西東京

 

工藤冬里

 
 

雨の新青梅
赤の信号の目
街道kd東京tk
薙ぎ倒される二三区の子音たちが
公園で阿弥陀に組み立てられている
上り下りする者たちの
ここは約束の地ではない という声が
イヤホンしてない方の耳にドップラーで混ざるが
脇目も振らず走り抜ける
青梅と新青梅はどちらが荒んでいるか競い合いながら交差して入れ替わるが
死んだ西東京のために
雨の日に自転車で飛ばすのは新青梅でなければならなくなった

 

赤い公園 西東京
https://www.uta-net.com/song/204846/

 

 

#poetry #rock musician

吼えろライオン

 

佐々木 眞

 
 

横須賀は大滝町のキシモト歯科へ行ったら、エレベーターや階段で上昇することを拒否して、ひたすら下降するのが趣味だという、ヨシモトなんとかいう老人が、おらっちの隣で治療を受けながら、
「歯垢が試行だ!」
とかなんとか、訳の分からないことを言いながら、おらっちを挑発してくるのよ。

ほんでもって頭に来たおらっちが、

「あんたはんは、チェコの国民的英雄でもある詩人、パブロ・ネルーダみたく、直喩より隠喩を使いこなせる詩人の方が高級だ、と主張しとるようやね。
しゃあけんど「雨が降る」を「空が泣く」、「ライオン」の代わりに「百獣の王」、タンポポを「ライオンの歯=dent de lion」と言い換えて、鼻高々になるのが、ほんまもんの詩人なんかいな?」

と啖呵を切ると、この時点からヨシモト翁に転向したヨシモト老人は、不機嫌そうな顔で私を睨みつけて、
「それはわしの『詩学叙説』の誤読じゃ。
若造め、お前はマチュウ書を読んだことはないのか、マチュウ書を。
その13章35節には、詩篇78章2節から引用されたイエスの言葉が、次のように記されているのじゃ」と、苦虫を吐きだすようにのたもうた。

『私は口を開いてたとえを語り、
 天地創造の時から隠されていたことを告げよう。』

すると、いつの間にか傍で我々の話を聞いていたムラカミなんとかいう男が、口を出した。

「いまあなたが心の中で言った、苦虫を吐きだすように、というのは直喩ですね。
僕は直喩が大好きなので、小説の中でよく使います。使えば使うほど直喩は喜んでくれる」

「愚か者め、それは直喩法じゃなくて擬人法じゃ」

「なるほど、あなたこそは詩人の鏡、じゃなくて幻像、いやさ原像でしたからね。でも僕だって、もちろん隠喩も使いますよ。ちょっと聞いてくださいな。

『スワローズの中堅手
 ジョン・スコットのお尻は
 すべての基準を超えて美しい。
 とてつもなく足が長く、お尻はまるで
 宙に浮かんでいるように見える。
 心躍る大胆な隠喩みたいに。』(村上春樹『一人称単数』「ヤクルトスワローズ詩集」より)

「愚か者め、それは隠喩という言葉を用いた直喩じゃないか!」

頑固な老人は、まるで赤色巨星と化した最晩年の太陽のように激しく燃え盛っているので、思案に暮れたおらっちは、彼を日本橋三越のライオン像の前に連れていった、と思いねえ。

するとコロナ、コロナで退屈し切っていた2匹のライオンは、
かの偉大なるMGM映画のはじまりのように、

「Ga―Ohoo,!Ga―Ohoo!Ga―Ohoo!」
「Ga―Ohoo,!Ga―Ohoo!Ga―Ohoo!」
「Ga―Ohoo,!Ga―Ohoo!Ga―Ohoo!」

と、喉も潰れよとばかり都合3回ステレオで吠えてみせたので、さすがのヨシモト翁も、
「やっぱ隠喩より直喩、直喩より、命の叫びだあな」と、なにやら切実な悟りを開いたようだった。

そこでおらっちは、マチュウ書ならぬヨハネ伝の冒頭の聖句を引喩して、長かった一日に終わりを告げると、老人は、
「こりゃまた失礼しましたああ」
と、植木等の真似をしながら、ようやっと大川方面に退散したのでした。

『初めに言があった。
 言は神と共にあった。
 言は神であった。
 万物は言によって成った。
 言の内に成ったものは、命であった。
 この命は人の光であった。
 光は闇の中で輝いている。
 闇は光に勝たなかった。』(聖書協会共同訳聖書「ヨハネによる福音書」より)

 

 

 

More often than not I lay awake all night.
私はしばしば夜通し目を覚ましたまま横になっていた。 *

 

さとう三千魚

 
 

morning
we went to the grave

it was the anniversary of my mother-in-law

I went with a woman by car

we water the stones

offering flowers and incense sticks
we prayed together

on the way back
I parked my car in the parking lot of the station

along the river
I walked back

the flowers of Confederate rose were in bloom

It was a pink Confederate rose

The woman says her mother won’t come to her dreams

Where is she walking

More often than not I lay awake all night *

 
 


墓参にいった

義母の月命日だった

車で
女と行った

石に
水をかけ

花を活け

線香を
立てた

手をあわせた

帰りは車を駅の駐車場に停めた

川沿いを
歩いて帰ってきた

酔芙蓉の花が咲いていた

ピンクの
酔芙蓉だった

女は母が夢に来てくれないという

どこの道を
歩いているのだろうか

私はしばしば夜通し目を覚ましたまま横になっていた *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life