夏の終わりに

 

みわ はるか

 
 

コスモスはあんなに細い茎なのに真っすぐ長く背伸びするように存在している。
一番てっぺんにはあんなにも可愛らしい花を咲かせる。
仲間と共に集団で並んでいて、不思議なことに多少の強風には身を任せるだけで折れている所をほとんど見たことがない。
風に吹かれてゆらゆら揺れている姿にはか弱い印象ながらもあるがままを受け入れるたくましささえも感じる。
その上空には早くもトンボが飛び始めていた。
秋はもういつの間にかやってきたみたいだ。

9月の1回目の3連休、わたしは地元の友人宅に招かれてバーベキューをした。
メンバーは3人で中学を卒業してからは疎遠になっていたが、それぞれが大学生のころから定期的に再開するようになった。
そこで必ずやるのはトランプの大富豪だ。
わたしがトランプ係になぜかなってしまったのでいつも忘れないように気を付けている。
掌サイズの小さいもので、裏にはクリスマスの時にかぶるような帽子をかぶったクマがデザインされている。
「Merry X’mas」と大きな文字で書かれてもいる。
かれこれ10年近く使っているのでボロボロになってしまった。
小さくてシャッフルしにくいとか色々ぶつぶつ文句もでるけれどどうしてもわたしはそれを使い続けたい。
思い出に勝るものはなかなかないと思っているから。
だからその日持って行ったトランプももちろんそのボロボロのトランプだった。

雲一つない青空、気温も容赦なく昼に近づくにつれ上がっていった。
外の木陰にいるにも関わらず次から次へと汗が滴り落ちる。
炭と着火剤を使って火をおこすとあっという間に炎が姿を見せる。
せっかく奮発していい飛騨牛を買ったのにみるみるうちに黒焦げになってしまった。
みんなでトングをせわしなく動かして肉を救出した。
貝殻の上にのったホタテはいまいち火が通ったのか分からなかったのでひっくり返して貝殻が上になるようにしてみた。
そしたらなんといい具合に焦げ目がついて醤油を垂らすとそれはとっても美味しかった。
殻ごと焼いた大きなエビは手をベタベタにして殻をむいて食べた。
まるで子供みたいに体裁を気にせずかぶりついた。
肉、野菜、海鮮・・・・・・、様々な新鮮な食材を網に並べると色鮮やかできれいだった。
炎天下の元、ジューといい音が食欲をそそった。
みんな笑っていた。
それはわたしが昔から、ずっとずっと昔から知っている友人の笑顔だった。
大人になった分顔も少しは変化する。
だけど、笑った時にできるえくぼ、生まれた時からずっとそこにあるほくろの位置、切れ長になる目。
変わらない部分を確認できたときものすごくほっとするのはわたしだけだろうか。
どんなライフステージにいてもやっぱり人間笑っている顔が一番いいなと思った。
それが自分の家族や友人、大切な人ならきっとなおさら。

〆のラーメンを食べた後、エアコンで涼しくなった部屋の中でもちろんトランプをした。
それは3時間程に及んだ。
ずーっとほぼ大富豪。
たまに飽きてきたら7並べ。
それの繰り返し。
よく飽きないなと言われるけれど、みんなの顔色をうかがってカードを出していくゲームはただ単純に面白い。
たまには何時間も熱中してアナログのカードゲームをするのも悪くない。
色んな事、ぜーんぶ忘れてただ目の前のカードの数字に集中する。
勝利を確認してニヤっとしたり、逆転されて本気で落ち込んだり、敢えてカードを止めてちょっと意地悪してみたり。
そんな時間は何にも代えがたい宝物になる。

「stand by me」という映画がある。
幼少の頃の友情は貴重で永遠で、二度と戻ることはできないけれど忘れるとこはできない瞬間である。
そんなメッセージを伝えているものだ。
わたしは古い友人に会う時、この映画をよく思い出す。
古い友人と言える人がいてくれてよかったな、それだけで人生は豊かだなと思える。
これからはもっと会う頻度は減っていくと思うけれど、みんなの心にはきっと薄れることのないそんな日々が残っている。
それだけできっと十分だ、そんな気がする。