渋谷!果報者としての池袋の裏返り

 

工藤冬里

 
 

わたしにはアビチャッポンみたいな名前の付いた台風が来ていて首が痛い
失うものは前もって失くしていたが
内から出ていく吐き気はそれとは別問題だ
それは引き続き腹の中で量産されてゆく
失うと言うより増えていく
その点ではわたしはかなりの財産家だ
負の財産家だ
吐き気は借金のようで
数が多いと安心する
あゝ本当に金持ちになった気分だ
裏返って借金を吐き出す袋たちがその額を競っている
それが渋谷の水位だ
スマホもない頃座っていたあの階段
の水位

 

 

 

#poetry #rock musician

ただ感じる

 

小関千恵

 
 

目を落とす
きみに落とす

探す 抜ける
それが旅だ

鏡 わたし
分からない気配

呼ばれていない
身体 確かに

生まれた日と
死ぬ日のことは
わからない

悲しみも 喜びも
わたしには 残らない

誰にも わたしを 愛せやしない

ただ感じる

ただ感じる

いま この震えを

ただ感じる

ただ揺れる

そのまま ただ解る

きっと そのまま忘れる

永遠の上 死の真下

月のような球体で
浮かんでいる

月のように隠れ
月のように現れる

裏側で
うたっている

 

 

歌、小関千恵

 

 

 

 

月光に 間男(まぶ)を探しし 霊揺るる

 

一条美由紀

 
 


鬱屈した声は灰色の染みとなって喉のあたりに潜んでいた。
ある時そのシミはヒラリと落ちてきて、
私の行先でニヤニヤしながら待っていた。

 


ごめんなさいと言う。
ごめんなさいは山彦となって揺れて消えた。
嫌いだわと言う。
嫌いだわは花びらとなって目に突き刺さった。

 


枝をつたう滴がキラと身体をすり抜ける。
文字は玩具の喜びに満ちて、
囁きはベッドになり、
わたしはサナギに変化し、
遠い時の果てで目覚める。

 

 

 

Don’t lean against the wall.
壁にもたれるな。 *

 

さとう三千魚

 
 

midnight

I’m looking at Shiroyasu Suzuki’s photo book “Hemisphere of Eyebrows”

all the photos in the photobook are taken with a fisheye lens

Mari in Kameido Tenjin
and young Harumi Kawaguchi is in the picture

there is also Hiroshi Watanabe
with his wife

there is also a naked Shiroyasu

in Shiroyasu’s study
he took it with the self-timer

there is also Hossawa Falls in Hinohara Village

water droplets are smoking

“If you shoot with a fisheye lens, it will be the same no matter who shoots it.
That’s what makes me feel better than that.
It’s nice that I don’t have to appear there. ” **

so
Shiroyasu writes in a photobook essay

there is a poet

there is a naked man

Don’t lean against the wall *

 
 

深夜

「眉宇の半球」という
鈴木志郎康さんの写真集を見て

いる

写真集の写真は全て魚眼レンズで撮られている

亀戸天神の
麻理さんや

若い川口晴美さんが写って

いる

渡辺洋さんもいる
奥さんといる

裸体の志郎康さんもいる

自宅の書斎で
セルフタイマーで撮ったのだろう

桧原村の払沢の滝もある

水飛沫が煙って
いる

“魚眼レンズで撮ると、誰が撮っても同じになる。そこがいい、と、
それ以上に素敵だという気分になれる。
わたしがそこに現れないですむのが素敵なのだ。” **

そう
志郎康さんは写真集のエッセイに書いている

ひとりの詩人が
いる

裸の男がいる

壁にもたれるな *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

** 鈴木志郎康 写真集「眉宇の半球」から引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life