「浜風文庫」詩の合宿 第二回

(鬼子母神にて)2017.12.02

 

 

浜風文庫では2017年12月2日に、
鬼子母神の蕎麦屋、鮨屋にて、小さな忘年会を行い、
その後、鬼子母神から池袋まで歩き、ファミリーレストランで「詩の合宿」を行いました。

協議の末、俳句と即興詩を制作することになりました。

俳句の兼題は「忘年会」で、
即興詩は各自がタイトルを書いた紙をくじ引きしてそのタイトルで15分以内に即興詩を書くことをルールとしました。

参加者は、以下の三名です。

尾内達也
長尾高弘
さとう三千魚

今回は、合宿の一部である俳句と即興詩を公開させていただきます。

なお、
だいぶ酩酊している状態での「詩の合宿」であることを追記しておきます。

(文責 さとう三千魚)

 

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俳句

 
 

忘れてはならぬことばかり忘年会

忘年会言われるまでもなく忘れ  ☆

天心の青に洗はれ年忘れ  ☆

忘年会犬も歩けばたたかれる

あな黒し忘年会の果てるとき

忘年会忘れていいのは何のこと

忘れても思いだすのさ忘年会

酔いまして上司の背中を叩く忘年会

参加せず夜の海を見る忘年会  ☆

 
 
 

即興詩

 
 

「社会」

 

尾内達也

 

愛の実現はむずかしい
気を抜けばたちまち
力関係の中
抑圧が嫌だと言っても、
愛するにはエネルギーが
いるわな
そこが男と女のちがいだね
女は愛されて自由になる
男は愛して自由かな?
社会の わなをくぐり
ぬける
赤インクのペンで、さ

 
 
 

「鬼子母神」

 

長尾高弘

 

他にも食べるものは
あったと思うんですけどね。
なんで自分が生み出したものを
また自分の中に戻しちゃったのか。
完璧を求めていたから?
いや、ただおくびょうだったから?
でも、
子どもを食べるのをやめたとき
ほっとしたんじゃないでしょうか。
いとしいものが見つかるなんて
とても幸せなことだから。
これで安心して死ねるから。

 
 
 

「馬鹿」

 

さとう三千魚

 

東名バスに乗って
鬼子母神までやって
来た
鬼子母神では
達磨の
湯呑みを買った
これで芋焼酎を飲むんだ
馬鹿は
馬と鹿だな
馬鹿は酒を飲んで
馬や
鹿の目玉をもらうのさ

 
 
 

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由良川狂詩曲~連載第19回

第6章 悪魔たちの狂宴~正歴寺の鐘は鳴る

 

佐々木 眞

 
 

 

やがて、朝ケンちゃんが登った寺山には、虹のような琥珀色の後光が射して、西の空が美しい朱色に染まりました。
その朱色が、わずかに暮れ残ったセピア色と溶け合いながら、明暗定かならぬ幻覚を見ているような微妙な色調に、おぼろおぼろに変わる頃、正歴寺の高く澄んだ鐘の音が、綾部の町ぜんたいに子守唄のような晩祷を捧げはじめました。

 

他人おそろし
やみ夜はこわい
おやと月夜はいつもよい

ねんねしなされ
おやすみなされ
朝は早よから
おきなされ おきなされ

ねんねした子に
赤いべべ着せて
つれて参ろよ
外宮さんへ

つれて参いたら
どうしておがむ
この子一代
まめなよに まめなよに

まめで小豆で
のうらくさんで
えんど心で
暮らすよに 暮らすよに

寝た子可愛いや
起きた子にくや
にくてこの子が
つれらりょか つれらりょか

あの子見てやれ
わし見て笑ろた
わしも見てやろ
笑ろうてやろ 笑ろうてやろ

あの子見てやれ
わし見てにらむ
突いてやりたや
目の玉を 目の玉を

 

と、その時、
正歴寺さんの鐘の音が、「突いてやりたや目の玉を、目の玉を」と唄い終わった時、
ケンちゃんは、由良川全域に響き渡るような大声で、

「そうだ!」

と叫びました。

ケンちゃんは、由良川の水際の泥と水を両足でぐちゃぐちゃにかきまぜ、砂利だらけの河原をましらのように走り抜け、さまざまな自然石を足掛かりになるようにコンクリートに埋め込んだ堤防の傾斜面をイノブタのように駆けのぼり、スズメノテッポウやチガヤが生えている堤防の上の一本道に座り込んで、土の上に棒きれでなにやら地図のような見取り図のようなものを一心に描きはじめました。

それからケンちゃんは、なにを思ったのか、もうとっぷり日が暮れて誰一人いない由良川へ、静かに入ってゆきました。
そして大きなストロークで河を15メートルほどさかのぼってから、空気をうんと吸い込んでどこか深い所へ潜ってしまいました。

5分、そして10分近く経っても、ケンちゃんは浮かんできません。
どこかでなにかが、ポチャンとがねるような音がしました。あれはきっとアユかフナが、水面すれすれに飛ぶユスリカに飛びついたのでしょう。
それからさらに30分、1時間と、時はどんどん過ぎてゆきます。

おや、水浸しになった濡れ鼠のケンちゃんが、星いっぱいの夜空に、片腕を元気いっぱい振り回しながら、岸に向って泳いできます。

――やったあ、これでうまくいくぞお! チェストー!

と、ケンちゃんは北斗七星の大熊くんに向かって吠えました。
それからケンちゃんは、由良川の堤防に置いてあった自転車に軽々と飛び乗ると、西本町の「てらこ」までお得意の両手放し乗りで帰ってゆきました。

晩ごはんは、ケンちゃんの大好きなスキヤキでした。
丹波の但馬のいちばんやわらかでおいしい肉を、ケンちゃんのおばあさんがサトウをどっさりかけてお鍋でグツグツ煮込んでいきます。
そこへフとネギを加え、肉と三位一体になった大好物が奏でる香ばしいかおりと絶妙の味わい……
ケンちゃんは、ごはんを3杯もおかわりして、もうお腹がいっぱいになってしまいました。
ごはんの後ケンちゃんは、おじんちゃんに由良川での投げ網の漁のやり方についていろいろ教わってから、大好きないつもの「テレビ探偵団」も見ないでお風呂に入り、8時すぎには、もうぐっすりと眠りこけてしまったのでした。

 
 

つづく

 

 

お正月

 

みわ はるか

 
 

2018年明けましておめでとうございます。

新しい年になりました。
元日は冷たい風やたまに降るしとしとした雨を家の窓から眺めていました。
近くに有名な神社があるためか、朝も早くからぞろぞろと人が同じ方向へ歩いていました。
わたしはというと、あいにく体調をくずしてしまったので、初詣や初売りにも行かず暖かい部屋でぬくぬくと過ごしておりました。
お正月、みなさんはどのように過ごしたのでしょうか。
わたしが思い出すお正月はまだおじいちゃんもおばあちゃんも元気だった頃のお正月。
それを少しここに書き留めておきたいと思います。

父親と祖父は人を呼ぶのが好きでした。
12月の末には必ずお餅つきをしていました。
従兄弟家族はもちろんのこと、その友達、近所の人もたくさん来ていました。
機械ではなく本物の杵と臼でつくのです。
それは想像以上に大変で特に男の人がメインでつきます。
20臼くらいを1日がかりでつくのです。
つきたてのおもちはやわらかく、きな粉、あんこ、大根おろしのいずれかにつけて食べます。
保存用のお餅はお鏡さん用の丸いもの、きれいに角を作った四角のものをそれぞれ上手に作ります。
お餅とお餅がくっつかないように専用の粉を端にはつけます。
それを各家庭で焼き餅やお雑煮にするのですがそのおいしいこと。
市販のものはもう食べられません。

正月三ヶ日のいずれかには従兄弟家族たちと家ですき焼きをしました。
お正月だからと特別に買った少し豪華な牛肉。
ネギや椎茸、豆腐とともにぐつぐつと煮込みます。
キラキラしている溶いた卵につけて口に運ぶまでのどきどきした時間は幸福な瞬間でした。
生卵はあまり好きではなかったけれどすき焼きだけは特別でした。
最後に手伝わされる洗い物でさえもあまり嫌だとは感じなかったのはすき焼きの魔力でしょうか。

今はもうこの行事はなくなってしまいました。
あの頃から考えれば驚くほどみんな年を重ねました。
戦隊ものごっこで遊んでくれた従兄弟のお兄ちゃんは結婚して子供が産まれ家を建てています。
あんなにパワフルだった叔母さんと叔父さんは今では家にある小さな畑で家庭菜園をしながら静かに生きています。
妹は仕事の関係で遠くに住んでいます。
年に2、3回しか帰ってきません。
弟はインターンシップや就職活動でとても忙しそうです。
あのころ飼っていた犬は2代目の犬になりました。
みんなで一緒に食事をするためのあの大きなテーブルは部屋の端で寂しそうに収まっています。
きっともうこのテーブルが活躍する日はないでしょう。
いつかゴミとして処分される日が来るのかもしれません。

みんなあのころよりも随分年を重ねて自由に生きています。
今まで続いていたことがなくなることに違和感は感じたけれど、不思議と寂しさは感じませんでした。
自然と疎遠になること、自然とあったものが消えていくこと、それは悪いことではないような気がします。

今年もどうかいい一年でありますように。

 

 

 

「浜風文庫」詩の合宿 第一回

(蓼科高原にて)2017.11.11〜2017.11.12

 

 

浜風文庫では2017年11月11日〜12日に、
「蓼科高原ペンションサンセット」にて「詩の合宿」を行いました。

さとうの発案で参加者各自にて自身の詩と他者の好きな詩を各1編を持ち寄り、
各自の声で朗読を行うこと、
また、その後に、
各自がタイトルを書いた紙をくじ引きしてそのタイトルで15分以内に即興詩を書くこと、
そのような詩を相対化しつつ再発見するための遊びのような合宿を行いました。

参加者は、以下の4名です。

長田典子
薦田 愛
根石吉久
さとう三千魚

会場は浜風文庫に毎月、写真作品を掲載させていただいている狩野雅之さんの経営されている「蓼科高原ペンションサンセット」でした。

■「蓼科高原ペンションサンセット」

大変に、美味しい料理と自由で快適な空間を提供いただきました。
大変に、ありがとうございました。

今回は、合宿の一部である即興詩を公開させていただきます。

(文責 さとう三千魚)

 

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「平目の骨を数えて」

 

長田典子

尖る麦茶、ビシ、ビシ
尖る蜜柑、ピチ、ピチ
尖る骨、ガラ、ガラ
平目の目は上を向いているからね
だけど骨は尖っているんだ
知らなかったね
平目はおべんちゃら言いながら
ほんとは尖っているんだ
尖れ、尖れ、尖れ
平目よ、尖れ!
おべんちゃら言うな、尖れ!
いや、尖るな。
俺の箸が捌いて骨を数える
骨の数だけ空を突き刺す!
麦茶を突き刺す!
蜜柑を突き刺す!
平目よ、
雨の中に立ってろ!

 

※長田典子さんには即興詩の制作前に以下の詩を朗読されました。

長田典子さんの詩「世界の果てでは雨が降っている」
鈴木志郎康さんの詩「パン・バス・老婆」

 

「サルのように、ね」

 

薦田 愛

朝いちばんの光をつかまえるのは俺だ
ぬれやまない岩肌をわずかにあたためる
月の光をつかまえるのは
我先にと走りだす低俗なふるまいなど
しない俺の尻の色をみるがいい
みえないものに価値をおく輩も近ごろ
ふえているときくが
俺はゆるすことができない断じて
そっとふれてくるお前が誰だか知って
はいるがふりかえりはせずに
くらがりの扉をあけにゆく
ひとあしごとに
たちのぼる
くちはてた木の実のにおい
世界はめくれてゆく
俺のてのひらによって
紅あかと腫れあがる
初々しさにみちて

 

※薦田 愛さんには即興詩の制作前に以下の詩を朗読されました。

薦田 愛さんの詩「しまなみ、そして川口」
河津聖恵さんの詩「龍神」

 

「ビーナスライン」

 

根石吉久

ビーナスライン
雨の中に
光って
どこへ行ったか
南の空が明るく
西の空は暗かった
雨の中に
立っている女だった
立ってろと
サトウさんが言った

 

※根石吉久さんには即興詩の制作前に以下の詩を朗読されました。

根石吉久さんの詩「ぶー」
石垣りんさんの詩「海とりんごと」

 

「下着のせんたく」

 

さとう三千魚

明け方には
嵐だった

朝になったら晴れてしまった

それから
車のガソリンを満タンにした

52号を走ってきた
八ヶ岳を見た

下着をせんたくした

 

※さとう三千魚は即興詩の制作前に以下の詩を朗読しました。

さとう三千魚の詩「past 過去の」
渡辺 洋さんの詩「生きる」

 

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塔島ひろみ

 
 

あなたは2%ぐらいしか、私に見せてくれないのね
と、いつか言った人が 何だか今にも死にそうだ
深夜 窓のない暴走車に乗っている
スピードも落とさずに曲がるたび
母の体が砂のように ザザー ザザーと スライドする

川っぷちに行きますから
同乗する男性がマスク越しにこっそり囁き

まもなく車は ガタンガタンガタンと、何か凸凹の道に入って停まった
エンジン音が止み 静かになった

外に出ると 知らない土手下の荒れ地である
星がキラキラと輝いている
私は母をかき集め
真冬の風にしんみりと守られながら
マスクの男たちに助けられながら ここに 母を捨てた

私の嘘がキラキラと輝いて 母を照らす
母はとてもきれいだった

寝台の上に残っていたと、運転手が私に砂粒を渡してきて
車はあっという間に行ってしまった
数えると 2%ぐらいの母である
一緒に歩いて家まで帰る
まるで昨日までと同じ 母のように
まるで昨日までと同じ 私のように

 

(2017.12.18 江戸川病院救急センター処置室前で)

 

 

 

いにしえ人からユーチューブゆらゆら

 

長田典子

 
 

学期の最後の授業はパーティになり
話がひとめぐりすると
PCを起ち上げユーチューブで
それぞれの故郷の民謡や歌謡曲を聴きあうことになった

カザフスタン、トルコ、タイランド、コリア、ジャパン、チャイナ、サウジアラビア…
このクラスの学生たちは
全員アジア出身なのに
くすくす笑うのだ
はじめて出会った旋律の
ふしぎさ に 居心地のわるさ に

インターネットで瞬時に世界中に発信されるポップスや
ヨーロッパのクラッシック音楽には慣れているのに

ふかくじつな

揺れ
オーロラ
よせては おしかえす 旋律

馬を食べます
犬を食べます
鯨を食べます
豚を食べます食べません
牛を食べます食べません
鶏を食べます
蛇を食べます

今ここで ピザやポテトチップスや野菜サラダなど
それぞれの神に赦されたものを食べて 飲んで
ニューヨーク流のパーティを楽しんでいます
ほんとうにつらい時はきっと
故郷の味を食べたくなるのでしょう
わたしはジャパンレストランに行って鍋焼きうどんを食べて心を温めます
食べるだけで励まされるのです
聴きたくなるでしょう故郷のこぶしのきいた音楽を
わたしは昭和の時代の歌謡曲を聞いて涙ぐんでしまうのです
聴くだけで魂が揺さぶられます


オーロラ
揺れのある
ふかくじつな 旋律
宇宙の羊水の流れにのって
西へ東へ南へ北へ
意識は流れて浮遊する
混じって 絡まって 枝となって分かれ
分かれてしまって
それぞれの 空で 揺れる
また混じって 絡まって 枝となり………

そうやって
枝の先に立っているから尖るのでしょう
くすくす笑うのでしょう
幹に降りて根っこまで遠くいにしえまで覗き込むことができたなら
居心地の悪さも受け入れられるでしょうか

馬を食べます
犬を食べます
鯨を食べます
豚を食べます食べません
牛を食べます食べません
鶏を食べます
蛇を食べます

野蛮でしょうか
もってのほか、でしょうか
この味がわからないとは気の毒に、と思うでしょうか

どの動物も知能は高いのです
いにしえ人は動物を大切に頂戴しました
余った毛皮は
衣服や靴として
歯や骨はアクセサリーや楽器として役立てました
わたしはネパールでヤクの歯と骨で作られたネックレスを買いました
今もジャパンの抽斗に大切にしまってあります
赤いセーターの上に着けるのが好きです

どんな動物も
人のように知能は高いのです
いにしえ人はそれをありがたく頂戴しました

21世紀のマンハッタン
窓の外は四六時中クラクションが鳴り響いています
ピザやポテトチップスや野菜サラダなど
それぞれの神に赦されたものを食べて 飲んで
わたしたちはニューヨーク流のパーティーを楽しんでいます
ユーチューブでそれぞれの国の民謡や歌謡曲を聴き合います
カザフスタン、トルコ、タイランド、コリア、ジャパン、チャイナ、
サウジアラビア……
似ているようで似ていない
波のようなうねりは
やはり似ているのですどこかで聞いたことがあると感じます
似ているから違うところが気になって居心地が悪いのではないでしょうか
似ているとかえってわからなくなるつらくなることがあるのです
それでわたしはコリアンと喧嘩をしてしまいました

いにしえ人は唄ったでしょう
獲物をしとめ家路につくとき
収穫のとき食するとき

それぞれの枝の先から分かれ目まで降りて行って幹を降りて根まで行って
遠くいにしえまで覗き込むと
400万年くらい前の子孫は
アフリカにいたんですね
ぜんいん
そこから始まったのだから
枝の先っぽで
こうやって
自分たちの存在の遠さに驚きたい
遠い存在の出会いを喜びたい
何百万年の旅の果てで
あした目覚めるために食べる
たとえば馬
たとえば犬
たとえば牛
たとえば豚
たとえば鯨
たとえば鶏
たとえば蛇
を食べることは
野蛮ではありません
助けられて生きていく
ジャパンでは小学校の給食によく鯨肉が出ました
嫌いだったけど一生懸命食べました
いにしえ人は唄ったでしょう
少しずつ違うゆらゆらゆれる節のある歌を唄ったでしょう
うなるような歌唱法になるのは魂の輝きと強さでしょう
人の感情って実はさほど変わらないのではないのでしょうか
狩りに出かけては襲われて人は動物に命を奪われたでしょうそれは与えたのです
荒れた海で人は命を海に奪われたでしょうそれは与えたのです
与え与えられているのです同じ生きとし生けるものとして

ある日マンハッタンのマーケットに安くて大量の肉が並んでいるのを見て
とつぜん吐き気がして肉類を食べたくなくなりました
嫌悪するようになりましたベジタリアンになりました
そういうとなんだか文化人みたいだけど
ただ肉を食べる自分を気持ち悪いと思ってしまっただけなのです
3か月ぐらい過ぎたら身体に力が入らなくなり体力不足が身に沁みました
肉をまた食べ始めました吐き気はしませんでした
美味しいと思いました
ありがたく頂戴することにしました
だけどわたしはどうやって
動物たちにお返しをしたらいいのだろうと思いました

パーティで
話がひとめぐりすると
ユーチューブで
それぞれの国の懐かしい音楽を披露しあうカラオケをする
枝の先っぽから遠い人を見ている近い肌を感じている
居心地が悪いのにどこかで聞いたことがあると感じている

実はきのう夢を見ました
茶色い洞窟の中にいました袋の中のような場所でした
円筒形のトンネルを走っていくと明るい出口が見えました
舗装されていない赤い道をいっしんに走りました

旋律がみぞおちに
どどろく
胃袋にひびく

だけどわたしはどうやって肉のお返しをしたらいいのでしょうか

とどろいてくる旋律ユーチューブからの
オーロラ

ゆらゆら

ほんとうは野蛮なのではないでしょうか
いまユーチューブを聞いているわたしは
いにしえ人からは遠すぎて
どうやって肉のお返しをしたらいいのかわからないのです

ほんとうは野蛮なのではないでしょうか

ゆらゆら
ゆら

ゆら