興味を失くしたようだ

 

工藤冬里

 
 

ウーマンラッシュアワーのは漫才のネタではなく種である
ヤマザキパンのdoughはパンの種ではなくパンのネタである
アダムとエバの子孫は種ではなく彼らのネタである
豊後水道のアジは関アジと呼ばれる時寿司の種で岬(ハナ)アジの時はネタである
ジャズマンが転倒させた種はインスピレーションソースであった
ネタと種を往来しようとする試みを続けていた人類はこれから痴呆状態に入る
中世に戻るのだ

 
その星はずっと雨がびゃあびゃあ降っていた
光といえば欲望と裏切りが交互に点滅しているだけだった
言葉は呪いにしか使われていなかった
記憶はトラウマしか残っていなかった
技術を学習する者はいなかったので
音楽は単旋律に退化していた
女は全員同じ顔をしていた
全員安中リナという名前だった

 
興味を失くしたようだ
浜辺で立ち止まった
七つも頭があると
海から上るのも
彫刻像を作るのも大変だ
地から上るのは英語である
トモダチは皆離脱を支持する
呼気はカエルのカタチをしていて
元カレも元カノも召集される
ドロドロに踏み潰される
服を汚すなと言いながら
鉢の中身をぶちまける
海の中の生き物は全て死に
川と水は血になった

カウンシルハウスの上の雲は竜の形をしている
トモダチは屋上で野獣の旗を揚げる
券売場に反対の署名
赤鉛筆の立ち飲み屋で芯を剥き出しにする
睫毛が長すぎてピューと吹くジャガーさんみたいに目がないので
本心に立ち返る隙がない
障害があって結婚しない人が
忘れられている

 

 

 

あきれて物も言えない 07

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

去年の今日、だった

 

義母が入院したのは、去年の今日だった。
もう、一年が過ぎてしまった。

心不全と腎臓の機能低下のため義母の足は象の足のように浮腫んでしまっていた。
それで入院して強い薬を使って浮腫を抑えることになったのだった。
入院してすぐに薬を投入すると浮腫は驚くほど解消されたのだったがあの日、義母の意識は混濁してしまった。

大病院の五階の病室のベッドには虚ろな表情の義母がいた。

それから一ヶ月間、義母は入院した。
毎日、女とわたしは病院に見舞った。
混濁した意識は、まだらに回復して、家に帰りたがる義母を、
担当医に相談して在宅医療の医師、介護施設と連携してから、退院させた。
退院時に担当医から余命は約一ヶ月と言われた。

退院の日、義母を車に乗せて、すぐに家には帰らずに、
病院から出て、港町の風光のなかをドライブして、浜辺まで行き、義母に海を見せた。
最後のドライブだった。

空は、よく晴れていて、海は、キラキラ、光っていた。

退院した義母には、いちごやメロン、マグロ、牛肉や、和菓子など、好きなものを食べさせた。
美味しそうに、義母は、たくさん、食べてくれた。
犬のモコも、義母の帰りを喜んでベッドにあがって義母の顔を舐めていた。

しかし、担当医の言った通り、心臓はもたなかった。
義母は退院して一ヶ月で逝った。
もうすぐ、一年になる。

 

話は変わるが、
悲報だった。

12月4日、
アフガニスタンで活動している中村哲医師が銃撃されたというニュースだった。

翌日の新聞で中村哲医師が亡くなったことを知った。
アフガニスタン東部ジャララバードで12月4日朝、銃撃され、死亡した。

中村哲医師の活動については、かつてNHKのドキュメンタリーを見て知っていた。
ドキュメンタリーでは中村哲医師がアフガニスタンでユンボを運転して現地の人々と灌漑用水路建設に従事している映像を見た。
医師とは思えない姿だった。
映像の中で「100の診療所よりも1本の用水路」ということを語っていた。
現地に居て現地の人々の惨状を知り尽くして語った言葉だろう。
砂漠に水があれば、清潔になり、病気を予防し、食うものも作れるから、
アフガニスタンの人々には何よりも井戸と用水路が必要なのだということだったろう。
畑で食うものさえ作れれば、男たちがタリバーンやイスラム国の傭兵として金を稼がなくて済むということだったろう。

その中村哲医師が、運転手や警備員5人とともに銃撃され殺されてしまった。

タリバーンの幹部は事件後に犯行を否定する声明を出したのだという。
中村哲医師を殺害してアフガニスタンの人々にはどのようなメリットがあるというのだろう。
ジャララバードでは4日夜に中村哲医師の追悼集会が開かれたのだと12月5日朝日新聞の夕刊には書かれている。

「中村さんは懸命に働き、砂漠を天国の庭のように変えてくれた」
「あなたはアフガン人として生き、アフガン人として死んだ」

現地NGOメンバーたちの言葉だ。

人はいつか死ぬだろう。
誰にも平等に死はやってくるだろう。
身近な人々、友人、見知らぬ人、われわれ自身に、死は、訪れるだろう。

アフガニスタンで銃弾に倒れた中村哲医師のような人もいれば、
金髪の米国大統領の傍でニヤニヤしているこの国の首相は、日本ではお仲間を集めてお花見をしているわけなのだ。

この国で、よくも暴動が起こらないものだと思う。
この国の若者たちはおとなしく飼いならされた羊のようだ。
深く深く絶望しているのだろうか?

この世界を分断は覆いつつある。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

いつまでも

 

佐々木 眞

 
 

ヨハン・シュトラウスⅡ世の「無窮動」op257を振り続けながら、
あの懐かしい指揮者、カール・べーム翁は「いつまでも」というた。

京都府綾部市西本町25番地の履物店に「品良くて、値が安うて、履きやすい、買うならことと、下駄は“てらこ”」と書かれた看板があったので、同級生のコガネ君とフマ君が「まだ売ってますか?」と尋ねたら、コタロウさんと、シズコさんと、セイザブロウさんと、アイコさんと、マコっちゃんと、ゼンちゃんと、ミワちゃんが、口を揃えて「いつまでも」というた。

夕方、鎌倉市十二所の光触寺の山門に愛らしいコダヌキが目を光らせていたので、「お前さん、いつまでそんなとこで油を売っているんだね」と尋ねると、「いつまでも」というた。

「さて問題です。我が家の太陽は誰でしょうか?」と尋ねたら、コウ君が「お母さんですお」というので、「では、ここでもう一つ問題です。太陽はいつまで輝くでしょうか?」と尋ねたら、「いつまでも」と答えた。

緒方貞子さん、中村哲さん、今井和也さん、柴田駿さん、巽光良さん………
今年も忘れがたい多くの人々がちょっと遠い所へ行ってしまった。

でも青空の彼方に思いを馳せるとき、彼らはまっすぐ地上に降りてきて、ただちに私らの胸によみがえる。

ああ天上にいます父よ、母よ、ムクよ、大勢の親戚、友人、知己たちよ!
できることなら、この不毛の荒地で懸命にもがき続ける私たちを、どうか温かく見守っていてください。

いつまでも。

 

 

 

grand finale

 

原田淳子

 
 

 

影も失くしたからだで
夢のくにの抽選
落伍者の船
ソドムの港

終わりにむかって鐘が鳴る
譜のパレード
波飛沫は眩しくて
戯けてみる

臆病さのかたまりで
頬は赤く腫れあがり
船は緑の泥に沈む
封印された文字が滲む

千切れた肌を縫う
コラージュ
傷みの地図

なつかしさもわすれて
仰向けに
天から降る降る滴

かみさま
降る降る

灰のなかで鐘が鳴る

燃えたのは、わたしだった

降る降るあなたのもとへ

灰の狼煙をあげよ

grand finale

 

 

 

「夢は第2の人世である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」第79回 

 

佐々木 眞

 
 

 

「こちらは某国の王女様であるが、今日から1ヶ月間お前たちと一緒に仕事をして下さることになったから、万事よろしう頼むぞ」といわれたのだが、それから1ヶ月間、私らはてんで仕事にならなかった。なぜなら王女様は全裸の美女だったから。10/1

チューターとしての私は、意外にも結構まともなこととを喋ったとみえて、聴衆の中の1人の女性は、私の言葉にいちいち深く頷いていたので、私はゼミが終わってから彼女を隣の部屋に連れ込んで接吻したが、彼女がまったく抵抗しなかったので、性交しようとしたが、その時彼女に下半身がないことに気付いた。10/1

その頃の私は、毎朝無垢の人からの電話があるのを唯一の楽しみにしていた。その声を聞くと、なんとなく清らかな心持ちになるのだ。10/1

新米披露会に出席した私は、はじめは最後列に座っていたのだが、だんだん前の席に移動し、最後は最前列に躍り出て、出来たての新米を試食しみたが、とても美味だった。要するに腹が減っていたらしい。10/2

電通がデベロッパーになって、高田馬場早稲田辺の大開発をするという話を耳にして、それではまた、地下鉄にただで乗ったり、学バス利用者を実力で阻止したり、半日で5万円のカンパを集めたりできるのか、とぬか喜んだりした。10/2

私は生まれて初めて芝居の演出をすることになって、役者にいろいろな指示を与え、「さあ行ってみよう!」と叫んだが、なにも起こらなかった。それもそのはずで、まだ脚本が出来ていなかったのだ。10/3

12時から試験だというので、学友諸君と一緒に教室で待機していたが、担当教官のヒラオカが来ないので、みなメシを食いに行った。30分遅れでやって来た彼奴は、「半からだと思っていた。みんな戻ってくれよ」と、泣きながら訴えたが、みな知らん顔していた。10/4

新曲の録音でスタジオに缶詰になっていたら、突然頭が痛くなった。他のミュジシャンもそうだというので、神主を呼んでお祓いをしてもらったが、全然効果がないので、結局別のスタジオで録音することになった。10/5

曾祖父なんか知らないけれど、祖父と祖母が死んで、父と母が死んで、伯父伯母叔父叔母みんな亡くなって、私ひとりが取り残された。10/6

私の名前が、私が作製した文書からことごとく失われたので、2台のパソコンと3個の外付けHDDの中を大捜索して、見つけ出そうとしているところだ。10/7

お昼にランチを食べようと、会社からかなり離れた定食屋に入ったら、私の課のY嬢が、営業部の男たちに交じって女一人でサンマを食べていて、「お前はどうして自分の仲間とメシを食わないでここに来るんだ」と聞かれて「ほっといてよ」とそっぽを向いていた。10/9

台風の被害に遭った私の寺は、軍の移動テントのすぐ傍にあったので、兵士たちはすぐに修復してくれた。10/10

「家族A」は「家族B」に対して、かつて天人許すべからざる残虐行為をなしたことがあったので、しばらくは慙愧の念から大人しくしていたが、しばらくすると何事も無かったかのような顔をして、傍若無人に振る舞うようになってしまった。10/11

50行に及ぶ彼の大長編詩の冒頭は、「それから私は」という言葉だった。10/12

諸君、喝采し給え。若き天才建築家の登場だ。10/13

ボクは、毎晩世界のラグビー選手が集る居酒屋で呑み食いしていたので、段々彼らの強さの秘密について知るようになっていった。10/14

ストックホルムだかヘルシンキだかで、母が列車に乗っている、という情報に接したので、急いで追いかけたのだが、ついに見つからず、返す返すも残念だった。10/15

私の職場では、怒り狂った社員が、朝から晩まで滅茶苦茶に電話を掛けまくるので、煩くてたまらないが、私だけ何もしない訳にはいかないので、取り合えず5か所に電話した。10/16

障碍者の親の会の打ち合わせに、どういう風の吹き回しか、成人後見人を名乗る男が登場し、自分がその後見依頼者ともども仏蘭西に行った折りの話をベラベラしゃべり出したので、皆の顰蹙を買った。10/17

初めて中国を訪問したら、周恩来首相が3千年の過ぎ来し行く方を懇切丁寧に解説してくれたが、その言い方では、過去から現在までの道行が絶対化されてしまうので、現政権に対する批判が出来なくなってしまう危険がある、と思った。10/18

もういいだろう、と思って外に出ると、例の男の子と女の子が、私を捕まえて、どこにも行かせてくれないので、私はエンエンと泣いた。10/19

私たち6人兄妹は、3人の伯父叔父の家に別々に引き取られて、お互いに会うことも無く育ったが、半世紀ぶりに再会したら、それぞれが能や歌舞伎や文楽の歌舞音曲にかかわる仕事をしていたので驚いた。10/20

「机の上の余分な物は全部捨ててください」と言われたが、昔の手帳だけは捨てられなかった。10/21

夜の11時から、池袋のスカラ座で試写会があるのだが、山手線が駅の手前で止まってしまい、焦りまくっている私。しかし、池袋にスカラ座なんてあるのだろうか?もしかして新宿の間違いではないのだろうか?10/22

ふと気がつけば、万人が万人に対する戦争の時代に入っていたので、及ばずながら、私も武装したのだった。10/23

インフルエンザからセキリ、エキリ、コレラ、エイズまで、何にでも効く万能予防注射が発明されたので、全国民が皇居前広場に集まって、「早く注射しろ!」と叫んでいるが、希望者があまりにも多く、長蛇の列になっている。10/24

オレが、ブッシュにからまったPCを探していると、5時から6時ごろに、不意を突いてオレをやっつけようという僚友たちのひそひそ話が、耳に入ってきた。10/25

原住民たちが、思いがけず我々に反抗したので、私は部下に対して、全員から武器を取り上げ、抵抗するようなら即銃殺するよう命じた。10/27

昨日エイギョウから依頼があって、なんたらかんたらフェアをやるので、その製作物を、という話だったので今朝シゲハラ印刷の担当者に来てもらったのだが、それを具体的に詰めようとしても、なんたらかんたらの実態が分からないので、手のつけようもないのだった。10/28

世界の終りが迫っていた。私は妻と一緒に電子辞書だけ持って、着のみ着のまま裏山に逃げ出し、「世界名言集」を検索しながら遺言を考えていたのだが、突然辺りは真っ暗闇になり、液晶も切れた。それが世界が終った瞬間だった。10/29

バルカン半島の緩衝地帯で衝突があり、現地駐在の日本大使館が「日本資本主義」という旗印を掲げていたので、私は急遽「日本国憲法」に差し替えた。10/30

ソロス君は、自分の子飼いの部下を、破格の高給で、自分が管理運営する秘密プロジェクトのメンバーに任命して、ますます実権を積み重ねていった。10/31

 

 

 

死の香り *

 

日曜日の午後に
出かけて

いった

もう
おとといか

ロジャー・ターナーと
高橋悠治の

DUO
“たちあがる音楽” に

いった

青嶋ホールという
コンクリートの打ちっぱなしの音楽堂で聴いた

ロジャー・ターナーのドラムス・パーカッションと
高橋悠治のピアノのDUOだった

ロジャーは
シンバルにフォークを突き刺した

キーキー
引き裂いた

高橋悠治はピアノをピアノで無化していた

そして

無音に
帰る

意味がなかった
無意味とも違う

佇む

ヒトがいた

星空を

過ぎる風が
いた

流れる乳白の星雲がいた

いつまでも
なつかしい死者たちの横にいて沈黙の音を聴いている

女たち
男たち

ヒトの生は死の香りがする

 
 

* 工藤冬里の詩「捕虜となった私」からの引用

 

 

 

捕虜となった私

 

工藤冬里

 
 

凱旋の辱め
前列からの分断
同じ花でも
死の香り

線の細いピカチュウの描画が
ミスドの包み紙にコラボされているが
油はその線の中で完全な勝利を収めており
線の細さも油からその香りを引き剥がすことはできない

死刑執行を命ぜられた兵士は自殺する

油も線の細さも私を死から引き剥がすことができない
糾弾の雹は直径15.5センチ
部屋に
イカの甲(フネ)の凹みが現れ
3D画面に吸い込まれる
私は自分の舌をかみはじめた

それにしても贅沢な浪費!