―緑の粒子の降る夜に、あたしは何を思い出したか?
芦田みゆき
ムックムック
ムクムク
クククッ
骨の奥から目覚めて
ゆっくり、けれど力強く
湧き上がってくるものがあったんでしょう
いや、ぼくじゃないですよ
ミヤミヤですよ
ムック、ムック、ククク・・・・・・
ベッドに入って手握って
「おやすみなさい」を言おうとしたその瞬間さ
「ねえ、かずとん。
そろそろ家を買おうと思うんだけどどう?
結婚前にも話したでしょ?
いつか自分の家が欲しいって。」
そう言やぁ
江ノ島デートの時にだいぶ熱を入れて喋ってたな
「うーん、まだちょっと早いんじゃないの。
ヘンなのつかまされちゃいやだし。
じっくり情報収集してからにしようよ。」
ミヤミヤ、ガバッと半身起こす
「かずとん、約束違うじゃない。
結婚するなら家は欲しいって言ったでしょ?
もおぅー、来週は不動産屋さんに行くからね!」
買う気ないとは言ってないのに
言ってないのに
ミヤミヤ、怒りで鋭い三角形に変形
ムクムク
ムックムック
ムキキッ!
はい、わかりました
来週ね
はい、来週の土曜日になりました
不動産屋さんの車に乗ってます
「マンションっていうのはピンキリなんですよ。
今日お見せするところは中古ですが作りはしっかりしていますよ。」
経験豊富そうなその人は通りがかったマンションをあれこれ批評
これはまあ、ピン
残念、これはキリ
ミヤミヤ、ムックムックと頷く
はい、着きました
緑豊かな庭つきのおしゃれなマンション
にこやかに迎えられて早速拝見
3LDKの清潔なお部屋
白い囲いがあってこれは今お散歩中のワンちゃんのお部屋だとか
予算的にも丁度いいし、駅からも近いよな
おや?
ミヤミヤ
ゥムークゥ、ゥムークゥ
風船が空気抜けるみたいにしぼみ中
「良いマンションだったけど私が欲しいのこれじゃないってわかっちゃった。
次は中古住宅見に行きましょう。」
だそうで
はい、翌々週になりました
一橋学園のお宅へ
敷地は狭いけれど明るい陽射しが差し込む
2人の小さなお子さんがいるらしく
カーテンの柄といい置物といいかわいいインテリア
連れてきてくれた元気印の女性の不動産屋さんは
「造りがしっかりしている割に格安な物件ですよ。
建ててから急に転勤が決まられたということでまだ新築同然です。」
床に、天井に、階段に、目をキョロキョロさせるミヤミヤ
悪くはない
悪くはないんだが
振り返ると
ミヤミヤ、突然ムシューッ、細くなる
カチン、固まってしまったぞ
「ありがとうございました。検討させていただきます。」
「やっぱり他人が建てた家っていうのは
趣味がいいものでも私のものじゃないって気がする。
私が良く利用するお店に住宅部門があって
今度見学会やるので足を運んでみましょう。」
はい、その翌々週になりました。
荻窪駅から歩いて15分、あ、あの白い家?
1階がアトリエと寝室、2階がリビングとキッチン
すすすーっと伸びるスケルトン階段には
きれいな絵が何枚も飾ってあって
いかにもイラストレーターさんのお家らしい
仕切りが少なくて柱もなくて
部屋の奥までパーッと見渡せる
面積以上に
ひろびろーっ
そして
床、がっしり
壁、がっしり
何でも高度な構造計算による工法を採用していて
耐震性に優れているそうだ
断熱性も高くてエアコンに頼らなくても快適に過ごせるそうだ
さて、ミヤミヤのご様子は?
部屋を子細に見渡す視線は厳しい、けどけど
ムックムック
ムックムック
目の奥が踊っているじゃあありませんか
おや、足にすりっとした感触
まあまあ
ピンクの首輪をつけた茶色の猫ちゃんだ
随分とかわいがられてるんだな
よしよし
がっしりしたお家に守られていると
安心しきって人懐こくなっちゃうのかな
あ、そろそろ見学会終了
はい、帰りの中央線です
結構混んでます
ミヤミヤの様子、ちらりと見ると
電車が揺れても
窓の外を眺める横顔は微動だにしません
そうかあ
ミヤミヤは気に入った
ミヤミヤは決めた
この顔になったらもう覆らない
一見クールだけど中は
ムック、ムック、ムック
わぁー、このままじゃ
一軒家建っちゃうよ
冗談じゃないよ
このぼくが家建てるって?
祐天寺のアパートの光景が浮かんでくる
本の山の間に敷いたセンベイ布団の上で
目をカーッと開けたまま
独りで死ぬんじゃなかったのかよ
でも
ミヤミヤがあんなに
ムックムック
なんて、何だか
楽しいな
横でぽーっと突っ立って
ムックムックを一歩下がって見守るって、何だか
楽しいな
一歩下がるには
下がるという動作をするための意志と力が必要なんだよ
ぼく、かずとんは
ムックムックと
一歩下がってついていく
ムックムックしたい人に道を譲ると
一歩遅れてちゃーんとムックムックがやってくる
そのことを
ぼく、かずとん
知らず知らずのうちにちゃーんと学んでたってわけさ
ムックムックは
ミヤミヤとかずとんの間の回りもの
生身と生身の間の回りもの
さて、かずとん
改めてあなたに問います
家、建っちゃってもいいですか?
うん・・・・・・いいよ
決まりですね!
はい、その翌々週
若い男性の不動産屋さんに連れられて小平市に土地を見に来ました
草ボウボウの33坪
バス亭とスーパーマーケットが歩いて3分
おしゃれな店なんか何にもないけど静かで緑は豊か
ぼくが育った神奈川県伊勢原市の雰囲気に似ているな
土地の前の道路の一部がまだ私道で
そのため若干割安になっているという
悪くない
っていうか、いいんじゃない?
不動産屋さんにお礼を言いマンションまで送ってもらう
はい、それでさ
マンションに辿り着いた途端だよ
「私、さっきの土地もう一回見に行くから。
駅からの時間も計っておくね。
かずとんは掃除機かけててくれないかな。じゃね。」
すたすた自転車置き場に歩いて
よいっしょ
ムッック、ムッック
腰を浮かせて自転車を漕ぎ出し始めた
ムキィーク、ムキィーク、ムキィーク
7月の午後
うっすら汗を浮かべて
自転車を漕ぐミヤミヤの後姿が
ムックムック
ムックムック
上下する
力強くて美しい
上下する背中が
ムックムック
一歩遅れて
見送るぼく、かずとんの視線も
ムックムック
美しい
美しい
歯が痛い、歯が歯が痛い、歯が痛い。
アーメン、ソーメン、ひやソーメン
悪しきをはろうて たあすけたまえ てんりんおうのみこと*
ああ歯が痛い、歯が痛い。
歯が猛烈に痛みます。
この痛みは、なんなのだ? 虫歯かブリッジか歯槽膿漏?
それとも心臓からの悪しき便りか。
痛い痛い、歯が猛烈に痛いんだ。
我慢に我慢を重ねていたけれど、左の奥歯がひどく傷むので、
無理矢理頼んで押しかけたのは、横須賀大滝町の沖本歯科。
皇太子さんにそっくりの顔をした温厚な先生が
「佐々木さん、どうされましたか?」
と、私の名前を呼びながら、顔を下から覗きこみました。
まず患部周辺をレントゲンで撮影したあと、奥歯の臼歯の治療が始まります。
虫歯がすでに神経に達しているので、麻酔をかけて神経を取ることになったのですが、
どういう訳だか、麻酔がなかなか掛からない。
歯が痛い、歯が歯が痛い、歯が痛い。
アーメン、ソーメン、ひやソーメン
悪しきをはろうて たあすけたまえ てんりんおうのみこと
ああ歯が痛い、歯が痛い。
先生のピンセットが患部に触れると、
その都度ピリリ、ビリリとシビレエイにやられたような痛みが走ります。
沖本先生は「痛かったら左手を挙げてください」とおっしゃるのですが、
ピリッときても、なかなか手をパッと上げられない。
そんな時、いつも考えるのは脳に障がいのある息子のこと。
「痛かったら左手を挙げてください」なんていわれて、どうするんだろう。
「ハイ!ハイ!ハハイ!」と答えはするものの、
困って、おびえて、パニクってしまうのではなかろうか。
しかし変だぞ。今日はおかしい。
私は昔からいともたやすく麻酔が掛かるのですが、
今日はいったいどうしたことか?
掛かり方がぜんぜん弱いのです。
すると先生は、慌てず騒がず「しょうきガスを使ってみましょう」とおっしゃいます。
「正気?」
「いや笑気です。これを両方の鼻の穴から注ぎ込みますと、しばらくすると頭がぼんやりしてきますからね」といって他の患者さんのところへ行ってしまいました。
ひとりぼっちで取り残された私の頭は
次第にぼんやりしてきましたが、
これまでいろいろお世話になった歯医者さんのことが
突然私のくたびれ果てた脳裏に浮かんできました。
どういう風の吹きまわしか1960年代の終わりにリーマンになった私が、慣れないスーツ姿で通い始めた会社は、神田鎌倉河岸にありました。
その神田では伊藤歯科がいいというので、私が神田駅に近いその歯医者を訪ねますと、そこには老若2人の伊藤先生がいて、私は若い方の伊藤先生にあたりました。
若先生といっても既に中年で、医者というより英国風の紳士のような知的な風貌が印象的です。他方老先生は70代を過ぎて、もう米寿になんなんとする温和なお年寄りで、医者というより、春風駘蕩たる落語家のようなこの方が、名医と謳われていたことが後になって分かりました。
ある日のこと、酷い虫歯になった私は、奥歯の神経を抜くことになりました。
物慣れた手つきで麻酔を掛け終わった若先生は、さっきからピンセットのようなものを握りしめて、穴の奥にひそんでいる細い糸のようなものを引っ張りだそうとするのですが、これがなかなかうまく行きません。
歯が痛い、歯が歯が痛い、歯が痛い。
アーメン、ソーメン、ひやソーメン
悪しきをはろうて たあすけたまえ てんりんおうのみこと
ああ歯が痛い、歯が痛い。
白いマスクの上の額からは大粒の汗が浮かんで、
それが瞼の上に落ちてきます。
若先生はだんだん苛立ってきたようです。
いきなりマスクをはずすと、大きな声で叫びました。
「困った、困ったあ! こんな細かい神経は今まで一度も見たことがない。困った、困った! いやあ、参った、参ったあ! 佐々木さん、ぼく、どうしましょう」
歯医者に「どうしましょう」と言われても、私はどうする訳にも行きません。
ちらっと向こうを見ると、大先生は知らん顔をして女性の患者と楽しそうに話しています。
いやしくも大都会の街中で開業している医師が、
そんな捨て鉢な台詞を患者に向かって吐いていいものでしょうか。
大学でも講義しているというインテリゲンチャンの若先生は超理論派かもしれないが、
大先生に比べると、技術で劣る不器用な人だったのでしょう。
同じ伊藤歯科なのに、
どうして大先生に治療してもらえなかったのか。
どうして眼高手低の若先生に当たってしまったのか。
私はその時ほど恨めしく思ったことはありません。
さて。
時と所は変って、1970年の原宿竹下通り。
ここは平成末期の現在とは違って、真中あたりに鰐淵晴子さんのお父さんのバイオリン教室があるくらいで、朝から晩まで閑古鳥が鳴いていました。
そうして。
原宿駅からその竹下通りを歩いて、
明治通りに出たすぐ右側に、
その歯医者さんはありました。
ドアを開けると、そこはたったひとつだけの座席と必要最低限の設備しか備えていない、
狭い狭い部屋である。
まるで西部劇に出てくる散髪屋のような空間に、汚れた白衣を無造作にはおった年配の男と、唇が妙に赤い妖艶な看護婦が控えておりました。
無精ひげをはやし、よねよれのネクタイを巻いた男は、医師というより流れ者。
医師というならドク・ホリディといった風情で、もうもうと煙をあげて両切りのピースをふかしています。
彼の机の上には、テネシー特産ジャック・ダニエルのボトルがでんと置かれていました。
若づくりのおねいさんは、
看護婦というより、飛鳥公園前のバーのホステスのような婀娜な風情で、
私が入室する直前まで、この怪しい中年医者とクチャクチャガムを噛みながら
イチャイチャイチャイチャ××××××××していた模様です。
二人がペッペッとガムを捨てたのを合図に、治療が始まりました。
男は、いきなり目の前にぶら下がっている器具を私の口腔に突っ込むと、ガリガリやりはじめましたが、その乱暴なこと。
ウイスキーと香水が入り混じった猛烈な口臭が私の鼻を襲います。
そういえば、こういう治療の光景を、むかしどこかで見たことがある。
それは浅草の木馬座という名のしがない大衆劇場。
若き日の「野火」の映画監督が、自作自演したお芝居「電柱小僧の冒険」!
そこに出てきた、満洲帝国大学のマッドサイエンス教授の人体解剖実験でした。
破竹の勢いでたちまち治療を終えたマッドサイエンス教授は、
「はい終了」
といいながら、なにやら白い物を抛り投げ捨てると、それは見事に部屋の隅に置いてあった白い衛生箱にスポンと収まりました。
あっけに取られてその不思議な光景を眺めていた私は、
おねいさんが鳴らすレジの
「チーン!」という音に送られて歯科を出たのですが、
痛みは治まるばかりか、ますます激しくなる一方です。
歯が痛い、歯が歯が痛い、歯が痛い。
アーメン、ソーメン、ひやソーメン
悪しきをはろうて たあすけたまえ てんりんおうのみこと
ああ歯が痛い、歯が痛い。
痛くて痛くて眠れない一夜が明け、私は頬っぺたを押さえながら、
同じ原宿の千駄ヶ谷小学校交差点の近くの山下歯科を訪ねました。
ここは名医として定評があったのですが、いつも超満員で長く待たされるので、物好きな私はそれを敬遠して、あえて初めてのマッドサイエンス歯科に走ったのでした。
「ありゃ、ありゃ、これは何だ?」
といいながら山下先生がピンセットでつまんで白い物を目の前に突き付けました。
「驚いたなあ、脱脂綿が入ってますよ」
昨日マッドサイエンス教授が放り投げたのは、脱脂綿の残りだったのです。
名人、山下先生の仕事は、素早い。
私の治療がだいたい終わったので、いつの間にか隣の患者さんに麻酔の注射を打とうとしています。
するとその男はいきなり子供のような悲鳴を上げて、こういいました。
「先生、先生、その注射は、お隣の佐々木さんに打ってくれませんか?」
「佐々木さん、ご無沙汰しています。私からのお中元をどうぞお受け取りください」
驚いて男の顔を良く見ると、
なんとイラストレーターの安東さんではありませんか。
「冗談じゃない。そんなお中元はお断り。安東さんも、余計なことをいわないでください。頼みますよ」と私が慌てふためくのを知ってか知らずか、
山下先生は、ぶっとい注射針を、安東さんの奥歯の根っこにグサリと差し込みました。
カラカラカラと悪魔の笑いを高らかに響かせながら。
歯が痛い、歯が歯が痛い、歯が痛い。
アーメン、ソーメン、ひやソーメン
悪しきをはろうて たあすけたまえ てんりんおうのみこと
ああ歯が痛い、歯が痛い。
空空空空空空空空空空空空空空空空空空*「天理教御神楽歌」より引用
先日、小学校の同級生2人とともに旅行に行った。目的地は淡路島と姫路。電車と新幹線、高速バスを乗り継いで行った。
明石海峡大橋は大きかった。想像以上に大きかった。海からの高さも高く、落ちたらきっと助からないだろうと思ったら少しだけぞっとした。淡路島は快晴だった。渦潮を見るためのフェリー乗り場にはちょっとしたお土産屋さんがあった。いたるところに玉ねぎを使ったお菓子やスープなどがたくさん並んでいた。玉ねぎが有名だとは聞いていたけれどこんなにも推しているのには驚いた。時間になったのでフェリーに乗った。潮のにおいが鼻につんときた。海は青いというより鮮やかなグリーンだった。渦潮は吸い込まれるような美しさと迫力があった。海風は気持ちよかった。
古民家を改装したような民宿に泊まった。女将さんはとても親切な人だった。隣との壁は薄かった。大学のサークルらしきメンバーが泊まっていたようだった。とても騒がしかった。お酒を飲んだ。たくさん、久しぶりに飲んだ。3人だけが知る昔話は秘密の共有のようで嬉しかった。わたしたちはもうわたしたちだけで旅行に行ける年になった。お酒を飲めるようになった年もずいぶん前に通り越した。もうこんなに楽しくゲラゲラ笑いながら過ごす、この3人の夜はきっと来ないだろう。結婚する人がいるだろう、転勤で遠方にいく人がいるだろう、色んな制約がたちはだかるだろう。お互いそれをわかっていたから、ずっとこの日が続けばいいと思ったはずだ。
翌日は生憎の雨だった。各々好きな色の傘をさした。小学生のときは黄色の傘でないとだめだったことを思い出した。あの時は後ろから見たらみんな同じに見えたっけな。
姫路城はやっぱり白かった。天守閣に登るのに1時間もかかったけれど、けっしてお城に興味があるわけではないけれど、確かな感動を味わった。だから世界遺産なんだなぁ~と感じた。
帰りの新幹線はあっけなく地元の最寄り駅に着いた。別れの時間だった。貴重なこの時間をかみしめながら手をふって別れた。また行こうねとは誰も言わなかった。それがなかなか難しいことをお互い分かっていたし、社交辞令を言うような間柄ではなかったから。それが逆に清々しかった。
雨がいつのまにかやんでいた。雨水で少し重くなった傘をぷらぷら揺らしながら帰路に着いた。
「てらこ履物店」のいちばんの上得意は、色街の月見町の芸者さんたちでした。
彼女たちは、上等の着物をきて酒席にはべりますから、当然、その行き帰りにはこれまた上等の草履をはきます。
下駄よりも、ヘップ(オードリー・ヘプバーンが映画の中ではじめてはいたサンダルのことを、いつのまにか下駄業界用語でそう呼ぶようになりました)よりも儲かるのは、当然のことながら高級草履でした。
昼間は神聖な教会の祭壇に額ずき、夜は月見町の芸者たちに御世辞のふたつもみっっつもいいながら、ハンドバッグとセットで2万5千円もする高級草履を売り込むセイザブロウさんとアイコさん。
健ちゃんのお父さんのマコトさんは、そんな父と母が、日ごと夜ごとに繰り返す、表と裏、聖と俗の二重生活というものにたいして、生意気にも、罰あたりにもいまいち得心がいかず、軽い反発すら覚えていたというのですから、ずいぶんとネンネエのおぼっちゃまだったのですね。
さあて昨年の夏ことでしたが、いまは鎌倉に住んでいる健ちゃん一家は、そんな格調高い歴史と伝統を誇る綾部の「てらこ」を訪ねました。
海に近く夏でも涼しい鎌倉から新幹線でやってきた京都は、無茶苦茶に蒸し暑く、もっと暑い綾部に辿りつくには、そこからさらに山陰本線の急行で1時間半かかります。
山陰本線の狭軌も狂気のように、明治ミルクチョコレートのようにぐんにゃり曲がり、運転手さんは懸命にレールを取り替えなければなりません。
そして取り替えられた分だけ列車は進み、とっかえひっかえしながら、健ちゃんたちはようやく懐かしの故郷に辿りついたのですが、到着した綾部盆地は、さらにさらに蒸し暑い。連日35度を超えるうだるような暑さに、アブラゼミは飛びながら鳴き死に、ニイニイイゼミは一声チチと鳴いてから、息を引き取りました。
綾部は水無月祭りの夜でした。
由良川に架かる綾部大橋を埋め尽くした群衆の頭上高く、五色の菊やしだれ柳や紫陽花の大輪、中輪、小輪の夜目にも鮮やかな花々が、中空に何度も何度もはじけました。
光と色がきれいに組み合わさった花模様が、黒い夜空にバチバチとはぜて消えてゆく一瞬、盆地を見おろす四尾山と寺山と三根山のほの青い輪郭が、ほのかに浮かんではすぐに消え、それはどんな夢にも終りがあることを告げているようでした。
しばらくすると、大橋の上流一キロのところから流された灯籠が、あちこち寄り道しながら、ゆらりゆらりとこちらへやってきます。
それを見ながら健ちゃんは、まるで遠い祖先の精霊がざわめいているみたいだ、と思いました。
橋の上から手を合わせ、頭を垂れている人もいます。
灯籠をよく見ると、桐の葉の上に柿の葉を敷いて、さらにその上にナスやキュウリ、ホオズキ、トウモロコシの赤毛などで上手に作った牛や馬が、可愛らしく乗っかっています。
昔の人への供養を念じて、いまの人々の敬虔な真心が流す数百、数千の灯籠は、由良川の川面を埋め尽くし、橋上の善男善女が口々に唱えるご詠歌が最高潮に達したとき、川の左岸では曽我兄弟富士野巻狩仇討の場の仕掛け花火が水火こきまぜて、ドドオーン!と鳴り響きました。
夜空からは菊、桜、柳、山茶花、四花の五尺玉、はては特大の六拾センチ玉の打ち上げ花火が百花繚乱と咲いては散り、得たりや応と一糸乱れぬ乱れ打ちが、盆地全体を轟然と揺るがせます。
地軸も曲げよと吠える天地水、倶梨伽羅紋紋の唐繰り仕掛け、一世一代の大舞台と花火師が腕に撚りを掛けた光と音の饗宴は、さながら真夏の夜の夢まぼろしのように、今宵を先途と蕩尽しつくしました。
綾部の目抜き通りの西本町の老舗履物店「てらこ」では、由良川河畔の並松、上町、東本町、さらに旧城址がある上野、田町あたりから団扇に浴衣掛けでそぞろ歩く人々に向かって、橋から戻った健ちゃんが、黄色いボーイソプラノを投げつけています。
「さあ、いらっしゃい! いらっしゃい! 寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! 品良くて、値段が安くて、持ちが良い。買うならことと、下駄はてらこ。てらこの下駄だよお!さあ、いらっしゃい!いらっしゃい!」
セイザブロウさんとアイコさんは、かわいい孫のあきんどの姿を、目を細くして眺めています。健ちゃんの御蔭で下駄もヘップも少しずつ売れて行くようです。
ちょうどその時、いつの間にやらうら若い二十三、四の月見町の小粋な姐さんが、ひとりでお店に入って来ました。
利休鼠の絽の着物に白、黄、紅、金、緑の斑点を総柄に散らし、三本の山百合を鮮やかに咲かせて。帯は黒地に観世水。雪のように白い肌を思い切りよくぐいと肩まであらわに。裾捌きもなまめかしう。
姐さんは疾風のように「てらこ」に入って来たので、彼女の金口の黒のバッグから一本の口紅がころがり落ちたのを、健ちゃん以外の誰一人気づきませんでした。
健ちゃんは、金色の容器から飛び出した真っ赤な口紅を拾ってすぐにお姐さんに渡そうと思ったのですが、なぜだかそれに触ってはいけないような気がして、どうしても手に取れません。
じっとそいつを見つめているだけで、心臓が早鐘を打ち、額の周りには冷たい汗がじっとりと湧きでてきました。
――ええい、こんちくしょう。口紅がなんだ。こんなもんがつかめなくてどうする!
と、思い切って右手を伸ばしてそいつをつかむと、意外にもズシリと思い手ごたえ。
そおっと鼻で匂いをかいでみると、今まで感じたこともない、未知の、禁断の、大人の、成熟した女の、不潔で、いやらしい匂い!
自分でも思わず知らず、そのきたならしい真っ赤なやつを、地べたのコンクリーの上に力いっぱい塗たくると、これが、いつか公園のトイレの片隅で見つけた薄いゴムの中のぶよぶよ淀んだ青白い液体のように、ぐんにゃりやわらか。どこまでも続く赤い血の流れに乗ってどこかへずるずると引きずられてゆくような怪しい磁力を感じて……
健ちゃんは、魔がさしたように、その口紅をそおっと自分のくちびるに塗ってみました。
舌の端っこでチロリとその赤いやつをなめてみると、急に頭の芯のところでジーンとしびれ、下半身がふあーんと暖かくなり、吐き気がするといえばするような、めまいがするといえばするような、気持ちがいいといえばよく、悪いといえば悪い。要するに、自分で自分が分からなくなってしまったのでした。
……とその時、やたら長い足をあだっぽく組んで竹のストールに腰かけていた姐さんが、今の今まで吸っていたキセルを、はっしと煙草盆に打ちつけました。
おしろいで真っ白に部厚く塗りたくった襟足から、きれいな櫛目をつけて、湯あがりに結いあげたばかりの、漆黒の日本髪が、ぐらありと半回転しました。
そして、健ちゃんのほうを向いたその顔は、いつかどこかで見たことのあるノッペラボーだったのです。
空空空空空空空空空つづく
先日、小学校の同級生2人とともに旅行に行った。目的地は淡路島と姫路。電車と新幹線、高速バスを乗り継いで行った。
明石海峡大橋は大きかった。想像以上に大きかった。海からの高さも高く、落ちたらきっと助からないだろうと思ったら少しだけぞっとした。淡路島は快晴だった。渦潮を見るためのフェリー乗り場にはちょっとしたお土産屋さんがあった。いたるところに玉ねぎを使ったお菓子やスープなどがたくさん並んでいた。玉ねぎが有名だとは聞いていたけれどこんなにも推しているのには驚いた。時間になったのでフェリーに乗った。潮のにおいが鼻につんときた。海は青いというより鮮やかなグリーンだった。渦潮は吸い込まれるような美しさと迫力があった。海風は気持ちよかった。
古民家を改装したような民宿に泊まった。女将さんはとても親切な人だった。隣との壁は薄かった。大学のサークルらしきメンバーが泊まっていたようだった。とても騒がしかった。お酒を飲んだ。たくさん、久しぶりに飲んだ。3人だけが知る昔話は秘密の共有のようで嬉しかった。わたしたちはもうわたしたちだけで旅行に行ける年になった。お酒を飲めるようになった年もずいぶん前に通り越した。もうこんなに楽しくゲラゲラ笑いながら過ごす、この3人の夜はきっと来ないだろう。結婚する人がいるだろう、転勤で遠方にいく人がいるだろう、色んな制約がたちはだかるだろう。お互いそれをわかっていたから、ずっとこの日が続けばいいと思ったはずだ。
翌日は生憎の雨だった。各々好きな色の傘をさした。小学生のときは黄色の傘でないとだめだったことを思い出した。あの時は後ろから見たらみんな同じに見えたっけな。
姫路城はやっぱり白かった。天守閣に登るのに1時間もかかったけれど、けっしてお城に興味があるわけではないけれど、確かな感動を味わった。だから世界遺産なんだなぁ~と感じた。
帰りの新幹線はあっけなく地元の最寄り駅に着いた。別れの時間だった。貴重なこの時間をかみしめながら手をふって別れた。また行こうねとは誰も言わなかった。それがなかなか難しいことをお互い分かっていたし、社交辞令を言うような間柄ではなかったから。それが逆に清々しかった。
雨がいつのまにかやんでいた。雨水で少し重くなった傘をぷらぷら揺らしながら帰路に着いた。