家族の肖像~「親子の対話」その19

 

佐々木 眞

 
 

 

お父さん、元気ってなに?
ガッツです。
ガッツ、ガッツ、ぼく元気になりました。

お母さん、このアジサイどうしたの?
お庭から取ってきたのよ。
ぼく、アジサイ好きですお。
そうだったの。知らなかった。

耕君、お母さんのいちばん大事な人は?
ぼくですお。
2番目に大事な人は?
健君ですお。
3番目は?
お父さんですお。
あったりい!

お父さん、割引は安く買うことでしょ?
そうだよ。

お父さん、トラブルって故障のこと?
そうだよ。

お父さん、影響ってなに?
wwwいろいろ影響することだよ。

「ぼくは常用漢字を使っています」と、ノートに書いておいてくださいね。
分かりました。

お母さん、念のためってなに?
そうねえ、雨が降るかもしれないので、念のために傘を持っていこう、っていうことよ。

ぼく、スギウラさんから注意されました。
そう。
ぼく、音、小さくしましたよ。
そう。
ぼく、スギウラさん、苦手じゃないよ。
そう。

お母さん、発車間際ってなに?
ちょうど発車するときのことよ。

ぼく、ノザキ君です。
こんにちはノザキ君。
こんにちは。

お父さん、残念の英語は?
ZANNE—N!

ぼく、連佛さんの声好きだお。「もしかしてルイ?」ぼく、連佛さんの声まねしたよ。
上手にまねしたねえ。

耕君、つかれていたから休んでいるのね。
はい、そうですお。
もう元気になったの?
元気です。元気、元気。

あなどるってなに?
かるくみることよ。

お父さん、「従来」は「いままで」ってことでしょう?
そうだよ。

バザーは感謝祭でしょ?
だいたいそうだよ。

お母さん、人気者ってなに?
人から好かれる人のことよ。

お母さん、「他」は「以外」でしょ?
そうよ。

お母さん、入線ってなに?
にゅうせん?
横浜線の線路に入る。
あ、そっちのにゅうせんか。

最後を飾るってなに?
最後をきれいにすることよ。

お母さん、狂うっておかしいことでしょ?
耕君、狂ってるっていわれたの?
言われないよ。

お母さん、よさこいってなに?
♪ヨサコーイ、ヨサコイよ。

お母さん、太平洋ってなに?
海よ。
太平洋、太平洋。

「なお」ってなに?
「そのうえに」のことよ。

引退ってなに?
そこからいなくなることよ。

迷うってなに?
さあどうしようかな、って思うことよ。

お母さん、あらそうって喧嘩すること?
そうよ。
あらそったらダメですよね。
そうよ。
あらそう、あらそう、あらそう。

怒るは女と又と心でしょう?
なになに。もう一度言って。
怒るは女と又と心でしょう?
ああ、そうだね。

ぼく青梅線好きですお。
そうなんだ。
ぼく青梅線乗りたいですお。

ビーチって磯でしょ?
そうだよ。よく知ってるね。
ビーチ、ビーチ。

おじいちゃん、おばあちゃん、亡くなったよね?
亡くなりましたよ。
どうして亡くなったの? 歳とったから?
そうだよ。

お母さん、茶番てなに?
笑ってしまうことよ。

お父さん、千はゼロが3つでしょ?
そうだよ。

「只今」は「現在」でしょ?
そうだよ。

美人、きれいでしょ?
そうよ。美人て誰?
お母さん。
あら、耕君ありがとう。

キョウコさん、おじいちゃんと結婚したの。
そうだよ。

おがら焚くと、おじいちゃん、おばちゃん、帰ってくるでしょ?
そうね、おがら焚こうね。

むかし、おじいちゃんとおっばちゃんチに、コロいたよね?
うん、いたよ。
ぼく、おじいちゃんと、おっばちゃんと、コロ描きますよ。
描いてね。

 

 

 

漆黒のスープ

 

正山千夏

 
 

雨の火曜日シナモントースト焼いて
ミルクティを淹れた
冷蔵庫のぶーんとうなる音ワンノート
今日は資源ゴミの日
つぶれたビール缶、スパイスの空き瓶段ボールの束
時間までに出しておけば青いトラックが運んでいくどこへ
灰色の雲で胃の中はいっぱいだ
選択は今日はできない乾かないから
わたしは重い足取りで運ぶどこへなにを

もしもあなたがそこにいるのなら
今ごろ漆黒の闇に浮かんで光を見ている頃かしら
そのスープにあなたもわたしたちもみんな溶けているのよね
世界は光と闇と、灰色の雲でできている
そこから先が思い出せない
光を見ていてたぶん自分もその光のうちのひとつで
それからどこをどうやって
気付いたら狭い参道だ

もしもあなたがそこにいなくても
わたしは漆黒の闇に浮かんで光を見ている
そのスープをあたためていると
光っていたのはさっくさくのクルトンだ肉体だ
だとしたらどんどん冷やしていけばいいのか
フリーズドライみたいにやがては粉々になって真空に
それからどこをどうやって
気付いたら呼吸していた

灰色の午後はアイロンがけをして
昨日の残りの煮物でお昼にした
冷蔵庫のぶーんとうなる音ワンノート
にぶら下がりながら夕食の献立を考えていると
郵便配達人がチャイムを鳴らした
見るとこないだ出した郵便物が宛先不明で戻されてきた
宛名のラベルがはがれてしまったのだという
迷子になっているのはあなたそれともわたし
漆黒のスープに浮かぶはがれたラベルを思うわたしどこへ

 

 

 

全部さ

 

揺れてた

夜中に
目覚めたら

揺れていた

それでもう
眠れない

一瞬
見たのさ

湖なのか
海なのかな

わからなかった

海も
凪いだら

ひろい湖みたいさ

どうなんだろう
もう眠れない

一瞬
水の揺れるのを見た

それは
世界の一部なのか

それは全部さ

 

 

 

瀧廉太郎の「憾み」

音楽の慰め 第16回

 

佐々木 眞

 
 

 

私のような年寄りでもまだまだ死にたくないのに、20代、30代という若さで死なねばならなかった人たちの悔しさはいかばかりだったことでしょう。

私の好きな古典音楽の世界に限ってみても、ウイーンで31歳で死んだシューベルトや35歳でみまかったあのモーツアルトをはじめ、20世紀になっても数多くの指揮者や演奏家が早世しています。

例えば私の好きな1920年生まれのイタリア人指揮者のグィード・カンテッリは、1956年11月24日未明、パリ発の飛行機が郊外で墜落し、36歳で不慮の死を遂げたのです。その8日前にスカラ座音楽監督就任が発表されたばかりの死は、世界中から惜しまれました。

天才女流ヴァイオリニストと謳われたジネット・ヌヴーも、30歳を目前に1949年10月27日、エアフランス機の飛行機事故で夭折しました。

それから4年後の1953年9月1日、同じエアフラの同じ機種に乗ったフランス人の名ヴァイオリニスト、ジャック・チボーは、72歳にしてアルプスの山に激突して命を失いました。

翻って我が国の悲劇の音楽家といえば、「荒城の月」や「箱根八里」の滝廉太郎でしょう。1879(明治12)年に現在の港区西新橋に生まれたこの天才は、長じて今の藝大で作曲とピアノを学び、1901(明治34)年にはドイツ・ライプチッヒ音楽院に留学しますが、その5か月後に肺結核を患って翌02年に帰国。1903(明治36)年6月29日、故郷大分で弱冠23歳の若さで、憾みを呑んで亡くなりました。

「憾みを呑んで」というのは、言葉の綾ではありません。
彼が死を目前にして書いた生涯で最後の曲、それは「憾」というタイトルの、涙なしには聴けない遺作でした。

滝廉太郎はクリスチャンでありましたから、敬虔な基督者が、神さまに対して自分の薄幸の身の上を恨んで死んだはずはない、などと尤もらしいことをのたまう向きもあるようですが、この音楽を聴けば、そんな悠長な解釈なぞどっかへ吹っ飛んでしまいそうです。

今宵はそんな曰くつきの遺作を、小川典子さんのピアノ演奏で聴きながら、若き天才の冥福を祈りたいと存じます。最後の一音に耳を澄ましつつ。

 

 

 

 

野外音楽堂にて

 

正山千夏

 
 

蓮葉でうめつくされた池の上を
みどり色の風が通る
夫は1時間以上かけて
自転車でやってきた
涼しい風とはうらはらに
うっすら全身に汗にじませて

弦楽器のハーモニーに染み込む
初夏のビールはあわい黄金色
サウンドホールの奥の小さな空洞に
ハートビートの血潮の調べ
クールな顔のギタリストは
細かく膝をゆすってる

ケータイをかざすことすら忘れ
自分を風の中にほどいてしまう
隣にいる夫や友だちすらほどけてしまう
鳥たちがその調べに賛同する
そこにいるすべてのものたちが
西陽に照らされビール色に染まる

空気中に漂う細かなほこりが
ふつふつのぼってく
日々の小さな小言も
自転車で疾走する孤独も
まるでビールの泡のよう
大きな日除けにたまり
層をなしたと思ったら消えた

 

 

 

一重八重

 

長尾高弘

 
 

1

道端のドクダミにカメラを向けていたら、
反対側から声をかけられた。

《うわっ、怒られちゃうのかな。
勝手に撮らないでって》

でも、そういうことではなくて、

「珍しいの? 珍しいの?」

こっちもいい加減おじさんだけど、
こちらが子どもだったときに
すでにおばさんだったようなおばさんだ。

「ええ、八重のドクダミは珍しいですよね。
いつも探しているんですけど、
このあたりでは、ここでしか見ないんですよ」

「そうでしょう、珍しいのよ。
一本だけもらってきて植えたんだけどね、
なんだか増えちゃって。
でも珍しいから切らないでいるのよ」

「本当に珍しいですよね。
このあたりでもドクダミはいっぱい咲いてますけど、
一重のやつばっかりで、
八重はここでしか見ないんですよ」

「そうでしょう、珍しいのよ。
一本だけもらってきて植えたんだけどね、
なんだか増えちゃって。
でも珍しいから切らないでいるのよ」

同じことをきっかり二度ずつ言ったところで、

「どうもありがとうございました」

その場を離れた。
初めて会って、
ほかに話すことなんかないもんな。

《そうか、勝手に生えてきたわけじゃないんだ。
だからよそでは見つからないのかな?》

などと考えた。

おばさんも晩ごはんのときにきっとおじさんに言うだろう。

「あんたはいつもそんなもん刈っちまえって言ってるけど、
今日は珍しいですね、っつって、
写真まで撮ってった人がいるのよ」

来年も八重のドクダミを楽しめるはずだ。

 

2

確かに翌年も八重のドクダミは楽しめたよ。
おばさんとは会わなかったけどね。
でその翌年が今年なんだけど、
八重のドクダミはすっかりなくなってた。
もともと大きな家が建っていて、
その隣に「裏の畑」って感じの場所があって、
梅の木が植えてあって、
奥の方には栗の木も植えてあったかな。
八重のドクダミに気付く前から、
そこの梅の花はよく見に行ってたんだけど、
八重のドクダミはそっちの裏の畑と
道の間のちょっとしたスペースで咲いてたと思う。
今年見に行ったら、
そういった木々はすべて切られていて
道沿いのスペースも
植えられていた草、
勝手に生えていた草、
全部引っこ抜かれていて、
更地って感じになってた。
あのとき、
おばさんは裏の畑から出てきて
家のなかに入っていく途中でこっちに気付いて
声をかけてきたわけで、
裏の畑と大きな家は同じ敷地だったはずなんだけど、
今日は別の敷地って感じに見えた。
たぶん、本当に別の敷地になったんだろうな。
「裏の畑」の部分は一段高くなってたのか。
更地になってそれがよくわかった。
もう顔も忘れちゃったけど、
おばさんどうしてるんだろう。
八重のドクダミを珍しがる人は
いなくなっちゃったのかな。
母屋と道の間のスペースには、
バラやオオキンケイギクにまじって、
勝手に生えてきたらしい
一重のドクダミが咲いていた。