Les Petits Riens~平成30年私史

自1989年(平成元年)1月8日 至2019年(平成31年)4月30日

 

佐々木 眞

 
 

 

1989年1月8日日曜日 雨
今日から平成元年なので、その大祭を2月24日に新宿御苑で開催するという。大赦免もやるという。夜、田原総一朗氏司会のテレ朝の天皇制討論番組面白し。特に西部邁。少し昭和史を研究したいものなり。

1990年1月8日日曜日 はれ
女の疲れた顔を見るたびに、女心の掴みがたきを思う。部内のレイアウト変更案了承さる。プレス要員2名の追加を要請す。終日デスクに座せど心虚し。

1991年1月8日火曜日 はれ
夕方6時に成田を発ち、およそ5時間で香港啓徳空港着。時差1時間ありて、当地は午後10時10分なり。KOULOON HOTEL専用車でホテルに向うも、チップの持ち合わせなく、到着後に砕く。暖かき夜なり。香港、懐かしき顔顔、我との相性よさそうな街なり。

1992年1月8日水曜日
帰宅してテレビをみれば、来訪中の米ブッシュ大統領が、宮澤首相主催の歓迎晩餐会の席上で、インフルエンザ?にて突然倒れる。10分後には立ちあがって、迎賓館に戻ったが、心臓麻痺ではないかと一時騒然となる。

1993年1月8日金曜日 くもり 寒
J.CREW広告の制作にかかりきりとなる。プラトン読了。最近は鎌倉物に熱中。綾部の母、元気。老人なれど食事、便、自立せり。

1994年1月8日土曜日 くもり
かまくら泌尿器科にて薬もらい、図書館でCD借りる。次男は同級生の母校、相模工大付属高校のラグビー部優勝とかで、毎晩うかれている。

1995年1月8日日曜日 晴
妻は長男と図書館へ行きつつ、次男を駅まで送る。彼は造形大と多摩美の受験会場の下見に出かけたのだが、果たして無事に辿りつき、帰宅できるであろうか。

1996年1月8日月曜日 くもり一時雨
J.CREWの予算決まらず。折衝の難航が予想され、ストレスたまる。午後池袋にて「ピカソ展」。ケンタウロスと女のからみが生々しい。帰路雨降る。実に久しぶりの雨なり。仏蘭西でミッテラン死す。

1997年1月8日水曜日 晴
ワープロをやる。なかなか難しい。橋本自民党の政治改革、進まず。来年度予算不出来にて円急降下。株式市場大安値。日本経済危うし。

1998年1月8日木曜日 雪
午後雪となる。ことしの初雪なり。早く帰宅してもよろしいというので、3時に会社を出たら、図書館の傍でカツアゲされている若者を見たので、原宿駅から生まれて初めて110番通報をする。横浜でCDを12000円買う。夜に入りも雪降り続く。米通販会社バークシャ・アウトレットよりLDとCD到着す。

1999年1月8日金曜日 くもり 夕べ雪
終日J.CREWの経費の計算をやる。社員みな遅く来て、早く帰る。不思議な会社なり。現売でJ.CREWのサンプルパンツ@2000円×2点。タワーにて、リヒテル、ギーゼキング@1890円買う。

2000年1月8日土曜日 曇
妻と退職後の保険等の見通しをつける。いろいろと面倒くさい。次男は無事にレポートを提出したらし。昨日シマダさんの隣地の草を、すべて刈っていた。なにか建てるらしい。

2001年1月8日月曜日 くもり
昨夜雨降る。東北そして関東では雪が降り、折角の成人式が気の毒なことだった。ナカノ氏の原稿改訂を終え、文芸社に送る。次は大京不動産PR誌のゴミ特集に取りかからねばならない。

2002年1月8日火曜日 はれ 強風
あまりにも風強くして、ムクと散歩に行けず。妻はヘルパーの初仕事なり。親戚が車に悪戯書きされて警察に行ったが、面倒くさがって取り合ってくれないそうだ。資生堂のワード講座の原稿にクレームがついたのでやり直す。

2003年1月8日水曜日 はれ
布団干す。母と妻と3人でひるごはん。今年最後の京風白味噌のお雑煮を食す。スローフードなり。今年初めて小学館スクエアのU氏より℡。14日に神田に伺うこととなる。文芸社リライト第4章を終え、第5章に突入せんとす。

2004年1月8日木曜日 はれ
妻、母を連れて歯医者に行き、疲れて帰ってくる。余は講義の準備でフラフラなり。

2005年1月8日土曜日 はれ
やっと好天になり、布団を干す。これから長男は、なんと1か月もゆりの木ホームに滞在することになる。余は講義の準備なり。

2006年1月8日水曜日 陰* 寒し
ライブドア・ショックで東証パンクし、全銘柄扱い停止。昨日より妻の姉十二所に来たり4人で昼食す。夜「砲艦サンパブロ」見る。1926年の中国の話で、スティーヴ・マックイーン、キャンディス・バーゲン、アッテンボローなどが出る。

2007年1月8日木曜日 くもり
母は午前中に清川病院の脳外科を受診し、いろいろアドバイスを受ける。いよいよリハビリの開始なり。文芸社依然発注なし。熊野神社に行くと、謎のパタパタ眼鏡男がいた。

2008年1月8日金曜日 くもり
依然文芸社より電話来ず。頭に来る。本を読み、ミクシーを書くしかない。

2009年1月8日日曜日 くもり
3人でトヨタカローラ店に行き、修理の打ち合わせ。デニーズでランチ。午後から3人で熊野神社周回コースを歩く。

2010年1月8日月曜日 晴れ
文化で講義。「新しい広告論」。あと2回もあるがネタ不足で不安なり。歌手の浅川マキ、作家のミッキー安川、元投手の小林繁が死んだ。

2011年1月8日火曜日 晴
午前中、鼻水が猛烈に出る。新しい風邪にやられたか。

2012年1月8日水曜日 晴れたり曇ったり
寒し。長男ずる休み。文芸社仕事来ず。頭に来る。妻はご近所の日本画家、故小泉淳作氏の葬儀で建長寺へ。200名以上の参列者だったとか。

2013年1月8日金曜日 晴
妻と十二所へ行き、庭を片付ける。明日はペンキ塗りの外枠工事をするそうだ。

2014年1月8日土曜日 曇のち雪
コウは良い子なり。

2015年1月8日日曜日 いちおう晴
大過なし。妻と太刀洗へ散歩。民主党代表に岡田。細野を逆転す。

2016年1月8日月曜日 雪のち雨のち曇
昨夜ことしの初雪となる。長男、計画通りふきのとう舎を休む。

2017年1月8日水曜日 くもり
妻と流通センターへ行って、長男の靴を買う。鶴岡八幡宮に詣ず。

2018年1月8日木曜日 くもり
稀勢の里、また負けて1勝4敗。白鵬、怪我で休場。

2019年1月8日金曜日 はれ
きのう十二所の妻の実家の雨戸を閉めたはずなのに、今朝行って見ると、半分開けたままになっていた。わがボケ顕著なり。

2019年4月30日火曜日 雨のちくもり
夕方、天皇退位式あり。

 

 

 

かくある日日を楽しといふか

 

駿河昌樹

 
 

令和と呼ばれることになった
この列島だけの新時代もすでに六日目に入り
初夏というのに
うす曇りの朝はすでに秋めいている
枯れ果てた多くのものが
たんなる名称の変更では覆いきれずに
はやくも露呈してきてでもいるのか

斎藤茂吉の忠実にして有能な弟子
しかし慎ましやかで地味だった歌人柴生田稔が
戦中にこのように歌っていた

つきつめて新しき世も思はねばかくある日日を楽しといふか

 
時代と自己へのなんと見事な批評!
あまりに静かにさらりと一行に表わしてしまうので
細かく過去の詩歌を見直す目にしか
ともすれば
止まらなくなってしまうが

年老いて時におもねる文章は今日もひきつづきて夕刊に出づ

いたく静かに兵載せし汽車は過ぎ行けりこの思ひわが何と言はむかも

 
この列島に起こること
起こりうること
くり返されることは
すべて
柴生田稔がひそやかに歌って去っていってしまっているように見える
まるではじめて自分が発するかのように声高に
あるいは
新たな論や批判を提示するかのように矜持たかく
今さら言うまでもなしに
しかし
再三だれかが
くり返して言葉にしなければならないのも
たしかではあって

時すぎて人は説かむか昭和の代のインテリゲンチヤといふ問題も

 
 

 

 

そうそうに生前葬じみたことをしてみているのか

 

駿河昌樹

 
 

あまりになにもかもが過ぎていくので
あまりになにもかもが去って行くので
人間たちはお手製の時代の区切りなど作って
なにやかや身振りをしてみたいのだろうか
集まってしばし身もだえしてみたいのだろうか
果てのない宇宙の闇に浮いているほかないさびしさを
そうしてまぎらわしてみたいということか
そのさびしさを切々と感じるじぶんさえ
遠くないうちに過ぎていき去って行くことを
たまたま舞い落ちた星の上に今まだあり続けながら
そうそうに生前葬じみたことをしてみているのか

 

 

 

かわいそうで

 

駿河昌樹

 
 

だれを見てもかわいそうに見えてしまって
ときどき
見知らぬ人を見ながら
立ち尽くしてしまったりする

時間とよばれるものも
空間と呼ばれるものも
とりわけ人生とかじぶんとか呼ばれるものも
あんなに信じてしまって
あんなに真に受けてしまって

かわいそうで
だれを見ても
立ち尽くしてしまう

みんなみんな
あまりに
深く
だまされたままになっていて

かわいそうで

 

 

 

島影

 

島影という
葉書が

届いてた

今朝
気づいた

昨日の夕方

ポストに入れられて
夜中の雨で

濡れたのだった
ろう

たわんでいた

濡れて
たわんで

写真展の葉書は届いた

いつか
どこか

遠くの人に葉書は届くだろうか

雨のなか

傍らの人に
にぎりめしを渡す

水田に身をかがめて
母は

苗を植えていた

身をかがめて
渡す

・・・

そのアルゴリズムを通して
かなしみは抽象されるか

死後硬直の煎餅は
地中で平面となり

・・・

という手紙が

昨日
工藤冬里から届いた

そこにいる
もう長いこといる

ずいぶんといる

そうでなければ
木蓮は

白い花もつけなかった

木蓮の花は
あなたでもわたしでもない

ことばでもない

ただ
佇っていた

島影はいた

島影は
佇っていた

母は
水田に

いた

アルゴリズムから逸れていた

 

 

 

memorial ・ 代わりの人 ・(そのアルゴリズムを通して)・ 公正

 

工藤冬里

 
 

memorial

 

5000円くらいのブルゴーニュだったが捨てるのだと言った
かなり黒ずんで敗血のようであった
飲んでもう天に行こうかと冗談を言った
言葉は人間になった
既成の調性を捨て とラジオが言っていた
もう何十年言っているのだろう
挨拶は腰を浮かして
身代わりと等価が右から左へ私の体を透過していった
残るのはブルゴーニュの香だけである
こうして1986回思い出したのだ
食べず飲まないsupperは終わった
pink moon は 頭上に褪せた

 
 

代わりの人

 

代わりの人を探した
代わりの人は必ず見付かった
外に一人 内に一人 と
対応しているのではないか
頸椎にニッケル板を挟み
つばめはよく造られている と 呟く夫も
前の町に居た
痩せさせるために
奥羽街道を二週間北上した顎の肉も
三原の雲の中で直線を引かれた
細い目たちの 激流の
名残りの真雁は魚になり
川は海岸と平行に走り
最後まで海と繋がらなかった
トレーナーのトレーナーのトレーナーは
肩がなかった
アトピーの手袋は
まるで癩のようだった
銀髪と海底図は平行に波打ち
兎蛞蝓はキャベツの演壇を裏から透かせた
靨の民族は帆を下ろさず 島を躱す
幾つもの「トレーナーが猿」の王国を打ち破るためには
島を見ず 航路を追う
きみの代わりを探すために

 
 

(そのアルゴリズムを通して)

 

そのアルゴリズムを通して
かなしみは抽象されるか

死後硬直の煎餅は
地中で平面となり

窓のないタブローは
私の線を待つ

 
 

公正

 

暖色系の濃淡で構成された
意外な夕方
凱旋行列の甘い香り
牡丹色の傷

公正に殺されたい
濡れ衣を纏うのではなく
有刺鉄線を冠るのではなく

 

 

 

恐怖の下痢

 

みわ はるか

 
 

定期的に通っている定食屋さんで、平日の夜わたしは初めて定食以外のものを注文した。
当然何かご飯ものを頼むだろうと思っていたと思われる肌が雪のように白い店員さんは少し驚いていた。
アップルパイとアイスティーを注文したのだ。
甘いものがそんなに得意ではないけれどあのときのアップルパイは世界一美味しく感じた。
食べられる、美味しく食べられる。
ただただ嬉しかった。
そう、1日前までわたしはポカリスエットしか飲めなかったのだ。
1週間下痢に悩まされていたからだ。
頬はこけ、みるみる体重は落ち、布団から起き上がれなかった。
固形物を食すのがこの世の終わりかと思うくらい怖かった。
結論:下痢は辛い。

熱発や関節痛もあったためしばらく職場を休んだ。
ほとんどの時間を布団の上で過ごしたのだが、気分転換に少し外に出てみた。
そうすると、普段だったら知ることのない音や光景ががたくさん見えてきた。
マンションの上の方から布団を布団たたきでたたいて干す音。
ミニチュアダックスフンドをゆっくりゆっくり散歩させる高齢の夫婦。
何が建つか分からないけれど、まっさらな土地の上で何やら物差しで長さを測り続けている人。
畑をきれいに耕して立派なスナップエンドウを育てている人。
近くにある川はわたしの状況なんか関係なく淀みなく流れていたし、窓から見える中学校からは12時を知らせる
鐘が遠慮なく鳴っていた。

夕方になるとぺちゃくちゃおしゃべりを楽しむ中学生の集団が至るところに見られた。
テニスラケットを背負っている子、剣道の竹刀を担いでいる子、習字道具をぶら下げている子。
みんなケラケラ笑いながら流れる川の上の橋を渡っていた。
一日がこうして終わっていくんだなと思った。
客観的に見る機会は少ない。
これはとても不思議な気持ちで貴重な時間だった。

下痢は本当に本当に辛かったけれど、なんだかな、いいこともあったな。
そんな今回は汚い話。