さかなつり *

 

さとう三千魚

 
 

秋田から
帰った

帰って
2ヶ月が過ぎた

帰って

何度
海を見にきたのか

海には

塩辛い水が
打ち返していた

ボレロだと言った人も
もういない

岸辺の釣り人たちを見てた
岸辺の釣り人たちの背中を見ていた

いつも
見ていた

昨日の夜
電話で

戸塚さんが太刀魚釣りを誘ってきた

日曜は
千曲の根石さんに会いにいく

根石さんは千曲川で鯉を釣ったことがあると言っていた

 
 

* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”スポーツとあそび” より

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

深む日の

 

薦田愛

 
 

河はびょうぼうと草むすほとりを従えて
みるまになずむ炭いろの底ひへ横たわっている
きょう海ぎわから干魚を摘んできたひとから
淡路島のちりめんじゃこを三枡買い
日に五本の路線バスで北の町に行った
かつて宿場町だった旧街道沿いの薬局が
日替わりのカフェとして使われている
きょうはパンといちじくの日だという
去年おととし困るほど実った畑のいちじくは
ことし小さな実をつけるばかり
来る日もくる日もいくつものいちじくを剥いていたつれあいユウキの指は
ことしまだ乾いたままだ
南の町で収穫祭がはじまり
出かけてきたひとたちがこちらにも足をのばすので
しずかな町の道筋もいつになく車が多い
路線バスは五分も遅れている
北の町の日替わりカフェまで三十分ほど乗るのだが
週末で終バスがひとしお早いから
二十五分しか居られない
けれど
いい
いいのだ
花の季節でも紅葉でもない桜並木の土手や雲の影を宿した山ひだ
刈り入れを終えた田や畑をながめて揺れ
古民家がちな家並みのあいだを揺られ
だから
いい
いいのだ
小学校駐在所住民センター前とバス停を通り抜けながら
いつか遅延は取り戻され
終点ひとつ手前で降りて一分
ああ
手をふるひとふりむくひと卓にむかうひと
いい
いちじくの箱を前にかがむひと
二十五分のティータイム
ふるい瀬戸の器に切り目ほおっとかおりたつ
いちじく入りのパンはったい粉のスコーン無塩のバターふた切れの白むぐり
おおぶりのいちじくの実そして
地元の低温殺菌牛乳といちじくだけでつくられたスムージーむぐう
みっちり密でおだやかにあまく
いい
きのうきょう きゅうに
しんと涼しくなって居たたまれない身体
はだざむいきょうの喉を
つらぬくつめたさではないゆるりなだれる
いちじくの
濃き紅の皮ではなく実のうす褐色うす緑とけのこるしょくぶつ
飲みいそぐなど食べのこすなど惜しくてならないけれど
バスが
折り返して行ってしまう
きょうさいごのバスが
あと五分
スマホの時計を覗き込む私のつぶやきに
かがんでいたひと奥に居たひとまで店先に出てくれた
口ぐちに
バス止めとかなきゃと笑みながら
いえだいじょうぶもう行きます美味しかった
ことばを置きお代をおき手をふって

降りたつバス停は記念美術館前
蛇行する手前の土手を選べば家への路
河をわたり
ふたつ先の橋まであるく
びょうぼうのむこう
堤に立つ細いすがたは
おんなのひとのりんかく犬をつれて
たやすくだきあげられそうな犬が
はりさけそうに吠えている
いいきかせるおんなのひとの声がかききえる
こんにちは
はりあげるとまなざし
このこねえとみあわせて
こわいのかしら
きっとねえ
しらない
みしらないひとと
しらないまましたしくことばをかわし
おきをつけて
ありがとう
ひとり
ひとりにもどると
ひと刷毛
なずむ
そらが降りてくるから
足をはやめ
ふたつめの橋ちかくのちいさな直売所に
すべりこみ
水菜ひとたば購って
坂をたどり
ああ
家の畑のいちじくはどうだろう
畦を踏み
裂けたなすのありかをたしかめ
すすむと
おや おぐらい葉かげに赤黒く
枝の分かれめにありありと
去年おととし啄まれていたのに
きょう いえ今年
ついばまれた傷もなく
けれど熟れていると知れる
実り
きょう
北の町で飲みほしてきた混ぜもののない秋
に差し招かれ
てのひらを粘りつくミルクで汚しながら
もいで
帰る
朽ちた曼殊沙華よこざまの束を踏む
あしもと
昏れて