ムックムックは上下する

 

辻 和人

 

 

ムックムック
ムクムク
クククッ
骨の奥から目覚めて
ゆっくり、けれど力強く
湧き上がってくるものがあったんでしょう
いや、ぼくじゃないですよ
ミヤミヤですよ
ムック、ムック、ククク・・・・・・

ベッドに入って手握って
「おやすみなさい」を言おうとしたその瞬間さ
「ねえ、かずとん。
そろそろ家を買おうと思うんだけどどう?
結婚前にも話したでしょ?
いつか自分の家が欲しいって。」
そう言やぁ
江ノ島デートの時にだいぶ熱を入れて喋ってたな
「うーん、まだちょっと早いんじゃないの。
ヘンなのつかまされちゃいやだし。
じっくり情報収集してからにしようよ。」
ミヤミヤ、ガバッと半身起こす
「かずとん、約束違うじゃない。
結婚するなら家は欲しいって言ったでしょ? 
もおぅー、来週は不動産屋さんに行くからね!」
買う気ないとは言ってないのに
言ってないのに
ミヤミヤ、怒りで鋭い三角形に変形
ムクムク
ムックムック
ムキキッ!
はい、わかりました
来週ね

はい、来週の土曜日になりました
不動産屋さんの車に乗ってます
「マンションっていうのはピンキリなんですよ。
今日お見せするところは中古ですが作りはしっかりしていますよ。」
経験豊富そうなその人は通りがかったマンションをあれこれ批評
これはまあ、ピン
残念、これはキリ
ミヤミヤ、ムックムックと頷く
はい、着きました
緑豊かな庭つきのおしゃれなマンション
にこやかに迎えられて早速拝見
3LDKの清潔なお部屋
白い囲いがあってこれは今お散歩中のワンちゃんのお部屋だとか
予算的にも丁度いいし、駅からも近いよな
おや?
ミヤミヤ
ゥムークゥ、ゥムークゥ
風船が空気抜けるみたいにしぼみ中

「良いマンションだったけど私が欲しいのこれじゃないってわかっちゃった。
次は中古住宅見に行きましょう。」

だそうで
はい、翌々週になりました
一橋学園のお宅へ
敷地は狭いけれど明るい陽射しが差し込む
2人の小さなお子さんがいるらしく
カーテンの柄といい置物といいかわいいインテリア
連れてきてくれた元気印の女性の不動産屋さんは
「造りがしっかりしている割に格安な物件ですよ。
建ててから急に転勤が決まられたということでまだ新築同然です。」
床に、天井に、階段に、目をキョロキョロさせるミヤミヤ
悪くはない
悪くはないんだが
振り返ると
ミヤミヤ、突然ムシューッ、細くなる
カチン、固まってしまったぞ
「ありがとうございました。検討させていただきます。」

「やっぱり他人が建てた家っていうのは
趣味がいいものでも私のものじゃないって気がする。
私が良く利用するお店に住宅部門があって
今度見学会やるので足を運んでみましょう。」

はい、その翌々週になりました。
荻窪駅から歩いて15分、あ、あの白い家?
1階がアトリエと寝室、2階がリビングとキッチン
すすすーっと伸びるスケルトン階段には
きれいな絵が何枚も飾ってあって
いかにもイラストレーターさんのお家らしい
仕切りが少なくて柱もなくて
部屋の奥までパーッと見渡せる
面積以上に
ひろびろーっ
そして
床、がっしり
壁、がっしり
何でも高度な構造計算による工法を採用していて
耐震性に優れているそうだ
断熱性も高くてエアコンに頼らなくても快適に過ごせるそうだ
さて、ミヤミヤのご様子は?
部屋を子細に見渡す視線は厳しい、けどけど
ムックムック
ムックムック
目の奥が踊っているじゃあありませんか
おや、足にすりっとした感触
まあまあ
ピンクの首輪をつけた茶色の猫ちゃんだ
随分とかわいがられてるんだな
よしよし
がっしりしたお家に守られていると
安心しきって人懐こくなっちゃうのかな
あ、そろそろ見学会終了

はい、帰りの中央線です
結構混んでます
ミヤミヤの様子、ちらりと見ると
電車が揺れても
窓の外を眺める横顔は微動だにしません
そうかあ
ミヤミヤは気に入った
ミヤミヤは決めた
この顔になったらもう覆らない
一見クールだけど中は
ムック、ムック、ムック

わぁー、このままじゃ
一軒家建っちゃうよ
冗談じゃないよ
このぼくが家建てるって?
祐天寺のアパートの光景が浮かんでくる
本の山の間に敷いたセンベイ布団の上で
目をカーッと開けたまま
独りで死ぬんじゃなかったのかよ

でも
ミヤミヤがあんなに
ムックムック
なんて、何だか
楽しいな
横でぽーっと突っ立って
ムックムックを一歩下がって見守るって、何だか
楽しいな
一歩下がるには
下がるという動作をするための意志と力が必要なんだよ
ぼく、かずとんは
ムックムックと
一歩下がってついていく
ムックムックしたい人に道を譲ると
一歩遅れてちゃーんとムックムックがやってくる
そのことを
ぼく、かずとん
知らず知らずのうちにちゃーんと学んでたってわけさ
ムックムックは
ミヤミヤとかずとんの間の回りもの
生身と生身の間の回りもの
さて、かずとん
改めてあなたに問います
家、建っちゃってもいいですか?
うん・・・・・・いいよ
決まりですね!

はい、その翌々週
若い男性の不動産屋さんに連れられて小平市に土地を見に来ました
草ボウボウの33坪
バス亭とスーパーマーケットが歩いて3分
おしゃれな店なんか何にもないけど静かで緑は豊か
ぼくが育った神奈川県伊勢原市の雰囲気に似ているな
土地の前の道路の一部がまだ私道で
そのため若干割安になっているという
悪くない
っていうか、いいんじゃない?
不動産屋さんにお礼を言いマンションまで送ってもらう

はい、それでさ
マンションに辿り着いた途端だよ
「私、さっきの土地もう一回見に行くから。
駅からの時間も計っておくね。
かずとんは掃除機かけててくれないかな。じゃね。」
すたすた自転車置き場に歩いて
よいっしょ
ムッック、ムッック
腰を浮かせて自転車を漕ぎ出し始めた
ムキィーク、ムキィーク、ムキィーク
7月の午後
うっすら汗を浮かべて
自転車を漕ぐミヤミヤの後姿が
ムックムック
ムックムック
上下する
力強くて美しい
上下する背中が
ムックムック
一歩遅れて
見送るぼく、かずとんの視線も
ムックムック
美しい
美しい