広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
2019年の衝撃の意欲作「ニューヨーク・ディグ・ダグ」に間をおかずに登場した本作は、とりあえずは、作者の失われた古里の思い出と、幼き日への郷愁の物語である。
私たちの郷里は、この半世紀の間の社会変化の大波のおかげで、地理上は同じ緯度経度にあっても、いずこもすっかり姿かたちを変えてしまった。
「あとがき」に拠れば、作者が生まれ、27世帯の人々と共に身を寄せ合うようにして暮していた神奈川県相模原市(旧津久井郡不津倉)の旧居は、1965年に完成した城山ダムによって湖の底に沈んでしまったという。
作者の家は、ダムの底に沈んだ。ことわざにある通りに、「桑田変じて海」となってしまったのである。
そして作者が、ダムに沈んだ懐かしい故郷の家族や、四季折々の山川草木の美しさや、幼き日の遊び仲間たちに思いを致すとき、それがいつの間にか、歌になる。詩になる。
その故郷喪失の歌は、もちろん「盲目の泉」に指輪を落としたメリザンドの歌のように悲しい旋律で歌われてはいるのだが、よーく耳を傾けてみると、ただ物哀しいだけではない。
みずうみの中に閉じ込められた宝石のような怜瓏、スノードームの中で万華鏡のように繰り広げられる精霊や天使たちの愉快な踊りまでもが、耳の奥の方で、微かに鳴り響いているような気がするのである。
私は、作者はこの詩集の中で、ひとたびは喪失した古里を限りなく優しく抱きしめ、卓抜な記憶と想像の力、とりわけオノマトペの推力を駆動し、古今東西の童話や童謡を自在に踏まえながら、その古里に似てはいるものの、もう少し新鮮な変異を遂げた、「ユニバーサルな心の故郷」を、もういちど零から再創造しようという稀有の試みに挑んでいるのではないかと、ふと思った。
おわりに些事ながら、最近私の息子が「津久井やまゆり園」と障害者問題を考える個展を開催していて、その中にその近縁の相模川を描いた大きな油彩画があったので、その偶然に驚きながら本書を読ませていただいたことを付記しておきたい。
こんなハムじゃない。こんなあじじゃ南蛮づけにもならない。あなに入って思う。少し飢えて少し痛い。お皿を返す。小さい扉の出し入れ。鉄柵を少し揺らす。赤錆のにおい。罪を考え星状の砂が舞う。酢飯の香りだが、回ってこないことはわかっている。眠れないのは起こされるから。タルズ・ブルースが聞こえ、床のビスケット屑。少しだけ寝る。どうせ起こされる。仕方なしにもう少し掘る。目地の割れ目に釘を指し、ささくれが啼く。免疫学の研究に従事シマシタ。ネズミ、蚤、蠅、蚊。ワレワレノ手ニヨッテ、証明サレタノデス。自慢です。モッタイナイデスカラニ。目地沿いに入る。うまく縮めて。切った方がいいのか。汁状にするか、捩り入れるか。蒸し返す。風は、風は。
1.
敗戰的時刻
殘暴著市場。充滿
我們的祖籍。
2.
蟬聲奏悶沉
怒放的鮮花、孩子……
重啟了五月
3.
用火焰發聲
超越生者的語言
此時此刻,在。
4.
重啓的時刻:
浩然若風的內部
沉醉於不在。
5.
在鏡子深處
我是我所看到的
成熟了决意。
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・翻訳はこちらで
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大風は過ぎていった
今朝
西の山は青空の下にいる
濃い
緑色をしている
頂上では
風が吹いている
だろう
夏草が
繁茂している
だろう
ユタ・ヒップはライプチッヒで生まれ
ニューヨークに渡った
ブルーノートで
ピアノを弾いた
ピアニストとしては
短命だったという
紳士服の裁断工場に勤めて絵を描き続けた
のだったろう
ユタ・ヒップの “Dear old stockholm” を聴いている
そこに彼女はいる
ひとりの女がいる
#poetry #no poetry,no life