親子心中の小さな記事を切りぬいて今日の日記を埋めておきたり
帰れなくて
昨日は
沼津のホテルに泊まった
早朝の
電車に乗り帰った
由比から
興津にぬける時
電車の窓から海を見ていた
タンカーが
浮かんでた
海がギラリと光った
平らな海が光っていた
帰れなくて
昨日は
沼津のホテルに泊まった
早朝の
電車に乗り帰った
由比から
興津にぬける時
電車の窓から海を見ていた
タンカーが
浮かんでた
海がギラリと光った
平らな海が光っていた
「マーサ製造所」という看板はいったい誰が掲げたのか? 「うどんそばを製造している我が家にはふさわしくないから、なんとかしろ」と、さっちゃんに迫るのだが、知らん顔してそっぽを向いているのだ。3/1
「なぜおれはなにをやっても成功するのか? それはおれが絶対に他人の真似をしないからだ」と、その男は吹きつける風に向かって叫び続けていた。3/2
ベンチで寝ころんでいる女の上を乗り越え、なおも進んでいくと、ストに参加した5、6人の労働者たちが、プラットホームに、マグロのように横たわっていた。3/3
部屋の中のニイニイが鳴き始めると、屋外のニイニイも、一斉にニイニイ鳴き始めたので、今年は豊作だと分かった。3/3
半年前に、渋谷でモザールの2台のピアノのための協奏曲を弾いていた青年と一緒に、同じ曲を演奏している。彼は「この半年間のことは全然覚えていない」というので驚いた。3/4
そいつは、私がつけた値段をコピぺしたものに、「?」マークをつけて、送って寄越した。3/4
我われは敵を見おろす高台の陣地にあって、一晩中篝火を焚いて警戒していたが、それは大平原の覇者と称されている敵だけに、一瞬の油断も許されなかったからだ。
アライサの元芸人は、ブースの中に一室を与えられていたが、特に仕事はなさそうだった。私がシエラザードのビデオをつけると、珍しそうに眺めていたが、お互いに一言も交わさずに別れた。3/5
そのホテルの支配人は、「うちでは1年間どんな忘れ物でもお取り置きしてあります」と言って、様々な貴金属や本やカバンを見せてくれた。3/6
展示会では、5社中2社からのサンプルが間に合わず、バイヤーからクレームが殺到した。3/7
サルマ川に着いたのは、もう夕方だったが、急激な引き潮の余波で、浅瀬には無数のバルウオがバチャバチャと跳ねまわっていたので、私らは手当たり次第に収穫して、晩御飯のおかずにした。3/7
久しぶりに7人の妾を夜の友としようと呼び出しをかけたのだが、誰一人としてやって来ないので、7軒の家を訪ねて、次々にベルを鳴らしたが、誰も出てこない。きっとどこかで7人で談合しているのだろう。3/8
予約しようと思って帝国ホテルへ行ったら、どういうわけだか、フロントに大勢の子供たちが列を作って並んでいたが、夜になると、子供もフロント係も、お客も、誰もいなくなった。3/9
夏の夜、体育館でブラブラ遊んでいると、誰かが「このパンツを、あんたに穿かせてやろう」と叫んだので、私は「僕は嫌だ。Tに穿かせろ」と言いながら逃げ出したが、とうせんぼしていたY子が、私の胸をドンと突いたので、私はその場でひっくり返ってしまった。3/10
空を眺めていると、世界中からタイキ者がやってくる。何をなぜ待機しているのか知らないが、アルゼンチン、アメリカ、イタリア、ウクライナ、ウズベキスタンのアイウエオ順で、世界中からタイキ者がやってくるのだ。3/11
アマゾンのタイムサービスで、私は一瞬の隙をついて、日本列島全域の不動産を買収してしまったのだが、その翌日から資金繰りで七転八倒することになってしまった。3/12
河出の文学全集の欠本をアマゾンで検索したら、なんと7億円の超高値がついていたので、これは妙だなと思いつつ、こないだの宝籤で7億円を当てたばかりの私は、ひょいとクリックしてしまった。3/13
自室に戻ると、数人の男女が談笑しながら煙草をふかしていたので、私は激怒して「お前たち! いったい誰の許しを得て入って来た。ここはおらっちの部屋だ。即刻出ていけ!」と怒鳴ったのだが、彼らは知らん顔している。3/14
九龍ホテルに連泊している私の部屋には、毎晩見知らぬ客が訪れたが、ある晩電通のフルカワと名乗る男から、私は2本のラジオ・ドラマの脚本を依頼された。
しかし私は生まれてこの方、ドラマのシナリオなんて書いたことがないので、はてどうしたものかと、悩みに悩んだ。3/15
下宿のおばさんは、万年床の少女探偵にほとほと愛想を尽かしていたが、かといって彼女を追いだそうとはしなかった。3/16
建築業界の若きボスとなって君臨しているかのように世間では噂されている私だったが、しかしてその実態は、若い妖艶な情婦の言いなりになる男奴隷なのだった。3/16
死の床に就いていた老将軍は、私を招いて遺言しようとしていたが、そうはさせじと悪代官がうろちょろするので、私は酸欠状態の金魚のように口をパクパクさせている将軍の枕元に、なかなか近づけないでいるのだった。3/17
「ウスイと申しますが、キョウセンさんはいらっしゃいませんか?」という声がした。
すると路地の奥から声がして「おや、あのときのウスイさんですか。あれは10年前でしたね。でも昨日のことのようによく覚えていますよ。今日の出物は何ですか?」
という声が聞こえた。3/18
中国へ飛んだら、大きな変化が起こっていた。それは「情から無情」ということで、まさしくこれこそが、かの国の政治経済社会に決定的な影響を及ぼしていたのである。3/19
久しぶりに春闘で満額回答を勝ち取ったというのに、米原産業の労働者諸君に喜びの表情はこれっぽっちも見えなかった。みんな安倍蚤糞の所為だった。3/20
私が眼を瞑っていると、耳元で「センセ、ワダエミのこたあ、もうお忘れになったほうがよござんすぜ」という男の声がした。
ワダエミって誰だろう? 眼を見開いた私は、早速検索してみようと思ったのだが、あいにくどこにもPCなど見当たらなかった。3/21
満月の光に煌々と照らしだされて、真昼のように明るい大空の彼方から、突如巨大な惑星が大接近してきたので、驚いて見詰めていると、その惑星から打ちだされた無数の岩石が、我が家に押し寄せてくるので、私は妻子ともども、命からがら逃げ出した。3/22
銀座で4人でお茶していたら、紅一点のイラストレーターのカワムラさんが、突然「あなたたちは男根の世代なの?」とよく通る声で叫んだので、われわれ男どもは、手に持った紅茶のカップを、思わず取り落とすほど動揺した。3/23
昔のDurbanの服を着てみたら、思いのほか塩梅がよかったので、「なかなかいいなあ」と呟くと、そんな私をじっと見つめている女性がいるので、誰かと思ったら、もうとっくにこの世の人ではないコンドウ嬢だった。3/24
新書館と打ち合わせをするために、原宿の竹下通りを歩いていた私は、突然アオキ嬢がいなければ行っても無駄だと気付いたので、急いで会社に引き返そうとしたのだが、歩いている途中で、自分はいったいなんのために引き返すのかを忘れてしまった。3/24
生死を賭した菊人形劇の最終番で、私はコースを外れてしまったので、途方に暮れている。果たして本来の道筋に戻れるだろうか。3/25
そこはまことに夢のような楽園であったが、私は涙を呑んで、泣く泣くそこから立ち去らねばならなかった。3/26
犯人の井桁の紋どころの男は、どさくさまぎれに逃げ出そうとしたが、私が背後から首をギュッと締めたので、ようやく大人しくなった。3/27
「カルメン」でドンホセを歌った私は、カーテンが降りるや否や、気を失ってしまったが、劇場全体を覆い尽くす「ブラボー!」で意識を取り戻し、一緒に手をつなごうとカルメンを探したが、どこにも見つからなかった。3/28
昼飯を食おうと思ってパスタを注文したら、ぬあんと真っ白な肩を出した白雪姫が、席まで運んでくれたので大喜びしたのだが、白雪姫ときたら、真っ赤な唇を開いて麺を1本ずつおいしそうに吸い込んでしまうので、「僕にも早く呉れよ」と催促したのだが、彼女は皿を持ったまま引き返してしまった。3/31
雨の
鎌倉橋の交差点で
死んだS君と会う
とても急いでいるらしく
フードをかぶって
こっちには目もくれず
走り去った
鎌倉といっても鎌倉ではない
東京大手町のビル街
そのはずれ
死んでも働いているのか
近頃
死んだ人と会うことが多いのは
どういうことだろう
オヤジとはしょっちゅう
といってもいいぐらい
オヤジの禿げ頭が
「ああ、そうかねぇ」
交差点を過ぎ
首都高下
暗い日本橋川
これが鎌倉橋
上から水漏れのように降り注ぐ音
逆? いや逆じゃない
躑躅の大刈り込みが
真っ二つ
血液図のような横っ腹を見せ
橋桁に空襲の跡が
胃壁の腫瘍のよう
しつこさにかけては
Sのマルクスなみ
これからどこへ行くか
忘れてしまう
黒い人たちは皆忙しそうで
誇らしげだ
ぼくはいつもぶらさがっているなにか、姿形が判然としないもの
を遠くから見つめている。眼の端に揺れている黒い塊。生き物な
のかそうでないのか。いや、実在していないものをそこにあるか
のように錯視して、気にしているのかもしれない。生きているも
のであれば、少しは身を動かすのだが、それは、ただ風を受けて
ぶらぶらしているだけなのだ。
近づいていく。惹かれているのでもない。黒い塊とぼくの引力と
か重力だとかの関心の間で、強いられて塊の真下まで歩いていく。
――なああんだ、
と思った瞬間に、ぼくは彼岸の人になっている。
ぼくの生などという代物は、だれかの対象なのであって、ぼくが
なにかを対象にしようなどと思うことはないのだ。
川岸を歩いて、すこし先になびいている桜の古木の下まで行き、
そこを通過していく。
無音。
――ぴーぴーぴー
鳴っている。
音があるのに、それもまた覚ることもなくぼくを通過していく。
鳥もまた、彼岸の生の懸命なのだろうから、ぼくの対象にはなら
ない。
すべての行いを不信に思ったとしても、もう埒外の懸命だろうが
と言いかけて誰にも語らない。
午後と決めた人はだれなのか。
真昼を過ぎたら、枯れていく。ぼくは対象として捨てられる。
――みんないっしょに
季節はずれの、狂院の盆踊り。
いつのまにか、終わっている。
空白空白空白空白*西東三鬼に
空白空白空白空白空白空白空狂院をめぐりて暗き盆踊 の句がある。
ゴンチチの
ロミオとジュリエットを聴く
今夜も
聴く
どうなんだろう
恋人のために毒をのめるのか
短剣をさせるのか
このまえ
熱海の断崖の病院から青い海をみた
平らだった
あどけない俤を抱いてた
お父さん、山手線ぐるぐる回ってるね。
うん、回ってるよ。
内回り、外回りですお。
うん、そうだね。
お母さん、マンゾクってなあに?
良かったなあと思うことよ。
余はマンゾクじゃ。
お父さん、将棋は攻めるんでしょう?
なるほど、攻めるのかあ。
お母さん、さまようってなあに?
あっちへ行ったり、こっちへ行ったりすることよ。
さまよう、さまよう。
「アーメン」は、祈ることでしょう?
そうだね。
お父さん、勝浦旅行でお土産買ってきますよ。
そうですか。ありがとう。
「そんなもんうけとれねえ」、とシュウがいいました。
なにそれ?
「風のガーデン」だお。
お母さん、どうも、ってなに?
どうもありがとう、のことよ。
どうも、どうも。
お母さん、バージョンてなに?
いろんな版のことよ。
お父さん、おはよう!
おはよう、耕君。
お母さん、ご飯の支度をしてください。
ハイハイ。
ときめくって、なあに?
どきどきすることよ。
お母さん、今日キノコご飯にして。
わかりました。
あした図書館行って、ファミリーマート行きます。
わかったよ。
お父さん、虫歯の英語は?
ううううう
お父さん、高いは高橋の高?
そうだね。
ぼく、ウチワ好きですお。
そうなんだ。
ウチワ、暑い時あおぐものでしょ?
そうだよ。
ぼく、ウチワ好きですお。
お父さん、必死は?
一生懸命なことだよ
お父さん、ワサビは畑だよ。
そうだね、ワサビ畑でできるんだね。
お母さん、とおりゃんせって、通ってくださいのこと?
そうですよ、♪とうりゃんせ、とうりゃんせ、こーこはどこのほそみちじゃ。
とうりゃんせ、とうりゃんせ。
お母さん、スーパーヒーローってなに?
すごい中心人物のことよ。
ぼく、お母さんとお父さん、信じていますよ。絶対信じていますよ。
ほんと?
ケンも信じていますよ。
松島さん泣いていたよ。
うん、泣いてたよねえ。悲しかったんじゃない。
お父さん、落ち着くの英語は?
カームダウンかな。
落ち着く、落ち着く。
嫉妬はうらましがることでしょ?
うん、まあそうだね。
♪らららラララララ。森のくまさんだお。
いとしの耕君、いとしはどんな字?
愛だお。
あったりい!
お母さん、今後ってなに?
これからのことよ。
ぼく、国語大辞典好きですお。
そうなんだ。
お母さん、甲子園てなに?
野球場よ。
甲は申すにちょっと似てるよねえ。
そうねえ。
でもちょっと違うよねえ。
そうねえ。
無くなる電車、廃車でしょ?
うん、まあそうだね。
「家に鴨」でアヒルでしょ?
そうだね。
お父さん、回数券買った?
買ったよ。
連佛さん、録画した?
したよ。
ぼく、ハスとサトイモとクワイ好きですお。
お母さんもよ。耕君、おばあちゃんちのクワイ見ましたか?
ぼく、見たよ。
お母さん、やりたい放題ってなに?
好きなことばっかりやることよ。耕君やりたい放題なの?
違いますよお。
貨幣に外部はあるのか
自己利益に外部はあるか
ぐにゃぐにゃと揺れてた
白い液体を吐いた
世界は高速に回ってた
エバは林檎を齧り
柔らかい赤ちゃんを育てた
ロミオは毒を飲んだ
ジュリエットは短剣を刺した
断崖の病院から青くひろがる海を見た
平らだった
ロミオは毒を飲んだ
ジュリエットは短剣を刺した
脳は正常なのにエラーを起こすのだと医師はいった
ぐにゃぐにゃと揺れてた
白い液体を吐いた
世界は高速に回ってた
世界は
洗面所の
床に嘔吐した
断崖の病院から青くひろがる海を見た
平らだった
2013年の10月にツイッターで「さとう三千魚」という人の詩を見つけた私は、とてもよいと思い、お願いしてfbの友達に加えてもらいました。
すると翌年の7月のある日、さとうさんから、「自分が主宰するweb詩誌「浜風文庫」になにか書いてみませんか?」というお誘いを頂き、うれしくてうれしくて、得たりやおうとばかりに「夢日記」を連載させてもらったのが、そもそものはじまりでした。
佐藤ではなく「さとう」とひらいた名前と、そのアイコンの優しく柔らかなイメージから、なんとなく少女のようなイメージを懐いていたのですが、それは私の勝手な思い違いで、実際にお目にかかった「さとう三千魚」選手は、スーツをきちんと着こなした立派な社会人であり、隆とした男性詩人でありました。
そのとき、さとうさんは、「毎日毎日大工がかんなくずを削るように毎日毎日詩を書いていきたい」とおっしゃたので、「それは凄い。それってまるで詩の修行僧ではないか!」と思ったのですが、この直観は当たらずとも遠からずだったといえましょう。
さて、肝心の詩集の話です。
作者の前の詩集「はなとゆめ」(無明舎出版刊)は、どちらかといえば薄い本でしたが、今度の詩集はものすごく部厚かったので、とても驚いた。
部厚いけれども、非常に軽い。そして使われている紙が、昔懐かしい藁半紙のような柔らかい紙だったので、またまた驚いた。
私はイギリスのペンギン・ブックスから出ている<THE PENGUIN Guide to Compact Discs>というクラシック音楽CD批評の部厚いカタログが大好きで、毎年丸善か紀伊國屋で購入して、夏の昼寝の枕に使っていたのですが、まさかそんなスタイルの詩集が登場するとは夢にも思わなかったなあ。
桑原正彦画伯による、邯鄲の夢のようにほのかなタッチの表紙の絵も、今回の「浜辺にて」という表題にぴったりです。
この本を開くやいなや、たちまち作者が愛してやまない故郷の海の光景が広がってくる。
青空を飛ぶ雲、寄せては返す波の音……
白い渦が泡立つ浜辺からは、磯ヒヨドリやカモメたちの鳴き声が聞こえてきます。
愛犬モコと一緒にそれらに見入り、大いなるものと一体になっている作者は、もしかするとこの世の人ではないかもしれぬ。
自然と永遠に溶け込んでいる存在、実在と非在を行き来する夢幻のような存在、作者の言葉を借りれば、「この世の果てを生きるしかない」存在かもしれません。
ふだん一個の生活者として暮らしている私たちは、言葉を持たない。
持たないけれど、四六時ちゅう、「ない」言葉を発している。
人間界も自然界も、全世界が「ない言葉」で満ち満ちている。
その「ないはずの言葉」にじっと耳を傾け、観取し、共感し、随伴する言葉を発する人が、さとう三千魚という詩人なのでしょう。
中原中也には「言葉なき歌」という詩があり、メンデルスゾーンにも同名のピアノ作品がありますが、この詩集のいたるところから聞こえてくるのは、作者みずからが言う「コトバのないコトバ」、言葉以前の言葉、言葉の果ての言葉、なのです。
父母未生以前のなんじゃもんじゃ珍紛漢紛蒟蒻問答はさておき、今度の詩集には楽しい仕掛けと言葉遊びがちりばめられています。
それはまず、日付のある日録ドキュメンタリー風の展開です。
かんなくずを削るように、「日にひとつのコトバを語ろう」と作者は言う。
次に作者が採用したのは、なんとツイッターの「楽しい基礎英単語」から自由に引用されたさまざまな英単語を枕詞にして、そこからおのずと引き出される思い出や森羅万象への想念を、間髪を容れず即興的に書き綴るという大胆不敵なライヴポエム手法です。
たとえば、2013年10月29日の<fish 魚>という項目の詩は、こうです。
ひかりの中で揺らめいていた
明るい川底の
小石のうえの魚たちは揺らめいていた
コトバは
なかった
すべてだった
すべてだとおもった
水面に太陽が光っていた
水藻がゆらゆらと揺れていた
丸い眼をしていた
魚たちにコトバはなかった (引用終わり)
ここには、一匹の魚になって魚たちと合体している少年がいる。
そうしてこの世で生きることの意味、世界の、宇宙の摂理を一瞬で体得した一人の元少年がいる。
さらに私たちは、百科全書的な言葉遊びを超え、宇宙の本質をみつめ、事物を自分の目と言葉で再定義しようとする一人の哲学者の心意気をも感じ取ることができるのではないでしょうか。
最近作者が熱海駅で倒れたという突然の報は衝撃でしたが、前途有為な詩人の一日も早い回復と新たな飛翔を願ってやみません。