塔島ひろみ

 
 

サミットで肉を持っていた
ぐしゃぐしゃの肉を持っていた
誰の肉かわからない肉を持って
歩きまわる
左手で子どもの手を引き
右手で肉を持つ女
そして肉を買う女
外に出る
サミットの外にはどうしようもない空地が広がる
立ち入り禁止の 雑草が生え乱れるゴミだらけの空地は暗くて
左手に子ども 右手に肉を持った私は仕返しが怖い
走って通り過ぎ 倉庫に出る
月額11000円の 断熱材入り倉庫がいくつもいくつも
同じ色 同じ形をして静かに じっとりと 連なっている
空を見上げる
空は倉庫と同じ色をして 倉庫のように四角くて
両手に袋を抱えていた

娘はわからないと言った
帰れるかわからないと言った
帰る場所がわからないと言った
私の顔がわからないと言った

自転車が斜めに置かれて そこに蔦が絡まっている
サルスベリの枝が伸びすぎて 窓を突き破りそうだ
白い壁の家の中にはなんでもある
冷蔵庫も パン焼き器も ピアノも 船も 町も 海も
足りないものはサミットで買う
ライフもできた
倉庫までできた
それでも彼は帰らない
肉を買う女 肉を食う女はガンになる
そして死んだ
わからないと言った
誰の肉だかわからないと言った
タレをつけた
びしゃびしゃだ
何もわからない
自分が誰かもわからない
お祭があると老人が言った
祭の幟をガードレールに結わえていた
太鼓の音が響いていた
知らないと言った
お祭がどこであるかは知らないと老人は言った
半被を着ていた
連なっていた
半被を着た老人が ずっと先まで連なっていた
彼は帰らない
お祭りでも帰らない
女が死んでも帰らない

肉を焼いた
おいしいと言った
この肉はすごくおいしいと娘が言った
わかると言った
私の顔はわからないのに
だから
サミットで私を見つけられると言った
サミットで会おうねと言った

 
 

(9月某日、鎌倉1丁目の空家前で)

 

 

 

ヤブタビラコ ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 52     michio へ

さとう三千魚

 
 

点滴が
嫌だという

モコを

犬猫病院に
連れてゆく

先生は
点滴を

もいちど
教えてくれた

震えて
モコ

がまんしていた

帰って
海を見にいく

海浜公園の
駐車場の

ヤブタビラコの
黄色の

花の
揺れていた

遠い海で

客船が
白く光っていた

 

 

***memo.

2023年10月1日(日)、自宅で、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」として作った52個めの詩です。

犬のモコが体調が悪く、静岡駅北口地下広場での即興詩パフォーマンスができませんでした。

タイトル ”ヤブタビラコ”
好きな花 ”ヤブタビラコ”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

日が暮れるまであと少し

 

工藤冬里

 
 

荒誕祭

やば豚でトン活
普通の道を歩いていても蜘蛛の糸を突破しているらしく顔や手に貼り付くのを
あれはアレチヌスビトハギ
廃船にいつも居る三羽の鵜が小鷺に挨拶されていくのを受け流して 童話のような親密 でも風が吹いて来た
それはアカクキミズキ
秋風や逆さに振りし頭陀袋
これはカキオドシ

モールで働らくおねえさん

脳味噌やられたおにいさん

日が暮れるまであと少し

充分寒いと思うけれども
地球に払う時給がない
生きをするように息ていてと言い切ってみると夜明けの三つの音がして刺身しかもまかない軍艦
走馬灯死ぬのかなを三回言って体の電源全部切る
衝上断層に今年もようけ落ちとるけどわしとこ以外誰も拾いやせんけんの

モールで働らくおねえさん

脳味噌やられたおにいさん

日が暮れるまであと少し

恋ヶ窪で必死にネトウヨを構ってあげようとしている男がプツン
ほら映画でよくある握った手を離してしまう落下寸前の

糸魚川で左右に割れて離れて行くよアクリル板もなしに
互いに見下ろす断層面・断層面
連絡船のテープみたいに

モールで働らくおねえさん

脳味噌やられたおにいさん

日が暮れるまであと少し

会場で打ち上げってなんだ 唐揚げとか出るのか唐揚げとか
ハッピーターンとか出るのかハッピーターンとか
ハッピーサッドとか知ってるのかティム・バックレーの
煮凍りみたいなやつじゃないのはたしかだ
前もってきっとそこの格差だ
離れていたかった鱧の死体だ
サードウェーブなんてとうに終わり何周目かの深煎り
バスケットボールを腹に入れて寝そべってオペラを歌っている

肋の如き刷毛の白

モールで働らくおねえさん

脳味噌やられたおにいさん

日が暮れるまであと少し

敗戦 僕とは敗戦に帰した全能感 全脳が泣けた マジ泣けるッス 善のうたうたうわたしに それは歌だヒカルだ ゼレン味のあるスキーム夏のゲレンデ アジェンデにチャボがフルクサス草津花柳病 加硫の巷膀胱癌いかんがな彼岸花脳死の牛脳死の牛No豚の囀り
ゲーテは精神だけは進んでいくと言うけれど5G端末がアタマの近くでonになっててもそうなのだろうかとてもそうはおもえない材木デスじゃろアルジャーノン

モールで働らくおねえさん

脳味噌やられたおにいさん

日が暮れるまであと少し

再訪問への暗礁
曲解セルフポア*
ロールオーバー亀之助
2p 3:16の逆向加速主義
隙間産業的更地としてのナイーブの道連れ
アカアシドゥクラングールの肖像

モールで働らくおねえさん

脳味噌やられたおにいさん

日が暮れるまであと少し

肉に沈んだ爪の
細すぎるフォントの
海に消えかかる
外延の明晰な十六夜なのか
反転した海と陸が左右の思い出を交換しているのを
眺めるだろうか
眺めるのだろうか

モーニングが目玉焼なのはとてもめずらしい

 
https://courrier.jp/news/archives/328823/

 

 

 

#poetry #rock musician

蚯蚓(みみず)

 

道 ケージ

 
 

アスファルトの空に
横切る
列なす彗星

多摩川土手の自転車道
月曜の炎暑の道に
身をジッと擦り付け
ひと刷毛の
尾を伸ばす

雨後の朝
蚯蚓たちは息継ぎに出て
白昼に干からび
踏まれ踏みつけられ
証しを地に残す

赤茶の沁みが
箒のような尾を引き
いくつもいくつも
点在している

垂れ糞とも螢火とも
脳漿と内臓が沁み入る
地の神の目ん玉として

夜空の彗星も
擦り付けているのだろうか
地の星の尾っぽは
執念、邪念とも呼ばれ
みっともないわけだが

あらゆる染みは死体である
あらゆる死体は作品である
どうすり込もうか
頭からおろす
足先から入れ込んで
脊髄を伸ばす

土を食(は)み沃土を放(ひ)る
蚯蚓
潜ることで残せたら
足先に垂線の涙を伸ばし
核を溶かし尾へ導く
茶色の体液の箒星よ

家族で関門トンネルを歩いた
隧道で蚯蚓になる
何を残したのか
空洞を走る空音(からおと)

また小田急と田都が蚯蚓であるのなら
不愉快な乗客はすべて土塊(つちくれ)の糞であり 
沃土である
 
新宿駅を下痢のように降りる
私たちは沃土である
擦り付けなくとも
すでに干からびつつ
潰されつつ
アスファルトを
擦過している

 

 

 

 

たいい りょう

 
 

こころのなかは
いつも 雨

雨は 乾いた こころを
潤してくれる

赤いトカゲが
濡れた土から
ひょっこり 顔を出した

人の足が 通ると
顔を引っ込めた

小さな自然は
わたしに 密やかに
話しかけてくれる

わたしは ざらついた手で
季節はずれの紅葉を
そっと撫でる

すると 萎れかけた紅葉が
ひらひらと
ぬかるんだ 水たまりに
浮かんだ

水鏡のように
美人を映し出す
夏のなかの秋景色

そんな 夏の優しさに
わたしは あらためて
恋をした