お誕生日おめでとうの詩

 

村岡由梨

 
 

私たちが出会った頃のこと
どれくらい覚えていますか。

あの頃、野々歩さんはヘアワックスで髪を逆立てていて、
今みたいにメガネじゃなくてコンタクトをつけてたよね。

イメージフォーラムの16mm講座で一緒の班になって、
どういう作品を撮るかの話し合いの時
私の隣の席に、ぶっきらぼうな表情で座ってた野々歩さん。
なぜか私は胸がドキドキして、
ゆでダコみたいに顔が真っ赤になってたよ。

多摩川の河川敷での撮影が終わって、編集作業の日。
珍しく野々歩さんは洗いたての髪にメガネをかけてて、
なぜかまた私は胸がドキドキして、
ゆでダコみたいに顔が真っ赤になりました。

助手の徳本さんが、
一生懸命に編集作業に取り組む私たちを見て
「野々歩君と村岡さん、仲良いね」
ってからかったの覚えてる?
野々歩さんは
「僕らお互いのファンですから」
って、さらっと言いのけた。
その時の私の頭の中を想像出来る?
ゆでダコどころの話じゃないよ!
頭がグラグラ沸騰して、
パーンと音を立てて爆発しそうだった!

その年のクリスマスの夜は、

二人で東大の校舎に忍び込んで
初めて手を繋いで歩いたね。

お正月には、初日の出を見ようと
建設中のマンションの屋上に忍び込んで、
自分の眼の高さに鳥が飛んでいるのを見て、
「私も飛べるかな」
って柵を飛び越えようとした私を、
「落ちたら痛いから、やめなよ」
と言って止めた野々歩さん。
何でも複雑に深刻に考えがちな私にとって、
「落ちたら痛い」っていうシンプルな言葉は
ものすごく衝撃的だった。

私たちはそうやって、
互いに無いものを補いあって求め合って、
ここまで歩いてきたんだね。

やっとの思いで完成させた処女作を
イメージフォーラムの映写室で泣きながら観ていた私。
そんな私を優しく気遣ってくれた野々歩さん。
河口湖の花火大会を観に行った時、
湖畔の土産物屋の二階で
私に浴衣を着付けてくれた野々歩さん。
雪の降る夜、大きなお腹を抱えて立ち尽くす私を
家に連れて帰って温かいお風呂に入れてくれた野々歩さん。
鬱がひどくて何も出来ない私の髪を洗ってくれる野々歩さん。

「村岡さん」から「由梨さん」、
「由梨さん」から「由梨」、
「由梨」から「ゆりっぺ」。
呼び名が変わる度にすごく嬉しかったこと、
おばあさんになっても忘れないよ。

1980年10月22日に、野々歩さんは
池ノ上の、お庭にウサギさんがいる産院で生まれて、
1981年10月22日に、私は
渋谷の日赤で生まれた。
その後、野々歩さんは渋谷で育って、
私は池ノ上で育った。
もしかしたら、イメージフォーラムで出会う前から
私たち街ですれ違ってたかもね
と、二人で笑う。

必然とか偶然とか、簡単な言葉で済ませたくない。
愛しています、とか
ありきたりな言葉では表現しきれないよ。
もっと良い詩が書きたいよ。
喉のつっかえがすうっと取れるような詩を。

シワシワのガタガタのグッチャグチャな
おじいさんおばあさんになっても
一緒にいよう。
「死が二人を分かつまで」って何?
死んでも一緒のお墓だよ!

お誕生日おめでとう!
野々歩さんと私。

 

 

 

あきれて物も言えない 05

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

大風は過ぎていった

 

台風19号はわたしの住む静岡に上陸して、長野、新潟、神奈川、東京、千葉、埼玉、群馬、茨城、栃木、福島、宮城、岩手と、大変な被害をもたらして、いった。

その日は台風が上陸すると聞いていたので物干し竿を下ろして雨戸をすべて閉めて、
女と喪中葉書の絵柄や言葉を選んだりしていた。
昼前から強い風が吹いてガタガタ雨戸を揺らした台風は夕方にこの地域に上陸して過ぎていった。
夜中に何度か近所の小川の水嵩を二階の窓から覗き込んだ。
小川は増水して土手まで届きそうな濁流となったがなんとか土手を超えることはなかった。
たまたま上流の山に降った雨の量が多くなかっただけで助かったのだろうと思える。

原発のある福島は大丈夫なのだろうかと思った。

翌朝、台風は過ぎて、晴天となった。
ニュースでは大変な被害が各地から報告されはじめていた。

秋田の姉からは「近くに川があったけど、だいじょうぶ?」とLINEが届いた。

長野や神奈川、東京などにいる知人に無事を確認してみた。
千曲にいる詩人はなんとか無事とメールをくれた。他のみんなも大丈夫と返事をくれた。

それで、女とわたしは朝早く、地方巡業の相撲を見にいったのだった。
晴天の空の下を車を走らせ隣町の体育館に向かっていた。
台風の大量の雨に空気が洗われていつもよりも街や山々は綺麗に見えた。

体育館前の行列に並んで、女と”向正面ペアマス席”というところに座った。
正面は北側で「貴人は南に面す」といって貴人が座る場所なのだそうです。
正面の反対側の向正面から見ると行司の背中と尻が見えて相撲の取り組みは見えにくいわけなんですね。

公開稽古といって幕下以下の力士たちが廻しだけの裸で稽古をしている。
力士が先輩力士に何度も挑んでいた。何度も何度も投げ飛ばされては起き上がっていた。
擦りむいたり、鼻血を出したり、転んだり、土俵下に落ちたりしている。
裸の背中や胸が汗で光っている。

花道の近くに大栄翔がいた。
大栄翔は女とわたしが応援している力士だ。
大栄翔の横に並んでいる女の写真を撮った。
少女のようにはしゃいでいる。
相撲の絵の座布団にサインまでもらっている。

この前の両国にも見に行ったが大栄翔は横綱鶴竜を破ったんだ。
見事な勝ち方だった。
座布団が飛んだ。

大栄翔は負けるときは簡単に負けるけど、
かわいいのだ。

公開稽古が終わると、
幕下以下の取組が始まる。
その後に、十両の取組、幕内の取組とつづく。

幕内の取組で、大栄翔はやっと登場する。

女が横で、だいえいしょう〜! だいえいしょう〜!と声援していた。
今回も大栄翔は千代大龍と闘い勝った。

勝つと、うれしい。

勝つと嬉しいが、
勝った力士も負けた力士も花道を帰ってくる。

力士たちは様々の表情をして帰ってくる。

それはそうだ、力士たちも、勝って上のクラスに上がらなければ惨めな生活が続くのだろう。
ライバルを蹴落としてでも上に行く気持ちが必要なのだろう。
相撲では物凄い気迫と形相の睨み合いとなる。
大栄翔はその丸っこい顔にあまり物凄い気迫と形相を見ることがない。
それで横綱に勝ったり、ライバルに簡単に負けたりする。
その辺りが面白くて可愛いのだ。

大栄翔はジャンルの中でプレーしているがジャンル以前に個人なのだろう。
この世にはそのようなヒトたちがいる。
画家や写真家や音楽家、詩人などもその部類だろう。

大風は過ぎていった

その下に相撲やラグビーを楽しんでいるヒトがいる。
その横に台風で避難しているヒトたちがいる。
今朝(2019年10月7日)の新聞によると死者78人、不明15人、避難者4,200人ということだった。
被災され避難されている方々はこれからの避難生活や家の片付けなどで疲労が溜まって行くのだろう。

わたしの地域は、たまたま上流の山に降った雨の量が多くなかっただけで助かったのだと思える。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

乳白の青が帯となっている *

 

平らな
海を

見たことがある

熱海の断崖の病院の
ひろい

窓から見た

それは
死だったろう

死の先に海はいた

わからない

何も
わからない

歩いていた

ひとり
いた

公園の
桜の

枝の先の

空を仰いだ

乳白の青が帯となっている *
乳白の青が帯となっている *

分断の先にいた

そのヒトはいた
モオヴよ *

土塗れのモオヴよ *
土塗れのモオヴよ *

ない言葉の先で会う
頬が赤い

涙ひとつ流して死んでいった

 

* 工藤冬里の詩「stray sheep」からの引用