廿楽順治

 
 

わたしの足は
けっして洗わないでください

多くの足が
そう言い出してきかない

(うるさい地面の夜が来る)

がむしゃらに菜めしを
喰っているものに
そのかかとをあげてやりましたが

ある日
きみはわたしの足を
知らないと三度まで言うだろう

喰ったにわとりの足は静か

などと うつくしく
詩に書いてしまうだろう

その詩は
足に来た夜でも
だれの地面でもないというのに

 

 

 

光市

 

工藤冬里

 
 

家々の色はとりどりで
晴れ晴れとはしていないけれども
とりどりで
クラフトマッコリのブリューワリーもあり
中国名の寸劇が街を覆う

分裂症つまり統合失調症が全体性への無理矢理の回復であるとしたらそれは、 部分と部分を劇的に結びつけようとするという点で知恵と似ている。 資本主義が全体主義に吸い取られる際に使われる物語がおどろくほど無理矢理で劇的なのはそのためである。

角谷の箴言めいた口調
例えば道を歩きながら「すべてに逆説がある」

ゑでぃまあこんのハロー警報はニルヴァーナの後だったが、 角谷のハローシカはソ連邦崩壊前だった。《故に》角谷はソ連邦を崩壊させたのだ。

 

 

 

#poetry #rock musician

準備

 

道 ケージ

 

春、午前一時
ゴミ出しで
廊下に出ようとすると
電話をとった妻が
お母さん亡くなったって

そうか、と廊下に出る
途端
ものすごい号泣
息が詰まるほどだ
崩れ落ち
こんなに泣くのかよと思う自分

息苦しくて
起きる

夢だった
福岡の兄にライン
あゝそう
「こっちは大事ないたい
すっかり誰が誰ともわからなくなったが
口から食べられるごとなった
ケージは? とも言ったったい」

昨夏、危篤、救急車に同乗
覚悟した
春、驚くほどの回復
ゼリーを食べた!
夏、また会う直前
本当に亡くなってしまった

棺におさまる母
こんなんなっちゃって
父への母の言葉
嗚咽

まぁ号泣はしない
ホッペを触る
冷たい

  いまさら孝行息子でもあるまい。よせやい。泣いたらウソだ。涙はウソだ…
  いまにも、嗚咽が出そうになるのだ。
  私は実に閉口した。(太宰治「故郷」改)

嘘だ嘘だ
泣くのはよしにして
飲みに行く

ついでに吉野ヶ里
カメに入った大王は
丸まって笑みをもらす

刀剣は出ない
印章は出ない
ここに卑弥呼はいないよ
汗だくの元自衛官のガイドが笑う

蚊をつぶす