月光に 間男(まぶ)を探しし 霊揺るる

 

一条美由紀

 
 


鬱屈した声は灰色の染みとなって喉のあたりに潜んでいた。
ある時そのシミはヒラリと落ちてきて、
私の行先でニヤニヤしながら待っていた。

 


ごめんなさいと言う。
ごめんなさいは山彦となって揺れて消えた。
嫌いだわと言う。
嫌いだわは花びらとなって目に突き刺さった。

 


枝をつたう滴がキラと身体をすり抜ける。
文字は玩具の喜びに満ちて、
囁きはベッドになり、
わたしはサナギに変化し、
遠い時の果てで目覚める。

 

 

 

最後のコモンの稲光

 

工藤冬里

 
 

差別的表現が取り沙汰されて久しい▶︎人を物のように見るのは良くないと声を上げる人が増えたお陰で世の中の雰囲気が随分変わってきたように思う▶︎差別的表現は感覚器官に対する暴力であるが▶︎暴力を暴力と感じることができない状態に置かれていることのほうが暴力的である▶︎では暴力防止のために近年アメリカの警察で導入されている「活発な傍観者」としての同僚の介入を促進させる教育プログラムは▶︎自分が暴力を暴力と感じることができない状態に置かれていることをも同僚に気付かせることができるかどうか▶︎ナチ時代の良心的傍観者の▶︎ユダヤ人を匿うという実践の実話から発想されたこの教育プログラムは▶︎暴力を暴力と感じることのできるレベルを対象とするリベラルの感性を超えることはできないとしても▶︎既に備わっている良心に訴えかける最善の試みであり▶︎最後の隙間を縫って善を行き渡らせるための最後のコモンの稲光である▶︎これによって差別は少し緩和されるだろう▶︎しかしそれでも差別の涙は残り▶︎それから▶︎そのまま終わりが来るのである

 

 

 

#poetry #rock musician

岸部四郎讃

 

駿河昌樹

 
 

岸部四郎が死んだそうな

人生というものの
いい
表現者だった
とっても
いい
表現者だった

自己破産して
脳出血で倒れて
再婚した14歳下の若い奥さんを心臓発作で亡くして
それからさらに体がダメになって
どんどん衰えていく運命を嘆き
永訣した妻を惜しみ
もう会えないとぽろぽろ涙を流し
金持ちだったのに貧困に落ちいった身を嘆く
恥も見栄もどこへやらの
あられもない嘆きっぷりが素晴らしく
気持ちよかった
人生の表現者というのはこういうことだな
と感心して
女々しい嘆きっぷりに見入った

私小説家の本流に
ひさしぶりに真向かうようだった
身に降りかかる艱難辛苦を
これでもかこれでもか
と女々しく歌い続ける啄木流短歌の末裔
小林一茶流の俳諧の流れ
どうしてどうして
まだまだ此処にあり
という感じの
いい嘆き節
いい涙
惚れ惚れするような心身衰弱と
古典芸能そのもののような凋落ぶりを
たびたび見せてもらった

人生を演じる
とは
俳優たちが平気で口にする優等生文句だが
演劇や映画や小説など
所詮は創作という額縁の中だけのお座興
額縁から乗り出して
じぶんの心身を以て凋落と破滅と衰弱を演じる人は
なかなか
居やしない
衰亡の折にはどこかに隠れてしまって
老残の身を市井に晒すど根性ある生き方を
もう現代の人間はしない

そういう時代に
岸部四郎はずいぶん健闘した
いやいやいや
いい劇をながく見せてもらいました
葛西善蔵賞を拵えて
岸部四郎さん
あなたに今夜は贈呈いたしたく思う所存でございます

 

 

 

 

工藤冬里

 
 

にたい夜は寝たほうが良いと知っているのでなるべくそうーっと帰ってきたが
青物の月は俄然黝(クロズ)んで車を狙い澄ましていた
この透明はミャンマーの溝(ドブ)の上澄みだ
夜汽車が過ぎるとiPhoneはナイトモードになって
ひどい隔たりを連れた定冠詞が欲望を食べる
僕は夕方もうビールを飲んだ
利用されなかった部屋が終の住処と呼ばれ
血管を汚す外の黒が心臓を 圧迫する
チョコレートは男性名詞だ
夢とは反歌として家々が食べられること
眠りとは死を待つ夢を食べること

 

 

 

#poetry #rock musician

トマト選果場

 

みわ はるか

 
 

ひょんなことから残暑がまだまだある日、わたしはトマトの選果場で1日働くことになった。
その選果場はとても広く大きなシャッターは全て開けられていて開放的な場所だった。
中は想像していた通りでたくさんの機械や箱ごとトマトを運ぶための乗り物が所狭しに並んでいた。
驚いたのは人の多さだった。
100人以上はいると思われた。
女性が圧倒的に多く、それぞれタオルや帽子を用意しており手にはペットボトルや水筒を握りしめていた。
年配の人が多く若い人を探す方が難しかった。
外からは熱気がムンムンと押し寄せてきていた。
空は青かった。

大きなスピーカーによる簡単な朝礼が終わると機械的に配属場所が割り振られた。
わたしはDゾーンに行くことを支持され、そこには長いレールが待ち構えていた。
他のレーンからは大きなプラスチックケースに詰められた様々な大きさのトマトが流れてきた。
それをよいしょと自分のそばに引き寄せ自分の前にある動くレーンに移し替えていく。
移し替える基準は大きさ、傷の数、傷の深さ、熟成度などいくつか見るべき所があった。
それを瞬時に判断して4つのカテゴリーのどれかに収めていく。
おちおちしているとどんどん周りに置いて行かれるので必死にマニュアルを覗き込んだ。
両脇はベテランだと思われる70才位のおばさま。
手慣れた様子ですごい勢いでトマトを選別していた。
ちらっとわたしの方を見て小さなため息をもらしつつもコツというものを丁寧に教えてくれた。
それを参考に作業を続けるとわたしの作業ペースは格段にあがった。
迷ったときは申し訳ないと思いつつも両脇のおばさまに尋ねた。
あっという間に2時間が過ぎ10時の休憩がやってきた。
なぜか休憩もあの両脇のおばさまと同じ木の椅子に座って休憩することとなった。
予想通り70才近い年齢で夏のこのシーズンだけ働きにやってくる。
家にいても迷惑をかけるから、都会からの出戻りで今でもお金が必要だから、働くことが好きだから。
理由は様々な色んな人がここには集まっていることを教えてくれた。
疲労感は感じたけれどみんないい顔ををしていた。
知らない人同士で塩味が効いた飴を分け合っていた。
たった2つしかない自動販売機には長蛇の列ができていた。
わたしは2人のおばさまと同じ空と雲を見た。
最後の力を振り絞って鳴く同じセミの合唱を聴いた。
お互いのことを詮索することもなくその時を過ごした。
汗がポトリと滴り落ちたがあっという間に蒸発していった。

1日はあっという間に終わった。
終わるころにはおばさまたちに負けないくらいのスピードで作業できるようにまでなっていた。
なんだか昔小学校の花づくり活動で泥だらけになりながら味わった達成感に似ていた。
外での作業はものすごく久しぶりだった。
ものすごく疲れたけれどすっきりした気分でいっぱいになった。

トマトの時期はもう終わる。
もうここに来ることはおそらくないだろう。
ここにいる人とも会うこともないだろう。
そんな1日ぽっきりのジリジリ太陽が照り付けていた日の出来事。

 

 

 

迷い路

 

芦田みゆき

 
 

 

 

 


<ここ>を離れたくて
バスに飛び乗る

降り立ったのは

柔らかな/粗い粒子に満ちた/時折り光が射す/
森ではない/コンクリートではない/
あなたではない人人に満ちた街だ

 

 

 

 

すれ違いざまに垣間見た人人の姿は
距離とともに小さな記憶となる
そして跡形もなく散っていく

その繰り返しが心地よくて
幾度も細い道を曲がってみる

風が吹いている
名前をもたない人の笑顔が
通りすぎていく

 

 

 

暗白色の明るい黒

 

工藤冬里

 
 

黒い屏風 黒い屏風が 窓の代わりに立っている
暗灰色の中で溶けていく
前を向いて話さないからだ
暗黄色の机に黒いディスプレイが立てられて 消える
机の広さとの比率がホックニーだ
遠く 脱穀の重層低音が
立てられている
学習や金メダルといった黄色が
ささいな秋に消える
隙間の明るさが秋だ
首回りの
阿弥陀籤を横向きにしたHの連なりが窓だ
椅子からずり落ちる
鳥の声が滑り落ちる
行き先を知らないまま行く
設計・設立された都市というシニフィエが
定住を止(トド)めてきた
レンブラントはプラスターの街も暗茶色に塗った
彼には猫も獣であった
あ、頭が痛い
陽性かも

 

 

 

#poetry #rock musician