広瀬 勉

1480 : 200911 12:38 東京・杉並 阿佐谷南
#photograph #photographer #concrete block wall
僕はさびしいって
んっんっんっ
ぼくは寂しいって
んっんっ
繰り返す人
高田馬場で降りるまで
繰り返し繰り返し
僕はさびしいって
外回りして内回り
外と内を逆に
乗せてみる
(変わんねえな)
ラーメン屋の旗が色を失って
はためいてはためいて
訴えるでも
言い表すでもなく
いろんな人の前で
ぼくは寂しいって
んっんっ
まぁそういうことだよ
ささくれ顔で流す
まとも坂を下ると
虚ろ音に出くわす
「死んだ方がまし」と言われ
病院に行けよで
鏡、砕けた朝
でした
あんたぁ、歯がきれいやね
湯船で向かいにすわったおばあさんにほめられる。
最初は「はだきれいね」といわれたとおもってへらへらした。
おたがいに素っ裸なので、目にうつるのはからだのこと
九州の湯はあつい。
銭湯ではめがねをはずすので
ほとんどみえない目でそのひとをぼんやりながめる。
つるん、そんな音。
90年をいきた魂が
からだにあわせてしずかにたちあがる。
あたまを洗いおえてふりかえると
おばあさんはお風呂場を杖をついてあるいていた。
まんまるの背中
そのみっつの足でたより、たつ、ままのからだをあぁきれいだな、
とわたしはおもう。
おばあさんたちが湯船にあつまってする話はおいしいうどん屋さん。
閉店したおでんやさん。
旅立った知り合い。
ここにいつもいる丸顔のひとの話。
あのひと、最近どうしてるかしら。
そしてきっとべつの日は、
べつのだれかがこの場所でおなじ話をしている。
お風呂を出ると、
90歳のおばあさんの髪をべつのおばあさんが
ドライヤーでかわかしている。
あ、ここにも手がみっつ。
昨日
詩を書かなかった
先週か
子どもたちの
豆撒きの
応援に来てほしいと連絡があった
豆撒きから帰って
詩を書けばいいのに
書かなかった
最近
夜は書かない
朝か
昼に
ひかりはある
それが
詩になるかわからない
今朝も
女にサラダを作って持たせた
野菜は大切だよ
腸が喜ぶよ
いつもそう言っている
女がクルマで出かけるのを見送って
今朝も
小川の傍を歩いた
小川の中の
白鷺を見てこちらも佇む
そこにいた
小川の中に佇っていた
いつまでも佇っていた
#poetry #no poetry,no life
できる限りのことをした後に
立っているならばそれは
ゆうれいではなくそれは
照らされた型紙ではなくそれは
情に絆されたフォーク野郎ではなくそれは
痛い思いをするかもしれないがそれは
足りないものを買い揃え
ほねを組み立てりったいを作る
まひするほど動けなくても
組み上げるちからは良いもので
曇ったメガネで手を伸ばす
変色するすべてを拒否して立つ
骨にはヘビの毒が流れている
唇の裏からそれは迸る
鼓膜の裏までその気は繋がっている
住み続けることの困難を打ち明け
鼓膜の外の圧を感じながら
立つ
目を瞑ると立姿は切り抜かれる
蝕まれた立姿をオンコロジストが収集して
浮世絵のグラデーションのクリアファイルに挟んでいる
一週間寝ていたのに
助けを求めることができると知れただけで
助けは求めなかった
#poetry #rock musician