夢は第2の人生である第60回

西暦2017年霜月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

その若い男がやくざであることは分かっていたが、実に些細なことで私にいちゃもんをつけてきたので、カッとなった私はそいつをボコボコにのしてしまった。11/1

ゼンちゃんと一緒に、どこか田舎の百貨店へ行こうとするのだが、ゼンちゃんは、いつのまにかどこかへ消えてしまう。久しぶりに会った弟なので、私はあちこち探し回るのだが、見つからないので、途方にくれてしまう。11/2

私は美貌の母娘の依頼を受けて、半年以上も作陶を続けているのだが、彼女たちがひっ切りなしにわが工房を訪れてあれやこれやとちょっかいを出すので、まるで作業が進捗しない。11/3

たいした選挙運動もしないのに、私は、なぜだか市会議員になった。
議場へ初登院しようとすると、入り口でヘルメットと角材を渡された。
「これで敵を思う存分ぶったたけ」と誰かが囁いた。11/4

上空から仁徳天皇の前方後円墳を眺めているうちに、この古墳は、カイコの五齢幼虫の姿を模したことが分かった。11/5

私は谷崎文藝に親しむあまり、文豪と同じように、右手では書けなくなってきたので、文豪に倣ってA嬢を秘書に雇って、口述筆記させていたのだが、彼女がファシスト政権の熱烈な支持者であると判明したので、即解雇した。11/6

私が勝手に広告を作って、いろいろな媒体に出稿するものだから、上司は、何も言わずに私を解雇してしまった。11/7

それまでは女性を抱きしめて押し倒しても、勃起不全に終わることが多かったのだが、その先の行為を、頭の中でシミレーションしているうちに、鬱勃と性器に精力が満ち満ちてきたようなので、これはもしかすると、きっとうまくいくのだろう。11/8

ようやく会社の近くまで戻ってきたら、ヨシダヨシオが、「タクシーに乗せて下さいよお」と甘い声でせがんだのを、私は断固として退け、馴染みの古本屋に入ると、昼寝していた主人が、慌てて飛び起きた。

この店には、なぜか水族館のような大きな水槽があって、アシカやペンギンが泳いでいる。ふと見ると、目の前にペンギンが立っているので驚いたが、おそらくこれは、水槽から飛び出て来たのだろう。

ヨシダヨシオが大声で「ペンギンだあ! ペンギンだあ!」と叫ぶと、ほかのペンギンやらアシカやらトドなんかも、連れだって私たちをぐるりと取り巻いた。

もう夜も更けたので、朝にならないうちに帰宅しようと焦っていると、AとBが「もう一軒行きましょうよ」としつこく誘うのを断り、私は中央駅の階段を全速力で駆けのぼり、どこへ行くのか分からない発車間際の電車に飛び乗った。

昔の私は、己の虚しさを糊塗しようとして、虚飾に満ち満ちた言葉をまき散らしていたのだが、最近は口を閉ざして、おのが空無そのものを、さらけ出すようになったらしい。11/8

自殺船というのは、毎年年1回公募による365名の自殺希望者を乗せて、365日間で世界を一周する。毎日1名の自殺者を予定し、本人も納得しているのだが、いざとなるとひるむ人もいて、およそ3分の1ほどが、死なないで戻って来るそうだ。11/9

大事にしている鞄を、ウンコがいっぱいに盛り上がった河に落としてしまった。しかたなく、ウンコが盛り上がった河の中に、抜き足差し足で入って、鞄を取り戻したが、家に帰って洗ったら、別の鞄だった。11/10

指揮者に憧れて弟子入りした私だったが、師匠が右手を挙げながら、右指を順に追って、曲の終わりを指示しているのを見て、指揮棒を折った。そもそも私は、オタマンジャクシが読めないことを忘れていたのだった。11/12

イマナカ、キムラ両氏が、大論戦を繰り広げている部屋を後にして、ランチに出かけた私が戻って来ると、ムラクモ氏が来客に自分本位に対応していた。60年代最終年のわが社に、果たしてどんな70年代が訪れようとしているのか、私しか知らなかった。11/13

「なんで家に帰って来なかったの?」と聞かれても、よく分かりません。
別に女ができたわけじゃなし、まあ猛烈リーマンですかねえ。
仕事が面白いから夜遅くまで働いても苦にならない。気がつけば電車が無くなっている。それで外泊しているうちに、家で寝るより安ホテル、とりわけカプセルホテルのほうが休めることに気がついた。利用したのは主に新橋、渋谷かな。11/14

洞窟のように狭くて、腰の上あたりに小さなテレビがついている。
そういう独特の空間でないと眠れないような精神と肉体状態になっていたんですね。
それでも時々は自宅に帰っていたんですが、ある日事件が起こった。

夜の渋谷で、格安で車のガソリンを売っている男がいる。ほとんどただのような値段なので喜んで買っていたら、最初はガソリンだけだったのが、ガソリンを餌にして、いろんなものを売るつけるようになった。

それで、「いい加減にしろ」とガツンとやっつけたら、そいつがヤクザだったので、幹部やら親分やらがが絡んできたので、夜の渋谷は鬼門になった。
それでまた家と会社を普通に往復するようになりました。いわば日常を取り戻したわけ。

夫を取り戻した家内も、ほっと一息ついたと思うけど、ある日、洗濯物が4つの場所に離れ離れに置かれていて、この4つの場所が、私がこの4年間に旅行した記念の場所なんだというのです。どうやら勝手に海外旅行をしていたらしい。

猛烈リーマンの私は、てんで知らなかったが、彼女はその4か所でそれぞれ土地を買って、4人の男に留守番をさせているというので、妙に気になって、その4人を日本に呼び寄せたら、口々にその土地を売ってくれと言うので、切り売りしてやりました。11/14

隣国でクーデターが起こり、皇帝が殺されたので、後宮の女性三千人が、我が王国に亡命してきた。毎晩一人としても全員を味見するのにおよそ一〇年間を要すると知った私は、茫然として業務など手がつかなくなった。11/15

私は愛機を低空飛行させながら、地上の人々に「早く逃げろ!」と叫んだのだが、そのうちに、上空から急降下してきた敵機の猛射を浴びて、たちまち火だるまになってしまった。11/16

ウッチャンはじめマンタ一家は、おせいちゃんがお金を持ってくるのをずーと待っていたが、お昼近くになっても彼女の姿が見えないので、イライラは絶頂に達した。お金がないと昼御飯が食べられないのだ。11/17

教室の学生たちが、いつまで経っても私語をやめないので、私はビール瓶を右手で抱えながら「いい加減にしろ!」と怒鳴りつけた。11/17

奥歯にはまだ神経が残っているはずだから、先生お願いだから麻酔をしてくださいね。麻酔なしだと、きっと気絶してしまうでしょうからね。11/18

私がアハハというと、ヨシダ君がアハハと応じる。そんな歌舞伎のような応答を2人でしばらく繰り返していたのだが、突然ヨシダ君が「ウーーウーーウーー」と救急車の真似をしはじめたので狼狽した。11/19

地中海クルーズのリーダーのY嬢に、持参したカセットやデッキを進呈したら、「これで航海中の徒然を慰めることができますわ」と、大喜びされました。11/20

敵の大艦隊が押し寄せてきた。私は1トン爆弾を積んだ改造漁船に乗り込み、先頭の敵艦に突入する決意を固めたが、そんなことは無理だということをよく分かっていたので、Y嬢と、手に手を取って逃げ出したくなった。11/20

わがブランドは、東コレを皮切りにNYコレに進出して地歩を固め、次いでパリコレで大成功した時点で、ピークに達したが、その直後に人気実力ともに急降下して、誰からも忘れ去られた。11/21

「あなたからは、おのれの欲しか感じない。だったら、おのれの欲の海で、立ち泳ぎでもしてな」と夏菜から言われたので、私はひと夏じゅう葉山の海で立ち泳ぎしていた。11/22

2人の子供とセミ公園に行きました。するとセミを追いかけて親子のライオンや白ヒョウが公園中を駆けずり回るので、怖くなって、みんなで脱出しました。11/23

野山を楽しく散歩した後で、私たちは固まってお弁当をつかった。11/24

急に外国からの賓客が来訪することになったので、私は新宿の本社と、長野、飯田工場の3か所を、ヘリに乗ってあわただしく移動せざるを得なかった。11/24

ミチコさんが、「これ以上私に何もしないでください」というので、私は何もしなかった。11/25

道教寺を舞台にして、いつのまにか毎日公演が行われていた。予算はゼロに近いのだが、常設のお神楽をBGMにして演劇やオペラを学んでいる学生を起用すれば、けっこう面白い見世物ができるのである。11/26

裂帛の気合いもろとも、突っ込んでいったが、あっという間に、剣を弾き飛ばされ、喉元に突きが入ったために、仰向けにどうと倒れた私は、両手を彼女にふんづけられ、屈辱的な敗戦を喫した。11/27

ともかく私は、1千万円を取り返さなければならなかった。たとえ来る日も来る日も、タコの足ばかり食べ続けなければならなかったとしても。11/28

つねに一打逆転で勝利を手繰り寄せてきた頼りがいのある男を、私はいつも、私の次の打順に据えてきた。我々がプロの世界から引退したあとも。11/30

 

 

 

ベートーヴェン、交響曲第7番、そして映画

音楽の慰め 第25回

 

佐々木 眞

 
 

 

昔から楽聖と呼ばれたベートーヴェンの音楽は、昔から映画音楽によく使われてきました。
けれども彼の音楽は男性的で、柔道一直線的な要素が強いので、映像との組み合わせが難しい。

スタンリー・キューブリック監督の「時計じかけのオレンジ」では、交響曲第9番がテーマになっていました。これなどは映画と音楽のつながりに必然性がありましたが、たとえばあの有名な「合唱」の調べを、感動的な映像シーンにかぶせると、なんだかダサくてしらけた映画になってしまうことが多いようです。

これと対照的なのがモーツァルトやラフマニノフのピアノ協奏曲で、「みじかくも美しく燃え」とか「愛と哀しみの果て」や「逢びき」などのラブストーリーにはぴったり合うのですが、ベートーヴェンはなかなか難しく、私が知っているほとんど唯一の例外はピアノ協奏曲第5番の第2楽章を印象的に使った1975年製作のオーストラリア映画「ピクニックatハンギングロック」くらいでしょうか。

私はこの曲を聴くたびに、ピクニックに出かけた美貌の女生徒が失踪するという「神隠し」事件を描いたピーター・ウィアー監督のこの隠れた秀作を思い出さずにはいられません。

そんな次第で映画とは縁遠かったベートーヴェンでしたが、最近になってなぜか交響曲第7番の第2楽章を鳴らす映画が頻繁に登場するようになりました。例えば2010年製作のトム・フーバー監督の「英国王のスピーチ」です。

ご存知のようにこの映画は、吃音に悩むジョージ6世(コリン・ファース)と、その治療に挑んで勲章をもらったオーストラリア人(ジェフリー・ラッシュ)との交情の物語です。

他の医者は、吃音を外部から物理的にアプローチして治そうとして失敗するのですが、その豪人は、吃音の真因が幼時からの父親との精神的な軋轢にあると見抜き、全人格的な関わりの中で溶解させようと腐心するのです。

なんとかかんとか吃音障がいを克服して、ヒトラーへの宣戦布告を告げるジョージ6世の演説の背後に鳴っているのが、ベートーヴェンの交響曲第7番の第2楽章でした。

あそうそう、この曲は、名匠ジャック・ドゥミ監督の名作「ローラ」でも使われていました。
これは1960年に製作された白黒のフランス映画ですが、ヒロインの踊子ローラに扮したアヌーク・エーメが、たとえようもなく美しく、チャーミングなんですね。

音楽を担当したのは「シェルブールの雨傘」で有名なミシェル・ルグランですが、ここであえてベートーヴェンをもってきたところ、見事にフィット。映像との違和感がまったく無いのは演出の魔術としか思えません。
撮影監督はジャン=リュック・ゴダールの無二の相棒ラウル・クタールでしたが、その「実存的な」キャメラが全編に亘って冴えまくっておりました。

驚いたことに、そのゴダール監督による2014年の3D最新作、「さらば、愛の言葉よ」でも、ベートーヴェンの交響曲第7番の第2楽章のアレグレットが実に効果的に使われていました。

意表をつく言葉と斬新な映像と大胆な音声音楽が三位一体となって、観客を驚きと混乱の極に陥らせ、おのれとおのれを取り巻く世界についての新しい光を投げかけるこの監督お得意の手法は、もはや定番といってもさしつかえないほどゆるぎなく確立された行き方です。

しかし今回は、それがさらに余裕と遊びを持ち、映画という古典的な領域を大きく逸脱しています。まるで重層的で知的な映像ゲームを楽しんでいるような錯覚を覚えるほどで、ここには今年87歳になった映像革命家がついに達成した、軽妙にして深淵な芸術世界が繰り広げられているようです。

ワーグナーが「不滅のアレグレット」と呼んだ、そのベートーヴェンの音楽に伴われて突如インサートされる森の若葉や紅葉の綺麗なこと! いつもと同様、いろいろカッコつけている映画ですが、結局ゴダールが見せたかったのは、四季を彩る自然のこの刹那の美しさ、だったのかもしれません。

それでは最後にベートーヴェンの交響曲第7番をカールベーム指揮ウィーン・フィルの東京ライヴの演奏で聴いてみましょう。

コンサートマスターは、1992年に哀れザンクト。ギルデンに散ったゲルハルト・ヘッツェル。彼の不慮の死から現在に至るウィーン・フィルの緩慢な没落が始まりました。

 

 

 

 

夢は第2の人生である 第59回

西暦2017年神無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

ともかく無茶無茶苦茶な生活をしてきたから、とりあえず食堂でカレーライスを食べ、食後にコーヒーを飲みながら、しばらくはこのボロボロの体を労わって栄養をつけようと思った。10/1

するとハヤシが、「あそこに座っておられるテラオカさんは、なんとか大学の理事をされているから、君のためによいアドバイスをしてくれるかも知れない。ちょっと挨拶をしといたほうがいいと思うよ」と盛んにけしかけるので困った。10/1

ラッシュが終わって電車がすいてくると、A夫人は「今日のランチは「K7」にしましょう。「K17」や「K27」より安くて美味しいわ」とウインクした。電車にはご主人のA氏も乗っていたが、途中の駅の人込みで、車両から弾きだされてしまったのである。10/2

私はなぜだか「国民の敵」の処分を任されたのだが、1)普通に殺す。2)磔にして殺す。3)生きながら八つ裂きにする。の3つから好きなものを選べと命じられたので、秘かに考えていた無期懲役の選択肢は放棄せざるを得なかった。10/3

私は最新型の生霊・怨霊発見カウンターを持っていたので、室内のあちこちにそれを振る向けると、「源氏物語」あたりで激烈な反応があった。10/4

隣に座っていたマルダラノマリアという渾名の女が突然立ち上がって、こんなことを言いはじめた。「こんなことってよくあるじゃない。その時そう言っておくべきだったのに、その時には何も言えず、随分後になってから後悔するようなことが。」10/5

友人と新宿のファイアットホテルの最上階でコーヒーを飲んでいると、突然見知らぬ外国人の男が、私のスプーンを取って、私の右腕に押しつけてにたりと笑ったので、とても気色が悪かった。10/6

上司から北陸出張を命じられ、富山の営業所へ行くと、「所長のタカヤマです」といって現れたのは、なんとタカヤマコウヘイ君だったので驚いた。わが幼馴染のコウヘイ君が、同じ会社で働いているなんて、ちっとも知らなかったが、彼は奇人変人の私のことを、昔から知っていたという。10/7

功なり名遂げたある画家の作品を見ながら、涙を流している白髪の盲目の老人がいた。聞けば、「眼は見えずとも、絵のたたずまいがくっきりと心眼に浮かんでくる」というのだ。10/8

真夜中に突然スピーカーから素敵な音楽が流れてきて、びっくり仰天したのだが、その後もたびたびそういうことが起こるので、音楽が始まると同時に、テープに録音できるようにセットして、それを新曲として発表したら、驚いたことには大ヒットした。10/9

2年間は、なにやかやとやることがあった大学生活だったが、あとの3年間は、まったく無為に過ごしてしまった。10/10

ファシスト政権が音楽統制を強めるてきたので、私はモザールの「レクイエム」を、もはや防空壕の中で鑑賞するしかなかった。10/11

本社の経営企画室のもひもひ課長が突如営業に戻されたので、みんなびっくり。次のもひもひ課長は誰になるのか? ひところはよりまし課長が嘱望されていたが、こないだ自殺してしまったし。10/12

彼はベランダに横たわり、銃を顔の上に乗せて眼を瞑っていた。おそらく私が自殺するためには、銃が必要ではないか、と思っていたのだろう。が、私はいつまで経っても身動き一つしなかったので、彼は諦めたように銃を取ると、それを自分の顔めがけて発射した。10/13

「先生が好きなんです」といいながら、その子が寄りかかってきた。すると生温かな肉の柔らかな感触が伝わってきたので、思わず私はそれを両腕で受け止めてしまった。10/14

「あたし、これから最後のお人形を作るの」というてワカバヤシ・タミは、ミルク色のどろどろの溶液で満たされた地下室へ降りて行った。彼女がそこに身を沈めると、彼女にそっくりのダッチワイフが製造されるのである。10/15

「あいつは、シェイクスピアになりすましたジョン・ペインだ」とタナカ・ソウジが騒ぎ立てるので、私がその真偽を確かめようと近づくと、いきなり自称シェイクスピアがサーベルを抜こうとしたので、私は一発で殴り倒してやった。10/16

寝ていたら、突然家が壊れ始めた。2階がバリバリと壊れ始めて、私がいる1階に落ちかかるので、まるで生きた心地がしないが、2階には大事なものがあるので、階段を上って部屋を覗くと、瓶の中で人間の顔をしたコアラの親子が走り回っていた。10/17

恐怖政治の最中に長く禁止されていたモザールの「レクイエム」の演奏がようやっと許されたので、私はその演奏を久しぶりに教会で聴くことができた。1018

大通りで事故があったようだ。道端に切断された2本の足のようなものが転がり、その左手には、やはり切断された大きなイカの胴体のようなものがあったので、私は「これはいったい誰のものなのだろう?」と、厭な予感がしてきた。10/19

なぜか突然社長になった私は、すぐに部下のタナカに命じて、「全国の工場のどこかで、今も働いているらしい、私の父親を探し出せ」と命じたのだが、私も結局誰かさんのようにお友達&縁故人事をやらかしてしまうに違いないと思った。10/20

その外国の女は、手にしたものを階段の上に置いたまま、地面に降りたち、そこに開いていた穴に、潜り込んでしまった。10/21

イチローは「お互いこの世を生き延びてきた者らを、尊ぶようにしたいでげすな」などとしょもないことをペラペラ喋り続けるのですが、それを聞かされるダイスケこそいい迷惑で、その青ざめた額からは、冷や汗がたらりたらりと流れ出るのでした。10/22

こちらは災害鎌倉です。台風の影響で国道34号線の滑川交差点から小動交差点までの間は、通行止めになっていますので、ご注意ください。10/23

粛々と学校行事が挙行されている最中に、隣の上司が、「リベンジミサイルの時計スイッチを押せ押せ」と強要するので参ったが、押し問答しているうちに、誰かが別の時計スイッチを押して、ミサイルを発射してしまった。10/24

私が防空壕の中に入ると、即時武装放棄を唱える男と、断固徹底抗戦を主張する男が言い争っていたので、なんとか双方の主張を足して2で割った調停案をつくろうとしたが、どうにも無理なので、諦めてしまった。10/25

寒い、寒いと思っていると、やっぱり背中が丸出しだった。これでは寒いのは当然だ。10/26

私が「今から親友の助太刀をするつもりだ」とオオトモ君に打ち明けると、彼は「私も助太刀しよう」という。そして決闘の現場に来てみると、親友のすけっとは他にも大勢駆けつけていて、なんと1対10の対決になったので、私は敵にちょっと同情した。10/27

この人里離れた海水浴場で午後1時に、と再会の場所と時間を指定しておきながら、その男は姿を見せない。頭にきた私は、ざぶんと海に飛び込んで沖に向かって泳いで行くと、人影らしきものが見えた。仰向けになって漂っている男は、紛れもなくイデだった。10/28

宿敵との決戦を目前に控え、寺社仏閣に必勝祈願をしようと近くの寂蓮寺を訪れると、足を引きずって出てきた住職は、まぎれもなくこの前の合戦で相まみえた敵の武士だった。10/29

10メートル位からの距離で私が連続して投げた石は、それぞれ2人の若者の頭に当たったのだが、彼らは私が投げたと知りながら、血だらけの顔で平然として私に挨拶をした。10/30

一晩寝て眼が覚めたら、昨夜枕元にいたはずのバッタは、巨大な緑色のオウムに変身していた。10/31

 

 

 

性のむきだし音楽

音楽の慰め 第24回

 

佐々木 眞

 
 

 

この世の中で、セックス、というより、ずばり「性交という行為そのもの」を表現した音楽は、おそらく星の数ほどたくさんあるでしょう。あるはずです。

経験豊富な皆さんと違って、奥手の私が知っているのはたった3つしかありませんが、今宵は恥をしのんで、それらをご紹介しませう。

そのひとつはあまりにも有名なジェーン・バーキンとゲンスブール(ガンスブールと発音すべきだという御仁もいらっしゃいますが)とが、蝶々睦々ちんちんかもかもとからみあう、超悩ましい「je t’aime… moi non plus」(ジュ・テーム・モア・ノンプリュ)という極め付きの1曲です。

 

#1 バーキン盤

 

もういい加減にしろと言うても、きっとこの調子で朝までエクスタシーが続くのでしょうね。若さの勝利というも愚かなり。

なおこの空前絶後の「アヘアヘあえぎ」は、ゲンスブールのそれまでの恋人だったブリジット・バルドーと録音されていたのですが、バルドーは当時の夫を忖度して発売を拒否したためにお蔵入り。その代打で急遽登場したバーキン盤が世界中で大ヒット。
それが原因でゲンスブールはバルドーと別れたんだそうですが、なんとも羨ましいような話ですなあ。

 

#2 参考までにバルドー盤

 

お次のセックス音楽は、リヒアルト・シュトラウスの有名な「薔薇の騎士」の冒頭の音楽です。

物語の舞台はマリア・テレジア治下のウイーン。まだ開けられない深紅のカーテンの向こう、夫の不在の寝室のベッドで絡み合っているのは、妖艶な元帥夫人と青年貴族オクタビアンです。

いきなり指揮棒が一旋すると、管楽器の不協和音が鳴らされます。
高鳴るホルンの一撃は余りにも早すぎるペニスの勃起であり、次なる弦楽器の強奏は、成熟した年増女の「警告と教育的指導」です。

しばらく血沸き肉踊る猛烈な揉み合いが続いたあとで、全木管金管楽器がぐるぐり悲鳴を上げて咆哮するフォルテッシモは、17歳の若者のあまりにも性急で早すぎた射精であり、そこにすかさず分厚く覆いかぶさる弦楽器は、やむを得ず自分のエクスタシーを早めようとする元帥夫人の怒りを込めた焦り、なんですね。

やがてゆるやかに奏される序曲の終わりは、すなわちセックスの終わりとそれなりの性的満足の表明、なのでしょう。

R.シュトラウスの「バラの騎士」はカルロス・クライバー指揮のウイーン国立歌劇場またはバイエルン歌劇場による演奏。同じくカラヤン指揮のウイーン国立歌劇場またはフィルハーモニア管演奏のできれば映像付の録音がおすすめです。

 

#3

 

最後は、旧ソ連を代表する作曲家、ドミートリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)が、わずか26歳の若さで完成させた自由奔放なオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」です。

帝政ロシア時代の地方の富裕な商人(50代)の美貌の後妻、カテリーナは、23歳の若さと性欲をもてあましてもんもんと眠れない夜を過ごしていました。

が、その隙をついて忍び込んだイケメンの下男に犯され、よくある話ですが、あのチャタレイ夫人のように初めて性の燃え上がる喜びを感じて、いわゆるひとつの充たされた生活、を満喫するようになります。良かった、良かった。

しかし好事魔多しとはよくいったもので、2人の仲は義父に知られてしまう。
そこで追い詰められたカテリーナは、義父を毒入りキノコで毒殺し、出張から帰ってきた夫も、恋人と共同で殺してしまいます。(レスコフの原作では、もう一人少年も殺害するのですが、オペラではカットされています。)

やがて晴れて結婚した2人でしたが、「天網恢恢疎にして漏らさず」のたとえ通り、悪事が露見した2人は流刑地に送られ、なおも陰惨な悲劇が続くのですが、それはさておき、ここでの問題は、第1幕第3場における荒々しい性行為の音楽。
すべての弦と管と打楽器が荒れ狂う獣のように咆哮し悲鳴を上げるのです。

私はマリス・ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセツトヘボウ管による2006年6月、アムステルダムはネーデルランドオペラ公演のライヴDⅤDで視聴しましたが、まさに阿鼻叫喚の激烈な強姦音楽です。(45分~47分あたり)

 

#4

 

どうしてこのように野蛮な、セックスむきだしの原始的な音楽が、当時のソ連で大好評をかち得たのか?
おそらくは人間は、昔も今もどんな社会体制にあっても、生きているからにはその性的快楽を全面的に肯定するほかないじゃないか、という原点を、初めて音楽で本気で描いたからではないでしょうか。

しかし残念ながらこの文字通り革命的なオペラも、当時の独裁者スターリンが見物した直後にソ連共産党の機関紙「プラウダ」で「荒唐無稽!」とこてんぱんにやっつけられ、それから20年後にショスタコーヴィチがその行き過ぎた個所をマイルドに削ぎ落とした改訂版を「カテリーナ・イズマイロヴァ」として世に送るまで、音楽史の暗闇に放置されるほかなかったのでした。

 

 

 

夢は第2の人生である 第58回

西暦2017年長月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

失業したので、再び東映でチャンバラのアルバイトを始めた。キラレキラレてとことんキラレ、最後は格別念入りにスローモーションで斬られるのは、私だけにできる得意技なのである。9/1

私は、その有名な大作家の代表作の有名な泣かせどころを何回も読んだのに、まったく泣くことができず、こんなはずではないと激しく困惑してしまった。9/2

ジュンちゃんに忘年会の幹事を頼むと、「幹事代はいくらですか?」と尋ねるので、「16万円の経費からいくらかちょろまかせよ」と答えると、口をとんがらかせて文句を垂れていたが、「お土産は河道屋のそばぼうろだよ」と言うと、ニコニコ顔になって引き受けた。9/2

苦心惨澹創意工夫の結果、とうとう「つねに空中歩行可能なスペースウオーキングシューズ」を完成したというのに、てんで売れないのは、いったいどういう訳だろう。9/3

今夜は酒池肉林の宴ゆえ、極上の美女と山海珍味に加えて、コンドームとバイアグラもさりげなくわれわれ参加者に提供されていたが、誰ひとり見向きもしなかった。9/4

東京の南北で、果物にシロップを入れる/入れないの違いがあることが判明したので、広場に集まった人々は、パパパパッパ/パパパパッパと手拍子を打ち鳴らして、この発見を喜び讃えた。9/4

今晩だけは、女たちを食卓から遠ざけておくようにという指示が出ていたのは、こじれきったクマさんと八っつあんの仲を、私らが取り持ち、和解させるためだった。9/5

フリーターの私は、金に困って天孫の末裔が誕生するや否や、素早く奪取する仕事を請け負ったのだが、いつまで経ってもその兆しがないので、とうとう諦めてしまった。9/6

母校で園遊会が開かれるというので、久しぶりに上京して、懐かしい級友たちと久闊を叙していると、突然一天俄かにかき曇り、雷鳴とともに猛烈なにわか雨が落ちてきたので、我々は着飾った同級生とともに、教育学部の古い建物に逃げ込んだ。9/6

サカモト君とサカイ君と3人で地下街に入ったところで、のろまな私だけがヤクザに捉まって難癖をつけられた。彼奴はボクシングの構えをしながら私のポケットに手を入れ、金を探りながら、「殴るぞ、殴るぞ!」と脅かすので、「たあすけてくれえ!」と私は叫んだ。9/7

バベルの塔、バブルの塔、バベルの塔、バブルの塔、バベルの塔、バブルの塔、バベルの塔、バブルの塔があ 9/8

ねうねうねうみやうみゃうみゃうねうねうねうみやうみゃうみゃうねうねうねうみやうみゃうみゃう 9/9

イデ君と林間空港に戻ってくると、出発便で食い損ねた朝食が、座席の前にまだ残っていたので、腹が減っていたから、食おうかと思ったのだが、3日目の物を食って食当たりをしてもつまらないので、全部捨ててしまった。9/10

路地の先に進んでいくと、お誂え向きの切腹の場所となり、一人の老人が、いままさに皺だらけの腹の皮に脇差を突き立てようとしていた。切腹は型通りに行われ、あっという間に老人の体はふたつになった。9/11

私が彼女を見放したものだから、彼女は敵に捉まって、行方不明になってしまった。9/12

お姫様は、庭の池に「万物の精」を浮かばせて、「それでは、わらわに何か頼みたい者は、あの精に手を触れながら念じれば、その思いは叶うであろう」とおっしゃった。9/13

山の上には、映画関係者が利用する素敵な別荘があった。サイトウさんの紹介でそこを訪れた私は、その年の夏をゆったりと過ごすことができた。9/13

牛乳を飲んで、しばらくしてから、それを胃から取り戻して、貧者に分け与える。それこそがわれわれが発見した一本で二度美味しい、一石二鳥の裏技だった。9/14

「さあシオリの尻をよく見てろ」、とその男が指差したので、シオリのお尻をじっと見つめていると、シオリのお尻の下から、黄金色の大判小判が次々に出てきたのでした。9/15

わが先輩は、リーマンになったばかりの私に、出張とはなにか、出張費とはなにか、その事務処理はどうするのかについて、噛んで含めるように丁寧に教えてくれた。9/15

いつも冷酷無比という定評のあるその紳士だったが、その日は、ちょっと普段と様子が違って、にこやかな顔をして、私たちに、御馳走を振る舞ってくれた。なにか魂胆があるのだろうか?9/16

詩を作ろうとしていたのだが、てんでできず、そのかわりに、短歌が5つ6つできたので、フェイスブックに投稿したら、鈴木志郎康さんだけが「イイネ」をつけてくだすった。9/17

「痛いの痛いの、とんでいけえ!」と叫んだら、本当に飛んで行ったので、調子に乗って「あの塔、倒れろ!」と叫んだら、本当に倒れてしまったので、調子に乗って「○○死ね!」と叫ぼうとしたが、そればっかりは、いかにも憚られた。9/17

私は三越との打ち合わせに出席していたが、突然同じ時刻に伊勢丹、西武、そごう、小田急とも打ち合わせすることになっていたことに気づいて、茫然自失してしまった。9/18

東野英治郎に似ている老パイロットが、高層ビルの最上階に住んでいるので、時々遊びに行く。窓からは山やくの字型に折れ曲がった大河、プールで泳ぐ人たちが見える。老パイロットは、改造した自宅のアトリエに格納している、最新型の小型飛行機を見せてくれた。9/19

老人のマンションの格納庫のとなりは、だだっぴろいフリースペースになっていて、老人は恵まれない子供たちを引き取って、この部屋でひがないちにち遊んで暮らしているそうだ。老人は、先月レントゲンを撮ったら、末期ガンで余命半年と宣告されたそうだ。9/19

彼は、時々ツアーを企画する。その飛行機に乗せた少人数の人々を、世界中の楽しいところ、面白いところにみずから案内するのだ。3か月くらいのワールドツアーだ。料金も格安だし、どうやらこれが最後のツアーになりそうなので、私は来月妻と参加することにした。9/19

あの著名な画家のハシモト氏が、一度ならず二度までも、おのが人生を投げ出して再出発したという話を聞いて、私は衝撃を受けた。あれほどの世界的名声をかち得た人物の生涯に、いったい何があったのだろうか。9/20

もしもあの権力の真空状態にあって、彼奴らが「我々は権力を掌握した」という声明を出しさえすれば、クーデターは失敗し、勝負はついていたのに、彼奴らは、それをするのを怠たるという致命的な失敗を犯したのであった。9/20

ここはどうやらLAらしいのだが、砂漠の町で開かれている映画の試写会に行くために、広場に止まっているタクシーに乗ろうとすると、法外な運賃をふっかけられて、はてさてどうしたものか、と悩んでいる私。9/21

ブルックナー野郎と、世紀の対決をする羽目になった私は、小田原海岸では、ブルックナーの1番2番3番野郎に挟み撃ちにされ、大礒では4番、茅ヶ崎では5番、6番野郎と命がけの戦いを繰り広げ、藤沢では7番、鎌倉では8番としのぎを削ったが、いよいよ横浜ベイブリッジを舞台に、交響曲9番との世紀の大勝負が始まろうとしていた。9/22

帰宅途中、地下鉄の構内から出たところで、武装した兵士に取り囲まれたので、とうとう内乱が始まったことを知る。私の後に続いていたリーマンたちは、もちちろん丸腰だったが、もはや誰何もされずに自動小銃でバリバリ薙ぎ倒されていった。9/23

父から1000冊の古本を譲り受けた私は、うち200冊をすぐさま魚雷に転換して、夜襲を仕掛けてきた敵の軍艦のどてっぱらに見舞ってやった。9/24

家老の青山大膳に頼まれて、若殿のお守役を引き受けたずぶの町人のわたしは、莫迦殿にえらく気に入られてしまったので、大膳の推挙で苗字帯刀を許され、あこがれの武士になることができた。9/25

町内の音楽鑑賞会で、マーラーの交響曲9番のCDをかけたら、聴いていた爺さん婆さんが、たちどころに牛や馬に変身したので、「なるへそ、これが音に聞く風馬牛か」と、ハタと膝を打った。9/26

横須賀湾の軍艦見物をしていたら、町内会の連中も同じ湾内周遊船に乗り込んできたので、私は最初から彼らと一緒だったような何食わぬ顔をしていたが、本当は後ろめたかったのである。9/27

その夜のレイトショーに行くと、曰くつきの女が待ち伏せしていて、前後左右でうろちょろするので、ゆっくり映画鑑賞を楽しむどころの騒ぎではなかった。9/27

3人の若い教師の発言を聞いた後、私は立ち上がって「本日は私の講義はありません」というと、3人は笑ったが、私は「教師こそわが天職なり」という思いで、胸がいっぱいだった。9/28

CMでアフリカのライオンの撮影があるから、良かったらどうぞと誘われて現地に赴いたら肝心要のコンテが出来ていない。あなたはプランナーだから今日中に作ってくれとスタッフに言われて大いに面喰っている私。9/29

遠い日本から遙々アフリカくんだりまでやって来たというのに目当ての美貌の母娘とはまだコンタクトもとれず、したがって週刊誌から頼まれた突撃インタビューも出来ないでいるのだった。9/30

世界最高珍味のひとつである極楽ジュースを、私は一気に飲み干した。こういうものは珍味だからと言ってあまり長く保存しておくべきものではないと熟知していたからである。9/30

 

 

 

音楽の慰め 第23回

降誕祭の音楽

 

佐々木 眞

 

 

Sさん、いかがお過ごしでしょうか?
12月といえばクリスマスの季節。そちらはもう雪が降りつみ白一色のホワイトクリスマスではないでしょうか。

そこで今宵は、北国の降誕祭にふさわしい音楽をピックアップしてみたいと存じます。

まずはなんといってもビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」ですね。
1941年にアーヴィング・バーリーが作詞作曲し、クロスビーが晴れやかな声で歌いあげたこの名曲は、我が国の内村直也作詞・中田由喜直作曲の「雪の降るまちを」にも似た古閑で鄙びた趣もあって、世界的にヒットしたのではないでしょうか。

 

 

次はドイツの作曲家、セバスチャン・バッハのオルガン曲です。
「小川」という名前をもつこの偉大なドイツの作曲家には、その名も「クリスマス・オラトリオ」という大曲もありますが、この季節に私が聞きたいのは、教会の礼拝の前にオルガンで演奏されるコラール前奏曲です。

「オルゲルビュヒラインBMW599-644」などのコラール前奏曲は、昔から著名なオルガニストによって演奏されてきましたが、私がひそかに愛聴してきたのはアルベルト・シュヴァイツァー博士の演奏です。

「生命への畏敬」を唱え、赤道直下のアフリカ・ガボンで医療と伝道に尽くし、ノーベル平和賞を受賞した「密林の聖者」は、優れた医師・哲学者・神学者・音楽学者であったばかりか、知る人ぞ知るオルガン奏者でもあったのです。

 

 

シュヴァイツァー博士が弾くコラール前奏曲は、技術をひけらかすどころか、聞きようによってはむしろ下手くそといえるかもしれません。

しかしそれにじっと耳を傾けていると、村の古い小さな教会でオルガンを弾きながら子供たちと讃美歌をうたっている小太りの老人セバスチャンの姿が、おのずから浮かび上がってくるような古拙な演奏で、これこそ神様が嘉し給う敬虔な調べというものではないでしょうか。

バッハの音楽の本質は神への尽きせぬ感謝とひそやかな祈りであり、その名の通り小さな川のように流れる日々の頌歌にこそあるのでしょう。

最後はご存じ管弦楽の神様、ヘルベルト・フォン・カラヤンが、名手ウィーン・フィルを指揮したクリスマス・アルバムです。独唱は黒人ソプラノ歌手、レオンティン・プライスですが、彼女が無心に歌う「清しこの夜」や「アヴェ・マリア」を聴いていると、文字通り心の底から清められていくような気がいたします。

 

 

それではSさん、今日はこの辺で。どうぞ良いクリスマスと新年をお迎えください。

 

 

 

夢は第2の人生である 特集号(第55回・第56回・第57回)

 

佐々木 眞

 
 

 

夢は第2の人生である 第55回

西暦2017年水無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

龍宝部長は、「これで肉をあぶって食べるといいよ」といって、私に超強力なコンロを呉れた。6/1

大阪支店で乾燥庫に入ったら、熱が強すぎてスーツの色がたちまち変色し、危うく焼肉になってしまうところだった。6/2

社長の私が「今日はオラッチがなんでも奢るぞ」というと、部下たちは勇んで超高級メニューを発注し始めたので、内心こりゃやばいぞ、と焦った。6/3

鈴木志郎康さんに差し上げた工場の作業現場のノイズ録音テープが、ゼミの学生たちによってダビングされ、ヤフオクで途方もない値段で取引されているのを知って驚いた。6/4

天安門にゴロゴロ殺到する戦車の前で、大きく両手を広げてみたものの、怖くて怖くて仕方なかった6/5

週刊文春の短歌欄で、「自己」というテーマで投稿を呼び掛けていたが、現在のところ誰も応募していないようだ。6/6

この会社の広告制作部では、営業が勝手に担当クリエーターに直接発注しているので、アートディレクターは暇だが、制作物の質は最悪だった。6/6

その会社の広告制作部では、朝から晩まで、管理職を除く男性クリエーターたちが、唯一の女性で可愛いデザイナーのキヨミヤさんに、間接セクハラして喜んでいた。6/6

「西暦2017年2月17日の午前中に、神奈川県の大和市で、言うべくして、とうとう言えへんかったことども」という出だしの文章を書いているが、これは単なる散文か? それとも散文詩と呼んでも構わないものだろうか。6/7

中華料理屋で食事中に、緊急打ち合わせが飛び込んだので、シウマイを持ったまま会議室へ向かう途中で、別の中華料理屋の裏口から入って、玄関口から出ようとしたら、「うちのシウマイを持ち逃げするな」といわれて、困ってしまった。6/8

図書館の本は、すでに20冊予約済みなのだが、いますぐ読まなければならない本が10冊もある。はてさてどうしたものか、と私は思案した。6/9

「客に物を買わそうと思ったら、A→B、B→Cのように具体的に矢印で指示すれば、絶対に買うよ」と、その男は断言した。6/10

いったん捨ててしまった1萬牌を最後につもって、私は役満の「国士無双」を上がった。6/11

越中島から永代に来てみると、ヤギ君が「ワカバヤシが打ち合わせに来ない」というてパニックっていたので、「大丈夫、今まで彼と越中島でマージャンをしてたから、もうすぐここへ来るよ」と教えてやると、安心したようだった。6/11

ナカノ君とマツイ君のカバンの中から、つぎつぎに奇妙なハイテク商品が出てくる。「それは6500円だね」と私が言い当てると、マツイ君は、あっと驚いた。6/12

イデノトシコは、にっこり笑って、私にグミの実がいっぱいなった枝をくれたので、私と一緒に暮らしてくれるのか、と一瞬思ったのだが、それは全くの幻想で、彼女はたちまちどこかへ消え去ってしまった。6/14

ブルーレイ・レコーダーには、既に3つの外付けHDDが接続してあるのだが、4つ目をテレビに直接取りつけたら、なにか問題が起こるのだろうか。誰かに聞こうと思うのだが、適当な相談相手が見つからない。6/16

アイオーデータという、何を省略したのか意味不明の会社に、「どうして貴社の外付けHDDは、パナソニックのギーガと接続できないのか」と電話したら、女の子が「検証できていませんので」と、何度も国会答弁のように繰り返した。6/17

ともかくA女に借りができたので、彼女が支配下に置いているB女の店で本を、C女の店でCDを買って、埋め合わせをしようと思って、妻と一緒にポポロ広場へやってくると、くだんのA女が私らを睨んだ。6/18

深夜の海で地引網を引いてみたら、どういうわけか最先端のハイテクおもちゃが、大量に浜に引き揚げられたので驚いたが、子どもたちは大喜びでそれで遊んでいる。6/19

中国の巨大な空港で行方不明になってしまった私は、5時間後に、中国の不思議な役人のおかげで発見され、感謝の言葉を述べようと思ったが、あっという間にいなくなってしまった。6/20

「本日にて、貴君への監視を終了する」と刑事と名乗る男が言うたので、私はずっと共謀罪の対象者だったとはじめて知った。6/21

野原で開かれているマル戦の集会で、かわいこちゃんの亜麻色の髪がおいらの鼻先をくすぐるので、いつまでもクンクン嗅いでいたら、マツイ君とテルイ君が、「おれたちの話を真面目に聞け」と怒り出した。6/22

ようやっと立ち上げた託児所で、預かった子供たちの昼食を作ろうと、ガスの火を点けたら、なにかに引火して、あっという間に家もろとも燃え尽きてしまった。6/23

私は45歳と46歳の元祇園芸者が経営するスナックに入り浸りになり、骨抜き状態になっているところを、「週刊新潮」にフォーカスされたが、別に誰からもなにも言われなかった。6/24

朝な夕なに海水が氾濫するこの街に、観光客を呼び込もうと、新任広報担当のマエダ嬢が「日本のヴェニスへどうぞ!」と懸命にPRしたが、いつまでたっても誰もやってこなかった。6/25

足元を流れている溝を覗くと、生まれたばかりの子犬が流されていたので、素早く拾い上げて抱いてやると、うれしそうに尻尾を振った。6/26

私は、最近友達になったばかりの馬と犬を連れて、街中をゆったり散歩した。6/27

私は、なぜだかモンシロチョウの雌になっていて、イタドリの葉っぱの上で羽根を広げ、下肢をピンと立てて、上空から雄が降りてくるのを待っていた。6/28

シュア製のカートリッジが暗闇に転がっていたので、何気なく拾い上げて右ポケットに入れ、速やかにその場を立ち去ろうとしたら、店主らしく男が睨みつけるので、さりげなくそこらへんに置いて、すたこらさっさと立ち去ったが、盗人にならなくて良かった。6/29

私はパエリア国の日本大使館のシェフに任命されたので、NYの世界各国の代表部の大使たちに、魚と野菜を主体とした北欧料理を、日本料理風味にアレンジして供したら、大好評だった。6/30

私は金曜の夜、会社のエレベーターの扉にもたれて不貞腐れているヤマちゃんを誘って、パエリア国大使館に向い、かの国の美女たちに囲まれて、極上の北欧料理と性的サービスの饗宴に満腹満足しつつ、うまし夢路を辿った。6/30

 
 

夢は第2の人生である 第56回

西暦2017年文月蝶人酔生夢死幾百夜

 

最後は私とマムシの決闘だったが、私は彼奴に噛まれないように後ろに回って尻尾をつかみ、石の上に何度も叩きつけたので、とうとう彼奴は私の軍門に下った。7/1

アシダ君はレリアン担当を命じられたが、苦手の婦人服分野なので、どのように取り組んだらいいのか、日夜悩んでいた。7/2

朝の5時だというのに、ごしごしと木を切っているやつがいる。「神様、私を助けてください」という少女の叫びも聞こえる。すると突然蝉が鳴き、ピアノがポロンと鳴った。7/3

悪者に追いかけられてたので「さあ困った、どうしよう?」と検索に打ち込んだら、いきなりイタリアの高級車アルファロメオが、目の前に現れたので、これ幸いと乗り込んで、窮地を脱することができた。7/4

阪神の源五郎丸に似た名投手と仮契約するために、今すぐ130万円が必要なので、すべての財布とポケットを探しまくったのだが、たったの1円すら持ち合わせがなかった。7/5

玄関に人の気配がするので覗いてみると、生協の配達のお兄さんが、しょんぼりと立ち尽くしているので、「どうしたの?」と尋ねると、「このシャケの切り身を注文されましたか?」というので、「いいや」と答えると、がっくりうなだれてしまった。7/6

私は式守伊之助だが、知らない間に土俵の外の砂に大きな足跡がついている。しかしいつ誰が踏み出したのか、さっぱり記憶がないので、頭の中が真っ白になった。7/7

「ホテルにしますか? 旅館にしますか?」と聞かれたので、「朝晩食事はついてるし、畳の上の布団で寝られるし、旅館にきまっとるがな」と答えて、その日は小西屋に泊った。7/8

そのうちに私らのオケは、だんだん地力がついてきたので、オペラ座がガルニエ宮で「トリスタンとイゾルデ」をやる同じ日時に、シャンゼリゼ劇場での公演をぶっつけ、乾坤一擲の勝負に出た。7/9

我が党ではつねに新鮮な新人候補者がプールされているので、選挙のたびに、大量の新人を繰り出すことができました。7/10

どういう訳だか、私はW社に二重採用されていたので、ある時は営業、またある時は企画の席を行ったり来たりして、都合が悪くなると、有休代休を取りまくって、給料も2倍もらっていた。7/11

鎌倉市長になった元ミス鎌倉のヤマモトヨシコは、自分の華麗な恋の遍歴を、市の広報に総天然色24ページで特集して、5万部増刷したので、一部の市民の顰蹙を買った。7/12

昨日ネットで買ったばかりの扇風機が、朝から怒涛のように押し寄せてくるので、甚だ迷惑だ。同じ扇風機を、こんなにたくさん購入した記憶はないのに。7/13

この新聞は、誰かが記事を読んだ途端に消えてしまうので、非常に困る。私は真っ白になったタブロイド紙を持ったまま、あちこち駆けずり回って、読んだ人からその内容を聞き取ろうと試みたのだが、空しかった。7/13

その男は、私がヤマダ電機で予約したレコーダーを勝手に使って、いろいろな番組を予約したり、かと思えば解除したりするので、私はひどく困惑してしまった。7/14

川上から下ってきたその男は、汀の生き倒れ人を見ながら、「誰でも人世にはこういう時がある。きっとあそこから落っこちたのだろう」と、橋の欄干を指差した。7/15

「自閉症は遺伝です」と、そのフランス人は熱く語ってやまないんだが、我が家の自閉症の長男は「なにをいまさら川端やなぎ、なにいううとるねん、ぱあでんねん」と笑い飛ばすだけだった。7/17

20代の私なら、一撃のもとに退治できた夏の蚊であったが、いまでは冬の蚊でさえ叩き潰すことができず、何度も掌が虚しく柏手を打った。7/18

西部戦線で異状があった。私と共に敵情視察に出向いた少年兵のハンスが、敵の狙撃手の1弾を喰らって、即死したのだ。7/19

私はダリル・ハンナの桃色の太腿で、細い首をぎゅうぎゅう絞めあげられ、あまつさえその首を、左右にぎゅぎゅっと捻られたので、思わず「もう勘弁してくらさいな」と泣きを入れたが、ハンナ嬢は知らん顔してる。7/20

私は平家の領地や源氏の領地に居ると、いろいろトラブルが起こるので、そのいずれにも属さない領分を見つけては、そこでぶらぶら遊んでいた。7/21

極寒の地で、人も鳥も犬も飢えていた。私がカメラを上空に向けていると、名も知れぬ黒い鳥が、私のすぐそばに、嘴を下に、ジャックナイフのように突き刺さった。飢えた彼奴は、私の生温かい肉を狙ったのだ。7/22

腰まで積った雪を、切り裂くようにして、家から出てきた女をみつめながら、狼は牙をむいた。私が彼奴にカメラを向けると、彼奴は、私を襲おうか、それとも女を襲おうか迷っていたが、そのまま息絶えた。7/22

昔から非常にださくて凡庸な企画ばかり提出して、物笑いの種になっていた男が、世界を代表する美術展のプロヂューサーに成りあがっているので、私はびっくり仰天した。7/23

半世紀ぶりに訪れたウッドストックは、地球上の他の場所と同じように、草木も土も生物もみかけない、荒れ果てた不毛の地、デッドストックと化していた。7/26

「冒険倶楽部」創刊記念3千号は、記念パーティが既に3回も開かれたにもかかわらず、まだ世に送られず、その代りに「浮草マガジン」や「おろぬき少女」という新雑誌が創刊された。7/27

私は、私に残された人生の末路を知るべく、最新鋭の「人世先取り録画機」を5倍速で早回ししてみたが、灰白色のノイズが忙しく点滅するのみで、その詳細は杳として知れなかった。7/28

私はどういう訳だか、知らない間に友人のブログを乗っ取ってしまい、友人になりすまして、多種多彩な情報を各方面にばらまいていたようだ。7/29

「お前の誕生から死まで、すべての経歴を、この全自動洗濯機に放り込んでおいたのさ」と神様は宣わった。良く見ると、私は、シャツやパンツに混じって溺れかかっていた。7/30

待望の幻の稀覯書を書架に見出し、欣喜雀躍せし余は、その時早く、かの時遅く、そを鷲攫みにして、レジに赴きたりしが、懐中に一銭の持ち合わせなきことを見出したり。7/31

 
 

夢は第2の人生である 第57回

西暦2017年葉月蝶人酔生夢死幾百夜

 

おない年の古い友人、井出隆夫死去の知らせを受けた私は、いたずらに長生きしても仕方がないと、全財産を投じて、かねて買いたいと思っていた格安CDセットを、アマゾンで衝動買いした。8/1

私が喉を腫らして往生していると、あまり付き合いのなかった営業部の顔の大きな男がやってきて、「佐々木さん、これをすぐに飲みなさい、すぐに効きますよ」と言うて、白い錠剤をくれたが、はてさて飲んでいいのやら悪いのやら。8/1

全身身動きできない病気でベッドに縛りつけられている真夜中に、突然自地震がやってきた。ああ怖や怖や。8/2

一刀両断された巨大な鯉の半身の上に、跳躍した別の半身がぴたりと覆いかぶさると、元の見事な鯉の全身像が復元され、たちまち池の底に消えてしまった。8/3

私の留守中に奥村氏が訪問されたというので、私はすぐに家を飛び出してあとを追った。するとビルの壁面いっぱいに「拝啓佐々木眞殿、奥村土牛参上」と大書された横断幕が張られていたので驚いた。8/4

生まれ育った神田鎌倉河岸で、百坪の土地を手に入れた私は、その地で、ささやかな繊維会社を始めることにした。8/5

「地元民に限って、原爆の被害を見せてやる」と言うので、勇んで現地に駆けつけたものの、その眼を覆いたくなる惨状に言葉を失った。8/6

「海底と湖底のそれぞれに沈めてある私の玉の身に異常がないよう、くれぐれも注意してくれ」と言い置いて、私は牢屋に入った。8/7

40年間働いた御礼に貰ったキンコン船に乗って、港の外へ出て行こうとすると、部落の人々が、小舟に乗って別れを惜しんでくれた。8/7

朝カトウさんから「このたびわたくしウトウの君とケッコンいたします」というメモが来たので驚いた。なんでも、信号待ちの車で隣同志だったウトウが、窓からカトウの車に乗り込んできたのがなれそめだとか。8/8

ベテラン役者と称された私だったが、敵の首をちょん切ることだけは苦手で、いつも失敗していたので、汚名を挽回しようと、毎晩ひそかに練習を続けていた。8/9

ケンちゃんと一緒に電車に乗って、降りたところは、風がビュービュー吹き付ける賽の河原だった。仕方なくまた電車に乗って、次の駅で降りると、地下街で超マイナー作家の文庫本フェアを開催していたので、2冊買って、そこで藝大へ行くケンちゃんと別れた。8/10

激しい川の流れの中から引き揚げられたのは、2つのこんもりとした黒くて小さな塊で、私はその中のひとつが、自分の子供ではないか、とおののいた。8/11

私は人気の超高齢者番組に呼ばれて特別ゲストになったのだが、一言もコメントできなかったので、あっさり首になってしまった。8/12

賽ノ河原を歩いていると、「ササキマコト」と書かれた卒塔婆を見つけ、ずいぶん手回しが早いことだと驚いた。8/13

イソムラ氏は、さすが元NHKのアナウンサーらしく、私が持っていたレシーバーの4つのボタンを、最適のポジションにセットしてくれたのだが、その間に、本日のゲストの紹介が着々と進行していた。8/14

デパートの屋上にいる耕君のジャケットが、1階のエスカレーターの傍にあったので、私はそれをつかんで屋上まで昇ると、誰もいない。行き違いになったのだ。焦った私は、猛烈な勢いで、エスカレータを駆け降りた。8/15

大災害に遭った我が家に、いち早く駆けつけてくれた小人が呉れた竹筒の中には、おにぎりと小さな打ち出の小槌が入っていて、小槌を振るたびに、大判小判がザクザクと降ってくるのだった。8/17

ネットで私の名前を検索してみたら、生年と死亡年月日が記載されていたので驚いた。私は、もはやこの世の人ではなかったのだ。8/18

理事長は、いつも私の顔を見ると、私が講義している「春夏秋冬論」の中で、いろいろな年中行事の話を加味してほしい、と懇望するのだが、その都度私は無視して、聞き流してきた。8/19

私は「自分を語る」という番組に出ることになったのだが、キャメラが回り始めると、本当に自分が存在したのか、いまも存在しているのかよく分からなくなったので、スタジオから逃げ出して、満員電車に乗った。8/20

代々木駅で荷物を引っ張り出しているうちに、電車は新宿に向って発車してしまったので、私は、知人に挨拶もできずに別れてしまった。8/20

その高山鉄道は、麓の生誕駅からはじまって、少年少女、成人、恋愛、同棲、結婚、離婚、病気、老人、頂上の死別駅まで、10の名前がつけられていた。8/21

万博会場の跡地の最高塔がついに竣工したので、私はようやく、やすらかに永眠することができた。

サイトー君が、大枚を投じてカンヌで買い付けた映像は、映画祭の議事進行や、歴代の来賓の挨拶などを収録したもので、肝心要の映画とは、なんの関係もなかった。

私は暴漢に、何度も何度も刺されたようだが、その直前に友人のブログを乗っ取って、その友人になりすましていたたので、事なきを得た。

私は親類縁者のすべてに頭を下げて、港の外海に狭い漁場を確保していたのだが、新しい権力者が登場すると、そのささやかな利権は奪われてしまった。

イケダノブオの新ブランドは、毎年のように誕生したが、それがどこで、どのように販売されているかは、誰も知らないうちに、またしても新しいのが誕生するのだった。8/24

八木駅で山陰線に乗ろうとしていた私は、駅前に蝟集する不気味な黒集団に圧倒されたが、傍らのヤギが何か叫んだので、はっと気づいて、彼らの目の前にキャンバスを据えて、スケッチを始めた。8/25

前の理事長は、精力的に資金運用していたが、新任の理事長ときたら、そんなことにはまったく無関心で、部下に全部任せている。8/25

それにしても、真昼の海のどかな岬だ。しかし、こんなところにもなぜか映画会社があり、映写技師と私しかいない狭い試写会では、おりしもジョン・フォードの「捜索者」が上映されていた。8/26

恋に破れ、やけくそになったその女は、わが社をアポなし訪問して、「10万円を10日寝かせば投資で100万円にしてみせる」と、社員を見境なしに勧誘したが、誰も乗ってこないのだった。8/27

宇宙ロケットからクルーズ船、電車、新幹線、バス、飛行機、なんでも乗れてクレジットで買い物もできるという汎用性カードが送られてきた。ワーイ、ワーイ。8/28

私は五体満足だし、知能もまあ普通だし、いわゆる一人の平均的人間と周囲からは思われていたが、おそらく式亭馬琴が「八犬伝」でいう「仁義礼智忠信孝悌」の仁義八行のうちのどれかが欠落している、と自覚していた。8/29

私がデザインしたキッズ用のシープスキンのジャケットは、企画課長が没にしていたのを、営業課長への直訴が成功して復活したのだが、売り場に並んだ途端、売切れになって、追加生産ができるかという問い合わせが、全国から殺到した。8/29

道場で勝負を所望してきた素浪人と2度立会い、2度とも技ありで退けたのだが、今度は「六条河原で真剣勝負したい」としつこく迫るので、三度目の正直で、首を斬りおとしてやった。8/30

私の目の前で、いかにもそれらしく振る舞ってはいたが、その若い男女は、本当にお互いを熱愛しているとは到底いえない確たる証拠を握っていたので、私はひそかにほくそ笑んだ。8/31

 

 

 

「つむじ風、ここにあります」

音楽の慰め 第22回

 

佐々木 眞

 
 

 

木下龍也著「つむじ風、ここにあります」という短歌の本を読みました。
木下さんは山口市在住のことし29歳、すでに2冊の歌集を出し、2012年には全国短歌大会大会賞を受賞したという、文字通り新進気鋭の歌人です。

どんな短歌を作っている人かというと、これはなかなかいわく言い難い。じつにさまざまな歌を詠んでいる人なので、ページを開いたところにある歌を、行き当たりばったりに紹介しましょうか。

 

あたらしいかおがほしいとトーマスが泣き叫びつつ通過しました

 

機関車トーマスに託された現代人の痛切な孤独と嘆きが伝わってこないでしょうか。
じっと耳を澄ますと、「ああ、いちど貼られたレッテルは二度と変更できず、一度定められた行き先も変更できず、同じ道行きを死ぬまで繰り返すのみである」というような叫びが聞こえてくる。
ユーモラスな外見に秘められた人生の惨劇は、私たちのまわりにいくらでも転がっているようです。

 

数千のおにぎりの死を伝えないローソンで読む朝日新聞

 

その前に「鮭の死を米でくるんでまたさらに海苔で包んだあれが食べたい」という歌があり、次にこれが来ます。
コンビニに並べられている商品はことごとく死んでいることの発見の歌。私たちの日常を静かに囲繞する「乾いた死の歌」といえるでしょう。

 

後ろから刺された僕のお腹からちょと刃先が見えているなう

 

悲劇を達観し諦観する軽妙なニヒルこそ、われらの時代の唯一の処世術なのでしょう。おのおのがた、なう。

 

つむじ風、ここにあります 菓子パンの袋がそっと教えてくれる

 

これは本書のタイトルにもなった短歌ですが、私はすぐに「誰が風を見たでしょう?」という昔の歌を思い出しました。

英国ヴィクトリア朝時代の女流詩人、クリスティナ・ロセッティの作詞を、西条八十が訳し、草川信が作曲した唱歌です。
けれども、ここでつむじ風が通り過ぎることを教えてくれるのは、もはや木の葉や木立ではなく、無機的な菓子パンの袋に変わっている。
いっそセレナードならぬ、「都市ルンペンプロレタリアートの哀しき叙情」といってもよいかも知れませんね。

今宵はこの懐かしい歌を聴きながら、皆様とお別れしたいと存じます。

 

 

 

 

ナンセンスを生きる言葉

鈴木志郎康詩集『とがりんぼう、ウフフっちゃ。』(書肆山田)を読んで その2

 

辻 和人

 
 

志郎康さんの詩には、意味不明な、ナンセンスな事柄をモチーフにしたものが数多くある。
あの有名な「プアプア詩」がそうであるし、1990年刊行の詩集『タセン(躱閃)』などは全編がナンセンスそのものと言っていい。比較的最近の詩では、『ペチャブル詩人』の「キャー」の詩が好例だろう。「キャーの演出」の冒頭部分は次のようなものである。

 

今、部屋の中にいて、
誰もいないのを見定めて、
思いっきり、
キャー、
と叫んでみる。

 

一人っきりの部屋でふざけてバカなまねをしてみるなどということは誰でも経験があるだろうが、この詩はそうした意味ない行為を真正面から取り上げている。しかし、この「意味ない」とはどういうことだろうか? 生活の役に立たず、仕事や学問という見地で価値がない、つまりざっくり言えば、生産性が認められないということだろう。では、「生産性」はどういう風に認められるのか、と言えば、それは他人との関係においてであろう。汚れた衣類を洗濯することは、他人から見て一般的な価値が認められる。衣類を身に着けることは社会性ということと密接な関係があり、どこの誰であろうと、きれいな身なりをする場合にはプラスの社会性が付与され、だらしない身なりの場合はマイナスの社会性が付与される。「プラス/マイナス」で判断できる社会性を、生産性があるとかないとか言い換えることができるだろう。では、「キャー」の場合はどうなのか? キャーと叫んだところで何が起こるわけでもない(せいぜい「猫がびっくり」するくらいだ)。生産性がないという言い方もできるだろうが、正確には生産性という概念と無縁の行為であると言えるだろう。この、生産性とは無縁の行為は、実は、生きる衝動というものと密接に結びついている。生きるということは時間の中に存在するということであり、時間の中で存在する限り、個体は待ったなしで行為し続けなければならない。待ったなしである限り、日常における無数の行為の大半は練られた思考の結果としてではなく、衝動的になされるしかない。「キャー」は、この生産性とは無縁な生きる衝動を、言語化し、可視化させる試みと言えるだろう。

 

詩集『とがりんぼう、ウフフっちゃ。』には、生産性という概念では測れない、この生きる衝動を端的にテーマにした作品が幾つか収められている。表題作である「とがりんぼう、ウフフっちゃ。」の連作がその典型例である。

 

尖った
尖った
とがりんぼう、
ウフフ。
とがりんぼう、
ウフフっちゃ。
ウフフ。

 

とがりんぼうとは何か。それはわからない。「俺っちの、/禿げてきた/頭のてっぺんってか。」と自問しかけるが、即座に「違う、違う、/違うっちゃ。」と打ち消してしまう。尖ったという特徴を持つ「とがりんぼう」は、どうやら「春の気分」の中から生まれたものであるようだが、それが具体的にどんなものであるのか、生みの親である「俺っち」にもわからない。但し、「ウフフ」という擬態語からわかるように、意味が特定されないままふっと生まれてしまった「とがりんぼう」という存在に、「俺っち」は強い愛着を示している。

「続とがりんぼう、ウフフっちゃ。」は、「とがりんぼう」への更なる執着を描いた詩。

 

急げ、
急げ、
追いかけろ、
摑まえろ、
とがりんぼうを
摑まえろ。
それしかないっちゃ。

 

「夜明け前の/3時を回ったところ」で目が覚めてしまった「俺っち」は、何と「とがりんぼう」の捕獲について考え始める。

 

今や、
とがりんぼうは、
外に出たっちゃ。
ということは、
中に入ったってこっちゃ。
二本杖でも外歩きできない、
ベッドで横になってる
俺っちの
頭の中に、
入っちまったってこっちゃ。

 

奇妙に厳密な論理の展開がおかしい。「俺っち」は「とがりんぼう」が気まぐれな思いつきの産物であることを自覚しており、かつ、自身が不自由な態勢であることを自覚している。身体は不自由だが、脳髄の運動は自由闊達そのものであり、その闊達さをイメージ化させたものが「とがりんぼう」なのである。実体はなく、何かの事象の比喩でもなく、尖っていそうだというぼんやりした印象の他は視覚的な特徴さえ持たない。が、それでも言葉の世界の中では生き生きと存在している。そんな「とがりんぼう」を、ベッドから離れられない「俺っち」は、脳髄をぐいぐいと動かして夢中で追いかける。生産性とは無関係な、純粋に存在するものを愛でる悦びが、ここに横溢している。

「続続とがりんぼう、ウフフっちゃ。」では、「とがりんぼう」に執着することに対する考察が展開されている。高名な数学の教授が弟子たちに、学問に没頭しなければならないということを語った文章を新聞で読み、こんな風に呟く。

 

早速、俺っち、
この言葉をもらったっちゃ。
「朝起きた時にきょうも一日とがりんぼうをひっ捕らえて詩を書くぞと思っているようでは、ものにならない。とがりんぼうを尖らせ詩を考えながらいつの間にか眠り、目覚めた時にはすでに詩の世界に入っていなければならない」
ってね。

 

「俺っち」は教授に同意するかに見えるが、次の瞬間には態度を翻す。

 

ものにならない、
ものになる、
ものにならない、
ものになる。

ものになる数学って、
なんじゃい。

 

教授が口にした「ものにならない」という言葉を捕らえて、「俺っち」は鋭く反論する。

 

とがりんぼうを
摑まえて、
尖らせ、
ものになる
詩って、
なんじゃ。
人類の詩の歴史に傑作を残すってことかいなあああ。
ケッ、アホ臭。

 

とがりんぼうを摑まえる行為はその人の内発性によるからこそ輝くのであり、外部からの評価、つまり生産性という点から価値を認められても空しいだけなのだ。

 

俺っちが、
とがりんぼうの
尖った先で、
言葉を書くと、
その瞬間、
火花散って、
パッと燃え尽き、
灰になっちゃうってこっちゃ。

 

この部分は、志郎康さんのどの文章よりも、「極私」の意味の核心を端的に突いているのではないかと思う。「俺っち」の気まぐれな空想から生まれた頼りない「とがりんぼう」という存在は、ただただ尖らせたいという「俺っち」のなりふみかまわない意志によってのみ「火花」が散るのであり、その後「燃え尽き」「灰になっちゃう」ことはむしろ望むところであり、それによって、

 

そこに、
新しい時間が開くっちゃ。
嬉しいって、
素晴らしいって、
ウフフ、
ウフフっちゃ。

 

という、生きて意志することの深い悦びが生まれる。

私は、こうした発想が、鈴木志郎康という人の詩の心臓部を形作っているのではないかと思う。「ナンセンス」という事態が生じるのは、言葉にならないものが言葉にされ、意味をなさないところに意味が与えられた時である。通常の社会生活において意味を持たない何かが、誰かが意志をもって言葉でもって名指すことにより、突如として存在を与えられる。すると、生産性という点で何の価値も認められなくても、「ナンセンス」は存在としての確かな力を獲得することになる。存在するものは存在するというだけで意味があり、意志は意志するというだけで意味がある。逆に言えば、「ナンセンス」という概念は、生産性という要素を抜きにして、存在すること自体に意味を見出すことにより成立するものなのだと言える。そこには、その存在を強く希求する「人」がいる。「ナンセンス」は一見不条理に見えても、そこには何らかの条理を見出す「人」がいなければ成立しない。志郎康さんは、他の誰にも見えなかったある条理を、強い意志の力でぐいと可視化させる。通常見えないものを見えるようにするには多大なエネルギーがいる。わざわざ可視化させるということは、それがどんなに見慣れないグロテスクな姿であっても、受け止めてくれる「人」がきっといるだろうと期待する気持ちが作者にあるからだ。生産性という回路を通らずに、「人」から「人」へと意志が伝わる。このプロセスを希求する態度が「極私」なのではないだろうか。

浮かない心情を綴った「重い思い」の連作6編にもこうした態度が顔を出す。体が思うように動かないことからくる不安や、右傾化する世の中に対する不満が「重い思い」を生じさせるのだが、言葉はそうした「重さ」に反発するかのように軽やかだ。「その三」には「重い思いが、/俺っちの/心に/覆い被さってくる。」という呟きの後、突如として次のようなフレーズが挿入される。

 

ドラムカン
あれれ、
空のドラムカン。
空のドラムカンが横積みにうず高く積み上げられてる。
空のドラムカンが転がされてる。
ドラムカンが転がされてる。
あれれ。

 

ドラムカンは中に工業用の液体などを詰めて保管することで用をなすものであり、空の状態では何かの役にも立っていない。それなりの重量はあるが、形が円筒なので地面に置けばちょっと力を加えただけでごろごろ転がってしまう。体を自由に動かせない「俺っち」にも少し似ているかもしれない。「俺っち」は、そんなドラムカンと自身を重ね合わせいるのだかいないのだか、とにかく、ドラムカンが転がる光景を想像して束の間楽しむのである。この詩におけるドラムカンは、現実にあるものとして描かれるでもなく、何かの事象の比喩として描かれるでもない。生産的な観点では、「俺っち」とドラムカンの関係は実に微妙である。しかし、言葉によってイメージ化された途端、ドラムカンは強い存在感を漂わせるではないか。散文では説明尽くせない、「俺っち」とドラムカンの微妙な関係の条理が、詩の言葉によって明確に示されていると言えるだろう。

似たようなテーマの詩として「大男がガッツイ手にシャベルを持って」がある。「俺っち、/どうしていいか、/わからんちゃ。/いい加減な大きさの、/軽いボールだっちゃ。」で始まるこの作品では、「俺っち」自身がボールになって坂をコロコロ転がっている。そのうちに、

 

ガッツァ。
鉄のシャベルだっちゃ。
大男だっちゃ。
怒り肩の大男が現れたっちゃ。
大男はガッツイ手でシャベルを掴んで
地面に穴をけっぽじって、
ボールを埋めたっちゃ。
コロコロを、
忘れろっちゃ。

 

何とも不思議な展開の詩である。ボールになって坂を転がっていくうちに大男が現れて穴に埋められてしまう。この詩を試しに散文的に解釈すると、不自由な体のため他人との交流が少なくなってしまった人間が、無為な雑念に囚われる自分を諫める、ということにもなろうか。しかし、この詩から受ける印象は、今書いたような荒っぽい解釈から生まれるであろう印象とは全く異なるものである。第一に、「俺っち」は、無為な行為や思考をしているのではなく、ボールになってコロコロ転がっている。第二に、「どうしていいか、/わからんちゃ。」は、反省をしているのではなく、転がって埋められて、さあどうしましょう、ということである。空想上でのことであっても、具体的な行為、場所、相手が問題になるのであり、意味の生産性は問題にされていない。

「糞詰まりから脱却できて青空や」もナンセンスという観点で読むと極めて面白い。腰を痛めてしまった「俺っち」は、トイレに行くが、「腰が痛くて踏ん張れないから、/糞が出ないっちゃ。」という事態に陥る。そこで訪問看護師さんを呼んで大便を掻き出してもらうという壮絶な体験をすることになる。その様子が詳しく描写された後、

 

ようやくのことで、
詰まった糞が掻き出されたっちゃ。
ふっふう、ふうう、ふう。
気持ちが晴れたっちゃ。
腰はイテテでも、
青空や。
看護師さん、ありがとうっちゃ。
ありがとうっちゃ。

 

この壮絶な体験の後の「気持ちが晴れたっちゃ」という心の呟きが「青空」につながり、俳句のようなタイトルになるのである。この詩を読んで、「大変だったろうなあ、自分はこんな体験はしたくないなあ」と青ざめる人はまずいないだろう。大抵の人は壮絶な体験の後の「青空」の美しさが心に残り、ほっとした気持ちになるだろう。志郎康さんは延々と続く暗がりの果ての晴れやかな青のイメージを念頭に置きながら、大便を他人に掻き出してもらう過程を細密に書き進めている。過程が困難だからこそ、潜り抜けた後に出現する「青空」が眩しく感じられるのだ。「青空や」の「や」は、「気持ちが晴れる=青空」という比喩として単純で効率の良い回路を通じてではなく、俳句として「青空」の自律的な意味合いを味わってもらうために、わざわざ付け加えられたものなのであろう。

志郎康さんの詩には政治的・社会的な問題を扱ったものも多いが、そうしたものも「ナンセンス」という観点で読んでみると新しい発見があるように思う。前に触れた、オバマ元大統領の広島来訪に関する詩でも、来訪の意味を確定させた上で、確定された意味合いを詩の言葉で改めて表現するという手段を志郎康さんは取らない。来訪について、「俺っち」があれこれと考えつつある姿が、詩の言葉によって読者に手渡されるのである。

あることについての考えではなく、考えつつある姿、つまり話者の思考の身体性が、ダイレクトに手渡されるのだ。確定された意味が詩によって再現されるのでなく、意味が瞬時瞬時に生成されていく現場に、読者は立ち会わされる。作者の身体に根差したその現場は、「極私」と呼ぶしかないもので、意味が認められていなかった領域に独自の意味が立ち上がること、つまり「ナンセンス」という概念に裏打ちされている。但し、「ナンセンス」はしっかり可視化する工夫をしなければ他人には何だかわからないものになってしまう。そこで、志郎康さんは、前の稿で書いたような「近さ」を演出する方法を取り、作者の「ナンセンス」に読者を巻き込んでいくのである。志郎康さんの中でこうした考え方が尖鋭化されていったのは、SNSの経験を通じ、読者と、今までになかったような濃密な人間関係を構築したいという欲求が芽生えたからではないだろうか。詩を書くことは新たな人間関係を築いていくこと、『とがりんぼう、ウフフっちゃ。』を読むと、そんな風に思えてくるのである。

 

 

 

女声コーラスの「赤とんぼ」

音楽の慰め 第21回

 

佐々木 眞

 
 

 

秋晴れの午後、久しぶりに生の音楽に耳を傾けました。
逗子文化プラザなぎさホールで、女声合唱団「ぶどうの会」コンサートを聴いたのです。

じつは私はコーラスというのは苦手でして、高校生や中学生がコンクールで演奏するのをたまにラジオで聴くくらいですが、この日登壇したのは19人のいわゆる後期高齢者のおばんさんばかり。

創立20周年とはいえ「ぶどうの会」はアマチュアのメンバーなのでいったいどうなるのかと心配していたのですが、案ずるより産むがやすし、さながら少女のように純な歌声が流れてきたので、驚くやら安心するやらでした。

プログラムの前半は、はたちよしこ作詞・吉岡弘之作曲「レモンの車輪」、木下牧子作曲の5曲の合唱曲集、中盤は上田眞樹編曲も「日本抒情歌」、後半はみなづきみのり作詞北川昇作曲の組曲「やさしさとさびしさの天使」でしたが、指揮者の杉山範雄、ピアノの石原朋子さんの好サポートもあって、お腹いっぱいのご馳走を頂戴したような気分になりました。

近代から現代曲までさまざまな曲が演奏されましたが、やはり昔から耳に馴染んだ「朧月夜」、「荒城の月」、「夏は来ぬ」、「赤とんぼ」などの日本の歌が心に響きました。
ただしこれらの名曲をあまり調子の乗ってモダンに編曲すると、せっかくの古朴な樂想を傷つけてしまうことがあるので、若い編曲家は気をつけてもらいたいものです。

それにしても、休憩をはさんでおよそ2時間を見事に歌い通した出演者には、拍手喝采を贈りたい。しかも全収益金が沖縄久米島に設立された福島の子供たちの保養施設の活動に寄付されるとあらば、なおさらのことです。

 
 

福島より沖縄に来た子らのため十九の老女声張り歌う 蝶人