼ぶ声にも気付けなかった日々
アガパンサスが長い陣痛から解き放たれたように花開いた夜遅く
帰宅するときみは尻尾の毛を全部抜いて鋭い目でわたしを威嚇した
きみの尻尾は長いミミズのようでテーブルの下には猫毛がどさっと落ちていた
でも寝るときは喉を鳴らしてベッドに入ってきた
わたしの二の腕の内側 いちばん柔らかい場所に爪をたて ふみふみしながら
痣ができるまでちゅうちゅうちゅうちゅう吸っていた
ミュウちゃん、ママの乳首が欲しかったんだね
エゴノキに小鳥がくるたびに目を見開き
き、き、き、き、き、と小さく声を出して低く身構え
野生の血をたぎらせていたっけ
ホワイト・マジックが大輪の花を咲かせていたよ
きみは気性が荒くて
獣医さんをいつも手こずらせてばかり
ホワイト・マジック、白い花びらがゆれていた
ふらふら ふるふる ゆらゆらりん
ミュウちゃん、
ミュウちゃーん、
マジック、ホワイト・マジック、
陽で温もったウッドデッキに寝そべるきみの横に
わたしもからだを伸ばし骨ばったきみを抱きしめる
白いお腹に顔をうずめる
きみの唾液の匂いが混じった尖った乳首
土臭くてやわらかいお腹のあたりに
唇をくっつけてぷはぁーっ、と息を吐き出す
ぷはぁーっ、ぷはぁーっ、ぷはぁーっ、
マジック、ホワイト・マジック、白い薔薇
もっともっとあったかくなぁれ、まあるくまあるく膨らんでよ
マジック・ホワイト・マジック、
きみの秋から ここの春の新芽まで戻っておいで
夏にはまた大輪の白い薔薇を咲かせてよ
きみは目を細め 毳だつ白いお腹で
子を慈しむように
大きなわたしを受けとめる
ミュウちゃん、
小さな乳首に唇を押し付けて
ちゅうちゅうちゅうちゅう吸っていたい
いつまでもいつまで甘い匂いを嗅いでいたい
あったかいお腹にいつまでもいつまでも顔をうずめていたいのに
するり
わたしの腕から抜け出し
おばあちゃんが腰を曲げて歩いて行く
のっそり のっそり ふらふら ふわふわ ゆらゆらりん
背骨の影をいっそう濃くしながら
ウッドデッキの隅っこに
よっこらしょっと肘を張り
まえあし うしろあし じゅんばんに折り曲げて
ゆっくりゆっくり寝そべると
茶色くしぼんだ花びらみたいに
ひげぶくろをふにふにさせてから
春の青空に向かって
大欠伸ひとつ
ミュウちゃん、
ミュウちゃーん、
マジック、
ホワイト・マジック、
マジック、
母がよそった
ちゃわんに
のりたま
じぶんでかけた
しろいごはんに
きいろい
のり
ゆれて
おなかいっぱい
もういい
のりたま
ちゃわんに
のこる
捕物は追いつくから それまでの間だけ
許して遊んだ
いつか追いつく
そんなふうに、限りがあることに
安心していたね
つまらない平安でいっぱいにして
滑稽に踊りつづけて、
いつの間にか滅んでゆくこの身を、呑み込んでいたね
いつ、生まれるの
永遠に飛び込むのは
身投げと同じ
脆弱な魂が恐怖を抜けて死ぬことと同じ
私が今 あなたの胸に飛び込むのは
身投げと同じ
死と同じ
永遠と同じ
同じです
なることができないからなりすましている
選択肢は幾つかあった
永遠の命と引き換えの享楽などない
地下鉄東西線は地上ではお弾きみたいに溶けている
角の席では小判がお弾きみたいに透明になっている
弾き飛んだボタンは月ではなかった
白黒逆転させると地球が映っていた
散弾銃から弾け飛んだのは
ボタンではなく恥だった
全ての顔は一緒だった
全ての子供は右翼になった
ボタンダウンしか売ってなかった
国盗りゲームはなかった
戦国時代はなかった
江戸時代はなかった
言ってみれば今が戦国
過去は未来が決めていた
未来が過去を決めていく
家猫が満足するように
ドームの内側で自足していた
外は氷だったが
暗くて見えなかった
疲れるまでやる気だ
昆虫は食うな
抗生物質漬けの
食糧危機は温暖化ビジネスなのでザレパテ方式で行くこと
鯖缶の株とか上がってるんじゃない?知らんけど
代替食糧、虫とか人造肉とかの企業
あとは安い暖房
#poetry #rock musician
再一次栩栩如生,在延期歸還的霞光中,舟楫
歲月遠去。最初的聲音,向
另一個人伸出手來
緊握,如同緊握未來的石斧。
"讓該死的死去吧"
碎片,原形畢露
手中之斧已跌落昨日的屠房
血氣彌漫,恐懼的低語停止了呼吸。
我們曾經見過的世界只剩下記憶
儲藏進這疼痛的口供。
羊村的囚徒從禁錮中歸來,
輓歌,填入裂開的空缺。
倏忽的靜寂,飲了一杯,
喪失的風再一次栩栩如生。
2022年10月10日 西貢
.
再一次栩栩如生,
またふたたび溌剌と生気に満ちて、
在延期歸還的霞光中,舟楫
引き延ばされた帰還の彩なす光のうちに、船こぐ
歲月遠去。
歳月は遠く去っていった。
最初的聲音,向
最初の声が、
另一個人伸出手來
別の一人にむけられ、手を差し伸べ
緊握,如同緊握未來的石斧。
しっかりと握りあった。まるで未来の石斧を堅く握るように。
"讓該死的死去吧"
「死んだほうがいい奴は、死なせてやれ」
碎片,原形畢露
砕けたかけらは、すっかり正体を現して
手中之斧已跌落昨日的屠房
手にした斧はすでに滑り落ち昨日の屠殺場には
血氣彌漫,恐懼的低語停止了呼吸。
血なまぐささが満ち満ち、おののく弱々しい声は、呼吸を止めた。
我們曾經見過的世界只剩下記憶
我々がこれまで見てきた世界は記憶だけを残して、
儲藏進這疼痛的口供。
この痛々しい供述の中にしまいこまれる。
羊村的囚徒從禁錮中歸來,
羊の村の囚われ人は禁錮から帰還し、
輓歌,填入裂開的空缺。
挽歌は、裂けて口を開けた隙間に埋め込まれた。
倏忽的靜寂,飲了一杯,
突然の静寂のなかで、一杯やれば、
喪失的風再一次栩栩如生。
失われた風にもう一度生気が漲る。
2022年10月10日 西貢
2022年10月10日 西貢にて
日本語訳:ぐるーぷ・とりつ
夏の終わり
深夜の
ふとんの上で
虫の声を聴いている
詩って
なんだろう
いつも
そう思う
いつも
そう
思い
言葉を並べてきた
並べている
軒下の雨だれの下で小さな子どもが
しゃがんで
小石を並べていた
たぶん
それが
詩だった
もう
みんな
逝ってしまったけど
小石を並べる
橋をつくる
#poetry #no poetry,no life
詩を書いています
とか
詩人です
とか
そんなことを言わないようにして
しかし
自由詩形式と
日本での定型詩の代表形である短歌形式を
長い年月
使い続けてきてみた
ここには
もちろん策略がある
1990年代以降の
日本における詩の扱われ方
とりわけ
その極端な衰退
共感者の過度の減少
それを観察し続けた上で
モダニズム詩や
シュールレアリズム詩に感性的な傾きのある自分が
どのように
言葉ならべをしていけるのか
いけないのか
数十年にわたる実験を続けてきた
このあたりのことは
言いはじめれば
無限に語り続けることになる
1980年代から1990年代
さらには
2000年代
ぼくのまわりでは
思い切って金をかけて詩集を出す人びとや
歌集を出す人びとが
いっぱいいた
すでに詩歌の時代は過ぎ去っているのに
わからないでいた人びと
小説の時代さえ
底から崩れていっていたというのに
わからないでいた人びと
そういう人たちが
どのように残っているか
彼らの出した本が
どのくらい残っているか
見まわすと
いま
もちろん
ほぼ全消滅している
本を出した人は金と労力をムダに失って
本など出さなかった人と
まったく同じ無痕跡に落ち着いていってしまったことになる
本など出さなかった人のほうが
金をムダにしなかった分
社会生活では勝ったことになる
多少なりとも
詩歌の世界からそれ以外の世間に
名のうっすら残っている人は
団塊の世代までの人
現代日本の詩歌はあぶないぞ
団塊の世代の一部までのみを残そうとする
数世代の陰謀だぞ
その下の世代は御神輿を担がせられ
忖度ばかりさせられて
ただでさえ売れない詩歌本を次々とバカのように買って
まるで
革マル派や中核派の
団塊の世代連中の年金を
若い世代の連中が担ってやっているようなぐあいで
ようするに
詩歌ばかりか
文芸全般が
老いゆく極左連中の介護と同じ状況に入っていっている…
ぼくはずっと
こう観察してきた
やがて
紙媒体で雑誌を作ったり
冊子を作ったりすること自体が
ムダ過ぎるというより
リサイクルゴミに出す労を人にかけてしまう時代に入り
ぼくはサッと紙を捨て
メール配信に切り替えた
メールだと人は迷惑メール設定にすればいいだけなので
簡単に処分できる
それだけでも配信先の人たちへの配慮というもの
紙媒体のものは
封筒の口をハサミやナイフで開け
内容物を取り出し
サッと見て
リサイクル用の紙ゴミを置くところへ持っていくことになる
かかる時間は数分だとしても
これが何年も何十年も続くとなれば
大変な時間的・労力的損失を引き起こしてしまう
なにより大量の紙媒体を郵送されていたぼく自身が
ひどく困っていた事態だ
いまでも紙媒体で
人にものを送ったりしている人は
時代の幾重もの変化の最初の波を
いまだに乗り越えられていない人たち
もう終わっている
いくらなんでも
もう終わりすぎている
あなたの紙媒体に時間を労するほど
みなさん暇だと思ってますか?
なのである
詩歌は書くべし
どんどん作るべし
しかし
絶対に詩集や歌集は作ってはならない
奇特な出版社が
ぜんぶ自社持ちで本を作るというのなら
その場合は作ったらよろしい
その際にはその出版社持ちのブランドのひとつとして
せいぜいよく売れる商品を作っていったらよろしい
資本主義後期どころか
資本主義崩壊期
資本主義変容期の詩歌書きは
最低限こうしたコンセプトを持ってやっていかないといけない
売れないものを本にする
などという異常さが
だいたい
どうかしているのだ
ただの無料配布のパンフならいい
しかし
値段をつけたり
バーコードをつけたりする商品を作ると決めたら
それは絶対に売れないといけない
利益率をどう設定するか
そこから経営学的考察に入らないといけない
こう言うと
詩歌が売れるはずないだろう
などと
平気で返してくる人がいる
なにをバカな!
商品を作るならば売れる商品になるべく
最初のコンテンツから売れ筋にするための構想しなければいけない
書きたくもないことを
さももっともらしく書くことで
商品はできあがっていく
マーケティングをちゃんとして
どんな単語をどう並べれば
最近の若い子は反応してウッカリ買っちゃってくれたりするのか
そこからしっかり商略を立てないといけない
ぼくは大学の授業も
マーケティングにしっかり利用してきた
テーマを自由に設定していい多人数講義で
現代詩を扱ってみたこともある
500人相手に
現代詩界隈では有名な作品を印刷して配り
とにかく読んでもらい
朗読したり
説明したり
意見を聞いたりしてきた
2000年代の段階で
すでに反応は絶望的だった
時代をグッと後退させ
宮沢賢治や中原中也や萩原朔太郎や島崎藤村などを読ませると
詩歌に親しんでいない若者たちにも
いきなり反応はよくなる
どうやら
現代詩と呼ばれたひとかたまりの時代と
そこを満たしていたコンテンツが
まるごと忌避される時代に入っているな
とザッと判断せざるを得なかった
2000年に入ってからの若者の大半は
もう現代詩とその後流の読者には成っていかない
しかし一方
詩歌への反応が失せてしまったわけでもなく
もっと余韻のあるもの
もっと古風なもの
もっと心を遊ばせてくれるもの
などには
それなりの反応は続いていきそうな気配があった
これを
保守化と呼んでしまえば
呼べないこともない
しかし
田中冬二や立原道造や津村信夫のほうがいいなあ
などと感じるのを
保守化と断じて
それで済ましてしまっていいのか
そう簡単ではないだろう
極めつけは
CDをかけて聞かせた吉増剛造の朗読だった
詩集を
何ページもコピーして
テキストも見えるかたちにして
けっこうな時間
『石狩シーツ』の朗読を聞かせた
結果は散散だった
わからない
というのはもちろんいいほうで
気持ち悪い…
どうしてこういう異常なものが詩とか呼ばれるのか…
二度と聞きたくない…
こんな醜いものを聞いたことはない…
などなどの大合唱となった
2000年に入ってから
若者の感性世界であまりにはっきりと変質したものの一端を
うまくマーケティングできた
とぼくは思った
なにかが完全に終わっていて
もうどうにも後戻りできない感性の変化が起きている
これに対してガタガタ批難しても
ドストエフスキーの『悪霊』の
ステパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホーヴェンスキーにしか見られない
1945年の敗戦とともに
鬼畜米英がガラッとアメリカ万歳に変わったように
ニヤッポン列島の言語快楽感性は
ガラッと豹変してしまったのだ
かろうじて
茨木のり子や石垣りんなどの言語配列だけが
詩歌として許容される時代に
すっかり変わってしまっていたのだ
もちろん
ぼく(ら)には策略がある
長い時間
潜伏に潜伏を重ねて
ついに
時来たって
事をはじめたホー・チ・ミンの
あの策略
ほんとに思っていること
たまには
言ってみようかな
ことばは唯一の鏡である
ということ
唯一の羅針盤である
ということ
唯一のモーターである
ということ
なにをしようとするにも
じぶんの位置や
じぶんの顔つきなんかを
ちょっとでも
確かめたいだろう?
そんなとき
役に立ってくれる魔法の機械は
ことばしかない
じぶんのことを
ムリしてでも語ろうとすることばで
ある必要もない
「両切り煙草を吸ってみて咽せたあのカフェ…」とか
「新しいiPhone、もう内田さんは買うつもりなんだって」とか
「机のパソコンの後ろにどうしても埃が溜まる」とか
そんなものでもいいのだ
すべてのことばが
必ず正確に
きみの鏡となるから
羅針盤となるから
モーターとなるから
だから
どんなことばでもいい
きみは
書き止め続けるべきなのだ
大根
ごま油
長ネギ(もし新鮮なよいのがあったら)
豆腐
七味唐辛子の入れ替え用
などと記した
買い物メモの裏に
急に
意味もなく
「タコ」なんて
書いてしまいたくなったら
ちゃんと書くんだ
「タコ」と
単語を吟味もせずに
ある時
むかしの恋をきみは走り書きしたくなる
長いつやつやしていた髪の
日菜子さん
数ヶ月しかあいまいなつき合いが続かなかったが
しかし
初夏のたくさんの花々の色彩にあふれ
いい香りがどこにも漂っていた
あれらの時間の思い出を
日菜子さん
この名前にすっかり引き寄せ直そうとして
走り書きでいい
それを
人目にちょっと触れさせたらいい
Twitterでいい
見知らぬだれかさんが
偶然目に留める
日菜子さん
それだけでいいのだ
そこで
日菜子さん
が
詩となる
日菜子さん
の
詩が
はじまる
お昼寝マット騒がしい
どったんばったん
いち早く寝返りに成功したコミヤミヤ
ぷっくり太くなった両腕で上半身支え
お腹大きくしならせ
ぷっくり太くなった膝曲げて
ぷるぷるぷーる、そーれ
マット、蹴るっ、蹴るっ
惜しい
もうちょっとでハイハイ成功なんだけどなあ
出遅れた感のあるこかずとんもこのところ寝返り成功してる
苦手だった右回りも成功した
そーれ、マット、蹴るっ、蹴るっ
ぐらっ、勢いつけすぎか
あーらら、転がっちゃってマットの外へ
マットの厚さ2センチだけど
この2センチ、乳児には高い崖と同じ
仰向けになって手足バタバタ
あーらら、泣いちゃった
しょーがない、助けてやるか
なことしてる合間にスマホ覗いた
えっ
「この度9月8日、父・鈴木志郎康は腎盂腎炎により他界いたしました」
志郎康さんのアカウントで息子の野々歩さんより
ご病気重いことは聞いてたので内心覚悟はしてたんだけど
もう会えないのか、声聞けないのか、この世にいないのか
心臓にぎっと来た
志郎康さんとは長い長いおつきあい
いろんな思い出があるけど
やっぱり最初にお会いした時のインパクトがすごかった
社会人2年目の4月だ
現代詩は好きで読んでいたけど遂に自分でも書きたくなってね
有名な鈴木志郎康氏が講師をつとめる詩の講座へ
ごっつい眼鏡のごっつい顔は雑誌で見た通り
書いてきた作品を恐る恐る提出
「ふーん、ツジさんは随分面白い感性してますねえ」
あ、ほめられた
「でも、ここ、おっかなびっくり瞼の上を歩くんでしょ?
ただの道が危険地帯みたいになるんだから緊迫感が必要なんじゃないの?」
そーかあ、残業終えて深夜書き直し書き直し
で、次回
「テッポウウオに狙われるっていう発想はいいね。
熱のある日だから/くねった道を直線として捉えてしまうんだ、も秀逸だと思う」
秀逸だって、やったー
「だけどその後、ミミズのような/赤味を帯びた道たちとの 情交、のところ
唐突なんだよね
迷った末にそういうところに出ていくというのが
実感としてきちんと描かれていなければならないと思う」
休日、家に籠ってウンウン言いながら書き直し書き直し
で、次回
「道が女性のイメージになるでしょ?
道と女性が重なる、ということは何らかの姿があるはずです。
それが全然見えてこない。
うまくいってたのに馬脚を現したな、という感じ」
難しいなあ、どうすりゃいいんだ、書き直し書き直し
で、次回
志郎康先生、初心者なのに容赦ない
そんなこんなで一編を半年書き直し書き直し
他の受講者の方々、おんなじ作品を何度も見せられてあきれ顔
ごめんなさい、ぼくもしつこいよな
でも志郎康先生、何度提出しても涼しい顔
作品を手に取ると眼鏡の奥一瞬ぎろっとさせて
次の瞬間には「ああ、この人これが言いたいのね」って顔する
で、「これが言いたいんならちゃんと言いなさい」ってなる
「肩は弓なりになって、ってことは最初と呼応する感じになるわけね。
ま、これで完成ってことでいいでしょう。
次は、道なら道を歩くイメージをしっかり持った上で
その場にいる気持ちで言葉を展開させていくといいかなあ」
はい、次に生かします
お昼寝マットの上でどったんばったんやっている
コミヤミヤとこかずとん
実は朝5時くらいから練習してるんだ
夢うつつの中
隣のベビーベッドから体を回転させるどたって音が聞こえてくる
ひねって
転がって
うまくできないとひぇーんうわぁーん
朝起きると頭髪は汗びっしょり
赤ちゃんはいつでも真剣勝負
お気楽なんてことはない
それを受け止めてあげるのがパパの仕事さ
それで
ぼくもどったんばったん
ひねったり転んだりしたのを
たまにはひぇーんなんてしながら
志郎康さんに受け止めてもらったってわけ
志郎康さん、ありがとうございました
ぼくには詩の生徒なんかいないけど
コミヤミヤとこかずとんがいる
その場にいる、気持ち
わっ、こかずとんの足がベビーサークルの柵に絡まった
救出しないとな
救出してもまた柵ぎりぎりまで転がってくるだろう
「ああ、こかずとんはこれがやりたいのね」
「やりたいんならちゃんとやりなさい」
お昼寝マットの中央に連れ戻す、その場で
蹴るっ、蹴るっ
*この詩は、2022年9月に、師であり友人であった鈴木志郎康さんが亡くなった知らせを聞いて書いたものです。
*取り上げられている詩は「きょとんとした 曲がり角まで」詩誌「卵座」9号(1989年4月1日発行)に掲載