宮柊二「定本宮柊二全歌集」を読んで

 

佐々木 眞

 
 

昭和31年12月に東京創元社から刊行されたこの本は、それまでに発表された「群鶏」、「山西省」、「蒟駅の歌」「小紺珠」「晩夏」「「日本挽歌」の諸歌集に「群鶏」以前」の作品を加えたほぼ二千首からなり、昭和4年から28年に到る24年間に詠まれた作者自選集である。

宮柊二の師匠が北原白秋であることは知っていたが、白秋死後の師が釋迢空氏であることは山本健吉氏の解説ではじめて知った。しかし「美童天草四郎はいくさ敗れ死ぬきはもなほ美しかりしか」(「群鶏」)という殉教の歌に白秋調の抒情を看取することはできても、なぜ釋迢空なのかという疑いと不審の念は本編を読了してからも胸から消えなかった。

ところが改めて本書の巻頭を捲っていると、「謹呈大佛次郎先生 宮柊二」と達筆の草書で記された、時代がかった和紙が目に飛び込んできた。

私が借り出した本書は、なんと宮柊二が大佛次郎に恵贈したもので、それを遺族が図書課に寄贈したのだろう。色紙等でみる釋迢空そっくりの草書体をこの目でみた私は、「宮=釋を結ぶ絆ここにあり」と、はたと膝を打ったことであった。

それはともかく、本書の白眉はいうまでもなく「山西省」で、1939年以来5年間に亘って、大陸で中国兵と戦った作者は、その戦闘体験をいかにも生々しく歌っている。

 
 

 磧より夜をまぎれ来し敵兵の三人迄を迎へて刺せり
 ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば聲も立てなくくづをれて伏す
 息つめて闇に伏すとき雨あとの土踏む敵の跫音を傳ふ

 
 

作者の「後書」に、「私は少年のころ、畫家を志望した」と書かれていたが、自他の刹那の行動を、さながら「神の視点」より一撃のもとに把握し、再現する表現力に圧倒されないものはいないだろう。

「目はまなこである」とは言い古された格言であるが、さながら「現代只事歌の元祖」のような、この非凡なる動体視力が冴えわたる異様なまでの眼力は、もしかすると「天性の絵描きのまなこ」の所産なのかもしれない。

いずれにせよ宮柊二の激烈な戦争体験は、後続の「蒟駅の歌」「小紺珠」「晩夏」「「日本挽歌」などの歌集においても、時折地下の仕掛け花火のごとく炸裂するのであるが、1986年に「歌集 純黄」の代表歌「中国に兵なりし日の五ヶ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ」において、その総括的達成を迎える。

さりながら、他の歌人あるいは大多数の日本人兵士と同様、「他国への侵略者としてのみずから」を詠う機会がついに訪れなかったことは、無い物ねだりとはいえ、この偉大な歌人のために甚だ惜しまれるのである。

 
 

 

 

 

更日子的艱難來臨

 

Sanmu CHEN / 陳式森

 
 

更日子的艱難來臨
最後的金鏃射入堡壘
無聲地跌入灰暗蜂房,失血
還沒有到散場的時候。
粵語已經知道,十一月以後
不能安心回家,孩子們
一無所有,在我抵達之後,
法庭清白無辜。
看着鹽在傷口上宰制雨水。

"你不是花,你是,花。"
 深深地,如此的深
 如雀喉,如烏雲。

 
    .
 

更日子的艱難來臨
 さらなる艱難の日々がやってくる
最後的金鏃射入堡壘
 最後の金の矢じりが砦に射ちこまれ
無聲地跌入灰暗蜂房,失血
 音もなくほの暗い蜂の巣のなかに落ち込んで、血を流すが
還沒有到散場的時候。
 まだ終幕の時は来ていない。
粵語已經知道,十一月以後
 広東の言葉ではもう分かっている、十一月から先は
不能安心回家,孩子們
 安心して家には帰れないことを、子供たちは
一無所有,在我抵達之後,
 何もかも無くして、私が到着した後に、
法庭清白無辜。
 法廷で潔白を申したてる。
看着鹽在傷口上宰制雨水。
 塩が傷口で雨水をはねのけるのを目の当たりにしながら。

"你不是花,你是,花。"
  「君は花じゃない、君は、花なんだ。」
 深深地,如此的深  
    深々と、こんなにも奥深くに
 如雀喉,如烏雲。  
    雀の喉のように、真っ黒な雲のように。

 

日本語訳:ぐるーぷ・とりつ