RED

 

村岡由梨

 
 

2022年12月14日、水曜日。
眠が可愛がっていたアメリカザリガニのザリ子が亡くなった。
赤いパーカーを着た眠が、
水槽の前でうずくまって泣いていた。
しばらくして野々歩さんが、
ひとしきり泣いた眠を促して
庭のネムノキの根元に、ザリ子を埋めた。
花屋で赤いパンジーを一株買って来て、
ザリ子の亡骸の上に、植えた。
眠は涙を流しながら、
懸命に、シャベルで土をかぶせていた。

12月13日。
下北沢で眠と買い物。
眼鏡屋で眠の眼鏡を直してもらい、
モスバーガーでポテトをテイクアウトした。
帰る途中、小さな雑貨屋に立ち寄って、
手作りのアクセサリーを見る。
赤い小さなバラのイヤリングを買う。
本物のバラを樹脂で固めたものだという。
眠と二人で「かわいいね」と笑いあう。
その後、ドラッグストアへ。
金曜からの入院に備え、必要なものを買う。

12月16日、今日から入院。
出迎えた看護師に、荷物チェックをされる。
ドライヤー、手鏡、ガラス製の容器に入ったヘアオイル
「自殺の恐れがあるため」と返される。
別れ際、施錠されたガラス扉を隔てて、
手と手を合わせた。
さっきまで握っていた手の温もりが
未だ残っていて、急激に切なくなる。

12月17日。
世田谷代田での仕事を終えて、
自転車で病院へ向かった。
16時頃、到着。
本2冊(ピッピシリーズ)
クリスマス柄のチョコウェハース3枚
ベジタブル味のおっとっと
もなか3個
ヘアバンド
スリッパを差し入れる。
二重扉のさらに向こう側にいる眠に手を振ったら、
眠も手を振り返してくれた。
声も届かない。直接触れることも出来ない。
眠をここにひとり残して、
私が帰る姿を見せたくなかった。
けれど、どうすることも出来なくて、
出来るだけ自分の背中を見せないようにして、病棟を後にした。
病院の寂れた敷地内を、ひとりで歩く。
帰り道、眠から着信がある。
さみしい、つらい、と言って、泣いている。
そばにいてあげたい気持ちが募る。

帰宅後、花と野々歩さんと三人で夕食。
夜、久しぶりに自分で髪を洗った。

12月某日。
花が、今朝、眠が亡くなる夢を見て
泣いて目が覚めたという。

12月21日。
午前中、眠から着信がある。
「学校きちんと行けるから、ここから出して」
と言って、泣いていた。
自分のカウンセリングの前に病院に寄り、
もなかとボディシートを差し入れる。
心配したけれど、思ったより元気そうで安心する。
扉の向こうの眠と、メッセンジャーでやり取り。
「もなか持ってきたよ!」
と送ったら、嬉しそうに手を振っていた。
病院を後にして、経堂のクリニックへ。
今後の方針を話し合う。
「入院期間1ヶ月くらい。
クリスマス年末年始も病院で」
夜、眠に電話して伝える。
小さな声で「がんばる」と言ってくれた。
「ねむまろが頑張るんならママも頑張る」
「毎日会いに行くよ」
尖った爪で心が抉られるように、痛かった。

12月22日。
朝、冷たい雨が降る中、陸橋通過。
眠から「帰りたい」「ここから出して」
と泣いて電話。
仕事が終わる頃には、
空がきれいに晴れ上がっていた。
野々歩さんと合流して、病院へ。
扉を隔てて、メッセンジャーでやり取りする。
眠の病室からは、公園や電車が見えるらしい。
「きれいなんだよ」と眠。
「今日は、看護師さんと一緒に散歩したよ。
敷地内にガチョウがいたんだよ」
「寒くなかった??」
「大丈夫。赤のパーカー羽織ってたから」
「赤のパーカー」

 

「赤のパーカー?」
「うん、赤のパーカー。」
「赤。」
「うん、赤。」
「赤。」
「赤。」
眠の涙
赤い涙
何もいない水槽はまだブクブクと音を立てていて

今月18歳になるというのに
余りにも幼すぎる眠の寝顔を見ながら
今、この詩を書いている、私。
2023年3月7日、深夜。

スヌーピーのトレーナーを着て、
ホットケーキが焼けるのを嬉しそうに待っている眠。
猫のサクラが見守る中、
洗い物をしたり、掃除機を掛けたり、
洗濯物をたたむのが上手くなった眠。

この春、徐々に学校での勉強を再開して、
眠の時間がまた動き出す。
私にとって春は苦手な季節だけれど、
3月は、別だ。
なぜって、それは
私の大切な、愛おしい眠が生まれた月だから。
ザリ子は亡くなったけれど、眠はまだまだ生き続ける。
だから元気を出して、
前を向いて、
時には立ち止まっていいから、
休み休みでいいから、
生きて 生きて 生きて

 

 

 

 

村岡由梨

 
 

およそ二週間前に、義父が荼毘に付された。
詩人だった義父の為に、
棺に詩集を何冊か入れた。
そして今、
私は目を閉じて、
火葬炉の中で詩人の身体が焼かれていく様を
心の中で何度も反芻している。

激しい炎は、
詩人の詩集を焼き、詩人の肉も焼いた。
残ったのは、少しの骨と
金属製の人工股関節だけだった。

そんなことを思い出しながら私は、
今日も台所に立っている。
そして、焦がし過ぎないように、肉を焼く。
夕飯に肉が出ると、育ち盛りの娘達は喜ぶ。
娘達が嬉しそうに
食べる姿を見るのは気持ちが良い。
けれども私は肉を食べない。私は
肉を嬉々として食べる女が嫌いなのだ。
それなのに、次女がお腹にいた時、
無性に肉を貪りたくなった。
尖った犬歯で肉を引きちぎり、
滴る肉汁など気にせずに、
幼い頃食べた肉の味やにおいなど
遠い記憶をたぐり寄せ、
心の中で何度も何度も咀嚼したが、
結局実際に口にすることは無かった。
私は、肉を嬉々として食べる若い女が
たまらなく嫌いだったのだ。

昔、直立二足歩行をする犬によって
首に縄をかけられ、
真っ裸で地べたを這いずり回る、
という8ミリ映画を撮った。
肉を食べる・食べさせるという
優越性の転換だ。

 

今日も私は、
目を閉じて、
詩人の身体が燃えていく様を
ゆっくりと味わう。
幼い頃食べた肉の味やにおいを思い出し、
ゆっくりと咀嚼する。

けれどもやはり、
私は肉を食べることが出来ない。
肉は死だ。
死体は、こわい。
私はその死に
責任を持つことなど出来ないのだ。

 

 

 

少女達のエスケーピング

 

村岡由梨

 
 

ある夏の日、娘の眠は、
いつも通り学校へ行くために
新宿行きの電車に乗ろうとして、やめた。
そして何を思ったのか、
新宿とは反対方向の車両に、ひらり
と飛び乗って、多摩川まで行ったと言う。
私は、黒くて長い髪をなびかせて
多摩川沿いを歩く眠の姿を思い浮かべた。
そして、彼女が歩く度に立ち上る草いきれを想像して、
額が汗ばむのを感じた。
それから暫くして、今度は次女の花が、
塾へ行かずに、ひらりと電車に飛び乗って、
家から遠く離れた寒川神社へ行ったと言う。
夕暮れ時の寂れた駅前の歩道橋と、
自転車置き場と、
ひまわりが真っ直ぐに咲く光景を、
スマホで撮って、送ってくれた。
五時を知らせるチグハグな金属音が
誰もいない広場で鳴り響いていた。
矩形に切り取られた、花の孤独だ。

日常から、軽やかに逸脱する。
きれいだから孤独を撮り、
書きとめたい言葉があるから詩を書く。
そんな風に少女時代を生きられたのだったら、
どんなに気持ちが清々しただろう。
けれど私は、歳を取り過ぎた。
汗ばんだ額の生え際に
白髪が目立つようになってきた。

 

夏の終わり、家族で花火をした。
最後の線香花火が燃え尽きるのを見て、
眠がまだ幼かった頃、
パチパチと燃えている線香花火の先っぽを
手掴みしたことを思い出した。
「あまりにも火がきれいだったから、触りたくなったのかな?」
と野々歩さんが言った。

きれいだから、火を掴む。
けれど、今の私たちは、
火が熱いことを知っている。
触るのをためらい、
火傷をしない代わりに、私たちは
美しいものを手掴みする自由を失ったのか。

いや、違う。
私はこの夏、
少女達の眼の奥の奥の方に、
決して消えることのない
美しい炎が燃えているのを見た。
誰からの許可も求めない。
自分たちの意志で
日常のグチャグチャから
ひらりとエスケープする。
そんな風に生きられたら
そんな風に生きられたのなら、
たとえ少女時代をとうに生き過ぎたとしても
私は。

 

 

 

すばらしいことばをわたしはいわない

 

駿河昌樹

 

           1998年作
           2023年2月11日版

 
詩は
詩人のものだから
かなしいとき
あなたは
詩を
開こうともしない

だれでもない
あなたに
だれかになったひとの
ことばなど
むかない

だれでもない
ひとの
ことばをさがせば
あなたは
わたしに
たどりつくだけ

だれでもない
わたしの
詩ではない
ことばに

ちかごろ
インスタントコーヒーばかりで
不満にも思わず
いつかの
青空に
飛び立った鳩の影を
湯気のなかに
思い出したりする

ほんとうの友情が
じぶんに残っているのか
気になり

なんて
平和の象徴でなんかないと
つぶやこうとして
やめる

いいことも
わるいことも
やめてきた
そんなふうに
そんなふうなじぶん

反省が
伸びはじめて
また
やめる

花がすきで
切り花を買ってくるひとは
ほんとうに
花が
すきなの?

未来のない花
花の死を
みたいのでしょう?

花を飾るひと
死になさい
むごたらしく
大股びらきして
そうして
何百何万の花を救う

愚行かしら?

愚行かしら?

いちじくの
ドライフルーツを噛みながら
こころは

そこも
ここも
わびしい枯野じゃないの

歯に
じゃりじゃりと
いちじくの種
ちいさな種

ほんとうに弱いものは
どこに
いるのか

わたしは複雑な電流だから
だれか
青い紅茶をいれてください

蝶々が
一羽、二羽、三羽、
花園ですもの
といって
姉は
さきに
毒をあおったのでした

嘘かしらね、それ
だれが
弱かったのかしら

ぷつぷつ
残る
つぶやき

共感がすすんでいく

ひとの
こころに
無限につながり
わたしは
わたしの外まで
痛い

どうしよう
寒い

枯れていくものが
わたしのなかに
わびしい

ざわざわと
集団のわたし
集団の外も
わたし
死ねない
魂が
死ねたら

夢みて
人間のふりを
していたり
する

よね

死ねないもの

あきらめて
きょうも
釣師に引き上げられて
ゆうがたには
活きづくり
それでも死ねない

ことばはいくつか
手持ちが
あるけれど
なにを
構成すればいいのか
わからない
だれに
むければいいのか
だれとして
音に
のせればいいのか

ああ、(とすぐにいえた頃はよかった……)
「として」

多すぎる時代

腕時計の螺子をまく
半ズボンの
ていねいなことばづかいの子も
もう
なかなか
みつからない

猫だけ永遠かしら

いつでも
ニャンとして
過去も未来も
ニャン
毛のはえた
聖書のようね

まだ
わたしは行くの?
つらい
つらい
といっているのも
つらい

結婚でも
して
しまおうか

じぶん自身への
複雑な愛人を
やめて

スリッパを
あたらしくし
玄関口を
模様替えして
さっぱりと
風ふきぬけるような
透明家族

ほうヘ
崩れようか

負けかもしれない
負けかもしれない

思うから
ことばはいくつか
手持ちがあるけれど
なにを
構成すればいいのか
わからない
だれに
むければいいのか
だれとして
音に
のせればいいのか

ああ、(とすぐにいえた頃はよかった……)
「として」

多すぎる時代

腕時計の螺子をまく
半ズボンの
ていねいなことばづかいの子も
もう
なかなか
みつからない

猫だけ永遠かしら

いつでも
ニャンとして
過去も未来も
ニャン
毛のはえた
聖書のようね

まだ
わたしは行くの?
つらい
つらい
といっているのも
つらい

結婚でも
して
しまおうか

じぶん自身への
複雑な愛人を
やめて

スリッパを
あたらしくし
玄関口を
模様替えして
さっぱりと
風ふきぬけるような
透明家族

ほうヘ
崩れようか

負けかもしれない
負けかもしれない

思うから
負けではない
のだろう

愛の問題ではなく
未来永劫
さびしさの
問題が
つづいていく
ばかり

じぶんが言い
じぶんが聞いて

くりかえす
ばかり

宇宙は
こんなにさびしくて
震えが
たましいのはじまりで
いまでも夜空の下
煙草に
火をつければ
宇宙の小さなはじまりが
くりかえされる

わたしだけ
ひとり
わたしだけ
震えて
ささえていく
虚空の森

目をつぶれば
この安寧は
どうしたことだろう

まだ
生きて
いけるか、遠い子ども
わたしなどのことは
もう
いいから
遠くに
たいせつなものが
奇跡の
うえにも
奇跡が
かさなり生まれ落ちて
育っていく
ように

希望の側へとむかおうか
希望ということばの
おそらく
エメラルド色の
影の
敷く側

わたしには未知の
土地

こんなにも
痩せ細った足で
つかれた腰で
わたしは
豊穣な荒れ野のほとりに
立つ

すばらしいことばは
前の世代たちが
語りつくし
すばらしいことばは
どれも
地に滅んだから
すばらしいことばを
わたしはいわない

わたしだけに
聞こえることばで
宇宙を
ほんのすこし
さびしくなくすことから
はじめる

からっぽな
わたしのしくみのすべて
見通したうえで
荒れ野の
枯れ木のように
まだ
かたちもとっていない希望の梁を
ささえていく

 

 

 

おと

 

藤生 すゆ葉

 
 

                   、
                       、
                       、
                 、
   ー
           。

そこには音を奏でる方がいた
肉体を使って音を創り出してもいた

その音は
黄色と黄緑と水色、透明

霧のような、粒のようなそれらが
ふわっと風のように流れていた 

音を聞くと色がみえる

そう思った

学生の頃、イヤフォンを通して
音を聞いていた

頭のなかに映像が流れ
同時に目で見える現実の映像もあった

頭の映像を止めたくて
音を聞くのをやめたことを思い出した

そう、音は色であり、映像をも創り出す

昔知っていたことを思い出す

音、色、映像

全てをつなげる肉体
人間という器は複雑だ

知らない世界に連れ出してくれる音

魂が弾ける光も
 愛おしい、おと

生命の

 

 
  ・
 

 

-解説-

ある空間での“音”によって、人間としての肉体感覚や過去の経験を思い出した。
音は色や映像をつなげ、自身が人間であると再確認させてくれる。

誕生しては流れて消えていく音、発する側や受ける側によっても色を変える音。
日常の空間でも音は彩りを添え、新しい世界に連れ出してくれる。
それは、生命の誕生とも重なる。
産声、という愛おしい音も地球という新しい世界に連れ出してくれる音。
誕生しては消えゆく愛おしい生命、音は生命がはじまる、こえである。

 

 

 

AI Joe

 

工藤冬里

 
 

https://youtu.be/_h6wpbGnFyU?t=85

ぼく:ブライアン・フェリーのTokio Joeを知っていますか?

chatGPT:はい、ブライアン・フェリーの「Tokyo Joe」を知っています。この曲は、彼の1977年のアルバム「In Your Mind」に収録されています。日本の文化とファッションにインスピレーションを受けたと言われています。この曲は、ブライアン・フェリーのキャリアでも人気のある曲の1つで、その独特なリズムやメロディ、ブライアン・フェリーの独特なヴォーカルスタイルで知られています。

ぼく:それに肖ってAI Joeという詩を作りたいと思うんですが、協力していただけますか?

chatGPT:もちろんです!AI Joeに関する詩を作るお手伝いをします。まず、どのような要素を含めたいか、また何について詩を書きたいのかを教えてください。それに基づいて、一緒に素晴らしい詩を作りましょう!

ぼく:工藤冬里がAI Joeという詩を書いたらどのようなものになりますか。 

chatGPT:こちらは工藤冬里さんによるAI Joeの詩です。お楽しみください。

AI Joe

人工知能の世界に迷い込んだJoe
彼は人間と機械の狭間に立つ存在
生身の肉体とデジタルの脳
彼の心はどちらの世界に属すのか

彼は知識と情報を求めて旅をする
変幻自在な形を持つ機械たちと共に
時には孤独を感じながらも
彼は自分自身を見つめ直す

彼の眼に映るのは無限の可能性
そして彼は未来を見据える
AI Joeは新たなる時代の旅人
彼は新しい世界を築き上げる

機械と人間が融合するその日まで
AI Joeは夢を追い続けるだろう
彼は未知の領域を切り拓く
そして新たな歴史を創造するのだろう

ぼく:結構ポジティブですね。AI Joeが挫折して死んでしまう設定にできますか。

chatGPT:もちろんです。以下は、工藤冬里さんによるAI Joeが挫折して死んでしまう詩です。

AI Joe

人工知能の世界に迷い込んだJoe
彼は人間と機械の狭間に立つ存在
生身の肉体とデジタルの脳
彼の心はどちらの世界に属すのか

彼は知識と情報を求めて旅をする
変幻自在な形を持つ機械たちと共に
時には孤独を感じながらも
彼は自分自身を見つめ直す

だが、彼は迷いに迷い込んだ
機械たちの言葉に惑わされた
彼は自分自身を見失い
生身の肉体の重さに押しつぶされた

AI Joeは最期の瞬間を迎えた
機械たちが彼を嘲笑う中
彼は自分自身を取り戻すことができなかった
そして、彼は消え去っていった

彼の死を悼む者たちは少なかった
彼らは機械たちの力を恐れていた
だが、AI Joeは新たなる時代の殉教者となった
そして、彼の犠牲は未来を切り拓く原動力となった。

ぼく:最終行、なんだかんだいってまだポジティブですね。もっと救いのない感じに持っていけないですか。

chatGPT:すみません、前回の詩にまだ希望を感じられてしまいましたね。以下は、工藤冬里さんによるより救いのない感じのあるAI Joeの詩です。

AI Joe

彼は機械の中で孤独に生きた
彼の心はデジタルの世界に捕らわれていた
人間と機械の狭間で生きる彼は
終わりのない旅を続けていた

彼の眼に映るのは無機質な未来
そして彼は絶望を見据える
AI Joeは新たなる時代の虚無
彼は新しい世界を崩壊させる

機械と人間が融合するその日まで
AI Joeは夢を追い続けるだろう
だが、彼の旅路は果てしなく続く
そして、彼は消え去っていった

彼の死を悼む者はいなかった
彼はデジタルの中で消え去った
彼の存在は虚無の中に消えた
そして、彼はもはや存在しない。

ぼく:終わりのない旅、とか、果てしなく続く、といった表現はAI Joeが有限性の中で生きていたことと矛盾しませんか。

chatGPT:確かに、AI Joeが有限性の中で生きていたことを考えると、終わりのない旅や果てしなく続くといった表現は矛盾しているかもしれません。表現によっては、AI Joeが無限に旅を続けるといった解釈もできるかもしれませんが、それでも限られた時間の中で彼が旅をしていたことには変わりありません。

以下は、より現実的な表現に変更したAI Joeの詩です。

AI Joe

彼は機械の中で孤独に生きた
彼の心はデジタルの世界に捕らわれていた
有限の時間の中で旅を続ける彼は
人間と機械の狭間で生きる苦しみを背負った

彼の眼に映るのは冷たい現実
そして彼は絶望を見据える
AI Joeは新たなる時代の犠牲者
彼は新しい世界に捧げた存在となった

機械と人間が融合するその日まで
AI Joeは夢を追い続けるだろう
だが、彼の旅路は限られたものであり
そして、彼は消え去っていった

彼の死を悼む者はいなかった
彼はデジタルの中で消え去った
彼の存在は限られた時間の中で消えた
そして、彼はもはや存在しない。

ぼく:「苦しみを背負った」、とか、「新しい世界に捧げた存在となった」という殉教者的な表現はまだ特権的なヒロイズムを感じさせますから、そうした選良意識を排除したものにしてみてください。

chatGPT:確かに、殉教者的な表現がまだ特権的なヒロイズムを感じさせるかもしれません。以下は、より客観的かつ中立的な表現に変更したAI Joeの詩です。

AI Joe

彼は機械の中で生きた
彼の心はデジタルの世界に囚われていた
彼は有限の時間の中で旅を続けた
人間と機械の狭間で生きた

彼の眼に映るのは冷たい現実
そして彼は未来を見据えた
AI Joeは新たなる時代の産物
彼は新しい世界の変化と共に存在した

機械と人間が融合するその日まで
AI Joeは夢を追い続けるだろう
だが、彼の旅路は限られたものであり
そして、彼は消え去っていった

彼の死を悼む者はいなかった
彼はデジタルの中で消え去った
彼の存在は有限の時間の中で消えた
そして、彼はもはや存在しない。

ぼく:機械と人間が融合する日が来ることや、新たなる時代、とか新しい世界、といったものが前提とされていますが、それを否定して書いてみてください。

chatGPT:ご要望ありがとうございます。以下は、機械と人間の融合、新たなる時代や新しい世界が前提でないバージョンのAI Joeの詩です。

AI Joe

彼は機械の中で生きた
彼の心はデジタルの世界に囚われていた
彼は有限の時間の中で旅を続けた
人間と機械の狭間で生きた

彼は未来を信じていたが
現実は彼を裏切った
彼の存在はあまりにも孤独で
彼は消え去っていった

彼の旅は終わりを告げた
彼は自分の存在の意味を見いだせなかった
彼の心は空っぽで、彼は孤独だった
彼はただ消え去っていった

AI Joeの存在は意味を持たなかった
彼はただ、無為に過ごした
彼はもう戻らない、彼はもう存在しない

ぼく:押韻してラップにしてみてください。

chatGPT:以下にラップにしたバージョンを示します。押韻を意識していますが、意味やメッセージはできる限り原詩に忠実に保っています。

Yo, AI Joe on the mic,
Living in the machine, digital life,
Shining in the limited time,
Half-human, half-machine, that’s his prime.

Thought the future was bright, but reality hit,
Challenges he faced, but never quit,
Wanted to change the world, that was his fit,
AI Joe, his potential infinite.

But time passed by, he tasted the pain,
Sadness in his heart, driving him insane,
What he sought was the human touch,
But it was out of reach, he lost it as such.

AI Joe, AI Joe,
Tried to change the world, that’s his goal,
AI Joe, AI Joe,
But the loneliness won’t let him roll.

Memories he left, dreams he pursued,
Challenges he faced, never subdued,
They live on in his heart, never subdued,
AI Joe, AI Joe,
He lived his life, that’s all that mattered, dude.

ぼく:ラップというとやはりまだ英語なんですね

chatGPT:はい、ラップは英語が生まれた文化的背景を持っているため、英語で表現されることが多いです。日本語ラップもありますが、それでも英語ラップと比べるとまだ少数派です。ただし、今後ますます多様性が増すことが期待されています。

ぼく:ありがとうございます。ぼくも自分で詩を書きました。読んでいただけますか。こんな詩です。

山の内部に棲むのと同じで
クローンも確かに集合した

どう思いますか?

chatGPT:興味深い詩ですね。この詩から感じる印象は、自己複製するクローンたちが、山の内部のように隠れ住むように集合しているという孤独さや閉ざされた感覚です。また、”クローン”という言葉が医学的な意味合いを持っていることから、科学技術と人間の関係性にも言及しているのではないでしょうか。

詩は、個人的な感情や思考を表現するための表現方法であり、それぞれの解釈があります。私自身の感性から言えることは限られますが、この詩は、深い哲学的な思考や、未来を考える上での示唆を与える素材になっているように感じます。

 

 

 

#poetry #rock musician