香箱蟹

 

みわ はるか

 
 

新年あけましておめでとうございます。

このエッセイを書いている今は年末であるので、どんな年始を迎えているのだろうか。

 

年末のとある日の物語。

 

毎年この季節になると香箱蟹を食べに行く。

なんと贅沢なことかと思うけれどまろさん(久しぶりに登場)がどうしても譲らないのである。

なので、この時期前後はうちの小さめの冷蔵庫はもやし、納豆、豆腐といった安価な食材がいつも以上に増える。

飢えをしのいでいる。

キラキラ輝く香箱蟹のために。

 

いつもお邪魔するところは決まっている。

京都で修行をされた店主、京都出身のおかみさん、ご夫婦で経営されている小さな割烹料理屋。

カウンター5席、テーブル席2つの上品な店内。

お手洗いには京都らしい匂い袋が吊るしてあってほっこり。

店内の明かりも暖色系でなんだか落ち着く。

おかみさんはいつもきちんと着物を着こなし忙しそうに店内を行き来する。

料理はもっぱら店主担当で少しギョロっとした目が印象的。

2人とも温厚できさくだ。

料理は言うまでもなくものすごく美味しい。

今回は、サツマイモを焼いてスープ状にしたもの、レンコンの練り物、新鮮な鯖と鰹のお造り、3種類の寿司(しゃりが絶妙な大きさで感動)、牡蠣と山菜の天ぷら、待ちに待った香箱蟹(内子と外子がしっかりとのっていた)、生シラスがふんだんに使われたお茶漬け(生シラスなんて江ノ島以来)、甘すぎないデザート。

本当に素敵な時間だった。

料理好きなまろさんは1つ1つ細かく素材のこと、仕入れ先のこと、調理方法のこと熱心に聞いてたなぁ。

そういえば先日、海辺近くに住む親族から金目鯛と伊勢海老が送られてきた。

わたしだったら調理の仕方も分からずそのまま腐らせていただろう。。。。。

まろさんは余す部分なくきれいにお刺身、寿司、ホイル焼き、椀物、まるでお店のようにやってくれた。

これもYou Tube先生のおかげだけれど、腐らすことなく消費できてよかった。

店主もその写真を見て驚いていたなぁ。

わたしはというと、こんな素敵なもののお返しにはて何が適してるかと悩んだ。

最終的には海の幸の返礼には肉だなと、わたしは食べたことのないような立派な肉を送っておいた。

美味しかったとお礼をもらったが、なにせ食べたことがないので、はぁよかったとしか答えられなかった。

 

1つ残念なことといえば、後から来店したカップルなのか(指輪はしていたような)、夫婦なのか分からないお客のこと。

このお店で一番高いコースを食べていた。

だけど、おそらく医療関係者同士なのだろう、聞こえてくるのは抗生剤がどうとか患者がどうとかそんな話ばかり。

ふと見ると、料理には目もくれずただたんたんと料理を口に運んでいる。

どんだけ丁寧にこのご夫婦が命を吹き込んでくれたメニューであるか知ろうともしてないように見えた。

とっても残念なお二人でした。

どうか、どうか、もっと丁寧に料理と向き合ってくださいませ、お二人さん!

 

ご夫婦には1人息子さんがいる。

中学生のようだが、どうやら今の夢はラーメン屋らしい。

願わくばこのお店の味を引き継いでほしいな。

人生は一度なのでもちろん好きなことをやってほしい。

でもちょっぴり期待してるよ、大事なせがれ様。

そして、わたしは2年半住んだこの街を春には去ることが決まっている。

この味にもう手軽には触れられないことが残念だ。

一緒に引っ越し先に来てくれないかな、そんなの無理か。

 

2月頃はフグのシーズンですから最後にぜひどうぞと、お土産までもらって2021年を締めくくることにした。

 

 

 

徒党を組んで *

 

さとう三千魚

 
 

昨日
女と

港の温泉に行った
二十年

女と
暮らした

二十年が過ぎた

女と
風呂を出る時間を決めた

温泉に浸かり

露天で
浜風を嗅いだ

サウナを出て水風呂に入った

三回繰り返すと
汗は出ない

クラフトビール屋で女を待っていた

ビールは
蜜柑とメロンの香りがした

風が吹いていた
風は吹いていた

きみはそこにいた

きみは
風は

吹いていた

群れることがなかった
徒党を組むことがなかった

 

* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”犬のためのだらだらとした前奏曲” より

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

淡路

 

工藤冬里

 
 

α波の上限近く、11.7Hz
https://youtu.be/jjmfRAlkpTQ
https://twitter.com/_yukiohakagawa/status/1474354700451737604?s=21
人間は縦横を組み合わせたがるがそれはあまりにも人間的だ
基本的には上下しかない
横はさまざまだからだ
ベッドのまま運ばれて
焼かれる前に
南極を上から見てみたかった
四方から見られている
厨房の仕切りのない
部首のレストランで
漢字を食べてみたかった
日が陰っただけで人を殺す奴は馬鹿だ
子供を抱いた女、と思ったら犬を抱いた女だった
木がそこら中に生えている
雲の切れ目から降りてくる光の束にそれぞれに違った角度が付いているのは何故ですか?
太陽は雲と同じくらいの高さにあって、大きさも月と同じくらいなのではないですか?
年が変わるというのは公転とは関係なく、かりそめの四季を支配者の在位年に重ねていただけだとしたら、冬至や正月の神聖の押し付けは何処から来ていますか?
人が大勢死ぬ予告を前にして矮小化した愛の定義を繰り返すのは、スーパーの惣菜売場に流れている霊に同化した頭蓋が、反帝国主義とレッドパージの枠組みの中で凍てつき縮みきっているのと同じです
海馬はさらに萎縮してもの忘れや失敗が多くなるでしょう
絵に描いたトラをどう退治しますか
https://youtu.be/-92gC_f0PMQ
光は波でもあるので雲間から広がって干渉します
意識しないときっぱりとはいきません
うすぼんやりと残ります
忘れようとすると一粒の実体になり忘れている時は波になっています
眞子に佳子
皇族に流石にキラキラはない
真理への匕首は初霜に珪角を表す
福引きは八ので付く二八日で終了
餅つきは九の付く日は避ける
ヤギ譲とヴァニ諦レコードを振り返る類いの旧市民の年末
カヴァーをディスってディスカヴァー
死人に口なしてほぶらきんのレコードにも書いてあったね
正月くらい自分で作れ
と茨木のり子のようなものに叱られても
正月は暦の中を毎年移動するし
毎日が正月、とも言えず
いきさつを楽に棄てていくことしか
わたしにはできない
漏らしたことが多すぎて
竹で編んだ笊のような球
分画は受け入れ
借り物の体に対して罪を犯す
人生の目的が分からないとボルヘスbotが言うので
悪いなボルヘス、俺は知ってるよ、と返したことがある
行えてはいないが知ってはいるからだ
分からないという人の強みは行えていないという罪悪感がないことだ
ただ、そうした保留された状態に留まって居られる期間は限られている
その限られた時間を活性化しようとしても空しいだけだ
行えてはいないが知ってはいるという人のための時間も限られている
知っていることを誇ることもできないし、知らない人を見下すこともできない
見下さないということを主題にすることもまた空しい
知っていて行う人が一番幸せだというのはこういうことだ
カントはこれも駄目それも駄目と言った
ヘーゲルは駄目と駄目との隙間を生きた
人類社会の全ての家族はその創世の最初期から喪中に付き年始のご挨拶は控えさせて頂いております。ここに本年中に賜りましたご厚情に感謝致しますと共に、皆様に良き年が訪れますようお祈り申し上げます。
トンネルの青魚
幸せの蛸
海の区分された色
全部やったという気持ちにさせるために
淡路には粒と波が与えられている

 

 

 

#poetry #rock musician

 

塔島ひろみ

 
 

転校生は六部(行者)で 森市といった
私の隣りの席になった
教科書とかがそろうまで 私が見せてあげる 
当番のこととか 図書室のこととか 教えてあげる
森市は太っていて 動作がにぶくて 頭もにぶくて おとなしかった
いろいろ教えても ちょっと笑ったみたいなあいまいな顔で ぐりぐりした大きな目で私を見るばかりで
たぶんなにもわかってなかった
いつも同じ服を着ていた
その服は 冬でも夏でも
おばあさんが着るような毛糸の長いベストと
おばさんがはくようなすそ広がりの黒っぽいズボン 
臭かった
お風呂に入っていないのだ
着替えもしないのだ
臭くて 本当は近くに寄りたくなかった 話したくなかった
「くっせえ」「うんこ」「でぶ」とののしられた 尻を蹴られた
そうやっていじめられる森市の顔を 私は見ないようにした
授業でさされると私が小声で答えを教えた
森市はそのとおり復唱した
私は森市に教えるばかりで
森市のことをなにも聞かなかった
家族のこと どこから来たのか どうしてここに越してきたのか テレビは見るのか 生理はあるのか
なにも聞かなかったので なにも知らない
給食室の工事が始まり
各自お弁当を持参することになった
森市の弁当は変わっていて
あるときは食パン1斤を袋ごと
あるときはポリ袋いっぱいのサクランボ
全部残さず食べていた
何も持ってこない日もよくあった
図工の時間
隣りの席の子の顔をお互い描きあう
という課題が出た
私は森市を 森市が私の顔を描く
よく見ると森市はまつ毛が長く 
肌はどぶのように黒ずんでいたがなめらかだった
鉛筆も筆もほとんど使えない森市は 私を全然描けず 手こずっていた
困って 上目遣いに私を見つめる森市を 私はそれ以上見ていることができなかった
私は見ないで森市を描いた
森市から漂うクサい臭いをかぎながら 画用紙に絵の具をどんどん塗りたてた
図工の先生が足をとめた

「すごい絵だなあこれは」

画用紙の中の人物は ギロリとした目で先生を見る
絵にはなんだか凄まじいものがあった
森市にはまるで似ていなかった
森市はもっとおだやかでやさしくておとなしい少女だ
なのにこんな恐ろしい絵に描いてしまった
絵は
まず校内展覧会で人目を引き
区展や都展にも出品され 賞をもらった
題名は「友だち」
もはや誰もそれが森市とは思わなかった
描いた私ばかりがちやほやされた

そのあとしばらくして森市は入定(生きながら墓穴に入り即身仏となって命を絶つ意)した
倒産した近所のアルミ工場の一室に入り 鍵をかけ
シャワーを浴びる水音が三日三晩つづいたという
音がやみ ドアを壊して消防団が踏み入ると
部屋には誰もいなかった
おびただしいアルミくずが 甘い とろけるようなにおいを放っていた

  村人は森市の死を哀れみ お地蔵さまを祀り供養しました。
  現在のお地蔵さまはお堂内に祀られている聖徳太子像の背面に安置されています。

蛇行しながら流れる中川に西、南、東の三方から挟まれるその場所は
以後 圦(いり)の川岸と呼ばれている

 
 

(奥戸2「圦の川岸」にて)

「入定塚」説明板(森市福地蔵尊/弘法大師奉賛会)を参照、一部引用

 

 

 

餉々戦記 (あっ、あらもっと 篇)

 

薦田愛

 
 

起き抜けの電気毛布から出られない
底冷えの丹波で二度目の冬
アラームを停めたスマホの画面を繰る指かじかむ
よわい光に浮かぶ山なみの写真
SNSの
ああ
七年経つのか阿波半田そうめんの里
大叔母ヤチヨさんを送りに行った時だ
目の大きなあっけらかんとした物言いの
ヤチヨさん
ひとりっ子のヒロム兄ちゃんは
かあさん、肉が好きで魚は食べんけど
ぶりだけは好きじゃなあ、と
言ってたな
そう
寒くなると、ね
ぶり、なんだ

ぶり 鰤 寒ぶり
ひ、ひみ、氷見のぶり
なんて無理 コーキューヒン
ひ、ひ、氷見漁港の寒ぶり
なんてものは料理屋さんの幟になって
寒風に吹かれているんだ
二年暮らした北摂刀根山
あるいはここ丹波の山あいでは
熊本長崎大分あたりや島根だったり
海の京都舞鶴なんて文字がパックにおどる
おもに天然まれに養殖
ムシが寄生するおそれがあるから天然のほうが安いと
この三年で知った
料理する前にしげしげ見つめて孔を発見
ピンセットで引っ張り出したこともある糸のようなのツルっとうわ
まだある長いぞうわあ
それでも及ばず加熱したあとにうっすら孔
恐るおそる身を割るとああっいやぁここにもって
害はなくても、ね
ベラにボウな食欲も
きゅきゅっとちぢこむ
その痛手でしばらく手を出さないことにして
ぶり
そう天然物のはらむムシとの遭遇
ちょっと、ね

それでもそう
寒くなって
ムシも減った頃なんじゃないかなんて
なんのエビデンスもなしに
気づけば鮮魚売り場のパックをきょろきょろ
でもって
あ、あら
あれっ
ぶりあらのパックではまだ
体験してなかったよムシとの遭遇
削がれ刻まれたあらには
ムシの居場所がなかったか
分厚い切り身の血合いもたっぷりのそれは
ヤチヨ大叔母さん
たしかに肉に似てるね
ちいさいころ、魚の血合いをみて
チョコレートと言ったのよあんたは、と
親に言われた
濃ぉい、コクのずしり
にじみでる脂と甘みは
粕漬けにしても照焼きでももちろんぶりしゃぶにしても
美味しい
とは言っても
お財布の都合もあるからね
できれば、というよりまずは
あらをさがす
あ、あらっ
ぶりあら三百グラムほどのパックをさがす
けれどなかなか
あったりなかったり
ねえ
ぶりのあら、もっと!
ぶりあら、もっと!
いえいえ、おおきな魚ですから
さばく個体の数も知れてますから
それで限りがあるんだろうか
いやいや、もっと!
ぶり、あら、もっと!
目を血走らせたおんなが鮮魚売り場をはしごする

そう
あらさがし
あらにこそあらわれる
ぶりのぶりたるゆえんを
白々とどっしり太ぶとしい
大根と炊き合わせるんだ
そう
ぶり大根
大根が待っているからさ
ちょっと小声になるが
じつのところ
ぶりと対等どころか
こっちが主役かもしれない
だってさ
寒さ極まる夜は
黄柚子の皮と味噌をからめて
ふ、ふう、ふっふうふろ吹き大根でいただくほどの
大ものだもの
ましてや今や丹波の古民家暮らし
畑で穫れた太っといいっぽんを
外の水道で洗いあげてユウキがどさっ
玄関のあがり口に置いて

「ねぎもかぶも白菜も穫ってきた
 大根は土からこんなに顔を出してるよ」
と指で十センチあまりを示す
この冬二度目の雪がとけ
畑はぬかるんでいるのだ
家からは見えないけれど

はしごして走っても
もし無念にも、ぶりのあら、入手能わずんば
立派な切り身ふたつほどをいくつかに切り分け
料理酒ふって十分後に熱湯をかける
これでくさみが取れるんだな
って
いっぽうで大根の下茹でをするわけだけれど
輪切りした片面に十字の切り目を入れ
のちのちこれを下にして煮るんだね
フライパンで水没させ
ごとごと
やわらかくなあれ
ふむ
生姜を厚切りにしておくとか
レシピの白髪ねぎはまぁ省略しちゃってもだいじょうぶとか
ぜんたいがわかるまで幾たび(溜め息)
あ、あらっ
今日のあらはカマの一部が入ってて
食べられるとこ少ないな
パックの外からだとわからない
持ち重りや身の色にくわえて
それとなく手ざわりも確かめなくちゃね
バットにキッチンペーパー
その上に麗々しく
ぶり、あらっ
展げて、さ
酒、ひとふりがむずかしくて
たたらっだっだだっ
あっ
コンロに
湯だつフライパンの大根めがけ細身のフォーク
ググッかったい
まだまだだな
ぴんぽぉん
うわぁ宅配便、まだ指定の十九時前なのに、

はぁい
火を止めてボールペン
ドア三枚むこうは息の白い夜

さあそろそろ
大根を孔開きお玉で掬う
フライパンに張った湯を片手で捨てるのが難儀だから
だけではなくて
ざるに移したぶりあらに
かけるから
そう
熱湯、じゃないけどね
料亭、じゃないからね
段取りよくなどちっともならない私だけれど
みえないところでみえないくらいに少ぅしずつ
あっ あらっ
えっ あれっ
気づくのだか腑におちるのだか
マイナーチェンジってやつ、
かな
生姜をざくざくり
ここから先まだ長い
酒にみりんに砂糖に減塩醤油
高血圧臨界点のひとのためにね
レシピより気持ち砂糖を控えめ
醤油は塩分五十パーセントカットのすぐれものゆえ
そのままの量
かきまぜ煮立たせたふつふつを
ずとっずとっ
大根で埋め尽くし
分け入る体であらっ
ぶりっ
ぶりあらっ
あらを差し込み
ぶくっぶっぶくっ
湯立つ火を少し弱めて蓋を
しかるのちさらに
ぐしゃ
アルミホイルで落し蓋
あわせて三十分

気のながぁい話でんな
今食べたい食べたいて思ても
すぐ食べられしまへんがな
レンチンな時世にあわへん
腹の虫、怒りまっしゃろ

てな内なる声が
草臥れてお腹すかせたユウキの
風呂上がりの姿と重なって
いや
「お腹すいたよ。まだ?」だなんて
練れたユウキはけっして言わないのに
はじめ十分加えて十五から二十分
とあれば
急くこころが短いほうへと傾いで
あわせて三十分を二十五から二十七分へと端折り
とった蓋うらつつっと湯気アルミホイルを取りのけ
茶に染まる大根を裏がえし皮のめくれた
ぶりあらっ その大きめのひとつから
皿に置く
煮汁をかぶった大根半月クォーターカットのそれと並べ
ビターチョコレートか肉と見紛う血合いたっぷりの
あらっ ぶりの
ブリリアントなこの眺めを
ねえユウキ
ヤチヨ大叔母さんにも見せてあげたいよ

 

 

 

迷い

 

たいい りょう

 
 

深い闇の中を
あてもなく
さ迷い続ける

目を開けることも
かなわない

光と闇とが交錯する
その場所に
精霊は降り立った

どこまでもどこまでも
深い闇の中へ
さ迷い続ける

光は遠く
闇は近い

深海の奥底へ
この身を委ねた時
永い眠りから
覚めた