michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

あじさいの花

 

さとう三千魚

 
 


ゴミ出しにいった

近所のあじさいの
花の

咲きはじめて
いた

昨日
モコの誕生日だった

夕食の後で

女と
犬のモコと

ちいさなケーキを食べた

今朝
遠い伊草さんからモコ時計が届いた

西の山が青く佇っていた

女も
モコも
伊草さんも

あじさいの花も

青空の下に
いた

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

sleepwalk

 

工藤冬里

 
 

5月17―24日

 

 

5月17日
うちは雨漏りがして大変です

5月18日
this bitter earth
https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1394456550962470914?s=20

5月20日
https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1395043809847742476?s=20


https://video.twimg.com/ext_tw_video/1395067927666118658/pu/vid/320×568/xnF-CHQhGZC1mWgr.mp4
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1395068631831113730/pu/vid/320×568/NPisBbbFBHiQODtM.mp4

siriに訊いたらラリーカールトンの夢遊病という曲だった

エレピの音色がいいね
https://youtu.be/zF46smnRlgY

https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1395202979771289600?s=20

マチボンを見たという客が来て生姜糖シリーズを二つ買っていった。自然農の話をした。

たしかに。隠れるからねえ
@franzkafkabot
悪魔的なものは知っていても、悪魔信仰はあり得ない。そこにある以上に悪魔的なものなどはないからだ。 [八つ折りノートH]

くるりの番組でthe abaranchesがかかったけれどもsince I left youが震災left youに聴こえた

大豆ミートのドリアですが問題ないです

5月21日
粒の大きさとスピードの変化に過ぎぬ(安吾風)

Cuando ellos estén diciendo “¡Paz y seguridad!”, entonces vendrá sobre ellos destrucción repentina

今年のアートで田んぼは30日午後3時から僕だけ田んぼでピアノを弾いていますがspaceの機能を使って遠隔から参加できます。参考までに譜面を書きましたがソの音だけ吹いていれば大丈夫です。

ヒメコウゾ剪定したら樹皮が紙で疲れた

5月22日
白鳥(シーニュ)
て素敵ね
https://twitter.com/IkukoHatoyama/status/1395429192695644160?s=20

妙佛て大里に似てる

いつかさんのはタグを飛ばして先入主なしに写真だけ、町の当てっこクイズみたいにして眺めると良い

「罪悪感で起ぎした」 chason

willが刺してあるからグリーン車は息をしないで通り過ぎていた

忍冬蔓延防止明日解除

ホタルが多くてかなしい

5月23日
例えばワクチンを打つか打たないか決定する際に、左右メディアの報道を同時に検証することができます。軽はずみなことを呟く前にチェックしましょう。
https://www.allsides.com/media-bias/media-bias-ratings

真っ暗で見えないのは透明で見えないより良い
見ないで済む妄想
更地にして原生林を復活させたい
その建物や書物は粉々に砕いて元素に分解したい
冴えた頭でライオンを見る
線描による灯り
見ない方が見ていることになった
どんな結末を迎えたか知っているなら
嘘つきだと言いなさい
眼を閉じれば人型のネガの画面
柿の葉は光り
報道は偏光する
全てが正しく真っ直ぐだから向かい風は誰の眼にも見える
誤用されない闇が飲食店を真っ直ぐにさせる
苦しんだ人は一人も居なかった
オーバーオールを着た力の飲食
の鍵は愛
考え得る最善の知見
父を本当に知っているのは子です
「このラーメンに俺は居ないんだ」
顔のあるいきものを食べない
隠された顔を探す
近くを通るだけで飛び出してくる顔を
食べ続ける
はなを食べる
下す判断は血液由来のものだったので
良い悪いに関わらず国に返す
脱毛のユーモアで横になる知恵
こうがん剤
ギラギラ柿の葉に
時間と塩漬けの魚と命が偏光する
蟻と犠
お互い様と言っている間はまだ理解が足りない
嫌われ者たちの仲間と思われたい
ヘルパーに延長料金を払ってヘルパーの話を聞くなんて
give and give,no takeですね
イメージ明治明示maisie budluck

花椒とカレーは合わないと思っていましたが根菜で解決されています

牛込のmomoほどには極端ではありませんがクローブが立っています。

妄想の時間を犠牲にするか
斜めの癖は気が散る
撒き散らすなら真っ直ぐになる
幸せになるチャンス
舌はヘビでも
歯はリス
与えたので喜んだが暗い顔
添え木か
柿に葡萄を這わせる
借りるな銀行に貸せ
いつまでも持ち続けられるように
禁止された銀蝿の講堂裏に
アイルランドが被さる半古層
右手が大きい蟹
裏表がなくバランスが取れているので
首を鳴らしながら一緒に歩く
なぜ死ななければならないのかも分からず
ぎゅっと圧縮された力をそのまま利用できないかと
空想しているのではありません、じっくり考えているのです
答えが出ても思考を止めないでそれを起点にしてフル回転させ実行することにしてサイクルを完成させてください
文字を見ると思考が止まる
傷付けられた過去のトラウマにより曲がった人にならない
死も生も
今あるものもこれから来るものも
歪にさせることはできない
望むことが違っている時
飲みたくない酒を飲むための処方がある
悪人の立派な行動
力は砦strongholdとなるということ
自分のためというのがもうダメみたい
自分の力だけで幸せになれるって本気で思ってるのか?

 

 

 

#poetry #rock musician

いつか私が人間だった頃

 

佐々木 眞

 
 

いつか私が鳥だった頃、私は瑠璃色の翼で覆われたルリビタキだったが、
赤いモミジの葉っぱをついばんでいる間に、飢えた台湾リスに食べられてしまった。

いつか私が魚だった頃、私はウナサブロウという名の天然ウナギだった。
ある日滑川の巣で昼寝をしているところを、川遊びをする子供たちの網に飛び込んだために、校長先生のまな板でかば焼きにされてしまった。

いつか私が植物だった頃、私は鎌倉市の市花で崖に咲く絶滅寸前のリンドウだったが、近所のタカギさんの電動芝刈り機で、あっという間に他の草花と一緒にチョン切られてしまった。

いつか私が動物だった頃、私はメリー洋装店のジョンという名の犬だったが、綾部保健所の凶暴な犬捕りに捕まって、ワンという暇も与えられず、締め殺されてしまった。

いつか私が人間だった頃、四季は温暖に巡り、花々は愁わしく香り、人々は私に優しかった。

ところがある日私は、脇道から突然出現した自動車に撥ねられて空高く跳び上がり、くるりと一回転して、地べたに叩きつけられた。

救急車で病院に担ぎ込まれ、九死に一生を得た私だったが、月命日の母が天上から手を差し伸べてくれたのだった。

それから私は、タンポポの好きな美少女に恋して、2人の愛らしい子供に恵まれ、蓮の葉っぱの上の小さなおうちに住んで、いついつまでも仲良く暮らしたことでした………

 

 

 

ジョルジュ・エネスク

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

J.S.バッハが野を踏んで後ずさりする
後ずさりしながら、差し出される手
その手で柔らかく放たれる音楽
ルーマニアのヴァイオリニスト
ジョルジュ・エネスクの弾くバッハ
その音はルーマニアの土や水をこねて
小さな器や土偶をつくり続けた陶工の手
サクサクとザラついていて大きい
陶器の瓷で白インゲンを煮る老婆
古い木の門や墓に添えられた土偶
ユーラシアの歴史を往還する風が
アンモナイトの渦巻きを独楽のように回す

J.S.バッハ作曲ヴァイオリンのための
無伴奏ソナタとパルティータ
その曲が鳴り出したとたん
胸襟が謎めいて内側に泡立ち、ひらく
J.S.バッハが野を踏んで後ずさりする
後ずさりしながら差し出される手
どこにもいなかったバッハがいる
白いカールのカツラをとったバッハ
恰幅のいいどこかのラマ僧だっていい
時空を超えたバッハが闊歩している
聖トーマス教会から怒りのメールが来る

クラシックに限らず音楽は手放せないが
いまはエネスクのヴァイオリンに拍手する
そこには他郷の老いた人々のしわぶきと
気管を通る掠れてちょっと淋しい呼吸がある

ジョルジュ・エネスクは1881年8月19日
ルーマニアの北東部リヴィニ村に生まれた
モルドヴァ、ウクライナに接するボドシャニ県
シトレ川とプルト川に挟まれた高原
わずかにロマも住んでいるという
辺境の小さな村に生まれエネスク少年
7歳でウイーンの音楽院に学んだほどだから
土器つくりのザラついた手とは無縁だろう

音楽というのは不思議なものだ 
演奏によって見える風景というものが確かにある
ひろがる麦畑、舞う柳絮、群れを追う孤鳥
ざわざわと森が広がり音楽が湧き立ち
ロマが煙を立てる、素足で子供らが舞う
憧れもしたトランシルヴァニアの風景だ

今日届いたアムネスティのニューズレター
ルーマニアでもコロナの流行で
ロマの人々へのヘイトクライムが増えている
このザラついた空気は忍び足のように
胸の奥の厄介な悪意をあぶり出す
この世紀をまたぐ悪意を反転させるには
いつものように歌うしかない
目を深層水で洗い、喉を火の酒ツィカで洗い
脳にこびりつく灰汁(アク)を風の手で洗い
ジョルジュ・エネスクをエンドレスにして


 

 

 

滴 i る i

 

原田淳子

 
 

 

i空白空白空白空白空i
空白空白空白i
  i空白空白空白空白i
i
i
空白空白空白i
 滴 i る i

   i i
  i空白空白空白空白i
空白空白空白空白空
  濡れて
i
  eyes
i i
   
慈しむのは結末ではなく
  そこへ至るまでの 所作
      i
i
洪水の果て
虹彩

真を標す i
           i

     永遠にみえなくても
空白空灰すらも輝く
     i
空白空i
曇り
時々
i