佐々木 眞
切って捨てた
秋の小川が、さらさら流れ、
緑のたぬきの小池にはまって「絶望の党」。
「安倍一狂」を打倒することなんか、さらさらない。
納豆ならぬまっとうを自称する「枝豆党」が、安倍蚤糞を打倒して、
この国にまっとうな民主政権が誕生する日が来るなんて、
さらさらない。
貧しい家に生まれた息子が、大学まで行って一流企業とやらに潜り込んで、
セレヴのお嬢さんをゲットして、いわゆるひとつの超産階級の仲間入りをするなんて、
さらさらない。
生まれついての障ぐあい者が、ハンディを抱えたまま障害物競争に勝利をおさめ、
なんと、なんと、「自己責任」でちう産階級の最下位に潜り込むなんて、
そりゃあお客さん、さらさらないわなあ。
それからまた、この国の民草が立ち上がり、極右ファッショ政府を核禁止条約に参加させ、原発を即時停止し、次世代エネルギーにくるりと転換する日が来るなんて、
さらさらない。
この国のだめんず民草が、憲法第9条の絶対平和主義にいまさらのようにめざめて
急いで自衛隊を解体し、かの陰険なる日米軍事同盟をびりびり破棄する日が来るなんて、
さらさらない。さらさらないわなあ。
ましてやこの国がアジアで唯一の永世中立国になって、世界中の紛争を外交努力で解決し、
国連の一枚看板を、「非武装非暴力の世界共和国」に塗り替える日が来るなんて、
さらさらない。
秋が去って、冬が来て、また春が来て、夏が来て、
秋の小川が、さらさら行っても、
さらさらない。さらさらないわいなあ。
ぼく、ピノキオですお。
そう。
ぼく、ピノキオです。
こんにちは、ピノキオさん。
お母さん、30以上ってなに?
30年以上長い間よ。
30年以上って、あき竹城がいったよ。
お父さん、いーはとーぶ、盛岡ね。
そうだね。
盛岡、盛岡、次は盛岡です。
盛んてなに?
勢いがあることよ。
さかん、さかん。
失礼しますの英語は?
グッドバイかな。
まえ平井先生、失礼しますっていってくれたお。
そうなんだ。
お母さん、狂ってるってなに?
誰かに狂ってるっていわれたの?
分かりませんお、分かりませんお。
立派って、とってもいいことでしょ?
そうだよ。
ぼくは立派ですお。
そうなんだ
お母さん、ぼくはパンジーすきですよ。
お母さんも好きですよ。
パンジーーー。
お母さん、処理ってなに?
かたづけることよ。
お父さん、迷子ってなに?
おうちが分からなくなることだよ。
マイゴ、マイゴ。
お母さん、しりとりしよ。カミキリュウノスケ。
ケ、ケ、毛糸。
カミキリュウノスケ。カミキリュウノスケ。
お母さん、とっくにってなに?
ずっと前に、だよ。
トックニ、トックニ。
一回いえば分かりますと、いわれちゃったのよ。
誰に?
ホソカワさんに。
いつ?
昔。お部屋で待てといわれちゃったのよ。
お父さん、部屋の英語は?
ルームだよ。
お父さん、昨日鶴間行ったの?
行ったよ。耕君も行ったことある?
ありますお。
お父さん、相模大野で車庫に入るんでしょう?
なにが?
小田急線が。
そうなんだ。
ヘルメット、かぶらないとだめでしょう?
誰が?
オートバイに乗る時。
ああ、そうだね。
ヘルメット被りましょ。
お父さん、「おんなじのダメ」といわれちゃった。
誰に。
クワヤマ君に。
「耕君、早いよ」と言われちゃったのよ。
誰に?
クワヤマ君に。
そうかあ。
警察署って、お巡りさんがいるところでしょう?
そうよ。
幼いって、小さいことでしょう?
そうよ。
お母さん、ぼく音小さくしました。
エライ。
お父さん、バスケットってなに?
バスケットボールのことだよ。
ええと、鹿、動物でしょう?
そうだよ。
お母さん、バトンタッチは?
次に渡すことよ。
横浜線、205系にバトンタッチしたお。
東日本、びっくりするねえ。大震災。
そうだねえ、びっくりだねえ。
ユウコさん、好きですお。
お母さんも好きですよ。
ユウコさん、結婚して子供産んだの?
そうよ。
ぼく、ユウタ好きですお。ユウタのユウは優しいの優ですお。
耕君、ユウタって誰?
「こころ」に出た人ですお。
お母さん、相模原にかけて、ってなに?
相模原のあたりで、だよ。
お母さん、ぼく小川君すきだよ。
お母さんもすきですよ。
お母さん、一同ってなに?
みんな、ということよ。
役に立つって、なに?
みんなのためになる、ってことだよ。耕君役に立ってる?
分かりませんお。
お母さん、ゆううつってなに?
哀しくてつらいことよ。
ゆううつ、ゆううつ。
ぼく虹の子作業所、好きですよ。
そう、じゃあ行きましょうか?
嫌ですお。
お父さん、快速神田に止まるようになったでしょ?
そうなの? いつから?
前から。便利でしょ?
うん、便利だね。
さっちゃん好きですお、ぼく。
さっちゃんて誰?
「こころ」に出る人ですよ
そうかあ。
お母さん、人世を語らずってなに?
人世について語らないことよ。
語らないって偉いですねぇ。
そうねえ。
お母さん、ぼくは愉快ですよ。
そう、良かったね。
愉快って、楽しいことでしょ?
そうよ。
お母さん、ならぬって、行かないことでしょう?
まあ、そうかな。
ナラヌ、ナラヌ。
神々しいってなに?
神さまみたいってことよ。
お母さん、しりとりしよ。こころ。
ローマ。
お母さん、従来ってなに? いままでのこと?
そうよ。
お母さん、要望ってなに?
願い望むことよ。
ヨウコチャンの子供、ようぼうだね?
そうか要くんと望くんだもんね。
クラシックの再現芸術の世界における代表選手のひとりは、イタリア人のトスカニーニ(1867-1957)、そしてもう一人がドイツ人のフルトヴェングラー(1886-1954)であることは、クラシック音楽の世界ではいわば常識となっています。
この宿命のライヴァル指揮者を巡って、多くの人々が、「おいらはフルヴェン派、いやあたいはトスカニーニ派」と、その応援合戦にしのぎを削って参りました。
前回はトスカニーニをご紹介しましたので、今回の主役はフルトヴェングラーです。
フルトヴェングラーといえば、なんといってもお国物のベートーヴェン、そしてワーグナーの音楽を得意としていましたが、モーツァルトも同じような重厚な演奏を聴かせてくれます。
今宵は1954年8月、フルトヴェングラーが亡くなる直前にザルツブルク音楽祭で上演された歴史的演奏で、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」を聴いてみることにいたしましょう。これはCDでも構わないのですが、パウル・ツィンナー監督の手で収録されたカラー映像を、最新のハイヴィジョン・マスター版で鑑賞することができます。
なんといっても冒頭の序曲を、まるで福禄寿のような顔をしたフルヴェンご本人が指揮する有り難いお姿を拝見出来るのが、この映像の最大の特色です。
右手でリズムを取りながら、時々左手で指示を送るのは、他の指揮者と同じですが、最初の拍の振り出しを「わざと曖昧に」振っているのが印象的。きっとベートーヴェンの「運命」だって、ああいう感じでアバウトに振り下ろすのでしょう。
オーケストラは当然アインザッツ(出だし)が不揃いになるのですが、音楽的にはむしろそのほうが即時的感興に富み、収穫されるべき果実が多い、というのがフルトヴェングラー選手一流の考え方だったのでしょう。
テンポは遅い。というよりも遅すぎるように感ぜられますが、このことがアリアの言葉の意味を際だたせ、普通なら聴き飛ばす箇所に、重い意味を持たせます。
例えばオットー・エーデルマンが歌う有名な「カタログの歌」のリフレインが、これほど意味深く当時の、(そして今の観衆の耳にも)届けられたことはなかったでしょうし、アントン・デルモータが歌うドン・オッターヴィオのアリアにも、それと同じことが言えるでしょう。
しかしこの悠長とも思える遅く、重々しいテンポは、最後の幕のドン・ジョヴァンニの有名な「地獄落ち」の場面で、最高最大の効果を発揮することを、フルトヴェングラーは熟知していました。
不世出のドン・ジョヴァンニ役者チエザーレ・シェピは、「悔い改めよ!」と迫る騎士長に、「ノン、ノン、ノン!」と3度4度と断固拒否を貫くのですが、双方の対決を支援する管弦楽の圧倒的な遅さと、圧倒的な咆哮の兇暴さは、ヘルベルト・グラーフの絶妙な演出とあいまって、前代未聞の凄まじさで、私たちの脳天を震撼します。
モーツアルトのスコアには、この「地獄落ち」で終わる版と、その後で6人が揃って「めでたしめでたし」と終曲を歌うロングバージョンの2種がありますが、フルトヴェングラーは後者を演奏しつつも、このオペラの本質は「地獄落ち」の迫真性そのものにあることを見定め、だからこの遅いテンポをあえて設定したのだということが、オペラの肝心かなめのキーポイントを聴いてはじめて分かるのです。
えんやこらしょっとバイロイトに響き渡るウィーンフィルの咆哮 蝶人
ママーッ、
おっぱいちょうだい
ちゅうちゅうちゅう
ママのおっぱい毛だらけだ
ちゅうちゅうちゅう
ママのおっぱいピンクの米つぶ
ちゅうちゅうちゅう
おくちのまわりがむずがゆい
白い毛いっぱいくっついちゃう
ゆび先そろえて
おっぱい横のみぎひだり
かわりばんこにふみふみします
ママーッ、
だっこだっこしてね
ママのおてては毛だらけだ
細くてみじかい毛だらけだ
おてての爪はしまってね
あたしのあたまにのっけてね
だっこだっこしてね
ママのおててはふうわりかるい
にくきゅうぷくぷくあたまをすべる
ママーッ、
ママのおなかは
せまくて白くてあったかい
とくとくとくとく音がする
耳のおくまで水が流れる
おりこうさん
ミュウねこちゃん
眼を細めてうーっとりしてる
おりこうさん
ミュウねこちゃん
首を伸ばしてじーっとりしてる
あたし
ミュウねこちゃんの
赤ちゃんです
あたし
にんげんの
おとなです
夜中に目覚めて
朝になった
雨が
降ってる
波多野 睦さんの歌を聴いてる
からたちの花が咲いたよ
白い白い花が咲いたよ
一昨日
こだまから由比の光る海をみた
それは経験界の事物だったが
光っていた
牛の骨で作った船は
槍のような何かを突き出している
骨一面に
クレーターのような孔
肋骨の穴倉は
鉄塔の内部のよう
激しく小虫が
舞い飛ぶ
忙しくて作れないわけではない
眠りたいだけなのだ
河原の石に
安定を祈り
流木のキールに
十三の羽根を刺す
作らねば
生きていけない
そんなこともあるまい
おこぼれで生きてきたのさ
人の不幸を食い物に
鉄路に冷え冷えと
横たわっていると
細かな振動は
近くでしか感じない
星を刻みに牛に戻ると
散歩の男が
いいご趣味で
と宣う
必死必敗の取っ手が
外れた
どす黒い念がこぼれ落ち
クズの葉で止める
行かねば河原
必ずや復讐―しなびる決意
隣りのソファーの
ナンプレめくる音かわし
眠りながらでも
続けるのだ
三丁目の角で
いずれも濃い人格で
佇立する者ども
見張っている?
笑っている?
ブルーマンよりは薄い
失われている向日葵に手を合わす。
左右の手に、わたしの血がめぐってその人の消息を知りたいと思う。
目前の小道の真ん中に棒のように立っている花茎の静かさは、花畑を世話していた人の不在を語っている。
枯れた人が植えたであろう一茎は、その人が長く生きてきた敷地の空気と交信している。
生にはぐれている茎の立ち姿は、哀れに強く、諦観のその先で無言を貫いている。
言葉ではなく言葉などは枯れて、枯れてと記して
この近隣のすべての路傍の、切り取られた点景のいたるところに湿潤が途切れ、生血の抜き取られた角の線域に、無数のやぶ蚊がハミングしている。
景ごと蛇に呑まれ、わずかな湿潤も蚊に吸われ、
――この向日葵ももう、忘れられるわなあ
床のあるところで寝ていた時に、背が板にぴったり添って、わたしを直立させて、
ああ、向日葵の茎と直角になあ
ある時、その人に会釈した。こんばんわだったか、花の手入れもたいへんですねだったか。
交信が頼りで、背の離宮の山が、
わたしたちを拝んでいる。
――生きてやるわい
わたしとその人は、山の信仰になり、枯れた血が木像に流れる。他愛のない声が郷の主となり山を見下す。蹴る。息を吐き、唾をかける。蚊に吸われ、
どこからか、三味線、太鼓、囃子、笛、犬、猫、鳥、ちり紙交換のマイク音、サイレン、
それからヴィオラも、ハープも、啜る音も瀬音も、
滝に吸われる。
――ああ、もう不足している
生きていることの、だれかとの挨拶が。
それから
ぼくは
望遠鏡で
看板のメニューを確かめて
ランチにでかけた
日替わり定食を食べていると
うしろで
「詩人」とか
「絵本」とか
声がする
こんなところに
同業者がいるなんて
と振り返ると
さっきまで
打ち合わせをしていた二人だった
どの道で帰るのか
ずっとベランダから
見てたのに
見つけられなかった
また会えてうれしいよ
思いがけないと
なおさらね