それは、ズッシーンと胸に応えて

 

鈴木志郎康

 

 

わたしはいつ死ぬのだろう。

麻理が「最後まで地域で皆で一緒に楽しく暮らす会」に、
家のガレージを開放して、
広間を知人たちの集会に使って貰おうと決めたので、
夫婦で病身になってどちらが先に死ぬのかが現実に問題になったのです。
わたしが先に死ぬと遺産相続で、
この家を相続する家内の麻理は相続税が払えず、
住み慣れたこの家に住み続けられなくなるのではないかと思い、
それは、ズッシーンと胸に応えて、
悲しくなってしまうのでした。

麻理はこの家を、
いろいろな人が集まれる空間にしたいと、
家の中に堆積した物を、
「断捨離」と紙に書いて本の束などに貼って、
捨て難かった気持ちを絶って、
どんどん捨ててる。
進行性の難病のその先の死を予感してるんだ。
動けなくなっても友人たちと交流していたいという思いだ。
回りに人がいて欲しいという思いだ。

わたしはいつ死ぬのだろう。
わかりませんね。
いや、わたしが死ぬ、
ということは、
この身体が息を引き取って、
医師が心肺停止を死と判定したときに、
鈴木志郎康こと鈴木康之という名前を持ったわたしの死が確定するのでしょうね。
つまり、死ぬって、
このわたしの身体に起こることが、
社会制度的事件になるんですね。
わたしが知るわけもない。

ズッシーンと胸に応えますね。
わたしの身体が息を引き取る時は必ず来るのです。
それがいつかわたしは知ることができないのでしょう。
でも、でも、
79歳で前立腺癌を患うわたしの身体は、
否応なしにやがて息を引き取るのです。
いつまでも今日と同じように明日を迎えたい。

ところが、
わたしは
明日、
わたしの身体が息を引き取るとは思っていないです。
来月とも思ってない。
来年は、80歳になるけどまだ大丈夫でしょう。
と、一人でくすっと笑ってしまう。
歩く足がしっかりしてないから二年後はあやしい。
三年後はどうか。
いや、進行性の難病の麻理が亡くなるまでわたしは死ねないのだ。
お互いに老いた病気の身体で介護しなくてはならない。
支えにならなくてはならない。
麻理より先には死ねないのだ。
ズッシーン。

自分で死ななければ、
心肺停止はいずれにしろ突然なのだ。
ズッシーン。
遠い寂しさが、
晴れた十月の秋の空。
陽射しが室内のテーブルの上にまで差し込んでる。