michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

三つ編みおさげの彼女の

 

ヒヨコブタ

 
 

たくさんの年始の挨拶のなかに
おばの懐かしい文字があった
幼い頃に農家へ養子に出たその人の
一文字一文字が胸をうつ

元気でいればまたお目にかかることも出来るでしょう
そのときを楽しみにしています

親の兄弟姉妹のなかでも一目おかれる彼女は
確かにそう思っているのだと
一つひとつの文字の強さにそう感じる
この冬も家のまわりは吹雪くだろう
田畑は雪に覆われて
地吹雪も酷いだろう

腰はとうに曲がり
いつも生まれたての玉子を持たせてくれた
訪ねると持っていった以上の収穫物を
美味しい米も美しい花も

彼女にいまとても会いたい
白髪の長い髪を乙女のように三つ編みにした
愛らしいひとに

わたしが生まれたばしょではないのに
訪れるたび先祖の開墾をおもうばしょに
確かに彼女はいる

叶わぬことも
叶えるために
日々呼吸をしている
また彼女に会うために
またあの地に立ち
あらゆる記憶をつかみとるために

 

 

 

He was so kind as to show me the way.
彼はたいへん親切だったので、道を教えてくれた。 *

 

さとう三千魚

 
 

of glass windows
inside

shoji

when I open only a little

on electric wires
there are sparrows

there is the west mountains

today
the west mountains

it has a dark gray color

was the person discharged?

in that large living room bed
lying down

is he there

withered flowers in the garden over the glass

is he staring

Poor Poor
told me

be there

He was so kind as to show me the way *

 
 

ガラス窓の
内側の

障子を

すこしだけ開けると
電線に

雀たち
いる

西の山がいる

今日は
西の山は

濃い

灰色をしている

そのヒトは
退院したのかな

あの広い居間のベッドに
横になって

いるのかな

ガラスの向こうの庭の枯れた花たちを

見つめて
いるのか

プアプアが教えてくれた

そこに
いる

彼はたいへん親切だったので、道を教えてくれた *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

島影 27

 

白石ちえこ

 
 


千葉県船橋市

ある年。
団地の交差点にあった竜舌蘭。放射状の葉の真ん中から、みるみる茎がのびていき、
あっと言う間に団地の三階に届くほどになった。
やがて大きな花房に黄色い花が咲いた。その巨大さは大昔の恐竜時代の植物を思わせた。
竜舌蘭の開花は30~50年もかかり、そのあとは枯れる、と新聞で知った。
この年、関東のいたるところで竜舌蘭の開花が見られ、新聞の記事になっていた。
火星大接近の年だった。

 

 

 

When did this world come into being?
この世界はいつ生じたのか *

 

さとう三千魚

 
 

dawn

I was awake
I was listening to the sound of rain

on the roof
eaves and

on the boulders in the garden

rain
will be hit

there was a sound

countless rains
flat

on the ground

will be hit

also in the ocean
rain

will be hit

When did this world come into being *

 
 

明け方

目覚めてた
雨の音を聴いてた

屋根や
軒先や

庭の玉石に

雨は
あたっているのだろう

音がした

無数の雨が
平らな

地上に

あたっているのだろう

海原にも
雨は

あたっているのだろう

この世界はいつ生じたのか *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

「道程」の引用されるclimate futurismの光景

 

工藤冬里

 
 

建物がごちゃごちゃと 校歌を唄っている
バッハにとってのフランスはVOGUEのようだった?
準備しなければならない即興は身に余る
地球が禁煙して
随分経つ
参道は俯いて
携帯を見る人々の
クーポン用アプリの檻
バッハにとってイタリアは
Lanciaみたいなもの?
不死の主題は同じでも
山が、木が、代わりになっている?
コロニーの歌を唄うとでも?
集合の重なりが青くなっていて
そこに経済ITアナリストの正当性のみが簾のように呼んでいる
命のクーポンを前もってゲットしようと
人々は俯く
手指から首に
首から頭上に
疲労は二酸化炭素のように上っていく
ああ自然よ
父よ
ぼくの前に道はあるが青い
ぼくの後ろに道はできない

 

 

 

#poetry #rock musician

花の起源

 

村岡由梨

 
 

2007年に生まれた次女に『花』と名付けたのは、
「平和」を想起させる名前にしたかったから。
『花』の漢字を分解すると、
「艹」「イ」「ヒ」となる。
「艹」は植物を、「イ」は生きている人を、「ヒ」は死んだ人を表す。
生きている人と死んだ人の上に、草花が生い茂っている。
その光景が何だかすごく自然で平和に思えて、
娘を『花』と名付けたのだった。

今、世界は平和ですか。
世界中の人々は今、まるで
空っぽの鳥かごを見て呆然としているみたいだ。
その鳥かごにはきっと、
愛とか、慈しみとか
大切で温かな生き物が入っていたはずなのに、
それがどんなものだったのか、世界は思い出せずにいる。
盗まれたのか、殺されたのか、
それを失ったことがただ悲しくて
ドクン ゴボッと ナプキンに落ちてくる
経血みたいに揺れて、
徐々にスピードを上げて汚れていくみたい。

「ママ、ここにあるナイフで手を切ったら、どうなるの?」
「すごく痛いと思うよ。血も出るだろうし。」
「ふーん」
「どうしてそんなこと聞くの?」
「いや、別に。」

いや、別に。って
何て悲しい言葉だろう。
もっと私を信じてほしい。
心を閉ざさないでほしい。
自分勝手な私がそう言う度に
君は私から遠ざかっていく。

この世界の綺麗事の一切を脱ぎ捨てて、
使い物にならない自分をビリビリに破り捨てて、
手首をナイフで切り刻むように
君の内側に、真っ赤な言葉を刻みたい。

私が死んだら、そこらへんにある原っぱに
適当に転がしておいていいよ。
ぞんざいに扱っていい。
時々思い出してくれるだけでいい。
そして偶に生きている美しい君がやってきて、
ウジのわいた私の傍に寝っ転がってくれたなら、
それが私たちの「平和」なのかもね。なのかな。
ほったらかしにして、最後に残るものが
きっと大切にしなくてはならないもの。
骨片とか。
思い出とか。

ただそれだけの、少し拗ねて書いてみたお話。

素直になれない、ただそれだけの話。
きれいな思い出の上に、
いつかきれいな花が咲くことを願って。