外へはずれ出る

 

駿河昌樹

 
 

なんでもよい
なにかものを書かせれば
ひとはかならず
思い出を
すなわち過去を
書くだろう

あるいは
身近に起こったことへの感情を

断片的な考えを

なにかについての
好き嫌いを

目の前の
風景や
光景を

見よ!
こうして詩歌は
できあがる

なんと
むなしいことか!

素朴とか
真率とか
呼びたがるひとも
いるようだが

かといって
これらの
どれにも当てはまらないような
なにか
あたらしいもの
超越したもの
奇想を
書いてやりたいと
躍起になるひともいたりする

なんと
子どもじみた
素朴このうえない
頑張り!

こうして
書くことの外へ
出るほか
なくなって
いく

こうして
詩歌の外へ
はずれ出るほか
なくなって
いく

俗人

愛するは
未だ
詩と為さず


陸游
『朝飢えて子聿に示す』

 

 

 

山の道

 

工藤冬里

 
 

抽象化が以前ほど称揚されないのは、抽象化が教えるものが世界平和ではなく狂気であるからだ
止揚の果てが戦争であることを銘記することを自然化と呼ぶべきなのだ
いま具象で大事なことはシンボリックをイマジナリーと切り離すことである
ヘーゲルはそれを夜と呼ぶ
だから模索舎前で闇鍋、は正しい

ソファーに座って脛骨を鳴らし
映り込む暗い背景を比較する
外壁は焼杉
山の道許される建築は少ない
許されないアイスなら売っている
山の道

FSAL未空庵、行けない代わりに湯呑みを24個送ろうとして、黒猫運送のタブレットに〒検索から入力できないことから、京都では、通り名と官の地名とふた通り使えることを知る
地点と記号の、デリダ的な、一対一の幻想が崩れるのが良い

検診の人が危ないのでスズメバチの巣をマクラウドの棒(モップの柄に留金がジャラジャラ付いている楽器)で落とした
彼らはまだ右往左往してかわいそうだ

巣を壊されたスズメバチの
待つことが希望だったのか
希望を待っているのか
エグザゴンに疑念を植え付ける
きみは愛されていない

全ては温度だ
レントゲンで内部を診ても
きみの場合ただの腑分けだ

ものづくりが工業デザインに限定されるようになって日本は限定されなくなった。なぜ平仮名や片仮名なのかさえ口を挟ませぬ昭和であった。油彩科から逃げるのはいい。しかしそれこそをユサイ化すべきであったのだ。
24日は松山でオンガクをやることになっていて、たいばんは知らない。宣伝に夕食とやったゆきてかへらぬが流れている。そういう物を求められているとき、デザイン主義者としてではなく油彩画家として登場するのが正しい村八分だ。

Los ríos vuelven al lugar donde nacieron

外山には石は切るもの、切れるものという認識があるように思える。これはもはや単味としてはここにしかない陶石を使った世界一贅沢な石垣である。

人造セメントにはまだ再考の余地があると思う。コンクリートブロックの失敗は即ち文明の失敗であった。

https://youtube.com/shorts/B-uYeGtAm7Y?feature=share

 

 

 

#poetry #rock musician